野狐禅 9
傷つき意識を失った大切な友人を抱えながら、彼女は敵に意識を向け続ける。
彼女には生まれつき存在しない五感は、しかしそれを補って余りある第六感によって置換され本来であればあらゆるモノを常人以上に視て聴いて感じることが出来るのだが、今この時にあってはその限りではないらしい。
何やら怪しげな未知の手法をふんだんに投じてくる団体とは聞いてはいたところではあるが、彼女が『NERO』と事を構えた経験はたったの一回
それもその時は自分にとって有利な海での事であり完全な奇襲でもあった。
それ故に敵の準備は整ってはいなかったので今回のような不利な状況に追い込まれることは無かった。
ただ今回はそうではない。
小さな友人から伝え聞いていた通りの一筋縄ではいかない強敵『NERO』その姿を現に目の当たりにしているのだ。
靄のかかったような感覚の中、大勢の人間が彼女を取り囲んでいることは把握している。
それでもその狙いがわからない。
少なくともこの程度の妨害があったとしてもただの人間にやられる事はないだろう。
銃弾も砲弾も感知はできるだろうし、感知できれば撃ち落とすことはそれほど難しい話ではない。
だとすれば念動力に何かしらの制約をかけられているのだろうか?
そう思った彼女はゆっくりと距離を詰めてくる一団に向けて無造作に力を放つ。
苦悶の声さえ発さずに生命のより深い部分が破れるような音……つまりはいつも通りだ。
多少力を振るいにくくはあれどただの人間を相手にするのであれば必要十分なだけの力は行使できる状況
戦える。そう思った時に届いたのは友人の言葉
(逃げて)
既に意識はない。
周囲の状況すら感知していないだろう彼女の言葉にすらできないその言葉の意味は知りようがない。
思考さえまるで眠っているかのように断片的で支離滅裂な状態で、しかし明らかに届けようとして発されたその言葉はしかしそこに従うに十分な強さを持っていた。
前世代、ある種の失敗作、発展の為の捨て石
であれど、その力は完成形たる彼女のモノとは異なり授かり物である。
歪さの無い世界と溶け合う力の有り様は時として人の想定を遥かに上回ることは彼女も経験から理解していた。
そして何より大切な友人の言葉である。
勝てる見込みのある戦いかもしれない。
だが、彼女は生き残る事に舵を切った。
彼女が敵を翻弄するために出来うる限りの瞬間移動を行ったその瞬間、この場を包むモヤが一瞬晴れた。そんな気がした。
けたたましく鳴り響く警報音
一拍遅れて感じたとんでもない不快感
側の藤森ちゃんを突き飛ばしたのは考えがあった訳でも状況を理解していた訳でもない。完全に咄嗟のことだ。
意識を取り戻した私が目にしたのはまさに地獄絵図
過剰な-不平衡環境下特有の薄暗さと暗色のモヤ
それでいて太陽の光がやたら眩しく感じるのは明らかに非現実性の存在がこの場にいることを示している。
「博士」
「藤森ちゃん……どうなってんの?」
「多分『AGO』です」
「『AGO』って……あの『AGO』?」
おかしな話である。
『レイス』一味とも雨傘製薬とも連中は関わりが深くは無いはずである。
裏にいるであろうアメリカ人なんてかなりの被害を受けているはずなのでスポンサーの意向的にもあんまりよろしくは無いはずなのだが……
物陰から顔だけ出して覗いてみるとなるほど懐かしい顔が大暴れしている。
『AGO0027-イ トイレの花子さん』
『アーカイブ0027』の構成要素から『AGO』の指定構成要員に管理上変更されてはいるが、本質的にはあの頃と何ら変化はない。
マイナスの現実性と精神エネルギーの並立を果たした今の静代さんとはある種真逆の、それでいて本質的には似通った存在である。
おそらく精神エネルギーに限っても今まで出会った中でも有数、それに加えて非現実を行使する非常に厄介な相手だ。
少なくとも『レイス』と『喋るニンゲン』二人を相手にする以上に危険な相手である。
こちらの被害は甚大……突入班は私と藤森ちゃん以外生身の人間は生き残ってはいないし、パワードスーツ部隊もかなり痛手を負っているようだ。
幸い今は『ニンゲン』の方と戦ってくれているようなのでこの隙に体制を立て直してしまわない事にはかなりまずいことになるだろう。
「がっさん、聴こえる?」
『はい。『0027-イ』の侵入は北北東、現状『きさらぎ駅』の兆候はありません。ただ『0027-イ』の侵入で7番から9番に損害が出てます』
「復旧は?」
『再起動の目があるのは7番だけです。8番は敷設車が全焼して制御ユニットも基盤が焼き付いて復旧不可能、9番は敷設車は無事ですけど制御ユニットがダメです。電源車の方も被害が結構出てます』
「分かった。8番は放棄して残余の人員はそっちの判断で再配置。9番は制御を10と11に割り振って再起動を試して」
『わかりました』
「全体のバランス調整は片切くんに権限を渡してやってもらって」
がっさんとの通信を終える。
「よし、じゃあこっちは部隊の立て直しだ!」
言葉……ではない。
思考……とも違う。
普段だったら雑音のようにそこに意味を見出すことすらできないような情報の羅列は、しかし今の彼女にとってははっきりとその意味を理解することができた。
それは五感が遮断されたが故に高まった集中力によるものか、それとも今際に脳が全力で稼働することの副産物であろうか?
読み取れることの意味は掴めずとも、それが当たり前のことかの如く正しく伝わっている事には彼女は絶対の自信を持っていた。
それは言語で説明できる類のことではないし、理論を組み立てるには人類の超能力者に対する理解は未だ足りない。
至短時間に送り込まれた膨大な量の情報は彼女の知覚をさらに研ぎ澄ます。
身体は未だ目覚めてはいない。しかしそれは今の彼女にとっては何の問題にもなり得ない。
身体は唯の枷
自身は情報と知覚に揺蕩う思考こそにあるのだ。
それは彼女が自身の有り様を理解した瞬間であった。
幾度も幾度も聞いてきた。
幾年も幾年も探してきた。
だからこそ初めは助けであると期待した。
再会と幸せで緩やかな終わりを期待した。
だが感じ取った。
『それ』は探し求めてきた相手である。
その事には間違いはないだろう。だが、その有り様は探し求めてきたものではない。
彼女らの求める終わりの形ではない。
「「今更何でそんな風に!!」」
憤りを乗せた一撃は靄に阻まれて届きすらしない。
『サダコ』とは違う。完全に異質な存在
手の届かない圧倒的恐怖は異形の存在たる彼女の心すら簡単に絶望の底へと叩き落とす。
死への恐怖ではない。
ヒトであるが故、いやヒトであったが故の恐怖
それを目の前にして彼女は生まれて初めて祈った
「「神様、助けて……」」
そんな言葉がこぼれ落ちた瞬間、ふと心が軽くなった。そんな気がした--
目を覚ました彼女は真っ先にここは天国なのだろうと感じた。
暖かい日差しと不思議な安心感、ただひたすらにのどかで、ひたすらに穏やかな幸福に包まれているような、そんな気がしたからだ。
しかし次の瞬間全身を襲う痛みで未だ自分が生きていること、そして戦いが続いていることを知った。
見るだけで不安に押しつぶされそうになる暗い靄、その先に立つのは虹の輪を背負う怨霊……
いや、怨霊という言葉はこの景色には相応しくないだろう。
三様並立……なるほどと彼女は心中に納得した。
あれは神だ。それも人の神
災害そのものである神でも、神たらんとした人でも、人々に神であれと望まれた者でもない。
正しく『人』の神だ。
その神の先に彼女の悲願があることは既に知っている。
それでも彼女が取り乱すこともなく決断に至ったのは神威に当てられたというだけではない。
状況が、そして自分を守ってくれていた友人の焦燥が冴えた頭に次々入ってくるからだ。
「みっちゃん、北に……穴がある。行ける……かな?」
「「大丈夫。でも……いいの?」」
「ああ。また……会えるさ。きっとね」
背に守った『レイス』と『ニンゲン』が『花子さん』の開けた障壁の穴から逃げ出すのを感じ取った彼女は軽く息を吐いた。
明らかな利敵行為ではあろう。ただ現状を鑑みれば誰一人それを粒立てて攻めてくることはないだろう。
目の前の脅威はそれだけ異質なものであり、本来の目的である『レイス』以上に危険で野放しにすべきではないからだ。
あの二人に逃げられてしまったのはあくまでも業務上のよくある失敗にすぎない。
目下の懸案事項のうちの一つは片がついた。
しかし依然として目の前の脅威は健在である。
互いが互いにとって不可視の刃を向け合う状態
おまけに彼女の肉体は未だ目覚めていないのである。
力だけで言えば圧倒的に優勢な彼女ではあるが、それでも未だ肉体の軛に縛られている状態であれば決め手に欠くというのが正直なところである。
(せめて目だけでも視えれば……)
とは思うが、生憎彼女は知己である小さく大いなる神の様に癒す力は持ち合わせてはいない。
そんな時に聞こえてきたのは彼女が彼女として目覚めて最初に聴いた声
(ああ、ほんとに頼りになるなぁ)
心中の微笑みは肉体には反映されはしなかったが、それでも彼女を中心に照らす光が少し温もりを増した。
「何やってんです?」
「念じてんの!!」
「はぁ……」
藤森ちゃんは呆れているようだが相手は静代さんである。
『レイス』のお守りがない状態ならこっちの考えなんか簡単に読み取ってくれるはずだ!
「うわ……」
「どうしたの?」
「博士の念、通じたみたいですよ……?」
なるほど、見てみれば『AGO0027-イ』の姿がなくなっている。
「さっすが静代さん!」
『博士!! 大変です! 西側の敷設車が全部飛びました!!』
がっさんの悲鳴のような声が耳に飛び込んできた。
「……博士、何したんです?」
「何って言われるとちょっと査問レベルだから言いたくはないかな……」
状況を眺めていたおかげで何が起きているのか大体の予想はついていた。
いや、何で『AGO0027-イ』がここにいるのかとか何で『レイス』達が逃げ仰られたのかとかその辺の重要な部分は分からないが、あくまで実務的な方はという話である。
静代さんが神格生事案として随意的な能力行使を行える。
『AGO0027-イ』は非現実と精神エネルギーが入り混じった妖怪仙人みたいなわけわかんない状況になっている。
お互いに異質なジャンルすぎる上に元々の能力も強すぎる。
静代さんは多分未だ肉体のダメージから回復していない。
それらの要素を勘案して、更に『AGO0027-イ』は作戦目標でもなければ対策も取れていないという現状を足したらどうすべきかは自ずと見えてくる。
「というと?」
「どっかいってもらっちゃおうって話だね」
私が静代さんに送った位置と風景の記憶はコロラド州とニューメキシコ州の境あたりの地下にある『保全財団』の訓練サイトのものだ。
私が知る限りそこまで重要性の高い施設でもなければ特定管理事案をどうこうできるレベルの施設でもない。
「押し付けたってことですか……?」
「内緒ね?」
もちろん私だって普段だったらそんな真似はしない。
ただ現状『保全財団』とは抗争の真っ最中な訳だし『竹槍』の任務がほぼ失敗に終わったのだからせめて『ぶぶ漬け』くらいはと思うのは名付け親として当然の親心というものだろう。
「あーもしもしがっさん? 作戦は失敗だけどどうにか危険は無くなったから本隊の方も引き上げ準備入っちゃって大丈夫。自走できないユニットはレッカー手配して回収してもらってちょうだい」
『はぁ……なんかよく分かんないですけど後でしっかり説明してもらいますからね!』
なんか語気が強めな気がするなぁ……
「これ後で怒られると思う?」
「少なくとも何やったか説明したら怒られると思いますよ」
救いがあるとすればがっさんは別に『保全財団』に対して何ら思うところのない普通の『機構』職員であるということだが、反面自分の『作品』に対する愛着はうちの子の例外に漏れず強い。
苦労して開発した敷設車を静代さんにフルパワー出してもらって吹っ飛ばしたとあれば彼女の怒りの程度はある程度予想もできる。うん、結構詰められそうだ!
「嫌だなぁ……がっさん怒ると静かに懇々と無限に詰めてくるんだよ?」
「意外ですね、博士そういうの気にしなさそうなのに」
「がっさんは別格だよ……まあ今から先のこと心配しても仕方ないか!」
終わったら終わったでやるべき事はいっぱいあるのだ。
「さ、お片付けしよう!!」




