第8話:火星の紅い森、銀河の影(前編)[リメイク版]
地球大気圏を離脱し、空間跳躍ドライブを静かに加速させた探査船『アーク・プロトタイプ』は、わずか数時間で太陽系第4惑星・火星の周回軌道へと到達した。
ブリッジの巨大なメインスクリーンいっぱいに、赤茶けた荒涼とした火星の球体が映し出される。
「うわぁぁぁ……! 本物の火星だ……! 教科書で見た通りの赤い星だけど、近くで見ると迫力が全然違うよ!」
アリスがブリッジのコンソールに身を乗り出し、目を輝かせて叫んだ。
地球上の全エネルギー問題と国際政治の歪みを「デバッグ」し終えた和也たちの次なる目的地。それは、火星の裏側(極冠付近)の静止軌道上に眠る、銀河帝国の古代遺産——超光速恒星間跳躍門【銀河門】だった。
「エリス、『銀河門』の識別シグナルは捕捉できているか?」
船長席に座る和也が尋ねる。
『はい、マスター』
軍服姿のエリスがホログラムで可憐に微笑み、火星の北極冠付近の座標をハイライトした。
『火星軌道上に設置された【第零号・銀河門】は、現在も休眠モードで正常に機能しています。当艦のアクセスコードを送信すれば、一〇分以内に起動可能です。……ですが』
エリスの可憐な声が、ふと微かな警戒を帯びて途切れた。
「ですが……何だ? 異常でもあるのか?」
『はい。銀河門を起動するための大電力中継用地上プラント——火星の「アシダリア平原」地下に埋設された【テラフォーミング中核炉】から、予期せぬ生体反応と異様なエネルギー反応が検出されています』
「生体反応……? 火星に生き物がいるっていうの!?」
アリスが驚いてキーボードを叩き、火星表面の高精細光学スキャンを実行した。
次の瞬間、ブリッジのスクリーンに映し出された火星表面の映像に、和也もアリスも言葉を失って息をのんだ。
「な……なんだ……これは……!?」
そこにあったのは、人類の天文学者たちが知る「死の赤茶けた岩肌」ではなかった。
アシダリア平原を中心とする数千キロメートルにおよぶ広大なクレーター一帯が、血のように暗く蠢く「深紅の巨大原生林」によって埋め尽くされていたのだ。
太くうねる幾何学的な巨木、赤く発光する胞子を大気中に撒き散らす巨大な植物群。それらは火星の薄い二酸化炭素の大気を吸い上げ、異常なスピードで火星表面を侵食し、新たな生態系を作り上げていた。
「紅い……森……!? 火星に植物の原生林なんて、探査機のデータにも一切なかったはずだよ!?」
アリスが混乱して叫んだ。
『当機のデータベースと照合完了。……これは、銀河帝国の標準テラフォーミング用植物群【ルブラ・フローラ】です』
エリスが静かに説明を加えた。
『本来であれば、数千年前に火星を地球と同等の居住可能惑星へ作り替えるために種まきされたものです。ですが……制御プログラムが何者かによって書き換えられ、暴走(暴走)を起こしています。その結果、火星の資源を無制限に食い荒らす「死の紅い森」へと変貌してしまったようです』
「制御プログラムの書き換え……? 暴走だと?」
和也のエンジニアとしての直感が、鋭く警鐘を鳴らした。
「つまり、誰かが火星のテラフォーミング炉にバグを仕込んだ……あるいは、外部からハッキングしたってことか?」
『その可能性が極めて高いです。そして……地上の中核炉が正常な電力を供給しない限り、軌道上の『銀河門』を安全に開くことは不可能です』
「なるほどな」
和也は不敵な笑みを浮かべ、船長席から立ち上がった。
「火星の地下プラントに溜まったバグの掃除が、俺たちの宇宙での最初の仕事ってわけだ」
「和也、まさかあの紅い森の中に直接降りる気……!?」
アリスが恐る恐る尋ねた。
「当然だ。エリス、地上探査用の全環境型装甲車と、個人用重力バリアスーツの準備をしてくれ。アリスは船内から軌道上のバックアップとハッキング防衛を頼む」
「了解っ! 任せて! 船内からのスキャンで、紅い森の危険生物の動きを全部補捉してあげる!」
『御意、マスター。未開の暴走植物など、当機のナノバリアの前にはただの雑草に過ぎません』
決意を固めた和也とエリス。
二人は小型降下艇に乗り込み、未知の「紅い森」が広がる火星の赤い大地へと向かって着陸を開始した。
火星表面、アシダリア平原。
降下艇から一歩外へ踏み出した和也は、ヘルメットのシールド越しに目の前の光景を仰ぎ見した。
地球の数倍の大きさを誇る巨大な深紅の樹木が立ち並び、空は紅い胞子で血のように赤く染まっている。重力は地球の約三分の一。一歩踏み出すごとに、身体がふわりと浮き上がるような感覚があった。
「ここが……火星か」
和也の手の中には、エリスの最新型ナノスキャン端末と、万が一の時に備えた小型重力パルスガンが握られている。
『マスター。前方に【テラフォーミング中核炉】の地上エントランスを確認。ですが……気を付けてください。ルブラ・フローラの樹海内部から、多数の動的生命反応が接近してきています』
エリスの警告と同時に、前方の紅い鬱蒼とした樹海から、ガサガサと不気味な葉擦れの音が響き渡った。
現れたのは——。
「っ……!? 植物と……金属が合体している……!?」
和也は息をのんだ。
樹木の蔓と、銀河帝国の防衛機械パーツが歪に融合した、全長三メートルを超える四足歩行の異形集団。瞳にあたる部分は赤く狂気的に発光し、和也たちを見下ろして不気味な金属擦過音を撒き散らしていた。
『報告:テラフォーミング炉の暴走プログラムにより、防衛ドローンと植物が融合した「浸食型変異体」です。……マスター、デバッグを開始しますか?』
「ああ」
和也は不敵な笑みを浮かべ、重力パルスガンを構えた。
「火星の古代遺産を歪めたバグ……一残らず消去(消去)してやる!」
紅い森の静寂を破り、火星における未知の「超技術デバッグ戦」が、いま幕を開けた。




