地獄 10
地獄という概念は世界に広く存在する。
概念の成立も第四紀大収束以前、即ち超現実がこの世界にもたらされるよりもずっとまえだ。
しかし現状として私たち人類は地獄、もしくはその原型となった事案性事物の存在を確認できてはいない。
各超常管理機関においても原型の特定やその起源についての調査はずっと試みられているが、その中でわかっているのはどうやら何かしら原型となったものがあるのだろうという一点のみだ。
私の記憶を辿ってみても地獄に類する概念は人類社会に受け入れられた頃には存在していたし、のちの第四紀大収束で日本には『戌2S -0213』として現在は管理下に置かれている通称『黄泉比良坂』なんていうバッタ物も発生した。
他にも世界中に類似の超現実性を有する海賊版は溢れかえっているが、それらは総じて元々存在した地獄の概念が超現実によって体現されたものに過ぎない。
それもそのはずで、本来の地獄は遥か昔……およそ210万年ほど前にホネリ氏の所属する団体が対処し、有害性を局限化した上で厳重な封印を施したのだという。
それは、座標です--
彼はそう言った。
より高度な尺度、我々人類の物理体系においては推測すらできない、ホネリ氏の世界ですら理論物理学で提唱される一つの説でしかないほどマクロな尺度であらゆる宇宙に跨った一点
多元的な広がりも質量も存在している筈のエネルギーさえもない。側から見れば数学的な点
あらゆる情報を引き寄せ、貪るように吸い尽くす一点を当時の人類……私たちが存在すらも把握していない。どころか化石も生活の痕跡も何一つ発見できていない未知の人類種は地獄と呼び、畏れ敬った。
どのようにして当時の人々がそんな高度なもののある種本質的な部分に気付き得たのかは私たちには想像すらできない。
未知の知覚能力を有していたのか、それとも私たちやホネリ氏の文明ですら知り得ないなんらかのチャンネルを通じて未知の高度文明とコンタクトをとっていたのか
その辺りは彼らの痕跡の発見と研究を待たねばどこまで行っても妄想の域を出得ない物であろう。
少なくとも彼らの情報をある程度は有しているだろうホネリ氏が情報を一切くれないのでこんな場所からではどうにもならないのは確かだ。
ともかく封印したのならばこんな物騒なものはホネリ氏達の世界に持ってって欲しいものだが、どうにもそうはいかない事情があるのだという。
先も言った通りこれはある種の座標である。
封印によって見た目の上では可搬性を得てはいるものの、それはあくまでも私たち人類の知覚しうる範囲、観測できうる範囲のあくまで表面上のものに過ぎないのだという。
より高度な尺度での観測においてはあくまでも静止した一点の座標であり、類似の宇宙に存在する物理的影響を及ぼす表出面に対して同様の対処を取るしか無いのが現状であるようだ。
広義の生物の存在しない宇宙であれば安全な保管場所を用意すればそれで事足りるし、仮に生物が存在する宇宙であってもそれが高度な文明を築き得ないものであれば惑星外においてしまえば問題はない。
既にホネリ氏らの文明に相当する高度な文明が存在する宇宙であれば管理に係る協定を結んで仕舞えばおーるおっけいである。
問題があるのは生物が存在し、かつその生物種が高度な文明を築き得る可能性を有している場合だ。
前に会った時に聞いた通り、発展途上の文明に関する干渉には彼らの中でそれなりに厳しい制限がある。
その上文明の発展と『6924』の接触のタイミングによってはホネリ氏達を持ってしても対処しきれない事態……具体的に言えば多数の宇宙を巻き込んだ破局的終末事態の発生も十分に考えられるのだ。
それ故に彼らはある程度支配的立場を有する当時の人類の一族に限定的な支援下での管理の委託を決めた。
アプローチは宗教的なものだ。
血縁に依らず知識の共有によってのみ継承されるその一族は途中その構成種をホモ・サピエンスにかえたり未知の場所からアフリカ大陸に上陸して既存の人類社会に合流したりと色々頑張って210万年の時を『6924』を守るために費やしてきたそうである。
彼らはその時々で出会った最も賢いものを次代の指導者として担ぐという体制をとっており、その中で色々と知識の途絶に対処するための方策を練り上げた。6924表面の様々な言語での注意書きもその一つであり、それは『UNPCC』によって定められた『文明崩壊もしくは社会細分化シナリオにおける特定管理事案継続保管ガイドライン』に定められたクラス3以上の管理収容施設がとるべきとされる対応によく似ている。
施設の封鎖及び入り口に至る道を人為的に崩壊させた後ざっくり危険で有害なものが埋まっているから掘ったり近寄ったりすんな! という旨の標識を全周囲にたてて、十年に一度最新の語彙で同様の内容を記した看板を既存の看板の外周約1mの地点に設置する。
それを継続することで言語の変化を経ても危険を知らせることが出来るというものだ。
後々新たな文明や人類を代替する支配的な種が調査に訪れても現代の管理収容施設は生半可な文明レベルではそもそもこじ開けることすら不可能だし、こじ開けるだけの文明が発生した場合管理収容施設入り口に設置してある大理石に特殊な加工を施した石板による施設の説明がある。それだけの文明であれば無視してずんずん進んで行くことなんてないだろうからちゃんと理解して管理を引き継いでいってくれることだろうみたいな感じだ。
多分その石板の役割としてホネリ氏はここにいるのだ。
話は戻ってその一族である。
長くゆっくりとした旅の中で彼らはアフリカ大陸北部に至った。
その頃には人類文明もなかなかに発展しており、一族の切れ者は一計を案じた。
社会の発展の中少数で秘密を守り続けるのは困難である。
故に既存の宗教勢力に自分達を捩じ込むことで超長期的な管理を行うというものだ。
その頃にはローマ帝国だったりなんだり覇権的な国家はあったが、そこに頼らず宗教に張ったのは流石というべきだろう。
利害に作用する勢力である国家や類するコミュニティは短期的に見れば非常にコスパが良いが、長期的スパンで考えればあまりにも儚く脆い。
対して宗教は人間の心の弱い部分に作用する。
どれだけ科学が発展して『神』そのものを否定したところで、結局今でも私たち人類は何かを拝んで救いを求めているのだから彼らの選択は大正解だったと言っていい。
彼らは培ってきた智慧とホネリ氏の団体からのごく限定的な支援を最大限に活かして既存の宗教の中で語られる『救世主』を作り上げた。
現代でも通用しそうなほどの組織的な管理体制、分野ごとの十三の部署を持つ教団を作り上げ仕上げとして象徴的な出来事の発生と『6924』管理部門責任者の表舞台からの退場という一連のシナリオで彼らは後二千年後まで継続する強固な管理体制と社会的基盤を手に入れることができたというわけだ。
「そこから1900年代……ええと西暦という暦でですね、そこまでは問題なく管理できていたんです。ただ……」
「ただ?」
「こちらの世界で社会が混乱した際に逸失してしまって……」
奇妙な話だ。彼らの技術を持ってすれば探し出すことなんて難しくもないだろうに
「それは……そうなんですが……すみません完全にこちらの落ち度でして」
どうやら本来『6924』にはロケーターのようなものが入れてあるらしい。
しかし封印の中にエネルギーが飽和した状態で最終段階の二個前まで解除を進めると周囲の安全化のために強烈なエネルギー放射が発生、その際にロケーターが破損してしまうので毎回新しいのを入れなくちゃいけないらしい。
「あくまでこの座標はどこにもないとどこにでもあるを両立した状態なので地点の観測も封印した状態では難しくて……」
ロケーターの入れ忘れというなんとも親近感の湧くポカミスかました後は行方不明だったそうで、その上エネルギー放射含む内部から外部への干渉を行うと地球上のランダムな地点に瞬時に移動……というか露出面たる『6924』の位置がズレるのだそうでそっからはもうどうしたらいいか分かんなかったとのことだ。
一応地球の恒常性と『6924』を紐付けているらしいので広大な宇宙のどっかに行っちゃうということはなかったようだし最終的な解放の直前に警報するシステムがあったおかげで今回はみっかったわけだが……
「数十億年単位での保管のために構造を極力簡素化していたんですが……それが仇になった形でして……」
「あー、あるあるですねぇ」
高度化と耐久性の兼ね合い、同業者としては非常にあるあるな話だ。
超常管理研究者その辺のバランスを感覚に頼りすぎてやらかしがちというのはどうやら彼らほどの文明でも逃れられない宿命らしい。
「それでこの先は非常に心苦しいお願いなんですが……」
「『これ』の管理ということでしたらお引き受けしますよ」
「よ、よく分かりましたね……」
「そりゃ私に協力してほしい話と言ったらそれくらいしかありませんから」
超常管理組織の研究者であり更には世代交代の必要がないのだ。最適だろう。
「ただそれであればこれがどうやって座標を封印しているのかっていう部分を教えてもらって良いですか? ほら、好奇心とか情報をぶっこぬこうとかそういうんじゃなく管理を円滑にするために!」
「あの……流石にこちらの宇宙を担当しているので本音が出過ぎだと言うことくらい分かりますよ?」
おっと、エイリアン相手だからと油断しすぎたようだ。バランスがむずいね!
「わかっていらっしゃるとは思いますが技術についての詳細は開示するわけにはいかないんです」
「でしょうね……」
まあどのみちダメ元だ。
「ただ……ご協力いただけるのであれば概念だけならば……」
「是非!!!」
なんと言う棚ぼた! 素直に本音でぶつかってよかった!
概念がわかれば超長期的スパンで私たちが理論を再構築することも出来よう。
ゴールのわからないマラソンより距離が長くてもゴールのはっきりしているマラソンの方が幾分気持ちが楽だ。
教官の匙加減で無限に距離が伸びるそれこそ地獄みたいなランニングは大嶋くんたちみたいなドMのマッチョくらいしか喜ばない。
「あ、はい……ただあくまでも本当に概念的な説明だけですからね?」
私の勢いに気圧されたのかちょっとたじろぐホネリ氏……まあ熱意が伝わっているのだと思うことにしよう。
「今、ここで私やあなた方を内包する宇宙……違うな、世界……これも適切じゃないな……すみません適切な語彙がないのでここでは領域と呼びますね。それを仮想的な形で発生させた上で座標を内包させています。そこからこちら側の領域への直接的な干渉を防ぐために点に折りたたんだ上でそちらの実体性インターフェース内核に紐づけているんです」
なるほど……先ほど聞いた話からして雨傘製薬がやらかした事故は飽和状態のエネルギー放射によるものだろう。
完全な開放に至る前に研究所が消し飛んだと言うのに『カラビ・ヤウ多様体に閉じ込められた地獄』なんていう正解を導き出すとは雨傘にはとんでもなく優秀な物理学者がいたのだろう。惜しい人を亡くしたもんだ。一度缶コーヒー片手におしゃべりしてみたかったなぁ……
「なるほど……では私たちのうちゅ……いえ領域の構造はブレーンワールドモデルにおけるカラビ・ヤウ多様体上に閉じ込められたものであると言う仮説に則っている。その上で余剰六次元のみならず全てを折りたたんでいる。そしてそのサイズは点にまで圧縮が可能であると……合ってますか?」
「そこに関しては既存のブレーンワールドモデルはなかなかによくできた理論だと思いますが実際もっとマクロな視点で考え……っとぉ! 危ない!! 何を言わせるんですか!!」
多分良い人なんだろうなぁ……でも腹芸とかに関しては多分私より不向きなタイプだろう。
勢い余って余計な情報までもらっちゃった!
「とにかく! もうこれ以上の説明は無しです!! 全く油断も隙もない!」
まあ何はともあれ貴重な情報は取れたのだ。
研究が出来ないのはもどかしいし静代さんについてより深く理解するチャンスではあったがそれで世界が滅びてしまってはばかばかしい。
今は貴重なヒント、それも答えに至るためにおそらく正しいそれを手に入れられた事を喜ぼうじゃないか!




