地獄 3
福岡県太宰府市 環境科学研究機構山陰研究所・関西研究所太宰府天満宮合同出張所
「ようこそお越しくださいました。さあ、かけてください」
彼は第一印象で嫌悪感を抱いていた。
「初めまして、ですね。いや、そう緊張なさらずに」
彼はヒトの汚さを許容できないタイプではない。自身が辿ってきた道を思えばそれも至極当然のことではあろう。
「はっはっは、色々とあるのですよ。勤め人の辛いところですな」
かつて彼は上司について『人類』たるの基準が厳しいと評したことがあった。そういう面で見れば彼自身は非常に甘い評価基準を持っていると言って差し支えないだろう。
「私の事は……ドクターとでも呼んでいただければ。ええ、些か心苦しいですが規則ですので。ああ、流石に我々との付き合いが長いだけのことはありますな。ご理解いただけて何よりです」
それでも目の前に座る男の醜悪な性根は彼の愛する人類の基準を外れている。それは超常の力によらぬある種の嗅覚で感じ取っていた。
「ははは、いやいやお上手だ。まあそこまで肩肘張るような話ではありませんよ」
そんな相手に彼がここまで穏やかに接しているのは彼自身の本来の性質もある。しかしそれ以上に彼の上司がそれを求めているからということが大きい。
言って仕舞えば彼は享楽に耽るいわば人生エンジョイ勢である。
そんな彼が己の心に逆らうなど、よほどのことなのだ。
「あー……なんか本気で嫌そうにしてんねぇ……」
見るからにステレオタイプなカルトの教祖といった風体のデブ……真灯岐比佐都美こと木下隆、うん諏訪先生が嫌いなタイプを煮詰めたような奴だ。
「そ、そうなん……ですか? い、いつも通り、な気が……」
「あのおっさん外面良いからね。静代さんならわかるんじゃない?」
「あー……ちょっと諏訪先生の思考は理解が出来ないんで何とも言い難いですけど確かに嫌悪感みたいなものは感じますね……常人なら殺意レベルですけど……止めなくていいんですか?」
そういや諏訪先生の思考は読み取ることはできても理解することができないって言ってたなぁ……
何でも正気でいられるのが不思議なほどの精神状態なんだとか何とか
諏訪先生が正気を保っているのかは些か疑いの残る部分ではあるが、実際そんなレベルではないらしい。完全に精神が崩壊した狂人レベルのそれだというのだ。
そのくせ『機構』の誇る最新の精神鑑定検査では異常なし、好奇心が多少強いだけの常人と診断されているのだから始末が悪い。
どうせ気狂いであるのなら『マーシー教授』のように明らかな妄執や『キスチョコ教授』のように病名で語られるレベルのパラノイドであった方がまだわかりやすくていい。
正常な情動と共感能を壊れ切った精神に備え付けている彼は敵でも味方でもとても厄介だ。幸いなことに彼ほど脳みそがバグってるタイプにはお目にかかったことはないので人類に生じた癌細胞は増えてはいないみたいではある。
「大丈夫だと思うよ? 楽しくない時の諏訪先生は大概真面目だからね。サクッと仕事終わらせてくれるはずだよ」
彼が暴走するのはいつも熱意が原因だ。
熱意を抱く要素が何もない状態ではつまらない状況を早いとこ切り上げるためにその優れた能力をフルで発揮してくれる。
できることならつまんない仕事を限界ギリギリまで振っておきたいぐらいである。爆発した時が怖いので現実的ではないが……
「しっかし大分ギラギラアクセサリーつけてますね。連中の教義的には清貧が大事なんじゃないんですか?」
川島くんが連中の教義をまとめた鞠智博士手書きのメモを眺めながら呆れたように言う。
「本当にね。ラッパーじゃないんだからあんなじゃらじゃらつけなくても良さそうなもんだけど……」
アメリカのギャングスタラップで成り上がったタイプもかくやというほどに首からかけられた装飾品の数々。ぱっと見連中の宗旨に合わせた意匠が施されてはいるが、その実として目的はラッパーのブリンブリンと同じなのだろう。
身一つで高跳びする際の換金可能な資産……逃げるとすれば『機構』からだろうが、何とも涙ぐましい無駄な努力だ。
その程度の了見で私たちから逃れようとしたところで確実に足取りは追えるし私たちの勢力圏から逃れられるとも思えない。
「それはそうと連中の脅威レベルは本職的にはどの程度だと思う?」
「侮ってかかるつもりはないですがまず問題にはならないですね。上手に洗脳はしてるみたいですが死兵というだけでは何ともできないでしょう『マル暴』に目をつけられたら瞬殺ですね、かわいそうに」
「まあそうだろうね……幸い今んとこは敵では無いみたいだけど状況次第じゃ切り捨てられることもあるだろうからね」
「しかし……連中の教義、何なんですかこの……なんというか……」
「ああ……確かに」
「私たちも思いました」
川島くんの困惑に双子ちゃんも同意する。
そしてわざとらしく腰の拳銃をいつでも抜ける体制で周辺を警戒する大嶋くんと何やら難しい表情でタブレットを眺めているがっさん……多分二人は何も理解してないんだろうなぁ……いやまあいつも通りだし今回に関しては個別のカルトに関することなのでそれほど重要じゃ無いから良いんだが……
「『出雲信仰を下敷に上座部仏教思想とヨガ行によるヨハネの黙示録的終末論からの衆生救済を目指す拝火宗教』だっけ? なんていうかこれでもかと詰め込みましたって感じだよね……」
「これだったらまだ本来の目標の『ともしびの家』の方が幾分かまともなように感じますよ」
「まあ現代的ではあるだろうけどね、結局どっちも胡散臭いよ」
『ともしびの家』は出雲信仰的価値観の上にヨハネの黙示録を唯一の経典とするこれまた意味不明な宗教ではあるが自己肯定がどうの他者への理解がどうのとまた別種の胡散臭さが漂う自己啓発系のカルトだ。
信者の獲得も初めは自己啓発系のビジネスセミナーだとかで人を集めて真綿で首を絞めるようにじわじわ蝕んでいく感じらしい。
分かりやすいバリバリのカルトと意識高い系のカルト……どっちにしたってめんどくさい。
「まあ連中の教義にかかわる部分でうちの管轄にかかわるような事態が起きたわけじゃ無いから放っておいていいよ。それより静代さん、どう? 真灯の思惑みたいなものはわかった?」
「あ、はい……ただ……一応神主さんとかお坊さんみたいな人なんですよね?」
「うん、腐っても岐比佐都美を名乗るくらいだから神を騙ってるわけじゃないけど……どうしたの?」
「その……煩悩がえらいことになってるんですけど……」
なんだそういうことか
「カルトの教祖なんてそんなもんだよ。さ、諏訪先生に終わらせて良いよって伝えてあげなきゃね」
試してみたいこと自体は諏訪先生ならば赤子の手をひねるより簡単だろうから高ストレス環境からは早いとこ解き放ってあげよう。
いくら線香花火程度の火種とはいえ水爆の近くに置いとくのはあまり気持ちの良いものではない。
福岡県北九州市 環境科学研究機構九州第一研究所 鞠智研究室
同じ研究所であっても割り当てられたエリアはその研究室の責任者によって個性が出るものではあるが、それでも明らかに異質な感じがする鞠智博士んちは何というか研究室というよりはQRFの詰め所といった雰囲気だ。
出入り口のすぐ脇には防護具がいつでも持ち出せるように掛けられているし、緊急対処用の持ち出し物品もそれぞれに割り振られてバックパックに収納されて壁際の棚に並んでいる。
武器庫の配置も出入り口に近く、それぞれの動線が被らないように配置されているあたりなるほどフィールド調査、特に初動での効果的でスピーディな展開に定評があるこの研究室のらしさと言えるだろう。
「それで、真灯はどうでした?」
「情報の確度は高いと思います。連中が喧嘩に我々を使おうと企んでいるというのは予想通りではありますけど、それはあくまでそれをできるだけの要素が偶然出てきたからであって嘘をついているわけでは無さそうです」
カルトごときが私たちを利用しようというのは非常に業腹な部分ではある。
しかし脳みそノーガードな真灯の情報は静代さんがほぼ完全にぶっこぬいてくれたし、人物評価を頼んでおいた諏訪先生からは連絡を密にとっている状態で間違いを起こすほどの気骨は無いとのお墨付きを得ている。
「加えて何かしらの『事案』の影響下にも無いだろうと諏訪先生はみてるようです。全く根拠はない話ではありますが」
何なら完全に諏訪先生の勘ではある。しかし彼のそういった部分の嗅覚は無視できないほどよく当たる。
「なるほど……いや、かの諏訪光司の嗅覚であれば信ずるに足るでしょう。そもそもの話として私も割と根拠の無い勘に任せることは多い身です」
「そうでしたね」
割といい加減なやり口だと言われがちなウチのやり方だが、鞠智博士からすれば許容範囲内のようだ。
というか仕事の進め方が似ているというのは共同研究を進めていく上ではありがたい。無駄な調整の手間が省ける。
「では、早速ガサ入れといきましょうか。おーい、出かけるぞー」
鞠智博士の気の抜けた号令に、室内の全員の手が止まる。
「目標は『ともしびの家』本部、『6924』に係る強制捜査」
最低限の情報を受け取った鞠智研究室の面々は一斉に動き出した。うーむ、手練れだ。
「千人塚博士」
鞠智研究室の子達の動きを眺めていたら鞠智博士が端末にデータを送ってくれた。
『ともしびの家』本部の見取り図やら構成員の情報やらだが……
「強制捜査の建制表は……?」
普通なら周辺地域の封鎖や情報統制だとか、突入部隊の編成だとかそういったものがあると思うのだが……
「その辺りは移動間に調整します。まあ二人も博士がいるんです。名前でどうとでもなるでしょう」
なるほど、そういう感じかぁ……計画的なんだか雑なんだか……まあ実際問題としてどうにかなってしまうだろうが
「それであれば集結地は広島支部にした方がいいでしょう。目標地域とは少し距離がありますけど現地との最終調整は余裕のある状況でした方が多分安全です」
「なるほど、盲点でした。ではその方向で進めてしまいましょう。私の方で四部系の調整はしますので千人塚博士は統制本部への連絡をお願いしても?」
「ええ、問題ありません。ついでなんで執行局の方も話つけときますよ」
本部の安全保障執行局、今日の二直は顔馴染みの井草審議監補だ。私が連絡したほうが手っ取り早かろう
「それじゃあ私たちも準備を進めますね」
「ええ、お願いします」
同 外来宿舎区画
「みんな! 広島行くよ!!」
「ふぇ?」
私たちに割り当てられた外来宿舎区画の扉を開けるとちょうど目の前でがっさんが鮭とばを咥えて立っていた。
「あ、私にも一個ちょうだい」
「あ、どうぞ」
うん、しょっぱくて硬い。美味しい。
「それで広島っていうのは……」
「さっきのインタビューのことを鞠智博士に報告したら早速強制捜査に行くんだって」
とんでもないスピード感だが、かねてから準備はしてきたのだろうしそもそも即応能力があの研究室の強みだ。
「急で悪いんだけどすぐに準備して」
「わ、分かりました」
さて、研究チームと医療チームはがっさんが纏めといてくれるだろう。
「あ、宮田くん! ちょうどいい」
「どうしたんすか、そんなに慌てて」
「DSのみんなはどこ行った?」
「奥の部屋で筋トレ中ですよ」
「オッケー、ありがとう。あ、現場出る準備しといて」
「お、早速ですか! 腕がなりますよ」
荒事ということでなんか嬉しそうだ。ウチのDSの中では比較的まともな宮田くんではあるがそれでも他と比べれば十分に戦闘狂だ。
「いや、鳴らすほどのことにはならないと思うよ? まあ準備だけはしっかりね」
「アイマム!!」
さて、残りのみんなにも連絡しよう。こういうのはクールでクレバーな情報伝達が最重要である。
「オラァ! マッチョども! 仕事の時間だぁ! そのくせえけつあげてとっとと支度しろい!!」
「「「「アイマム!!!」」」」




