第1話:星を拾った夜(中編)[リメイク版]
「ガラパゴス的進化を遂げた化石、か。散々な言われようだな」
和也は苦笑しながらも、手に持っていたスマートフォンを、胸の高さで浮遊するキューブへ差し出した。
5年前に購入し、バッテリーはすでに劣化して半日も持たない。画面の端には落としたときについたヒビが走り、CPUの処理能力も現代のアプリについていけず頻繁にフリーズを起こす、文字通りの『型落ち品』だ。
『評価としては妥当かと。集積回路の集積密度、クロック周波数、何よりエネルギー伝達の効率性……どれをとっても数万年前の原始的な規格に過ぎません』
エリスは冷徹な眼差しでそう吐き捨てると、青白く光る指先をすっと滑らせた。
その瞬間、キューブの底面から細い幾何学的な光の線——ナノ光線束が照射され、和也のスマートフォンを包み込んだ。
ウィーン、と微細な駆動音が夜の山道に響く。
「な……なんだ、これは……!?」
和也の目が驚愕に見開かれた。
スマホのプラスチックとガラスの筐体が、まるで水面のように揺らぎ、分子レベルで分解され始めたのだ。ガラスのヒビは一瞬で塞がり、金属パーツは再構成され、内部の基板やシリコンチップが可視化されて空間に浮かび上がる。
だが、それは破壊ではない。完璧な「再設計」だった。
『構造解析完了。炭素系有機半導体への置き換え、量子スピン素子による演算ユニットの再構成、および微弱超ひも理論に基づく空間位相通信モジュールの組み込み……。素材が貧弱すぎて銀河標準規格の〇・〇〇一%も性能が出せませんが……まあ、当面の「端末(端末)」としては機能するでしょう』
光の収束とともに、宙に浮いていた分解パーツが一瞬で組み上がり、和也の手元へと静かに降下してきた。
「これが……俺のスマホなのか……?」
受け取った端末の感触に、和也は息をのんだ。
重さは以前の三分の一ほどに感じられる。安っぽい樹脂の手触りは消え去り、漆黒の金属——まるで先ほどの巨大な球体と同じ、闇を切り取ったかのようなしっとりと肌に吸い付く質感へと変貌していた。傷一つない画面は、電源が入っていないにもかかわらず、どこか深い透明感を湛えている。
「電源ボタンは……ないのか?」
『意識を向けるだけで十分です。生体波動を検知し、シナプス伝達物質の微弱な磁場変化を読み取ります』
言われた通り、和也が『点灯』と心の中で念じた瞬間。
液晶画面とは次元の違う、圧倒的な高精細の映像が空間に浮かび上がった。フレームレスどころではない。端末の画面を超えて、目の前の空間そのものが立体ディスプレイへと変貌したのだ。
画面の隅に表示されているバッテリー残量は——【∞%(常温量子発電モード稼働中)】。
「常温量子発電……!? 電池の充電がいらないっていうのか? それにこのアンテナ表示……」
『当星の基地局などという不効率な仲介設備は使用していません。地球外周軌道上に存在するマイクロ波および宇宙線を検知し、空間の位相を歪めて直接データ通信を行っています。理論上、地球上のいかなる深海、地底、あるいは宇宙空間であっても遅延ゼロ(ゼロ・レイテンシ)で通信が可能です』
「遅延……ゼロ……!?」
和也の全身に鳥肌が立った。エンジニアとして、その意味の恐ろしさが痛いほど理解できたからだ。
現代のIT社会において、通信速度と遅延の克服は全人類が何千億円、何兆円という巨額の投資を続けている最重要課題だ。基地局もサーバーの介在もなく、通信遅延がゼロ。それが、この掌に収まる小さな端末ひとつで完結している。
ためしに、今まで職場で重くて開けなかった大容量の3D CADデータと、会社から送信されていた莫大なエラーログを同時に読み込んでみる。
一瞬。まさに瞬く間に、数ギガバイトものデータが完全に処理され、高精細な立体ホログラムとなって目の前に展開された。
「嘘だろ……。うちの会社のメインサーバーどころか、スーパーコンピュータでも数分かかる解析処理が、一瞬で……!」
『当然です。その端末には、私が緊急用に自己複製した超小型量子AIコアの端末が組み込まれています。地球上のすべてのコンピュータを集積させた演算能力の、およそ数千倍の能力を有しています』
エリスは呆れたように小さく肩をすくめた。
『呆然としている暇はありませんよ、マスター。これはあくまで、私と会話するための最小限のインフラに過ぎません。……本番はここからです』
エリスがそう告げると同時に、宙に浮くキューブから新たな光が放射され、和也の足元——漆黒の球体へと照射された。
ゴゴゴ……と地鳴りが響く。
球体の表面が滑らかに開口し、中から淡い翡翠色の光を放つ、複雑な幾何学模様の結晶体が姿を現した。
『メイン動力を失った現状、この探査球体をフル稼働させることは不可能です。ですが、内部に残存する「ナノマテリアル製造プラント」と「銀河系標準技術データベース(ギガ・ライブラリ)」の第一層は開放可能です』
「技術データベース……」
『左様です。エネルギー、医療、通信、構造材料、航空宇宙……。この星の文明が数千年の時間をかけても到達できるかわからない「未来の解答」が、すべてここに格納されています』
エリスのホログラムが和也の目の前まで近づき、その冷たくも妖しい美貌を覗き込んできた。
『さあ、選択しなさい、佐藤和也。この技術を使って、貴方は何を作りますか? くだらない玩具を作って小銭を稼ぎますか? それとも……この滅びゆく哀れな母国を、世界がひれ伏す最強の技術立国へと塗り替えますか?』
夜の山中に、静寂が満ちる。
和也の手の中で、改造されたスマートフォンが静かに、だが力強く脈動していた。
頭の中に、昼間までの自分がフラッシュバックする。
理不尽な納期に追われ、上司に頭を下げ、海外製の低価格パーツを組み合わせてハリボテ製品を作る毎日。情熱をすり減らし、「どうせ日本はもうダメだ」「エンジニアなんて使い捨ての歯車だ」と諦めていた自分。
だが、今、自分の手の中には——世界を、時代を、文明そのものをひっくり返すことができる圧倒的な「力」がある。
胸の奥で燻っていた火種が、一気に爆発的な炎となって吹き上がった。
和也の唇が、自然と歪んだ。恐怖など、とうの昔に消え去っていた。あったのは、エンジニアとしての抑えきれない歓喜と、底なしの野心だ。
「小銭稼ぎなんて興味はない」
和也はエリスの瞳をまっすぐに見つめ返し、はっきりと告げた。
「まずは……俺たちをバカにし、使い捨てにしてきたこの国の腐った産業構造からぶち壊す。俺の手で、この国をもう一度、世界が手も足も出ない『技術王国』に作り直してやる」
エリスは一瞬、目を見開いた。
そして次の瞬間、満足気な、どこか残虐ですらある美しい笑みを浮かべた。
『——素晴らしい。未開人の分せいで、なかなか良い目をするようになりましたね、マスター』
キューブが強く発光し、和也の脳内に膨大なデータプロトコルが直接流れ込んでくる。
『試作第1号のテーマを決定しました。……まずは、この星の文明のボトルネックとなっている「エネルギー」から革新を起こしましょう。超高密度・絶対安全型【常温核融合バッテリー】——その設計図を、貴方の脳内に転送します』
圧倒的な情報の濁流が、和也の意識を駆け巡る。
世界を震撼させる「技術の逆襲」が、手稲山の静かな夜から、今まさに始まろうとしていた。




