第2話:革命のプロトタイプ(後編)[リメイク版]
「熱が出ない……だと? 効率九九・九八パーセント……そんな数値、物理的にあり得ん!!」
サクラエレクトロニクスの会議室。静寂を破ったのは、統括部長・藤堂の怒号に近い悲鳴だった。
額に汗を浮かべ、老眼鏡をずらしながらテスターのディスプレイにかじりつく。何度も数値を再読み込みし、自社の若いエンジニアに計測ケーブルの接触不良を疑わせるが、叩き出されるデータは一ミリもブレない。
完璧なフラット波形。発熱ゼロ。
現代の電子工学の常識を、足元から根こそぎ覆す「神業」のようなデータがそこに鎮座していた。
「藤堂部長……どうしますか? これ、うちの試験機が壊れているわけじゃありません。この基板……化け物です」
若手技術者が震える声でそう漏らす。
サクラ側の人間全員の視線が、一斉に和也へと注がれた。そこにあったのは、先ほどまでの「下請けの若造を見る目」ではない。底知れない異物を目撃してしまったかのような、恐怖と脅威の混ざり合った眼差しだった。
「佐藤……君、と言ったね」
藤堂の態度が、180度ガラリと変わった。怒気を孕んでいた声は急激に湿り気を帯び、揉み手をせんばかりの勢いで和也に歩み寄ってくる。
「素晴らしい……! 素晴らしい成果だ! 我がサクラエレクトロニクスが長年求めていた次世代EVの決定打が、まさか君のような若き天才の手によってもたらされるとは! この基板の特許および独占供給契約についてだが、すぐにでも本社の役員会を通す。もちろん、北海電子精密への報酬も従来の十倍……いや、二十倍を提示させてもらう!」
隣で抜け殻のようになっていた高橋部長が、その言葉を聞いた瞬間、バッと弾かれたように目を輝かせた。
「に、二十倍!? ほんとうですか、藤堂部長!!」
高橋は汗を拭いながら、揉み手で和也の肩をバシバシと叩いた。
「いやあ! やってくれると思っていましたよ佐藤君! さすが我が社のエースエンジニアだ! 徹夜で君を指導した甲斐があったというものだよ! 藤堂部長、契約の件ですが、ぜひ当社社長も交えて前向きに——」
「高橋部長」
和也の低く冷ややかな声が、高橋の言葉を遮った。
「な、なんだね佐藤君? 今は大事な契約の話をして——」
「この基板の技術権利およびプロトタイプは、北海電子精密のものではありません。もちろん、サクラエレクトロニクス様のものでもありません」
静まり返る会議室。
和也はゆっくりと胸ポケットから、一つの契約書類の控えを取り出した。
「私は昨日付けで、個人的に個人事業主としての登録および『技術ライセンス保有者』としての権利手続きを済ませています。北海電子精密の設備を使用した分のレンタル料および材料費は、私の私費から会社口座へ本日付けで振り込み済みです。業務時間外での完全な個人開発……つまり、この技術のすべての権利は『佐藤和也』個人に帰属します」
「は……? なにを……何を言っているんだ佐藤!?」
高橋の顔から一瞬で血の気が引いた。
「お前は我が社の社員だろ!? 会社で作ったものは会社の権利だ!」
「いいえ。就業規則第24条に基づき、業務指示書の範囲外で、かつ私費で製作された試作品の権利は帰属しません。……高橋部長、ご自身で言われましたよね? 『予算もない、パーツの変更も認めない、適当にごまかして動くようにしろ』と。私はその業務指示を破り、まったく別の個人的研究としてこれを完成させました」
和也の言葉には、一切の迷いも隙もなかった。
今まで散々、現場の努力を吸い上げ、理不尽な命令で使い潰してきた会社。技術者を「使い捨ての歯車」としか思っていない組織に、この「銀河の遺産」を渡すつもりなど微塵もなかった。
「さ、佐藤! お前、自分が何をしているか分かっているのか!? 会社を裏切る気か!!」
「裏切る? 評価もせず、使い捨てにしてきたのはどちらですか」
和也は高橋の怒号を冷たくあしらうと、呆然と立ち尽くすサクラの藤堂へと視線を向けた。
「藤堂部長。サクラエレクトロニクス様がこの技術の採用をご希望されるのであれば、北海電子精密を通さず、私が新しく設立する会社『アーク・テクノロジーズ』と直接ライセンス契約を結んでいただきます」
「新会社……だと!?」
「ええ。条件は三つ。第一に、技術の独占提供は行わないこと。第二に、製造ラインの初期投資資金として、一億五千万円のライセンス一時金を前払いすること。そして第三に……」
和也の目が鋭く光る。
「今後の技術開発において、仕様変更や納期に関してエンジニアの現場判断を最優先とすること。これが呑めないのであれば、私はこの試作品を持って、欧州やアメリカの自動車メーカーへ交渉に向かうだけです」
「くっ……!」
藤堂の顔が苦渋に歪んだ。
一億五千万という金額は、サクラのような巨大企業にとっては決して払えない額ではない。それ以上に、もしこの技術が海外のライバル企業に渡れば、サクラエレクトロニクスどころか日本の自動車産業そのものが完全に終わるということを、熟練の幹部である藤堂は痛いほど理解していたのだ。
『ふふっ……威勢がいいですねマスター。未開人の首根っこを完璧に掴んでいますよ』
網膜の隅で、エリスが可憐に、そしてどこか愉悦に満ちた笑みを浮かべて手を叩いている。
「分かった……」
藤堂は深く溜息をつき、和也をまっすぐに見つめた。
「君の条件を呑もう。本社の役員会を今から開く。一億五千万円の決済も必ず下させよう。……ただし佐藤君。君はこれから、世界の巨大資本と政治の渦に巻き込まれることになるぞ。その覚悟はあるのか?」
「覚悟なら、昨日の夜に決めました」
和也はテーブルの試作基板をケースへと収め、パチンと音を立てて鍵をかけた。
「俺はもう、誰かの下請け(歯車)で終わるつもりはありません。この手で、世界のルールを書き換えます」
隣で崩れ落ちるように膝をついた高橋部長を一切振り返ることなく、和也は会議室のドアを開けた。
一歩、外へ踏み出す。
手の中のアタッシュケースには、一億五千万円の資金と、世界を変える技術の第一歩が詰まっている。
札幌の青空の下。和也の胸には、かつて感じたことのないほど熱く、果てしない「わくわく感」と野望が渦巻いていた。
「行くぞ、エリス。俺たちの会社(城)をつくる」
『御意、マスター。銀河の技術をもって、この泥の星に最高の革命を刻み込んで差し上げましょう』
一人のエンジニアの逆襲が、今、全世界を巻き込む「技術超大国化計画」へと加速し始めた。
(第2話・完)




