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第2話:革命のプロトタイプ(前編)[リメイク版]

午前八時三十分。


札幌市内の東区に位置する工業団地の一角。古びた鉄骨二階建ての社屋に、大きな文字で『北海電子精密株式会社』と書かれた看板が掲げられている。


和也が勤めるこの会社は、社員数五十名ほどの中堅電子機器メーカーだ。かつては独自の特許技術で大手家電メーカーと対等に渡り合っていた時代もあったらしいが、今やその面影はない。アジア圏の海外メーカーによる価格破壊の波に呑まれ、今では大手電機メーカー『サクラエレクトロニクス』の三下請けとして、すずめの涙ほどのマージンで電子基板の受託生産を請け負う日々だった。


「おはようございます……」


事務所のドアを開けると、どんよりとした重苦しい空気が和也を迎えた。


鳴りやまない電話のベル、デスクに高く積み上げられた伝票と不具合報告書、そして徹夜続きで目の下に濃い隈を作った同僚たちの疲弊しきった顔。ここには「技術」を誇るエンジニアの姿はなく、ただ納期という締め切りに追われる事務処理作業員たちの群れがあるだけだった。


「おい、佐藤! 遅いぞ! 何をのんびり出社してやがる!」


自席に荷物を置く間もなく、怒声が飛んできた。


声を張り上げたのは、開発部の部長を務める高橋だ。太った腹をベルトの上に乗せ、血走った目で和也を睨みつけている。かつては営業叩き上げだったという高橋は、回路設計やプログラミングの知識など一切持たず、ただ上からの命令を下に押し付けることでその地位を保っている男だった。


「申し訳ありません、高橋部長。昨日指示された基板のノイズ解析作業を行っていたもので……」


「言い訳はいいんだよ言い訳は! それよりサクラエレクトロニクス様から連絡があったぞ! 次期EV用車載バッテリーユニットの試作制御基板、納期の前倒しだ! 今週末までに納品しろとさ!」


「……今週末、ですか!?」


和也は思わず声を荒らげた。


「無茶です! 従来の設計では発熱対策と電流抑制の回路設計が追いついていません! 今の基板のまま電流を流せば、熱暴走で安全装置が作動します。せめて基板のレイアウト変更と制御ICの選定からやり直さないと——」


「うるさい! 技術の理屈を聞いてるんじゃないんだよ!」


高橋はバン、とデスクを叩いた。


「サクラ様から切られたら、うちの会社の今月の売り上げはどうなる!? 予算もない、パーツの変更も認めない! 既存の汎用ICと安いコンデンサを組み合わせて、なんとか誤魔化して動くようにしろ! それがエンジニアの仕事だろうが!」


(誤魔化して動かす……? それがエンジニアの仕事だと……?)


和也の拳が、ズボンのポケットの中で固く握り締められた。


安全性を無視し、コストを削り、ただ動けばいいというハリボテを作る。それが失敗すれば責任はすべて現場のエンジニアに押し付けられる。これが、かつて「技術立国」と讃えられた日本の現場の悲惨な現実だった。


「……分かりました。やってみます」


「ふん、最初からそう言えばいいんだ。今日の夜までに修正プログラムの初期案を出せよ!」


高橋は捨て台詞を残すと、タバコを吸いに喫煙所へと消えていった。


和也は深く息を吐き出し、自分のデスクの椅子に深く腰掛けた。隣の席の若い後輩エンジニアが、哀れむような視線を送ってくる。


「佐藤先輩……大丈夫ですか? あんなの無茶移植ですよ。海外産の安い制御ICなんて、スペック表通りの性能すら出ない粗悪品ばっかりなのに……」


「……ああ、分かってるよ」


和也は静かに答え、ポケットの中から「あの端末」——漆黒の金属へと変貌したスマートフォンを取り出した。


画面は漆黒のままだが、和也が意識を向けると、網膜に直接投影されるようにエリスのホログラムと通信ウィンドウが立ち上がった。もちろん、周囲の人間にはただ和也がスマホを眺めているようにしか見えない。


『呆れた低次元の争いですね、マスター。原始人の群れが、腐った木の実の奪い合いをしているようにしか見えません』


脳内に響くエリスの呆れた声。


「否定はできないよ。だが……これが俺の『現実』だ。そして、ここには設備がある」


和也の目が鋭く光った。


『北海電子精密』の奥には、かつて自社製品を作っていた頃の遺物である、高性能な表面実装機マウンターや、超精密な電子顕微鏡、回路基板の試作エッチング装置が眠っている。今では埃をかぶっているが、メンテナンスさえすれば十分に機能する。


「高橋の命令通り、サクラエレクトロニクス用の試作基板を作る。……ただし、彼らが要求した『誤魔化し』じゃない。俺たちの『オーバーテクノロジー』を組み込んだ、完全なる別物をな」


『ふむ……既存の粗悪な汎用パーツと基板をベースに、当星の製造インフラで再現可能な極小の「最適化ナノ構造」をエッチング加工で刻み込む……ということですね?』


「そうだ。エリス、手伝ってくれるか?」


『当然です。マスターの「仕返し」にしてはスケールが小さすぎて欠伸が出そうですが……未開のメーカーどもに、銀河の洗礼を与えてあげましょう』


エリスは口元に不敵な笑みを浮かべた。


その日の夜。


定刻を過ぎ、社員たちが次々と退社していく中、和也は一人、会社奥の「第一試作室」にこもっていた。


部屋の鍵を閉め、防音とブラインドを完璧にする。


テーブルの上に並べられたのは、サクラエレクトロニクスから支給された粗悪な汎用ICチップと、安物のプリント基板、そして和也の端末だ。


「よし、エリス。解析と最適化回路の設計出力を頼む」


『了解。当端末の量子レーザー照射モジュールを解放。既存のシリコンチップ表面に、ナノレベルの超伝導バイパス回路を直接刻印レーザー・ドープします』


和也がスマホのカメラレンズのような照射口を基板に向けた。


ちっちっちっ、という微かなパルス音が部屋に響く。


目には見えない極小のレーザー光線が、安物のICチップの内部構造を分子レベルで書き換えていく。本来なら数億円規模のクリーンルームと最新鋭の極端紫外線(EUV)露光装置がなければ不可能な微細加工が、和也の掌の上で、わずか数分で完了していく。


電流の抵抗を極限までゼロに近づけ、熱の発生を完璧に抑え込む特殊なパターン配置。さらに、バッテリーのセルごとの電圧をマイクロ秒単位で監視・制御する、エリス直伝の「超最適化アルゴリズム」がICチップ内のフラッシュメモリに焼き付けられていく。


「できた……!」


作業開始からわずか三十分。


見た目はどこにでもある安物の電子基板だ。表面のパーツも、サクラエレクトロニクスから渡された安い海外製パーツのままだ。だが——その内部を通る電子の流れは、人類の現代科学を半世紀は凌駕する「超高効率回路」へと変貌を遂げていた。


『完成です。名付けて【ギガ・コントロール・プロトタイプ・Mark-1】。既存の最高級車載バッテリーにこれを接続した場合、電力変換効率は従来の82%から99.98%へと跳ね上がります。充放電に伴う発熱はほぼゼロ。バッテリー寿命は理論上、従来の7倍以上に伸びます』


「変換効率99.98%……発熱ゼロ……!」


和也は完成した基板を手に取り、震える手で見つめた。


テスト用の評価電源とオシロスコープに接続し、最大負荷の電流を流してみる。


従来の基板であれば数秒で激痛を感じるほど発熱し、煙を吹くはずの電流値。


しかし——基板の温度計は、室温と同じ「23度」からピタリと動かない。波形モニターに映し出された電気信号は、ノイズが完全に除去された、美しすぎる完璧な直線を描いていた。


「すごい……! 本当に出来ちゃったんだ……!」


和也の胸の中で、エンジニアとしての歓喜が、そして世界を変えていくという圧倒的なゾクゾク感が爆発した。


明日、この基板を高橋に渡し、サクラエレクトロニクスの担当者へ送る。


彼らがこの基板をテスターにかけたとき、どんな顔をするだろうか?


「あり得ない」「測定器の故障だ」と絶叫するメーカーの技術者たちの顔が目に浮かぶようだった。


「これが俺たちの……第一歩だ」


和也は満足げに不敵な笑みを浮かべ、試作基板をケースへと収めた。


革命の歯車が、静かに、だが確実に狂い始めた瞬間だった。

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