野狐禅 8
岐阜県雨傘製薬 恵那工場
空中に突然巻き起こった巨大な爆発
そして高度がみるみる落ちてゆく静代さん
あり得ないはずの光景に言葉を失う
「一瞬『レイス』の姿が見えたような……」
残念だが藤森ちゃんの様な視力も動体視力も持ち合わせていない私ではそれが本当のことなのか見間違いなのかを断ずることはできない。
だが私が知る限り『レイス』は自爆攻撃なんてするようなタイプではないし、仮に自爆攻撃なんてしたところで静代さんの守りを抜けることなんてできるはずがないのだ。
「と、とにかく下車準備を!!」
わからないことは多いし、何より静代さんが心配だ。
ただ現状では神格性事案における死である『神去り』による+不平衡エネルギーの継続的パルス放射は観測されていない。
神格性事案としての有り様が未だ不安定な静代さんに対してそのことで安心することができるかといえばかなり細くはある。
それでもこの状況で冷静さを失っている余裕なんてないし、何よりそんな風に思える程に私は静代さんの事を信頼しているはずだ。
その有り様としての強さだけではない。彼女の知性と努力、そういったものを今まで間近で見てきたからこそわかる。彼女はこの程度で死ぬようなことはない。
「下車用意!!……下車!!」
急ブレーキと同時に車内の人員が一斉に飛び出す。
とにかく目の前の化け物をどうにかしなくてはならない。
静代さんの援護なしでの『ニンゲン』対処……余裕かと思えば酷いことになったもんである。
静岡県御殿場市 陸上自衛隊東富士演習場
「あまり時間がないのでね、端的に言おう。大瀬博士、一緒に来てもらえないか?」
「断る!!」
「取りつく島もなしか……だが、まあそうだろうな……」
元四宮理事と大瀬博士のやりとりを見ながら、早川博士は後ろ手に持った空携帯を操作する。
実際に『きさらぎ駅』に閉じ込められるのは初めてのことではあるが、内部で長時間活動した経験のある千人塚博士からの情報もあれば、各地で繰り返されてきた『AGO』テロによって明らかになった情報はUNPCC加盟各国の超常関連機関に共有されてもいる。
未だ未知の脅威であることには変わりないが、それでも応急の対処法は各機関ごとに確立されつつあるのだ。
『機構』においては甲信研の千人塚研究室と真田研究室、山陰研の物部研究室が合同で作成したマニュアルが広く配られている。
その中で『きさらぎ駅』に遭遇した際に最初に行うべきとされているのが本部への通報
『機構』の業務用端末の電源ボタンを2回押下、その後に画面を2回タップしてもう一度電源ボタン2回の押下で自動的に通信統制本部の専用回線に接続され、同時に関係各部へと端末の位置情報および通報前60分間分の音声データが送信される。
不機遭遇の不利な状況での通報の可能性を考慮して音声受信は通報者による操作の後にのみ行われる様になっており、これによって通報の事実を露見させることなく緊急対応を行うことができる『AGO』対処専用のシステムだ。
通信が遮断されることが無い程度には実世界と地続きなこの空間ではあるものの、それでも何の準備もなく抜け出すことは不可能に近いし、戦闘が生起する事を前提としていない構成の研究室が『AGO』に痛撃を与えて追い払うというのも現実的な話ではない。
とにかくできることと言えば助けを待つことと、その間に生じる損害を極限化することの二点のみだ。
「いかなる状況であっても孤立当事者独力での対処は一考の価値すらないものである。不要な色気を出すことなく粛々と対処することこそが最良の選択であり『機構』構成員たる者が唯一取るべき選択肢である」
対処マニュアルの中にあったこの文言はおそらく千人塚博士の生の気持ちだろう。
尊敬すべき友人であり、同輩たる彼女のそれこそ『機構』構成員らしからぬ情厚いその言葉を思い起こして早川博士は口元に微かな笑みを浮かべた。
「通報は済んだかな? 早川博士」
穏やかな表情でそう言ったのは元四宮理事
「安心したまえ、別にそのことを咎めるつもりはないし冷静な判断は賞賛に値するよ。それに彼……八木沢調査員と言ったかな? 間に合うかもしれない」
はなからこちらの行動などお見通しと言わんばかりの元四宮理事の言葉
伝え聞いていた狂人としての姿とのギャップ以上の違和感の正体に早川博士は気付いた。
結果的にはかなりの損害を被っているとはいえ『AGO』のテロには行動の一貫性がない。
かつて千人塚博士が話していた言葉を借りるのであれば「顔が見えない」
テロであれ軍事行動であれ、普通ならばその手法から多少は計画者の人となりが見えてくるものだし『機構』の情報本部にはそれを分析する専門の部署があるほどである。
隠そうとしても偽造してもどことなく残り香のように残るその『顔』だが、『AGO』にはそれがないのだという。
情報分析や心理解析の専門家や優秀で経験豊富なDS指揮官、GSの情報職種職員達が口を揃えて言うそれは首魁たる元四宮理事の不安定な精神状態に起因するものだと認識されている。
しかし、その狂気自体が偽装で目の前の元四宮理事の姿こそが本来の『AGO』首魁の姿だとしたら?
仮にそれが間違っているのだとしたらなぜそんな狂人の戯言を実行したような動きで各国の超常管理機関にこれほどの損害を与え続けることができるのか?
(なるほど『唯一絶対たる秩序の福音』とはよく言ったものだ)
狂人ゆえの場当たり的な犯行
巧妙に偽装された計画的な犯行
見方によってはそのどちらもが正しく、そのどちらも正しくはない。
そう言った概念はさておいても彼は四部を所掌していた理事だ。
だとすれば今の元四宮理事は定石の通じる相手だろうし、普段の『AGO』の動きも定石から考えるのではなく結果から逆算した形での対応をすれば良い話になってくる。
(であればそこを突いての情報収集は……いや、やめておこう)
千人塚博士が警告してくれていたではないかと彼は思い留まる。
まずは生きて帰ってこの推論を報告すべきだと
「そうですか、ご推察の通り通報済みです。できれば穏便に済ませていただけると助かります」
「ああ、今の君達に私を害するだけの能力が無いことはよく分かっているよ。邪魔さえしなければ……いや、別に邪魔をしたとて構わないな。それに正直なところ大瀬博士が私の誘いに乗らなかったとしても私には無理矢理に連れ去ると言う選択肢もなければ危害を加えるという選択肢もない。これから私の話を聞いてもらって受け入れてもらえないのならばもうどうしようもない。今回は大人しく引き上げることになるだろうね」
「それが本当であればありがたい。今の言葉が正しく私たちにとっては『福音』ですよ」
早川博士は和かに言う。
大瀬博士の方はだいぶ嫌そうな顔をしているがそもそも交渉の場において常時臨戦体制の喧嘩腰なんていうのは大瀬博士や物部博士のような武闘派やすぐ調子に乗って挑発し始める千人塚博士くらいのものである。
色々と理由があったりはするのだろうがその手の連中に共通することは一つだ。敵性人員との交渉の成功率が極端に低い。
「ああ、そう言ってもらえるのであればこちらと、しても……僥倖? だよ……福音、そうだろうとも……福音」
少なくとも現状での立ち居振る舞いの理性的なことに早川博士は安心した。
しかし安心した矢先に何やら元四宮理事の様子がおかしくなる。
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫だとも……ああ、大丈夫……そう、そうだとも! 実に大丈夫だとも!!」
口調の急変に加えて眼も明らかにおかしい。
明らかに大丈夫ではなさそうな様子に、早川博士は心中の落胆を隠すことができなかった。
岐阜県 雨傘製薬恵那工場
どんな手法を用いたのか……それは流入する思考の中から引き出すことはできたがあまりにも主観的で抽象的なそれを理解することはできなかった。
本来であれば自分に対して危害を加えることなど出来ないはずの爆発の衝撃によって身体の制御を失って落下していく最中であっても彼女の思考は途切れることはなく、落下速度を死なない程度に減速させる程度には力の行使もできていた。
対する『レイス』である。
全てのリソースを攻撃に用いていたあの攻撃はまさに自爆だった。
それでも『レイス』が助かったのは攻撃を受けた彼女が咄嗟に守ったからだ。
『機構』の中においては珍しく一般的な価値観を保ち続けている彼女ではあるが、だからと言って明らかに悪意あるテロリストに対して情けをかける様なことはない。
特に『レイス』は大切な仲間を傷つけた明確な敵である。
そこに対する彼女の敵意は本物であったし、柄にも無い殺意も少しは抱いていたほどだ。
もちろん可能であれば生かして捕えるという方針自体に異があったわけではないが、それでも本来であれば危険を冒してまで自爆攻撃から救ってやる義理などはない。
今回彼女が『レイス』を救うに至ったのはそれとは別の、しかし結局は無用な情けと捉えられかねない部分のことであった。
完全に己の思考の流出に対する防御を捨てた『レイス』の思考
死を覚悟したが故に本能的に生存の可能性を脳が模索した結果の副産物たる加速した思考の中で視えた『レイス』の正体
それを知ったが故の、咄嗟の判断だった。
いや、判断とさえ呼べないだろう。ミリ秒単位でのそれは彼女をしてももはや反射の領域である。
もちろん無傷ではない。
おそらくかなりの重症ではあるだろう。
それ故に彼女に対する追撃の心配は無いし、爆発直後に『ニンゲン』によって回収されたのであとは主力に任せることになる。
(博士ならきっとどうにかしてくれるだろうけど……参ったなぁ)
ゆっくりと地面に軟着陸した彼女はほとんど動かない身体を思い小さくため息をついた。
対精神エネルギー防護を施した車両を盾にしながらじわりじわりと『ニンゲン』の包囲を狭めていく。
強力なPK能力者からすれば薄紙程度の防御力しかないこの車両でもあるとないとでは気分がだいぶ違う。
本来なら静代さんが抑えてくれている隙に強めのお薬ぶち込んでお持ち帰りの予定だったのだが、彼女は今回は退場だ。私たちのみでやらなくてはならない。
だが、静代さんがゆっくり着陸したらしいという情報は上空を監視中の片切くんが教えてくれた。落下速度から考えておそらく彼女は生きている。
こんな状況下ではあるが安心できる材料だし、それならば余計に不甲斐ない姿を静代さんに見せるわけにもいかない。
一応これでも静代さんの上司なのだ。彼女に頼り切りにばかりなっているのもそれはそれで良い関係とは言い難いだろう。
「全員止まって」
幸いにも件の『ニンゲン』は蹲ったまま動いていない。多分今がチャンスだ。
「『アポリオン』を出して」
私の指示に従って長槍のようなモノを持った数名が前に出る。
彼らは借りてきた『バビロンの大淫婦』から選抜された決死隊だ。
手に持った槍は巨大な自動注射器のようなもので中には諏訪先生謹製の強めのお薬がしっかりと満タンに入っている。
本当ならミサイルなり砲弾なりに入れておければよかったのだが、活性状態のこのお薬は非常に不安定だ。
ミサイルなりに容れるんならそれなりの専用弾頭を作成する必要があるが流石にそれらを試験している余裕はなかったのでここは信頼と実績の日本陸軍式対戦車肉弾戦闘を踏襲してやってもらおう。
大丈夫、爆発するのが目的じゃないぶん刺突爆雷よりかは幾分マシだ。
「うまくいきますかね?」
『アポリオン』達がおっかなびっくり前進していく様を眺めていると藤森ちゃんが小声で聞いてきた。
「どうだろうねぇ……最悪こっちからお薬混合することもできるからHP削るくらいの役には立ってくれるとは思うけど」
「『竹槍』ですもんね、うち」
「結果的にだけどピッタリな名前でしょ?」
「ダサいことに変わりはないですけどね」
終戦間際の旧軍みたいな手法に頼らざるを得ないのは情けなくはあるが、現実問題としてこの方法がおそらく一番安全で死傷者が少ない。
重要な業務であることは間違いないが、だからと言って人命を軽視していい理由にはならないだろう。
一応二の矢として正規のDS職員にがっさんの最新作である114式パワードスーツを着用した対PSIチームも控えてはいるが、危険な仕事は残機に片付けてもらった方がいい。
「とにかく今は彼らの大和魂に期待しよう」




