七話「悪役令嬢の親友ですが、現実は変えられないようです」
備蓄庫の底が見えるのに、時間はかからなかった。
神の加護で小麦が増えることは、なく。
祈りで腹が膨れることもなかった。
その空っぽの理想論の末路は、罵詈雑言であった。
「ふざけるなぁ!!!!」
「また同じように隠し持っているんだろう!!!!」
「隅々までさがせぇ!!!!」
数週間後、王都を包んでいたのは歓喜ではない。
それは、血の匂いと飢えの悲鳴だった。
配給が止まってから、一週間。
聖女を称えていた手は石を投げて。
祈りを捧げていた口は呪詛を吐き散らす暴徒へと変化した。
「愚かね……」
ローズは相変わらずその様子を、忌々しそうにみつめていた。
彼女にしては、珍しく歯ぎしりまで。
「エミリー。貴方は大丈夫よ。私が最後まで守るから」
ローズはいつものように、私に優しい声を与えてくれた。
愛しく愛でるように、ローズはエミリーの頭を撫でた。
「いいの……?」
「うん、だって私のかわいいエミリーだから」
照れ臭いし、特別扱いされるのは気が引けたが素直にそれを受け入れた。
私一人の余裕が、家族に生まれるならそれはそれで満足だ。
なによりローズから特別扱いを受けることは悪い気がしなかった。
そんな混乱の最中、私は薄暗い王城の一室に呼び出されていた。
そこにいたのは、かつてローズを不敬だと罵った重鎮たち。
そして、美しい顔を苦悩に歪ませたエドワード王子だった。
彼の顔は激しくやつれていた。
近くに【聖女】の姿がみえない。
噂では、日々続く暴動に耐えることができず引きこもっていると聞いた。
いまも、どこかの部屋で神に祈りをささげているのだろうか。
「どのようなご用件でしょうか」
「エミリー・ハワード。君の家族のことは、実に不運だったな」
王子の言葉に、私の心臓が跳ねた。
差し出されたのは、見覚えのある林檎の紋章が入った封筒。
けれどそれは、母がくれた温かな手紙ではない。
無機質な事務官が記した、家族の『拘束記録』だった。
「……は?」
なんで、私の家族が?
震えた手で、その書類を受け取った。
嘘だ。
間違いに決まっている。
眼を激しく動かして、書類の隅から隅まで目を通した。
「……嘘だ……」
確かに私の家族だ。
父や母の名前。
兄から妹。
叔父や姪っ子までの名前まである。
ただの名簿ではない。
国家反逆罪。
その罪を犯したものの名簿だ。
「どういう……ことですか?」
「それが事実だ。どうやら君は知らなかったようだが」
脳裏に、数週間前に届いた手紙の内容が蘇る。
『貴方が次に帰ってくる時には、貴方の好きな林檎のパイを焼きましょう』
『どんな時でも、私たちは貴方の味方です』
その温かな声が同時に想起された。
その優しい言葉が、今は刃となって私の胸を切り刻む。
「あ、ありえない……あの優しい母と父が……そんなことをするなんてっ!」
父も母も、領地で静かに暮らしていたはずだ。
ただ私を愛し、私の無事を祈っていただけの。
この国で最も善良な人々。
私の愛する人々。
そんな私の家族が、なんでそんな目にあうのだろうか。
「……な、ぜ……。彼らは、何もしていません!それに相当するだけの罪を犯したというのですか!!!?教えてください!」
「無礼な!!!」
国の重鎮が怒りをみせる。
だが、私にはそんなことはどうでもいい。
今何よりも大事なのは、家族の安寧だ。
エドワードが、手を挙げ重鎮を抑える。
「彼らは、国家転覆を企てる【魔女】……ローズ・クローネンベルグの協力者である疑いがある。今のこの混乱は……ローズが何らかの術を用いて食料を腐らせ、民を惑わせているせいだ。という報告が上がっていてね」
あまりの理不尽さに、視界が真っ赤に染まる。
この国を壊したのは、ローズの呪いではない。
王子たちの無策と、聖女の無知だ。
愚かなお前たちのせいではないか。
なんで、それがローズのせいになるのだ。
あの美しくて理知的な理想の人に、なぜそんなことがいえるのだ。
思考の中に、漆黒の感情が芽生える。
けれど彼らは、自分たちの失敗を認めなかった。
その代わりに、この世に「絶対的な悪役」を必要としたのだ。
民衆の飢えと怒りを逸らすための、生贄となる犠牲を。
「ローズ嬢を……あの冷徹な知性を呼び戻さねば、この国は本当に終わる」
「わかっているじゃないですか!!!」
今更、遅い。
こいつらは、本当に何を言っているのだろう。
彼らの叫びや絶叫が、人の介する言語とは到底思えない。
オマエラの口や、言葉であの人を語るな。
そんな鬱屈とした感情が、腹の底で煮えたぎった。
「だが、彼女はもはや我々の言葉など聞かないだろう。……そこで、唯一の親友である君の出番だ」
一人の高官が、机の上に一振りのナイフを置いた。
装飾もない、実用性だけを追求した鋭利な刃。
窓から差し込む陽光を反射して、それは不気味に白く光っていた。
それは、怒りに強く差し込んだ。
カツン、と机に置かれたその音は、私の幸せな記憶を断ち切る音に聞こえた。
「……え?」
なんでいま、こんなものをみせるの。
林檎を切るための幸せのナイフが、愛する人を刺すものへと変わる。
「彼女を殺せ、とは言わん」
「は……え?なにを……っ」
言っているのですか。
頭の中がくるくると回る。
視界が、ボヤついた。
脚が、しっかりと立てない。
呼吸や動悸は確かに荒くなっていた。
「だが、彼女が隠し持っているはずの『解決策』を吐かせろ。あるいは……彼女の命と引き換えに、神が怒りを鎮めるという儀式が必要になるかもしれん」
なにそれ。
くだらない。
ここに来てまで、儀式?
「例えば『信頼していた親友の手で無残にも』……という物語はどうだ?」
「そんな……! 私は……っ」
できるわけがない。
あの人を殺せと。
私になんでそんなことをいうのだろうか。
あの人を殺せば、私の頭はおかしくなってしまう。
「猶予はもちろんある。だが拒むなら、君の家族は一週間後、公開処刑の場に立つことになる。ローズが殺した民たちの、身代わりとしてな……数は足りないだろうが、鬱憤は少しでも晴れるだろう」
頭の奥が真っ白になった。
胸元にある、あの手紙の感触が蘇る。
林檎のパイの匂いが、今にも消えてしまいそうな幻影となって鼻をくすぐる。
私は震える手で、その冷たいナイフを握りしめた。
鉄の感触が、手のひらの熱を容赦なく奪っていく。
「……」
そのあとの会話はよく覚えていない。
部屋を出た私の足取りは、泥の中に沈むように重かった。
廊下ですれ違う騎士たちの視線が、まるで罪人を見るかのように冷たい。
彼らは何も知らない。
ただ、上に命じられるままに、善良な家族を捕らえて。
無実の少女に人殺しを強要しているだけだ。
その「無垢な残酷さ」こそが、今のこの国を形作っている。
あてもなく歩き、ようやく辿り着いたのは、今は静まり返った学園の部屋だった。
ローズは、一つの大きな部屋を学園から与えられていた。
この現実が起きるよりずっと前は、私たちはいつもそこで幸せな会話をしていた。
「ローズ」
そこには、月明かりを浴びて、毒々しいほどに美しく咲く花々に囲まれたローズがいた。
彼女は、王城の喧騒などどこ吹く風で一輪の青い花に指を添えている。
「エミリー?来ていたのね?」
私は、背後に隠したナイフを握り直した。
彼女は振り返らない。
けれど、私がそこにいることを彼女は理解していた。
私が何を携えてきたのかも、すべて理解しているかもしれない。
彼女の知性は、この程度の三流の脚本なんて幕が上がる前に読み切っているだろう。
「うん、貴方に会いたくて」
「本当?それは……嬉しいわ」
ローズの背中は、驚くほどに孤独で、そして神々しかった。
彼女を刺せば、家族は助かる。
この国の人々は、魔女が死んだことを認識するだろう。
そして一時的なカタルシスを得て、また数日だけ『希望』という名の錯覚に浸れる。
私の命より重い家族の命。
それを天秤にかけることさえ、本当は許されない。
「エミリー?」
けれど、ナイフを握る手に力がこもるたび、私の中の「何か」が壊れていく。
林檎のパイを焼いて待っていると言ってくれた両親は。
私が最愛の友を殺して手に入れた命を、喜んで受け取るだろうか。
その命で食べるパンを、美味しいと感じるだろうか。
吐きそうになる。
「どうしたの?私の愛しいエミリー?」
……違う。
間違っているのは、ローズじゃない。
この閉ざされた部屋の外で、自分たちの地位を守るために子供のような言い訳を並べているあいつら。
罪をなすりつけ合っているあいつらだ。
愛や祈りを免罪符にして、現実から目を背けていて。
最後に誰かの血で帳尻を合わせようとする。
そんな醜悪なシステムそのものだ。
私は、ゆっくりとナイフを自分の前に掲げた。
月光に透ける刃の先に、ローズの影が重なる。
でもどうすれば家族を助けられるの。
「私どうすればいい?」
ローズが、ようやくこちらを振り向いた。
ただ私の瞳をみたとき、茫然と立ち竦む。
彼女は私の瞳の中に、絶望のような決意を見たのだろう。
そして彼女は理解した。
愛する人が、その脚本に既に呑み込まれていることに。
だが、ローズは抗わなかった。
この運命を素直に受け入れた。
あれほど嫌っていた『演出』に。
その三流の脚本に、安堵したのだ。
「……エミリー。それであなたが救われるなら、私は幸福よ。私の心臓の場所を教えてあげましょうか?」
彼女はそういって、指先で自身の胸をさらけ出した。
優しい笑みで、私を包んで。




