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地獄 7

長野県大町市 環境科学研究機構甲信研究所


「ただいま戻りました……どうしたんですか?」


特殊部隊『百鬼夜行』の訓練教官として北海道の大演習場に出張していた羽場主務調査員が甲信研に戻るとこれみよがしに頭を抱える守矢所長の姿があった。


「いやぁ……千人塚博士がちょっと現地でトラブったみたいで」


「はっはっは! 相変わらずじゃないですか! 『マル暴』と乱闘でもしましたか?」


「いや、『マル暴』じゃないけど喧嘩は喧嘩だね」


「ほう! 勝ったんですか?」


羽場主務調査員は目を輝かせて心底楽しそうに尋ねる。

今でこそ責任ある立場についてはいるが性根は喧嘩屋のままだ。


「ワクワクしないでよ……まあ博士はその辺慣れてるから大人しく『マル暴』に捕まって反省部屋送りになったみたいだよ」


「ま、そうなるでしょうな。こと修羅場慣れという面なら博士ほどの方は誰一人いないでしょう。それで? あの千人塚研究室に喧嘩を売った命知らずは何処のどいつです? ことと次第によってはうちにスカウトしたいものです」


「あー……それなんだけど……聞いても短気起こさないって約束できる?」


所長の問いに羽場主務は一瞬怪訝そうな表情を浮かべた。

長い付き合いである。お互いの事はよくわかっているはずだ。


「それはまあ博士は私達にとって恩師のような人ですがね、それとこれとは話が別……いや、むしろだからこそその根性を讃えたいとは思っても腹を立てるなんてことはありませんよ」


「『根室マン』」


「は……?」


一瞬にして部屋の中の空気が張り詰め、所長がだから言いたくなかったんだとばかりに大きなため息をついた。


「……半日ほど出張に行ってきます」


そう言って踵を返した羽場主務に所長が縋り付く。


「だから短気起こさないでってば!」


「所長こそあの時あの場にいたでしょう。黙っていかせてください」


「いたから止めてるんだよ!! あーもう止まらないし!!」


腰にしがみついた所長のことなど一切気に留める様子もなく羽場主務は普段と変わらない速さで歩を進めていく。


「誰かー!! 助けてー!! 男の人呼んでー!!」



福岡県北九州市 環境科学研究機構 九州第一研究所


6924についてはネットロアにもなっているし、一時的とはいえ『機構』の手にあった時期もあれば嘱託職員からもたらされた情報もあるので、どういった類のものなのかを見極める上で最も簡単な方法はわかっている。

解いてみれば良いのだ。

だが、それでは『根室マン』が企図している破壊と本質的には変わらない。どのような波及被害が出るかもわからないことを思えばまずは他の手がかりを潰していくべきだろう。

実物が手元にないのは非常に痛いが、田川所長に頼み込んで高解像度の写真を撮影してきてもらうことはできたので今はみんなで目を皿のようにしてその写真を眺めている最中だ。


「……これは、ちょっと無理じゃないですかね?」


「がっさんらしくもない。まだ三時間しか経ってないよ? 諦めるには速すぎるんじゃない?」


「そう思うんなら博士も真面目にやってください。さっきから超絶技巧のペン回ししかしてないじゃないですか」


「違うって、今はほら……そう! インスピレーション待ちだよ!」


6924表面には複数の言語で何かが書いてあるのだが、掠れて読めなかったりある程度解いていかないと肝心の部分が隠れていたりでまともに読み解ける状態ではないのだ。

片切くんが分析してくれたところによると古ラテン語、古典ラテン語の他にヘブライ語、エブラ語の既知の言語

加えてアフロ・アジア語族に属すると推定される未知の文字が二種類、既知の文明、既知の言語及び文化において類似点を見出すことのできない完全に未知の言語三種類が書かれているそうだ。

文字の古さや劣化の具合から人類が初めて6924に触れたのは既知の文字が発見される以前の不明な文明、そこからアフリカのどこかしらに渡り、徐々に北上してギリシア・ローマの文化圏に入ったと推定され、最も新しいと推測される文字の表記はおそらく4〜9世紀頃のものであろう。というのが片切くんの見立てだ。

その辺りを鞠智博士に伝えたところ向こうは向こうで色々伝手を当たってくれるとのことだったので私たちはこの不毛な作業に時間を浪費している。

完全に無駄な努力な気はしないでもないが、こういう作業で何かしらの発見があることも私たちの仕事ではままあることだ。

が、今回に関してはどうにもならないだろう。何せ手がかりが少なすぎる上に比較言語学やらは完全にうちの苦手分野なのだ。

正直頼りになるのは片切くんくらいのもので、それだって暗号学的視点からどうにか真相に迫れないだろうか程度のアプローチであり、煮詰まった末の選択としては悪くはないだろうが初っ端から変化球しか投げられないというのは褒められたもんじゃないだろう。


「うーん……いっそ九二研あたりの専門家の手を借りたりってできないんでしょうか?」


「どうだろうね……田川所長的には私たちはまだ反省期間って感じだろうからなぁ……」


もはやがっさんすら写真を眺めることをやめている。得意な人に丸投げしたいという姿勢が実にわかりやすい


「一応あとで菊池博士に話はしとくよ」


どのみち九二研にはあまり知り合いがいない。私がちょろちょろ動き回るよりも近場で何かと絡みも多いだろう鞠智博士から話を通してもらった方が手っ取り早いのは明かだ。


「おや、みなさん休憩ですか?」


結果的にぼんやりすることになってしまった私たちのところに諏訪先生が戻ってきた。


「田川所長が機嫌直してくれるまではね。そっちはどうだった?」


「残念ながら……」


諏訪先生に頼んでいたのは歴史的、もしくは宗教的アプローチだ。

それ自体は彼の苦手分野ではあるが、お問合せ要員としては最適である。

なぜならその内容が『マーシー教授』へのお問合せだからだ。別に疲れるから私が『マーシー教授』とおしゃべりするのを避けたわけではない……こともないが、ともかく弟子みたいなもんなので話も早かろうという判断だ。


「『マーシー教授』が知らないってことは多分記録自体が存在しないんでしょ。切支丹共が上手く隠し仰た可能性もあるだろうけど、だとしたらどんなルートを使ったって私達に開放してくれる情報だとは思えないしね」


『マーシー教授』はかつてバチカンを『表敬訪問』したことがある。

隣人愛と至上の敬意、熱い信仰心と並の宗教弾圧以上の流血を伴って行われたそれは欧州の超常史に今なお残った惨劇だが、のちに『マーシー教授』を身の内に収めた『機構』にとってはかなり価値のある事件でもある。

なぜならその中でバチカンが秘匿する通常・超常のあらゆる情報を『マーシー教授』が閲覧して記憶しているからだ。

そのおかげでカトリックの持っている歴史的情報はイコール『機構』が保有する情報とも呼べるわけで仲良しでさえあればその分野においてはグーグル先生より頼りになる。


「そう上手くは」


「いかないですね」


「本当にね。上手くすりゃ説明書の原本なんか覚えてるんじゃないかと思ったけど……大嶋くん、もし強奪してこいって言ったら出来たりする?」


「待ってました! おい、許しが出たぞ!!」


何気無しにした質問に、DSのみんなが勢いよく立ち上がった。


「待った! 待った!! 雑談! ただの雑談だから!!」


私の必死の声にみんな残念そうに座り直す。

この間の手入れの時以来大人しく過ごしているから身体が鈍っちゃったんだろうか? 帰ったら羽場主務に訓練見てもらえるように頼んでみよう。


「そもそもその説明書……『6924-ロ』って本当にあるんでしょうか?」


がっさんの疑問はかなり真っ当なものだ。

今の所『6924』について公式にいじくりまわしたことのある団体は『機構』と『雨傘製薬』だけだがそのどちらも『6924-ロ』を確認していない。

出典は拡散してしまったネットロアとその元になったと推測される『6924』に関する噂話だ。

当初噂話を元に捜査をしていた『機構』は『6924』本体である『6924-イ』と付属しているはずの説明書『6924-ロ』の存在を仮定して通し番号を付与している。

加えて雨傘からの情報で『6924-ハ』として『6924-イ』が閉じ込めている所謂地獄みたいなある種の時空を設定して入るものの、実際問題存在が確認されているのは『6924-イ』のみでありそれ以外の構成要素については研究員毎にスタンスが違っている。

私は全部ありそうな気がする程度の全肯定派だが、鞠智博士は説明書の存在は否定的だし地獄についても懐疑的なスタンスだ。

実際『6924-ハ』は実験事故の産物ともいうべき情報から観測データを元に物事の整合性をとったら出てきた理論なのでひとまず置いておくとしても『6924-ロ』に関しては怪談話をスムーズに進めるための舞台装置でしかないというのもありそうな話ではある。

ただ、あらゆる文明の痕跡が刻まれた危険なアーティファクトであることも間違いはない。

取り扱いを誤ることがないように現物と書面を両方受け継いできているというのもこれまたありそうな話ではあるのだ。


「そう言われてみれば確かにそうですね……ちょっと『アーカイブ』に何かしら情報がないかもう一回あたってみます」


「あ、手伝います」


「あ、じゃあおねが--ぶっ!!」


がっさんと修くんが部屋を出ようとして駆け込んできた北主任と正面衝突した。


「あーあー……大丈夫? ちゃんと前見て歩きなさいっていつも言ってるでしょ?」


完全にがっさんの前方不注意だ。が、廊下を走ってきた北主任もよろしくない。全く若い子たちは落ち着きがないんだから……いや、修くんは綺麗に事故をかわしているのでこの二人の問題か

取り敢えず二人を助け起こして怪我のないことを確認できたのでまずは落ち着こう。


「はい二人とも深呼吸! なんか飲んで落ち着きなよ」


「ふむ、でしたらリラックス効果のあるハーブティーなどを……」


「この間ハーブティーしばらく禁止って言ったよね?」


「おっと、そうでした! これは失礼!」


「はーぶてー禁止って……諏訪先生今度は何したんですか?」


「いや何したも何も! トリカブトとドクゼリとドクウツギブレンドを出してきたんだよ! 何がハーブティーだって、ただの毒薬--」


「あ、こんなことしてる場合じゃない! 千人塚博士……みなさんも一緒に来てください」


諏訪先生の悪行をみんなに周知しようとしたら北主任に遮られてしまった。


「上手くいけば研究を再開できるかもしれないんです!!」



九州第一研究所 大会議室


引っ張られるようにしてやってきた大会議室に入るとそこは非常に物々しい雰囲気に包まれていた。

完全武装の『マル暴』が室内をぐるっと囲み長方形を描くように置かれた長机の真ん中辺りには九一の主要な博士たちが座っている。

なるほど……開いている椅子の正面には『根室マン』共が座っているのを見るに田川所長が話し合いの場を設けてくれたということなのだろう。

私が求めていたのは四日市理事との直接の話し合いだが、現場レベルの協議の場が設けられているということはそっちは蹴られたと見て間違いはなさそうだ。

新参の四日市理事が何者なのかは知らないが、別にそこまで嫌われる筋合いもないと思うのだが……多分

私たちが着席すると田川所長がこの会議の趣旨を説明し始めた。概ね予想通りだ。

要約すると国内における超常関連組織犯罪対策の最前線であり九州及び離島を所管するハブ研究所でもある九一で無用な騒動を起こされるのは迷惑だから、大人しく話し合いで妥協点を見つけろ……みたいな感じだ。


「では、私から宜しいですか?」


こういうのはサクッとこっちの要求を伝えないとズルズル相手のペースに飲まれるというのは経験上よくわかっている。


「まずは当該の事案『6924』についてですがこちらで研究が終わるまで一切手出ししないでいただきたい。性質を解明して何も考えずに壊しても大丈夫そうだと確認できたらそちらにお渡ししますのでその後好きにしていただいたらいいんじゃないでしょうか?」


私の嫌味全開の発言に『根室マン』から野次が飛び、田川所長がため息を吐く。

続いて『根室マン』も反論してくるが、発言者はおそらくDS系の職員だ。内容は四日市理事の命令云々……要するにあんまり中身がない。

何回かそんなことを繰り返したが……正直会話のラリーが成り立っていない。


「ところで、そちらの責任者の方は来ていないんですか?」


『根室マン』も一応は研究職種の責任者がいるはずなのだが……


「うちの博士をあなたの前に連れて来いと? あの大嶋潤二と佐伯静代もいるのに? 冗談でしょう?」


なるほどビビっちゃって出てこらんないらしい。


「博士、あの人ちょっと失礼じゃないですか?」


「お、静代さん! 自分も同意見です。軽くぶっ飛ばしますか!」


「ぶっ飛ばさないですよ!」


「一応死なない程度に……あー、べつにいいか……原型だけ残しといてくれればいいよ」


「博士まで何言ってるんですか!」


静代さんもウチに来てそれなりに経つのにあんまり大嶋くん達のノリに染まらないなぁ……実にいいことだ。


「まあでもあれか『マル暴』とやり合って怪我人でも出たらお互いによろしくないし、折角田川所長が話し合いの場を設けてくれたのに顔に泥塗るような真似しちゃ失礼だもんね。大嶋くん、悪いけど今回はぶっ飛ばすのなしで」


「アイマム。次の機会を楽しみに待ってます」


うちのわんぱく小僧は素直だからいいが、意固地になったバカを説き伏せられるほどの交渉力みたいなものはあいにくと持ち合わせていない。

そのことは誰よりも自分がわかっていることなのでちゃんと準備はしてある。

要は相手の希望を叶えてあげればいいのだ。その実がどうであれ、相手がそう信じてくれさえすればあとはどうとでもなろう

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