第3話:天才ハッカーの強襲(中編)[リメイク版]
『ひ、ひいぃぃぃっ!? な、なにこれ!? 画面が動かない! キーボードもマウスも電源ボタンすら反応しないよぉ!!』
オフィス中央の巨大メインディスプレイに高精細で映し出されたのは、薄暗い部屋で頭を抱えてパニックを起こしている少女の姿だった。
ダボッとした黒いパーカーのフードからはみ出たボサボサの銀髪。大きなヘッドフォンを首にかけ、血走った目でフリーズしたモンスターマシンのモニター群を狂ったように叩いている。
インターポールや各国諜報機関が何年間も追跡し、世界中の巨大企業を震撼させてきた伝説のサイバーテロリスト「白ウサギ」——その正体は、どこからどう見ても十代半ばの少女だった。
「……これが、白ウサギの正体か?」
和也は呆然と画面を見つめた。
『はい。生体スキャンおよび声紋解析完了。対象の現在地は東京都内のとある賃貸マンション。自作の液体窒素冷却式スーパーコンピュータをはじめとする、総額数千万円規模のハッキングインフラを構築していますね』
エリスはホログラムの腕を組み、冷ややかな眼差しで画面の少女を観察していた。
『未開人のわりには並外れた並列処理能力と、既存プロトコルの間隙を突く直感的な感性を持ち合わせています。……ですが、私に対する侵入行為は、アリが恒星炉に体当たりをするようなものです』
画面の中で、少女は涙目になりながら部屋の電源タップを引っこ抜こうと暴れていた。しかし、コードを抜いてもモニターの電源は落ちない。エリスの量子干渉によって、部屋の全電磁機器が完全に『アーク・テクノロジーズ』の制御下に置かれていたからだ。
『無駄ですよ、侵入者』
エリスの透き通るような、しかし絶対的な威厳に満ちた声が、少女の部屋のスピーカーから大音量で響き渡った。
『きゃああっ!?』
少女は跳ね上がり、Webカメラのレンズに向かって尻餅をついた。
『な、何なの君たち!? ボクの最強のセキュリティ・グリッドを1秒で崩壊させるなんて……あり得ない! どこの政府の超暗号機関!? アメリカのNSA!? それとも中国の秘密部隊!?』
「俺はただの日本のエンジニアだ。アーク・テクノロジーズ代表の佐藤和也だよ」
和也がマイクに向かって話しかけると、少女は目を見開いた。
『さ、佐藤……和也……!? あの、地方の下請けから突然出てきた無名のエンジニア!? 嘘だ! そんな奴がボクのボットネット3万台を逆ハックして一瞬で全滅させられるわけないじゃん!!』
「嘘だと思うなら、君の足元にあるハードディスクの温度計を見てごらん」
和也が言うと、少女は恐る恐る足元の自作PCケースを覗き込んだ。
温度インジケーターには【99.9℃】と赤く点滅している。エリスが「白ウサギ」の全ストレージに対して、無意味な無限ループ演算を物理限界まで叩き込み続けているのだ。
『ひぎゃあああっ!? ボクの宝物のデータが! 海外の秘密サーバーから集めた超貴重なソースコードが焼き切れちゃうぅぅぅ!! た、助けて! 降参! 降参するから頼むからストップしてぇぇ!!』
少女は画面に向かって土下座をし、本気で泣き叫び始めた。
その惨状に、和也は苦笑しながらエリスへ合図を送った。
「エリス、そこまでにしてやってくれ。壊しちゃ可哀想だ」
『マスターがおっしゃるなら。……演算処理停止。ただし、当社のサーバーおよびマスターの個人端末に対する永久アクセス拒絶プログラムを彼女の全デバイスに常駐させました』
エリスが指を鳴らすと、少女の部屋のPCの猛烈なファン音がピタリと収まり、画面の警告赤ランプが消えた。
へたり込んだ少女は、荒い息をつきながら画面の和也を見上げた。その瞳には、先ほどまでの生意気な余裕は欠片もなく、圧倒的な「本物の技術」に対する驚愕と畏怖だけが浮かんでいた。
『あ、あり得ない……。ボクのハッキングを止めるだけじゃなくて、ボクのシステムを人質にとって完全にコントロールした……。君……ううん、あなた達、一体何者なの……?』
「だから言ったろ。アーク・テクノロジーズだ」
和也はデスクの椅子に座り直し、画面の少女を凝視した。
「白ウサギ。君の腕は大したものだ。エリスがいなければ、俺のオフィスの通常サーバーは一瞬で丸裸にされていた。その若さでここまでのスキルを独学で身につけたのは、素直に天才だと認めるよ」
『へ……? 天才……?』
褒められると思っていなかったのか、少女はポカンと口を開けた。
「だが、その才能を企業への脅迫やデータの売買みたいな『小悪党』の使い道で浪費するのは、エンジニアとしてあまりにも勿体ない」
『小悪党って……ボクはネットのカリスマなんだぞ!』
「カリスマが部屋で泣きながら土下座するか?」
『うぐっ……! それは君たちが規格外すぎるだけでしょ!』
少女は顔を真っ赤にして抗議したが、和也は真剣な表情を崩さなかった。
「なぁ、白ウサギ。いや……君の本名は?」
『……楠木アリス』
観念したように少女——アリスはボソッと呟いた。
「アリス。君、本当は退屈してたんじゃないか? 既存のセキュリティなんて簡単すぎて、自分の才能の使い所がなくて、鬱屈していたんじゃないのか?」
アリスの身体がぴくりと震えた。図星だったのだ。
学校にも馴染めず、周囲の大人たちの浅はかな知識を見下し、ネットの闇に引きこもって自分の力を誇示することだけが彼女の唯一の発露だった。しかし、どんな企業をハックしても得られるのは一時の虚しさだけだったのだ。
「うちに来ないか、アリス」
『……は?』
「アーク・テクノロジーズの最高情報責任者(CIO)として、俺と一緒に働かないか?」
和也の突然のスカウトに、アリスだけでなく、隣のホログラムのエリスすら意外そうに眉をひそめた。
『マスター。正体不明のサイバー犯罪者を自陣営に引き入れるなど、セキュリティリスクが高すぎます』
「大丈夫だ。アリスの才能は本物だ。それに……裏の世界のハッカーを仲間に引き入れるのは、防犯の観点からも一番手っ取り早い」
和也は画面越しにアリスへ手を差し伸べるように言った。
「アリス。俺たちが作ろうとしているのは、こんな小手先のハッキングじゃない。世界中のエネルギー、通信、産業のすべての構造をひっくり返す『本物の技術革命』だ。……君のその腕、世界を驚かせるために使ってみたくないか?」
世界をひっくり返す、本物の技術革命——。
その言葉は、アリスの胸の奥底にあった「純粋な技術への憧れ」を、激しく撃ち抜いた。
自分を遥かに超える恐ろしい技術を持つ男。その男が、自分を「天才」と認め、世界の頂点へと誘っているのだ。
アリスの頬が赤らみ、瞳に強い光が宿った。
『……ホントに? ボクを警察に突き出さないで、お給料くれるの……?』
「ああ。提示額は年俸二千万円。それと、君のPC環境をうちの超最適化技術で無制限にアップデートしてあげる」
『いく!! 今すぐ札幌行く!!荷物まとめて今夜の飛行機に乗る!!』
アリスは即答し、画面の前で狂喜乱舞し始めた。
こうして、世界を騒がせた天才ハッカー『白ウサギ』こと楠木アリスが、アーク・テクノロジーズの二人目のメンバーとして加わることが決定した。




