地獄 9
東京都調布市 環境科学研究機構 航空宇宙研究所 通信管制室
千人塚博士の搭乗する『はくちょう3』との通信が途絶してからおよそ二時間、対応にあたる千人塚研究室の面々も8部の技師や研究員情報管理員ですら原因のわからないこの事態に小笠原富江主幹研究員は焦っていた。
現状としては問題なく予定通りの軌道を保っていることは各地の天文台からの光学観測によってわかっているし、千人塚博士の意識途絶がないことも佐伯静代調査員からの報告で判明している。
現状あくまでも通信の途絶以外の問題はない。
しかしそれはあくまでも現状の維持が可能という話でしかないのもまた事実である。
往還機を用いて千人塚博士の救出を行うにしても『はくちょう3』の修理を行うにしても内部の状況が何もわからないとあっては地球上からできることなどたかが知れているのだ。
「小笠原さん……さっきから9部の秘書科から連絡来てますけど良い加減出てあげませんか?」
「後でかけ直します。今はそれどころじゃないので8部と10部以外からの連絡は無視して良いです」
今9部からの連絡なんてロシア絡みの話だろう。
全員が国際活動実員指定を受けている千人塚研究室である。現在準備が進んでいる『保全財団』主導の『UNPCC』有志連合による『アカデミー』救出作戦にも全員の参加が決まっているし千人塚博士はキエフのアントノフ国際空港にて救出及び空輸計画の責任者として派遣されることが決まっている。
五岳党と共同でカザフスタン方面からの救出作戦及び東方から圧力をかけることを目的とした大規模な部隊の指揮官となっている守矢所長と並んで今次作戦における『機構』で最も重要な任務を任されているのだから密に連絡を取りたいと思うのも当たり前のことだろう。
だが、現状はそんなことに時間を取られているような暇はない。
「もう一度送信出力を最大まで上げて試しましょう。地上設備には問題は無いわけですから--」
「ちょ、ちょっと!! なんですか?!」
「秘書科です。権限は貰っています。緊22-08637-9号、確認してください」
再度『はくちょう3』との通信を試みようとしていたところ管制室の入り口付近が俄かに騒がしくなった。
小笠原研究員が声の方を見ると喪服姿の数名の男達と、珍妙な格好をした者達が管制室内に押し入ってきたところだった。
「ほら、小笠原さんが無視してるから秘書科の人たちが来ちゃったじゃ無いですか」
「ええ……メンヘラじゃ無いんですから……」
安曇修研究員に言われ、面倒ながら対応しようとした彼女の前に大嶋調査員が立ち塞がった。
「大嶋さん?」
見れば彼は腰の拳銃に手をかけている。
「9部秘書科です!! 実験を中断して下さい!」
そう声を上げたのは千人塚研究室や甲信研の人間には馴染み深い神部主幹調査員だ。
要求される内容はさておきそこまで殺気立つような相手では無いはずである。
「小笠原主か--」
「神部さん、あの連中は? 堅気じゃないしうちの人間でも無いだろ?」
大嶋調査員が警戒する相手は秘書科の後ろにいる奇妙な団体……映画で観る神父だか牧師だかなんだかそんなような格好だが腰に佩いた短剣が異質さに拍車をかけている。
「とりあえず彼らは大丈夫です」
「四宮の事もある。なんの説明も無くいきなり部外者連れ込まれてはいそうですかと納得はできないな」
「はあ……だからその説明のために何度も何度も小笠原主幹に連絡しようとしてたんですが……」
神部主幹はため息を吐きながら殺気立つ大嶋主幹以下の調査員達を見て、小笠原主幹に困ったような視線を向けた。
「ほらやっぱり」
「小笠原さんが未読スルーしてるから……」
安曇兄妹に言われて彼女は曖昧に苦笑を浮かべる。
「それで実験の状況はどのように?」
「それが……二時間ほど前から『はくちょう3』と通信が出来なくて……ちょっとそれでバタバタしてて連絡できなかったんです」
「通信途絶……」
「あ、でも博士も『はくちょう3』も無事なのは確認できてます」
「ふむ……であればまだ猶予はありそうですね」
そう言って神部調査員は後ろに控える喪服に何やら小声で話しかける。
「小笠原さん、あの後ろの人3部の人です」
「3部の?」
その姿を見ていた小笠原研究員には佐伯静代調査員が耳打ちをしてきた。
彼女はその事案的特性から3部とも絡みが多い
「やだなぁ……苦手なんですよ」
3部系の話がである。
最悪の最悪安曇兄妹に丸投げしてしまおうと小笠原研究員は心に決め、佐伯調査員はそれを感じ取って呆れたような表情を浮かべた。
「それで? まだこっちの質問に答えてもらってないだろう」
「わかりました! 順に説明しますから!!」
大嶋主幹にせっつかれた神部調査員がうんざりしたように言う。
「こちらは『聖ユダ修道院』の方々です」
「『聖ユダ修道院』って……」
「本当にいたんですか……?」
安曇兄弟が驚愕に顔を見合わせる。
「……そんな連中を連れ込むなんて何を考えてるんだ」
大嶋主幹以下の調査員は更に殺気立ち修道士達を包囲する。
「湯田……? 甲府から来たんですか?」
そして小笠原研究員の言葉に全員の注目が集まる。
これは悪い注目のされ方だ。と言うことは彼らはオカルト方面で有名な人々なのだろうと察した彼女は怪訝な表情の神部調査員に先を促した。
「あー……えー……まあ……おほん! とにかく彼らは今回の件で非常に重要な情報提供のためにここに連れてきています」
「えっと……いや、だからと言って危険な部外者を施設内に入れるというのは……」
勢いを削がれたのか神部調査員も大嶋主幹も歯切れが悪い。
「そんなに有名な人たちなんですか?」
二人のやりとりを見つつ、小笠原研究員は小さく安曇兄妹に尋ねた。
「カトリック教会の超常管理部門ですよ!」
「小笠原さんだってイスカリオテのユダって聞いたことくらいは……」
「北斗の拳でしたっけ……?」
「「……今はとりあえず良いです。博士にみっちり教えてもらって下さい」」
安曇兄弟が諦めるのも無理はない。
そもそもこの業界において知らない方がおかしいほどの団体であり歴史の古さにおいては五岳党に次ぐとさえ言われる超常管理の老舗である。
その歴史はキリスト教の成立直後にまで遡り、人類が未発展な超常科学しか持ち得なかった時代に宗教的、経験則的アプローチで欧州を超常の脅威から守ってきた団体だ。
現代においては各国の超常管理団体に影響力を及ぼす形で存続しているため特に非キリスト教圏において構成員と出くわすことはあまりないが、その存在は知っていて当然の常識である。
「御懸念されていることはわかります」
と、一人の修道士が進み出た。
「我々が皆様の秘密を口外する事はございません」
「悪いがそんな戯言を信じてやれるほど信心深くはないんでな」
「存じ上げておりますとも。ブラザー・フィリップ」
「はっ」
名を呼ばれた修道士が腰の短剣をなんの躊躇もなく自らの腹に突き立てた。
「……アーメン」
呻き声かの如く絞り出した彼は腹から短剣を抜き取ると今度は喉に深々と刺し込む
他の修道士達はそれを止めるでもなくただ、祈っていた。
異様な光景に『機構』の面々が呆気に取られていると先ほどの修道士が大嶋主幹に向き直った。
「ご覧の通りです。我々は皆様に伝えるべきことを伝えなすべき事を成したのならばすぐに主の御元へ迎えられることとでありましょう」
血の中に沈むブラザー・フィリップに駆け寄った猪狩医療研究員は大嶋主幹に頷いた
「まずは話を聞いていただけますか?」
NRHO軌道上 環境科学研究機構保有実験棟プラットフォーム『はくちょう3』
私の手を掴んだ物部天獄……いや、その姿をした者は『6924』を慎重に私から奪うとそっと台に置いた。
無重力のこの場所でである。
「あなた方からすれば重力も手の内ですか……」
姿形こそかつて『コトリバコ』を密造した『崇霊会』教祖物部天獄のものであるが、やたらヒラヒラの付いた作業服を着ているし手の甲にはやたら立体的な風車の真ん中に幾つかの顔がある謎の意匠とこれまた見たことのない文字の刺青が入っている。
「物部天獄の姿がお気に入りですか、ホネリさん」
私たちとは比較にならないほど高度に文明が発展した宇宙からやってきたおそらく向こうの超常管理機関の構成員であるホネリ氏がここにいるということは、おそらく『6924』に対する雨傘の見立ては当たっていたということだろう。
更に言えば私たちのような未開の原始人との接触を禁止されている筈の彼、もしくは彼女が直接出張ってきたということは私たちが思っている以上に危険な代物であることの証左と言って良いだろう。
「別に気に入ったというわけでは……いえ、そんなことよりこれは危険です」
「ええ、あなたがいらっしゃっているのでそれは十分すぎるほどにわかりました。本当は色々調べたかったんですが、回収されるということであればお渡ししますよ」
惜しくはある。だが私たちには想像もつかないほどに高度な文明が相手である。
私が抵抗したところでどうにかなるような話でないことは確かだ。
「そうしたいのは山々なんですが……これに関してはそうもいかない事情がありまして……というかよく私とわかりましたね」
「そりゃそんなヒラヒラのついた服は地球じゃあんまり着ないですし」
まあよっぽどのモード系オシャレさんだったらわからないが天獄はそういうタイプでは無さそうだしそもそも奴はとっくにこの世にいない
「ヒラヒラ……?」
「ええ、ほらそこの肩と腰の辺りのえーと……細い帯みたいなそういう布みたいなのとかが揺れてる様子だったりそれそのものをだったりを私たちの言葉でヒラヒラって表現したりするんです」
前回会った時もなんらかの翻訳機……ハイパーポケトーク的なのが不調だったようだし多分意味が通じていなかったのだろう。
もっと辞書的でフォーマルな物言いをしてあげた方が多分親切だ。
「いえ、それはわかるんですが……」
……どうやら私の予想は外れたようだ。
何やらこめかみ辺りをトントン叩いているホネリ氏
「すみません、この図柄の羽根は何枚あるように見えますか?」
手の甲をこちらに向けてホネリ氏が聞いてきた。
「えー……いち、にい……28枚ですか?」
「28……間違い無いですか?」
「このなんか立体的? なのも合わせてであれば……それ抜きだと17枚に見えますね」
いったいなんだというのだろうか? 私としてはホネリ氏が『6924』を回収できない理由とやらを早く教えて頂きたいのだが……
「認知領域の適合……いや、だとしてもそもそもの受容体が備わっていないはず……構造上の変容は無いはず……だとすれば拡大された世界の干渉に……いやいや、全て観測しているんだそんなはずはない」
なんかぶつぶつ独り言を言い始めた。
どうやら今回のハイパーポケトークは前回と違ってだいぶ調子がいいみたいで独り言も全部翻訳してくれている。
情報を盗むにはもってこいの状況なのでしっかりと覚えて帰ろう。
「座標軸に干渉だとしても質量に整合性が取れない……仮にそうだとしても私たちがそれを見逃すか? いや、そんなエネルギーそもそも宇宙自体が耐えられるようなモノでは無いはずだ……」
ラジオ放送大学よろしく未知についてのヒントを学ばせていただいていると、どうやらホネリ氏も私の様子に気付いたようでハッとしてこちらを見た。
「……口に出てました?」
「そりゃもうバチボコに」
「バチ……ボコ……?」
ホネリ氏が再びこめかみをトントンやり始めた。
「あー、いえハッキリ口に出てました。わかりにくい言い回しをしてしまってすいません」
今回のはハイパーポケトークの不調ではない。
いやいや、フォーマルにしようってさっき決めたばっかなのにいけないいけない!
「それで話を戻しますけど、回収できないというのはどういうことなんですか? そちらにも危険が及ぶような代物ということであれば『コトリバコ』のようにそちらで対処した方が良いのでは?」
「ええ、ただ先ほども言いましたようにそうできない事情がありまして……」
「その事情をお聞かせいただくことはできますか?」
「そう……ですね……」
少し悩んでいる様子のホネリ氏……色々事情があるのだろう。
「分かりました。あなた方に……特にあなたにご協力頂くのが一番確実かもしれません」
そう言ったホネリ氏は『6924』について話し始めた




