9 凪視点
お父さん、キュウリを誰にあげるんだろう?しかも二本。あげるならもっと沢山上げればいいのに。
お風呂に入って麦茶を飲み、自分の部屋の窓を開けて、涼もうとしていると私の部屋のベランダに誰か立っていた。
『ぎゃあ』っと声を上げようとした瞬間、口元と目元が何かに覆われ、声が出なかった。
びっくりしてジタバタと暴れたが、口は自由にならない。目も覆われたままで何も見えないのに怖くて涙が出てくる。
「元気な子供やね。いいね。静かにしいよ」
太い、でも、女の人の声とぺたっぺたっという音が聞こえた後に、パチッと電気が消える音が聞こえた。
「明るいのは好きじゃないけ、ちょっと暗くさせて貰う。あんたがいい子にしてくれたら、私もなんもせんけ」
私がコクコクと頷くと、目元が外された。目が自由になって、辺りが見えるようになると、私の暗い部屋の中に誰がいた。目が暗闇に慣れてよく見ると、着物の様な物をだらんっと着崩した緑色の女の人が立っていた。
宇宙人…?
目が大きくて、ぬぺっとした感じで緑色。古い感じの着物を着て私をじっと見ている。
「慎一からね。またお願いされたけん、様子を見に来たんやけど、あんた、もう、白のヤツとはあっとんやね。白がここまで遊びに来とう。どこやか」
私の方に近づいて、くんくんと私の匂いを嗅ぐともう一度頷いた。
「声、出したら、喉潰すけんね。ださんとよ?」
私に緑の宇宙人はそう言い、辺りを探すと、何もない私の横の空中に手を突っ込むと、そこから白い小さな塊、もんきち君を取り出した。
「おった。なん、あんた、こげん、小さくなってしまったん?ああ、また、ようけ力使ってから。海のやつらも心配しとったよ。あんたの力が弱くなっとうって」
「モン」
「もう、力がないのに。あ、あんた、大きい声ださんって約束出来るなら、口んとこ、自由にしちゃるけど」
私はまたコクコクと頷くと、何か口元を覆っていた物はふわっとなくなり、私は声が出せるようになった。
「よ。あんた、慎一の娘やろ?久しぶりに見たら、えらい、デカくなっとうね。私は慎一の古い知り合いの姐さんや」
姉さん?お父さんに宇宙人の姉さんがいたのだろうか?約束通り黙っていると、姉さんは話を続けた。
「偶にね、アイツはキュウリをくれるんよ。黙って、こう、そっと置いていくんやけどさ。アイツが、初めて私にお願いをしてきたけんね。ちょっとだけ、様子見ようと思ったら、あんたに視られてしまったけんね」
浴衣の中に手を突っ込むと緑の宇宙人はキュウリを取り出し、ぼりぼりと食べだした。キュウリ?お父さんが持っていたのはこの人に?私は何か聞いていいのかと思ったけど、声を出していいのか分からない。もんきち君が緑の宇宙人のお姉さんにぺしぺしと、叩いて私の方を見た。
「なんか、あんた聞きたいと?声。小さいならいいよ」
「あの、お姉さん?は、慎一…お父さんとお知り合いですか?この、白い子とも知り合いで?」
「ああ、アイツの小さい時に偶々ね。で、アイツ、今でも偶に、キュウリくれるけんね。まあ、何かあったら恩は返してやろうっち思っとったら、『どうぞ、河の神様、娘を御守り下さい』って言うけね。なんか慎一の家であったかと思って、河から久しぶりに上がってきたんよ。やっぱり、河から離れると調子がでらん」
「川?」
「ああ、河。私は見ての通り、河童。寧々子親分って知らん?その寧々子親分の孫娘なんよ」
そう言って、河童のお姉さんは少し威張って言ったが、寧々子さんの事も、河童に親分がいる事も知らなかった。がすごく威張って言っていたので「ほほー、へえ」と驚くと、「ふん、驚いたやろ?」と更に胸を張った。緑色の宇宙人のお姉さんは河童のお姉さんという事が分かったが、私は宇宙人と遭遇する事と、河童に遭遇する事のどっちが不思議か、とかちょっと考えてしまった。
「えっと、お姉さんは河童でいらっしゃって、そして寧々子親分の孫娘様ですね?」
「そう。まあ、慎一からは翡翠様っち言われとう。悪くない名前やね」
「翡翠様…」
「綺麗な石の名前なんやろ?緑の神聖な石っち、海女の奴が教えてくれた。まあ、私にピッタリな名前やね」
「深い緑色の綺麗な宝石の名前と思います」
「ふんふん」
お父さんの名付けのセンスが意外とある事を知った。
「ああ、翡翠の姐さんでいいよ。大体の奴は私のこと、姐さんっち呼ぶけね。あんたはこのぬりかべに名前つけたんやろ?慎一はわんちゃんって言い寄ったけどね。ちゃんと名前つけたけ、あんたの側に来たんやろうけね」
「翡翠の姐さん。はい、あ、もんきちって」
「もん?」
「モン!」
翡翠のお姉さんはちょっと嫌そうに顔をしかめた。その時お姉さんの着物に家紋の様な印があるのに気付いた。
「紋。その、しるしって意味のそして良いって意味の吉です」
「ああ、紋吉。まあ、ぬりかべには悪くはないか。よかったな、紋吉」
「モン!」
私が慌てて何か良い感じの、良い名前の意味を、と頭をフル回転させて言うと、紋が嬉しそうに翡翠の姐さんに頷いたが正直名前の意味なんて考えていなかった。
「それにしても、紋吉は力を使いすぎやね。紋吉はこのままだと消える」
「え?」
「モーン」
紋吉が悲しそうに鳴いたが、翡翠の姐さんは、紋吉を手の上に乗せると、何か唱えて紋吉を光らせた。
「力が大分弱くなっちょうな。海岸もせまくなっちょう。私も大分力は弱くなったけね。私じゃ、紋吉を元気にさせきらん」
「え。紋吉消えちゃうんですか?」
「ああ。なんかあんた、紋吉に大分守られとんやね。力が弱かったのに、あんたに自分の力を大分使ったみたいやけ。それで私の事も視えるんやろ」
「そんな」
紋吉を見ると「モン、モン」と心配しなくていいよ、というように、私のベッドに降りて跳ねていた。
「紋吉、私の事、小さい時からずっと守ってくれてたん?」
私が紋吉に聞くと、紋吉は嬉しそうに「モン」と鳴いた。
全然気づかなかった。海に行くといつもいる、白い犬だと思っていた。私をずっと守ってくれていたんだ。
「ふん。慎一から、あんたをお願いされたけど、紋吉があんた守っとうなら、私は手えださん方がいいけねえ。そうや、あんたさ、宗像の姫さん所に紋吉の力、戻して貰いにいってみてん」
「姫様?」
「宗像の三姫様っち、あんた知らん?紋吉は海のもんやけね、三姫様が力分けてくれるかもしれん。あんた、連れてってやり。そしたら、紋吉の力も戻って、あんたを守れるやろ。私は河から動きたくないし、慎一坊主と、雄三坊主の傍についておりたいけねえ」
「雄三坊主?ゆうおじさん?」
「そう。その雄三やね。あいつもキュウリよう、くれるけんね。一応、見てやっとかないけんけね」
翡翠の姐さんはそういうと、照れくさそうに、ポリポリと頬を掻いた。
「とにかく、あんたはさ、紋吉の力を取り戻しちゃり。捧げものだけじゃあ、もう紋吉の力は戻らんっち思う」
「捧げもの?」
「キュウリとか。あんた、紋吉にもやったんやろ?紋吉が私にもくれたけど」
「あ。あの時のキュウリ」
私は紋吉が加えて持っていたキュウリが翡翠の姐さんの為だったのかと知った。
「紋吉はさ、だいたい、強い力を持っとんよ。だけ、あんたに良き道を障害の無いように、してくれとったろ?」
心臓がどくどくと鳴って、手の震えが止まらない。でも、不思議と怖いだけじゃなかった。翡翠の姐さんの言葉がすっと心に入ってくる。
「良き道?」
「嫌な物を遠ざけ、正しい道に導いてくれる。まあ、時々はいたずらして、迷子にさせたりもあるけど、気に入った人間にはそんなことはせん。とにかく、三姫様んとこ、はよ連れてっちゃりいね」
「は、はい」
「じゃ、頭の皿が渇く前に帰る」と言って翡翠の姐さんは窓から出ていった。




