第1話:星を拾った夜(後編)[リメイク版]
「うぐっ……あ……!?」
脳内へ直接叩き込まれる膨大なデータ情報量に、和也は頭を抱えて膝をついた。
無数の数式、見たこともない次元幾何学の構造図、分子配列のシミュレーション、そして見たこともないエネルギー励起のロジック。それらが怒涛の濁流となって脳のシナプスを駆け抜けていく。普通ならショックで意識を失うほどの情報密度。
だが、耐えきった。
和也の頭の中で、バラバラだったパズルが恐ろしい精度で組み上がっていく。
「これは……常温核融合……!? いや、単なる核融合じゃない。重水素とヘリウム3をナノ結晶格子の中に閉じ込め、常温下で微小なトンネル効果を制御発生させる……絶対暴走を起こさない超小型発電モジュールか……!?」
『ふん、意外と飲み込みが早いですね。未開の原始人にしては脳の処理能力が高いようです』
宙に浮くホログラムのエリスが、感心したように、しかしどこか見下すような笑みを浮かべた。
『当銀河帝国において、これは家庭用玩具の動力源として使われる最低限の「標準電池」に過ぎません。ですが、化学燃料を燃やして排気ガスを撒き散らし、リチウムイオン電池の発火事故に怯えるこの星の住民にとっては……まさに「神の火」でしょう』
「神の火、か……」
和也はゆっくりと立ち上がり、自分の掌を見つめた。
頭の中に焼き付いた設計図と理論。それらはあまりにも完璧で、論理的で、美しいほどに隙がなかった。現代の科学者たちが「理論上不可能」と切り捨ててきた常温核融合の完全な解答が、今、自分の頭の中に存在しているのだ。
これがあれば、世界のエネルギー問題は一瞬で崩壊する。
電気自動車(EV)の航続距離は無限になり、スマートフォンの充電という概念そのものが消滅し、データセンターの膨大な電力消費に悩む必要もなくなる。
「エリス、このプラント(漆黒の球体)で、このバッテリーの試作品を作れるのか?」
『当然です。ただし、現在の内部エネルギー残量は激減しています。地球上に存在する希少金属(リチウム、チタン、コバルト、レアアースなど)と高純度のシリコンを「原材料」として投入しなければ、物質変換炉をフル稼働させることはできません』
「原材料の確保……つまり、金がいるってことか」
『左様です。いかに銀河最高の技術があろうとも、それを稼働させる初期リソースがなければ無意味。まずは現代の金融システムと経済循環の中で、原資(種銭)を獲得することから始めるべきでしょう。……マスター、貴方の手元にある「改変された端末」を活用すれば、資金調達など数分で完了しますが?』
エリスが示唆したのは、和也の手にあるスマホを使った国際金融市場や暗号資産へのハッキング、あるいは違法な口座操作だった。世界の金融ネットワークの脆弱性など、エリスの量子演算にかかれば赤子の手をねじるより容易い。
だが、和也は即座に首を横に振った。
「ダメだ。そんな非合法なやり方で得た金じゃ、足がつく。俺たちが目指すのは、表の経済社会を我が技術で圧倒し、合法的に世界の構造を塗り替えることだ。泥棒の真似事をして追いかけ回されるつもりはない」
『……ほう。力に溺れず、自己の倫理と戦略的長期的視点を維持しますか。……いいでしょう。マスターとしての合格ライン、ギリギリでクリアと認めてあげます』
エリスはくすりと笑うと、宙のキューブを漆黒の球体へと回収させた。
球体の表面が波打ち、すり鉢状のくぼみの中へと沈み込んでいく。周囲の空間を覆っていた不可視のフォースフィールドが解除され、手稲山の冷たい夜風が再び和也の頬を撫でた。
『探査機本体は位相空間へと遮蔽(光学および電磁波の完全偽装)を完了しました。ここに存在することは地球のいかなるレーダーでも検知不可能です。呼び出しは、その端末を通じていつでも可能です』
「分かった。……一旦、山を下りる」
和也は手の中の漆黒のスマートフォンをしっかりと握りしめた。
東の空が白み始めた早朝。山を下りた和也は、始発の電車に乗り、札幌市内の賃貸アパートへと戻ってきた。
狭いワンルームの部屋。万年床、積み上げられた専門書、そして作業デスクの上に転がる、会社から持ち帰った故障基板と書類の山。
いつもならげんなりするはずの「現実の惨めさ」が、今の和也には全く違って見えた。
デスクの上のノートパソコンを開く。
動作が重く、ファンが爆音を立てるポンコツのパソコンに、手持ちの改造スマホを繋ぐ。瞬時にPCのディスプレイが書き換わり、エリスのホログラムがモニター上に縮小表示された。
『マスター。まずはこの哀れな演算装置(PC)のOSとハードウェア効率を〇・〇一%だけ最適化しておきました。これでフリーズすることは二度とありません』
「サンキュ。……さて、どうやって最初の資金を作り、製品を作るかだ」
和也は腕を組み、画面を睨みつけた。
いきなり「常温核融合バッテリーを作りました」と発表しても、正体不明の個人では相手にされないどころか、頭のおかしい狂人扱いされるか、巨大資本や国家の諜報機関に握り潰されるのがオチだ。
必要なのはステップだ。
現代の技術体系の「ほんの一歩先」を行くプロダクトを作り、既存の市場を圧倒して莫大な資金を獲得する。その資金と信用を元手に、ダミー会社を設立し、徐々に本命の技術を社会に投下していく——。
「まずは、今の日本の製造業が一番喉から手が出るほど欲しがっているもの……『超高効率・超長寿命の次世代リチウムイオン電池用制御IC(集積回路)』から行く」
和也の目が輝いた。
既存のリチウムバッテリーでも、制御チップのアルゴリズムと電流制御を極限まで最適化すれば、寿命を5倍に延ばし、充電時間を10分の一に縮めることができる。これは現代の素材のまま、エリスの演算能力による「超最適化設計」だけで実現可能な範囲だ。
『なるほど。当星の低い技術基盤でも製造可能な「中間生成物」で市場を掌握し、資金と生産ラインを確保する……未開人にしては悪くない合理的な選択ですね』
「だろ? そして、この設計図を組み上げるためのクラウドファンディングと……俺の勤める『あの会社』の設備を、ちょっとばかり『お借り』させてもらう」
和也の頭の中で、精密なピースが噛み合っていく。
自分を使い捨てにし、技術を蔑ろにしてきた会社。そして、日本の衰退を指を咥えて見ているだけの巨大メーカーたち。
彼らが「そんなの不可能です」「コストが見合いません」と切り捨ててきた領域を、和也はたった一人で、圧倒的なオーバーテクノロジーで踏み荒らしていくのだ。
時計の針が午前7時を指した。
普段なら憂鬱で仕方がない「出社時間」だ。だが、今の和也の胸を満たしているのは、かつてないほどの武者震いと、湧き上がる高揚感だった。
「待ってろよ……世界。エンジニアの逆襲を見せてやる」
和也は上着を羽織ると、鋭い眼差しで朝焼けの街へと踏み出した。
(第1話・完)




