1 凪視点
「大地…何してんの?」
「わ」
「きゃあ」
私が会社の会議室を開け電気をつけると、恋人の山本大地が、後輩の上原と抱き合っていた。私が電気を点けたパチンという音と、光に驚いた二人が慌ててこちらを振り向いたけれど、二人の表情は対照的だった。
大地は、「え?え?」と言いながらびっくりした顔で辺りを見回しながらも口元を拭って、急いで私の方に来ようとしていた。もう一人の上原の方は、「いやーん」と言って恥ずかしそうにしていたけど、その顔はニヤリと笑って私の方を楽しそうに見て大地のスーツの袖を掴んでいた。
ここは博多にある、ビルの中の一室。私が今日行われる会議の為に、早めに資料を準備しようと会議室の鍵を開けたら、その中で先程の二人が抱き合い、キスをしていたのだ。
「な、凪、お前、なんで?え、あ?」
大地は上原に捕まれたスーツの袖をどうにかして離し、自分の身なりを整えようとしているが、唇はやけに艶々としていた。
「十五時からの会議の準備」
「いや、まだ、十四時だろ?何お前、こんなに早く準備してんだよ」
「エアコンの調整、モニターの確認。そこのPCデータの確認。資料の準備。午前中も準備して、会議の一時間前に問題ないか来たんだけど?主任からそう言われたの」
「あ。ああ、そうか。準備、まあ、そうか、でも、いや、さあ、まあ」
「で?二人は?仕事サボって何してんの?準備の手伝いではないよね?」
「せんぱーい、タイミング悪いー」
上原は私を睨みながらも大地の横で私を馬鹿にしたように言った。
「いっつも時間に煩いですしー。資料って、紙の資料?今の時代、いるんですかー?いつの時代の人なんですかね?データでよくないですかー?」
「上原。紙ベースはあったほうがいいの。紙の方がいいって言う人もいるし、上手くデータが映らない時とかでも、紙があれば自分で確認も出来るでしょう?そもそも、貴女の仕事でしょう?こんな所で遊んでないでちゃんと仕事して。だい…山本も、なにしてんの?」
「い、いや、俺は、上原の相談に乗って…」
「あ。そう、じゃあ、どこか行ってくれる?私仕事があるから。遊ぶなら他でやって欲しい」
私がそう言って二人を見ると、いきなり上原が大声で泣きだした。
「うえーん。酷いですー。先輩ー」
「「は?」」
泣きだした上原を見て驚いたのは大地もだった。何をいきなり泣き出すのか。そう思っている間にも上原の泣き声はどんどん大きくなり、大地はオロオロと「おい、なに泣いてんだよ?」「ちょ、泣き止めって」とか言ってるが、上原は聞く耳持たず、泣き続けていた。
「どうした?」
大きな泣き声に近くにいた職員が二人、会議室にやってきた。
「何があったんだ?」
「おいおい、どうしたって?」
「うえーん、先輩がー」
上原は、会議室に入ってきた職員に走り寄って、そこでまた更に泣きだした。
「ふええ、山本さんが…私の事好きって言って…でも、ぐ、ぐす。私は、先輩がいるからって…。で、もぅ。山本さんは先輩とは別れてるって言ってたのに、先輩、私の事逆恨みして…急に、怒るからぁ」
「は?何その話?」
何言ってんの、この人?と思って、上原を睨みつけると、分かりやすい程、「ビク」っと身体を振るわせて「えーん、怖いですー」と言ってまた泣きだした。
騒ぎを聞きつけて、上司がやってきた。
「上原、山本、橘、とにかく、今は会議がある。立花・坂本は一人でも問題ない。ちょっと三人はこっちに移動して」
そう言われ、奥の部屋に連れていかれ、それぞれ、課長と話しをする事になった。
で、私が呼ばれると、課長は疲れ切っていた。
「橘…、君からも話を聞きたい。現状の説明をして貰えるか?」
「はい。と言っても、私もよく分からないんですが」
そう言って、私は会議の準備をしようと、会議室に入ったら山本と上原が抱き合いキスをしていた事。山本とは付き合っていたが、別れるとは言われて無い事。上原が泣きだしたこともよく分からないと説明した。
「そうか…。今から、独り言を言う。結論からいうと、三人とも言っている事は違う」
「は?言ってる事も何も、皆さん見ましたよね?」
「いや、見たのは上原が泣いてから。二人が抱き合ってる等は見ていない。で、上原は、二人で会議の準備をしていたら、いきなり君が来て、上原に暴言を吐いたと言っていた」
「え??準備?いや、準備は私が、暴言って何ですか?」
私がそう言うと、課長は手で、私の言葉を遮った。
「分かってる。でもな。資料の準備の一人に、上原が、そして、会議室の準備に山本がなっていたろ?」
「ええ、そうですが、あの二人が全然準備をしないので、私がしたんです」
「ああ、でも、君の仕事はモニターだったよな?資料作りは上原の監督だったはずだ」
「そうです。でも、何回言っても、私の教え方が悪いと言って、作ってくれないので、私が作成して、紙ベースの資料は必要ないとか勝手にきめていたんです。だから佐々木さん達にも確認して、一緒にコピーをして持って行ったら、あんなことを。佐々木さん達もここまでの事は知っていますよ?」
私がそう言うと課長は頭を抱えていた。
「仕事の事は分かった。それについては確認する。山本は君とは別れていたが、付きまとわれていると。同じ会社なので、どうしようかと悩んでいたと。で、上原とは君と別れて付き合ったと言っていた」
「は?」
「で、上原は君から暴言を吐かれて精神的にきつい、仕事も教えてくれない。出来ないのを自分のせいにする。パワハラでモラハラだ。暫く休むと言っていた」
「え?パワハラ、モラハラ?」
「この件は上とも話すが…明日、明後日は休んでいい」
課長はそこで言葉を区切った。課長がここまで私に話をしてくれたのは、きっと課長は私の事を信じてくれていると思う。けれど、上原は、うちの会社の取引先の娘なのだ。
本部長は上原の父親と仲が良いと聞いた事もある。とにかく、実家が金持ちで、自分の親の会社で働かせるのを良しとしない、上原の両親がよそで働け、と言ったが、結局、上原が本部長に頼んで採用させて貰ったらしい。
この話は人事の子が言っていたし、上原自身が「私、本部長と仲いいんですぅ」って言ってたから間違いではないだろう。そんな仲良し本部長が上原が傷ついたと言ったら、上原の話を信じるのではないか?仮に、上原が悪いとしても、自分が採用したのだ、自分の責任になる事を嫌がるんじゃないだろうか。
結局、上原の意見だけ聞かれるだろう。
「休み…ですか。私の言った事はちゃんと聞いて貰えるんですか?」
思わずそう言うと、課長は返事をすぐにしなかった。
「橘、何か、分かりやすい証拠みたいなのはあるか?」
「証拠?」
「いや、君の言葉が正しいと分かるような。そう言うものだ。俺は君の事を信じているが、本社や上と話をするなら、それなりの証拠を出さないといけない」
「そんな、急に言われても…。上原と山本が抱き合ってるのを見たのは私だけですし…。最近は山本とも会っていませんでした。向こうが忙しいって言って…だから連絡も全然してなくて。電話は時々しましたけど、その時に別れたって言われたら…」
「そうか。分かった…俺の方でも考える」
課長はそう言うと難しい顔をしたままだった。私は結局土日を挟んで、二日休むことになったのだが、会社を出るまで、誰とも顔を合わす事が無かった。




