第二章 ~ これは救済なのです ~ (7)
ふ~ん。ふ~ん。ふ~ん。
7
冷たい風が頬を撫でるなか、鼻を刺激するものがあった。
鼻を擦りながらも、「またか」とどこかで受け入れてしまっている。
ここは、ウサギの言う“領地”なんだろうと。
辺りを見渡すと、何気ない街の光景。
夜、月が見下ろすなか、普段よく通る街の一角に立っていた。
そこはいつも学校の帰りによくふらついている場所であった。
大きな車道と歩道が続いており、街路樹が仕切りとして植えられている。
少し強めの風に街路樹の葉が揺れ、葉音の響く何気ない通路だけれど、現実ではないと実感させられる。
人通りがなかったから。
普段、この通りには様々なショップが並んでいて、人通りも多く、人がすれ違うことがないのは、ほぼ皆無であった。
それなのに一人しかおらず、車も一台として通過していない閑散としていた。
左側に続くショップも明かりが消され、暗闇が伸びるなか、奥に一カ所だけ明かりが洩れている店があった。
自然と体が誘われてしまい、胸が締めつけられていく。
その店が、問題のコンビニであるために。
現状が奇妙な空間ならば、この先で起きることが予想できてしまう。
ウサギが、と。
それでも足が吸い込まれるように、店へと近づいていく。
コンビニの手前まで進み、煌々とした光が歩道に洩れるなか、入口の自動ドアが開いた。
「止めろっ、くそっ」
開くのと同時に、叫び声が木霊し、一人の人影が地面に這いつくばるように出てきた。
出てきたのは男。その姿を見て息を呑んだ。
池脇正孝である。
「止めろっ、止めてくれっ」
立ち上がろうとする池脇だけど、恐怖に襲われているのか、横顔は引きつり、腰が抜けているのか、尻餅を着いている。
そのまま後ずさりして街路樹まで下がると、行く手を塞がれ、街路樹に凭れた。
ずっと怯えた眼差しをコンビニの入口に向けて。
視線をコンビニに向けると、照明は灯されているけれど、店内に人影はなかった。いつもクレームの対応に追われている店員の姿も。
首を傾げて視線を戻そうとしたときである。自動ドアが開いた。
「ふ~ん。ふ~ん」
開くのと同時に、音のズレた鼻唄が聞こえる。辺りが静寂しているからこそ、より耳障りでしかない。
ウサギが姿を現した。
手には日本刀を握っており、刃先を池脇へと向けて揺らしている。
「さぁ、さぁ、早く私に切られましょうよ。その方が楽ですよ」
「ふざけるなっ。なんなんだ」
「まったく、ワガママなんだから。いいですか、この刀は誇り高き名刀。早くその錆になるのが…… っと少年」
そこでウサギの耳がアンテナみたくピンッと伸び、こちらに振り向いた。
こちらに気づくと、ウサギは「よっ」と軽く挨拶をしてきた。
「いやぁ、感謝しますぞ、少年。今回は選択が早かっただけに、仕事が順調に進みそうです。ではっ」
と、刀を両手に握り、構え直した。
刀を振り上げると、そのまま池脇へと突進し、「やぁっ」と間抜けな声とともに振り下げた。
刀は見事池脇を…… 斬りつけることはなかった。
刀が池脇に落とされる瞬間、咄嗟に横に転がることで回避したのである。
刃が斬りつけたのは、池脇が凭れていた街路樹であった。
勢いつけて飛びついたせいなのか、刀は木にめり込んでしまった。しかも、引き抜けないのか、めり込んだ刀にウサギがブラブラとぶら下がっている。
ぶら下がりながらも、懸命に刀を抜こうとする姿は、見事に無様であり、つい笑ってしまった。
ウサギの醜態に気が紛れていたけど、不意に誰かに足音を掴まれ、背筋に悪寒が走った。
「た、助けてくれ」
池脇であった。
池脇は這いつくばりながら、必死の思いで足を掴んできた。
「なぁ、助けろ、助けてくれよっ」
一気に現実に引き戻された。池脇は体を伝い、立ち上がろうとすると、ずっと目を逸らそうとしない。
言葉では助けを請うているのだけど、池脇の眼差しからは、人を蔑んだ気持ちが漂っている。
「おい、聞いてんのかよ」
池脇は立ち上がると、肩を掴んで揺らした。必要以上に力がこもっていて痛い。
身勝手な言動に苛立ちながらも、ウサギを眺めた。
ウサギは刀を諦めたのか、ピョッンッと地面に飛び降りた。刀は街路樹に刺さったままで、和み惜しそうに眺めたあと、ポンッと手を叩いた。
すると、また大きな“鎌”を出現させた。
「ふむ。やはり私はこれが馴染んできたみたいですな。刀は諦めましょう」
と、高々と言い、一度一回転、鎌を振り回した。
刃が胡を描くのと同時に、ズンッと鈍い音がし、続けて軽い地鳴りが足元を響かせた。
瞬きをした瞬間、ウサギのそばの街路樹が車道に向けて倒れたのである。
ウサギの一撃によって。
池脇が短い悲鳴を堪えているけれど、まったく恐怖を感じない。
「う~ん。やっぱり、しっくりきますね」
ウサギは嬉しそうに腰を振っていた。
ウサギはそこで標的である池脇に、手招きをする。すると、池脇は僕の後ろに回り込み、背中を押す。体を盾にしようとして。
軽い既視感に襲われた。
あれはいつだったか、前にもウサギに襲われる人物が僕を犠牲にして己を守ろうと、身代わりに差し出されたことを。
「あ、あれは三上だったっけ」
溜め息交じりに吐き出した。湧き上がる嫌悪感とともに。
「おい、バカウサギ。一つ頼みがある」
「ーーはいっ?」
「こいつを殺すのは、僕が背中を向けてからにしてくれ。こんなクズの死ぬところなんて見たくないから」
「それはたやすいことですよ、少年」
と、敬礼するウサギ。そこで戸惑う池脇の腕を振り払い、後ろに回り込んだ。
そして、池脇の背中をドンッと押した。
「なっ、お前っ」
血走った池脇の眼差しがずっと睨んでくるなか、ウサギの前に倒れ込む。
「ーー知るか」
池脇に背中を向けた。
ぬぉっ、失礼。
ちょっと力が入ってしまいました。




