2 雄三視点
「は?慎一ってしんちゃんが?おらん?」
「おい、慎一がどうしたっち?」
「いや、しんちゃんがいなくなったっち言いよるとよ。大人しい子なのにね?誘拐やか?迷子やか?どうしたんやろか」
「は?落ち着け。どういうことや!慎一はまだ、四歳やろうが!?いなくなるっち、どういうことや!」
そう言いながら、母よりも興奮した父が母から電話をひったくり、電話向こうに色々聞いていた。
「うん、うん、そうか、百合子さんは今、どうしようとか?警察に?そうやな。早い方がいいやろっち俺も思う。俺らも行くけ」
そう言い終えると、父は勢いよく電話を切った。義姉さんのボロアパートには電話が無いから、大家に借りたんだろう。夕方から慎一の姿が見えないと、近所中で探しているらしい。
「母さん、しんちゃんっち慎一やろ?いなくなったっち、本当か?」
「嘘でこげなこと言わんが!雄三、ちょっと行ってくるけ、あんたは、家におりいよ!なんかあったら、連絡するけ」
俺にそう言い捨てると、母も父も慌てて車で飛び出した。慎一はまだ四歳だ。誘拐されたのか。迷子なのか。俺に待っとけって、言っても、俺は気になって仕様が無い。
置いて行かれた俺も、慌てて探しに行こうとしたが、何処をどう探せばいいのか分からないのだ。俺はとにかく財布を掴むと自転車に乗り、家を飛び出し、慎一と行った場所を思い出していた。
慎一は電車を見に行ったら喜んだ。でも、電車まではアパートから距離がある。バスも一人では乗れない。電車を見に行ってはない。近くの公園でよく遊んだが、公園は何度ももう探したと言っていた。
「海?」
海岸沿いはよく遊んだ。まさか、海に入ったのか?あいつは泳げない。怖がって、海に入れず、俺が抱っこして一緒に入ったんだ。遠賀川か?川沿いもよく遊んだな。まさか、田んぼの用水路で遊んだのか?深い所もある。慎一が落ちたら溜められていたら、上がってこれない。
「ため池?」
いや、ため池までは少し距離がある。丘も登る。慎一はカヤで足と手を切って『チクチク痒い、痛い』と言っていた。行かないはずだ。
「水辺はないか?」
『ゆうにいちゃん、ゆうにいちゃん。こわい』
水辺に行くと、慎一はそう言ってしがみついて離さないから、泳ぐ練習も出来なかった。
『おい、来年は一緒に泳ぐぞ。俺が教えてやるけな。一人では行ったら、ダメやけん。危ないことしたら、母ちゃん悲しむっち、覚えとかなぞ。慎一は男やけん。母ちゃん守ってやれ』
『うん、ぼく、強くなる』
慎一は俺の言う事を良く聞いていた。そうだ、ちゃんと頷いていた。怖がりでも、しっかりとしていて、危ないと説明したら無茶をせず、しっかりと言う事を聞く子だ。海にも川にも行くはずはない。が、いなくなった。
「なんでなん。慎一、どこにおるんやか」
そう呟いた瞬間、海の景色が浮かんだ。海の方に行こう、なぜかそう思った。
俺は急いで、自転車を走らせた。芦屋に向かって必死に自転車をこぐと遠賀川に行きついた。広い、この辺では一番大きな川だ。下流はこのまま海に繋がっている。
川に着くと、慎一の名前を呼んだ。
「慎一ーーーー!!!慎一ーーーー!!!どこやーーー!!」
いるはずがない。でも、呼ばないといけない気がした。
「いっちゃダメだぞ!ゆうにいちゃんが探してやるからな!待っとけよ!一人でどこにも行くな!!!」
川沿いをデタラメに走って走って、慎一の名前を呼び続けた。絶対呼び続けなきゃ駄目だと思った。すると、キュウリ畑の横を通った時に、不意に声が聞こえた。
「ねえ、あんた、誰か探しよると?」
急に自転車を掴まれたように、勢いよく自転車も止まった。思い切り漕いでたはずなのに、自転車がピタリと止まる。
「ああ!?なん?ああ?」
自転車を漕ごうとしても凄い力で抑えられているのか、ピクリとも動かず、俺が乗った自転車は不思議と倒れもしない。
「困っとるんやろ?手伝っちゃるけさ、そこのキュウリ、もいで、こっちに投げり」
「手伝う?慎一を探すのをか?キュウリくらい、いくらでもやるけ、慎一を見つけてくれ!芦屋の海で泣いてるかもしれん!川沿いにおるかもしれんけ!一人できっと寂しがっとう!あいつ、泣きようと思う!」
俺はそう言うと、自転車から降りて、勝手に畑に入り、曲がりくねったキュウリを幾つかもいで声のした方に投げつけた。キュウリが落ちた音はせず、相手はキュウリを受け取ったようだった。
「慎一っちゅう名前やね。芦屋の海の方におると?川沿いにおるんね?」
「芦屋の子なんだ!海におるかは分からん!けど、慎一は俺を呼んどう気がする!川沿いで泣きようかもしれん!四歳で、坊主頭で、背は、こんくらいや。目が大きいで、くりくりした可愛いやつなんよ…」
「分かった、あんたは待っとき。慎一っち名前の坊主やね。あんたの名前は?」
「俺は雄三だ!」
俺が黒い影にそう言うと、「雄三ね。キュウリありがと」と影は言ってから、川の中にトプンと飛び込んで消えた。
「は?なんだ?いや、慎一だ!」
俺は、自転車が急に軽くなってこけそうになり、はっと我に返った。何が起こったのか、なんでこんなところにいるんだ、と思いながらも、急いで自転車を漕いだ。
慎一のボロアパートの前に辿り着くと、慎一がきょとんとした顔で、義姉さんに抱きしめられていた。父も母も大勢の人間がそこにいて、皆ほっとした顔をしていた。
「慎一!!」
「ゆうにいちゃん!」
「おまえ!なんしよったんか!どこおったんか!」
俺も慎一を抱きしめて、そう言うと、慎一は「ゆうにいちゃん、ゆうにいちゃん」と言ってわんわん泣いて、そのまま寝てしまった。
「ああ、見つかってよかった」
「川におったげな」
「海に行かんでよかったねえ」
「暑いけ、涼みにいったんかねえ」
「子供の足でよう、いけたね。田んぼの方までいっとったって。用水路に落ちんでよかったが」
「まあ、とにかく、無事でよかった、よかった」
義姉さんがその後、「有難うございます、有難うございます。皆さん、本当にありがとうございました」と、泣きながら皆にお礼を言う姿を見た。俺の父と母は俺が自転車で来てることに飽きれながらも「心配やったんやね。でも、今度はあんたが川に落ちんごとしてよ」「まあ、お前はどうにでもなるやろ、適当に帰ってこい」と言って、俺を置いて自分達は車で帰っていった。
慎一を抱っこしていると、義姉さんが俺の横に立った。
「慎一ね、海の方に行ったけど、川から帰って来たんて」
「海?川?」
「うん。これを持って。ゆうにいちゃんに渡してっち、慎一はいいよったんよ」
慎一の手にはキュウリのヘタが握られていて、「雄三の友達」と言った、「緑のお姉さんと大きな白い犬が、迷子の慎一を家まで連れて帰って来てくれた」と慎一が言っていたと。
「でもね、誰も慎一が帰って来るのを見てないんよ。気付いたら、家の前に立っとったんよ」
不思議だが、俺には緑という友達はいないし、大きな白い犬を持つような友達もいない。
「誰やろ?俺、知らんけどな」
俺が首をかしげていると、ボロアパートの大家が、話に入り込んできた。
「しんちゃんが戻ってきてよかったよかった。キュウリで、緑の人っちことは、河童やないとね。河童の姉さんが助けてくれたんやろうかね。ゆうちゃん、あんた、河童になんか良い事してやったんやないんね?」
「河童?」
俺は河童の知り合いもいないと思いながらも、さっき、キュウリを投げつけた事を思いだした。
「キュウリをさっき、誰かに投げて、慎一助けてくれって、言った。それか?」
「若松には河童様がおらっしゃるけんねえ。おおきな白い犬様はお友達やろうかねえ?神様やろうか?ああ、ありがたやありがたや」
「犬は知らん。見てない」
俺が言うと、大家のババ様は「とにかく無事でよかったっちことや」と言って、数珠を持つ両手を合わせて近くの祠を拝みだした。
「義姉さん、河童とか、神様とかほんとにおるんやろか?」
「分からんけど、慎一が戻ってきたんは、緑のお姉さんと白い犬と雄三さんのおかげやっち私は思う。本当にありがとう。海や川に入っとったら、もう、慎一は帰ってこれんかった」
俺はその言葉を聞いて、ぶるっと背筋が震えた。この小さな温もりが消えていたかもしれないのだ。
「そうか。またキュウリをお礼に持っていっとく」
「雄三さん、ありがとうね」
義姉さんはまた俺にお礼を言ったが、俺は黙って頷いた。キュウリを勝手に畑に入って投げつけた事は黙っておこう。
それから、俺は何度か、キュウリを(今度はちゃんと勝手に畑に入ったものではなく、家から持ってきたもの)声がした場所に置いたりしたのだが、あの声を聞く事は一度も無かった。それに、慎一が言った、緑の姿を見る事も白い犬を見る事もなかったが、キュウリは不思議と置くとすぐに消えている気がした。消える瞬間は見えてないが、ふっと気付くと無くなっているのだ。
不思議な体験だったな、と思いながらも、俺は家にキュウリがあると、近くの川に行って、川の側にキュウリを置くのを続けた。そして、慎一が小学生の頃、俺が家を離れることになった時にあの頃の話をした。
「慎一、お前、迷子になったことあったろ。あん時からな、お前には河童の姉さんと白い犬が守ってくれとうからな。だから俺がおらんくなっても、大丈夫やけん。キュウリは大切にせなぞ。時々、海の近くか、川の近くで、一人の時は、『河童のねえさんと白い犬』を呼んで、キュウリを分けてやれよ。お前の命の恩人やけんの」
「うん。ゆうにいちゃん、分かった」
「いいか、慎一、不思議な事は沢山あるけどな。感謝だけはずっとしろ。で、頼むのは本当に困った時だけに頼れよ。河童のねえさんも白い犬も神様みたいなもんやろうけな。安易に頼るな、感謝だけしろ。どんなに感謝しても、俺は多すぎるっち事はないと思う。だって、お前の命の恩人ぞ?お前の命は俺は何事にも代えられんっち思っとうけな」
「うん」
「よし。じゃあ、今度会うのは正月や。元気にしとけよ」
「うん」
慎一とはそれから暫く、一年に二回程会うだけになったが、慎一はすくすくと育ち、しっかりとした大人になっていた。
あれから、俺は河童の姉さんには会っていない。が、あの河童の姉さんと白い犬の縁はしっかりと慎一に受け継がれていたのだった。
※※※※
写真をアルバムに戻すと、俺は、懐かしい事を思い出したな、と昔の記憶に頭を掻いていた。昔の事をよく思い出すのは年寄りになった証拠だろうな。
「ジジイだから仕様がない」
そう笑っていたら、スマホが震えた。慎一から、『明日、遊びに行く。ゆうにいちゃん、日本酒でいいか?』の返事を読んで、ジジイになっても呼ばれるゆうにいちゃん呼びに、やっぱり慎一は慎一だと思いながら、明後日は休みだ、泊まらせようと思ったのだった。




