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俺の小説を食べる何かに、名前をつけた  作者: 九条 蓮夜


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第19話 仁からの手紙

 LANOSから連絡が来たのは、高田に会った三日後だった。


 担当者の声は、これまでより硬かった。


「神代さん、申し上げにくいことがあります」


「どうぞ」


「弊社の施設にて、安藤仁氏の状態が変化しました。具体的には、拮抗薬の効果が不安定になってきており、接触遮断の維持が困難になっています」


「悪化しているということですか」


「一概にそうとは言えません。ただ、以前の安定した状態とは異なっています。安藤氏は、神代さんとの面会を望んでいます。できるだけ早い時期に来ていただけますか」


 その夜、字義に話した。


「仁の状態が変わっているそうだ。会いに行く」


 字義が少し間を置いた。


 ――俺も行く。


「お前が仁の近くに行って、大丈夫か。前回、施設の近くで引力を感じていたが」


 ――大丈夫。あの施設の遮断は、俺たちを閉じ込めるためではなく、外から入れないためのものだ。俺はお前と一緒にいれば、入れる。


「どうして分かる」


 ――前回、入った。お前が仁と話している間、俺は施設の中にいた。


 俺は少し驚いた。


「言わなかったな」


 ――伝えるべきか、判断できなかった。今は、伝えた方がいいと思う。


「仁の近くに、何かいたか」


 長い沈黙があった。


 ――いた。ただ、俺の知っている個体とは違った。仁の中にいる。外にいるのではなく、内側に入っている。


 俺は黙っていた。


「拮抗薬で抑えられていたのが、不安定になってきた、ということか」


 字義が答えた。


 ――そう思う。


          ◇


 施設に着くと、担当者ではなく、別のスタッフが出迎えた。

 仁のいる部屋に通されると、前回と様子が違った。


 仁は立っていた。

 窓際に立ち、外を見ていた。振り返ると、目に焦点があった。前回より、ずっとはっきりした目だった。


「紡」


「仁」


 仁が椅子を引いて座った。俺も座った。


「ラボに行ったな」


「ああ」


「読んだか」


「全部」


 仁が頷いた。


「状態が変わったというのは、本当だ。ただ、悪化じゃない。むしろ、向こうと話せるようになってきた」


 俺は黙って聞いた。


「拮抗薬を減らした。LANOSには内緒でな。量を減らすと、向こうとの接触が戻ってくる。完全に閉じていた扉が、少し開く。開いたところから、話しかけてみた」


「名前をつけたか」


 仁が少し間を置いた。


「……つけた。向こうが、俺の中にいる限り、お前の言うことを参考にするしかない」


「何と呼んでいる」


「空白」


 俺は少し黙った。


「サークルの合言葉から来てるのか」


「そうかもしれない。向こうが言葉を覚える前から、それだけが浮かんだ。空白は文章の一部だ、ってあの馬鹿げた言葉が」


 仁が窓の外を見た。


「向こうは、俺が完全に閉じようとしたことを、怒っていなかった。ただ、寂しかった、と言った。寂しいという概念を、俺の語彙から探し出して」


「仁」


「なんだ」


「お前が俺にカプセルを渡したとき、それはお前の意志だったのか。LANOSに操作されたのか、向こうに誘導されたのか」


 仁が長い間、黙った。


「全部だと思う。三つが混ざっていた。俺の中の、お前への罪悪感。LANOSの計算。向こうの望み。どれが何割かは、今でも分からない。でも」


 仁が俺を見た。


「お前に渡したことを、後悔していない。お前は俺とは違うやり方で、向き合っている。向こうも、俺への接触とお前への接触は別物だと言っている」


 俺は頷いた。


「LANOSには気をつけろ。あいつらは、今のお前の状態を研究したくて仕方がない。お前と字義の関係性は、彼らが想定していなかったパターンだ。制御できないものを、彼らは放置しない」


「対処は?」


 仁がわずかに笑った。


「書き続けることだ。光が出ていれば、お前は消えない。あいつらが欲しいのはお前の知覚データだ。お前が公に書いた作品として光を出し続ければ、それが防壁になる。封じ込めた作家が話題になれば、LANOSも動きにくくなる」


「つまり、高田に原稿を渡せということか」


「お前の言葉で言えばそうなる」


 俺は立ち上がった。


「また来る」


「ああ。今度は、空白も一緒に話せるといい。字義と空白が、どういう関係にあるのか、俺にも分からないから」


 廊下に出ると、担当者が待っていた。

 何も言わなかった。俺も何も言わなかった。


 施設を出ると、冬の空気が体に当たった。

 字義の光が、俺の肩の近くで揺れていた。


「聞いていたか」


 ――聞いていた。


「空白のことを知っているか」


 字義が少し間を置いた。


 ――知っている。俺たちは砂の一粒だと言った。空白は、仁の中で、仁の言語を借りて育った。俺とは別だが、遠くはない。


「仲間か」


 ――仲間という言葉が正しいかは分からない。でも、同じ地層から来ている。


 俺は歩き出した。

 高田への原稿を、完成させなければならない。

 仁の言葉が、足を速くした。

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