十話「悪役令嬢の親友ですが、愛する人は傍にいて」
空は、どす黒い赤に染まっていた。
夕焼けではない。
この国が数百年かけて積み上げてきたもの。
歴史と、傲慢と、腐敗が。
一気に酸化して放つ断末魔の輝きだ。
窓のひとつひとつから溢れ出す火炎。
それは、まるで城が内側から黄金の血を流しているかのようで。
その滅びの光景は呪わしいほどに美しかった。
「見て、エミリー!あんなに……綺麗に燃えているわ!」
王城を見下ろす北の丘。
ローズの声は、かつてないほどに澄んでいた。
『綺麗ねぇ』といって、ローズはその光景を幸せそうに眺めていた。
彼女の細い指先が示す先。
王都の象徴である白亜の城は、いまや巨大な松明と化していた。
何よりも輝いて燃えて。
巨大な篝火のように、天を衝く光柱。
それは、琥珀や紅玉を天空にぶちまけたように輝いていた。
「エミリー、どうしたの?」
始まりは、あまりに呆気なかった。
ローズが数枚の「紙」をばら撒き、いくつかの「資金」を動かした。
ローズに従う数多くの信奉者と。
聖女といまの皇太子に不信感を抱く存在。
それらは私以外にも何十人、何百人といて。
容易に充分な働きを残した。
「ううん、なんだか……どうでもいいかなって」
「ふーん??」
「ローズと一緒だからそうなっちゃったのかな。ローズといられるのが今は幸せ」
正直、あの国はもうどうでもいい。
ローズの働きによって、家族の保護もできた。
会えないことは悲しいが、いまはローズを一緒に時を過ごせればそれでいい。
その愛の告白に近い言葉で、一点の曇りもない好意を瞳に湛えた。
「ふふっ!!!エミリー愛してる!!!!」
「うん、ローズ。私もよ」
熱い接吻を交わした。
彼女は、うっとりと酔いしれたような眼差しを向ける。
聖女リリアの「無垢な失言」を少しだけ増幅させただけ。
王子の無策さ、聖女の無謀さ。
たったそれだけで、民衆の不満は爆発した。
軍は統制を失い、隣国は「平和的な介入」という名の略奪を開始した。
それからは、あっという間だ。
あれほど減らすのに苦労していた国民は、半分以下に。
食料も、人民も、ありとあらゆる全てがあの国から消え去った。
ローズ・クローネンベルグの知性は誰かを守るための盾だった。
だが、もはやそれは過去だ。
きっと本来であれば、国を立て直した女傑。
知性を持ったカリスマとして、国……いや世界の歴史に名を残した傑物なのだろう。
だが私が壊した。
私が彼女の未来を塗りつぶした。
すべてを焼き尽くすための火種となった結果が、眼下の地獄だった。
彼女の知性さえあれば、長期的な準備など不要だったのだ。
既に火種は沢山あった。
業火を生み出すための、小さな小さな火種。
私たちは、それを大きくしただけ。
だから、何も悪くない。
元々あっただけだから。
パチパチと、遠くで何かが弾ける音がする。
それはかつてエミリーが聞いたもの。
ローズの首を絞めた時の「命の音」に似ていた。
ああ、あの場所で沢山の命が消えているのだろうか。
でも今は、どうでもいいのだ。
もう私には関係のないこと。
王城の尖塔が、ゆっくりと、しかし確実に崩れ落ちる。
あの下には、今ごろ「空箱の王子」がいるはずだ。
自分の脚本通りに動かない現実に、鼻を垂らして泣き叫んでいるのだろうか。
熱風に巻かれて身を焦がしているのだろうか。
あるいは……自称・聖女様がその無能な祈りで、迫りくる火を止めようと無駄な足掻きをしているのだろうか。
「……ねぇ、ローズ。あれが、私たちがしたことなのね」
私の声は震えていた。
恐怖ではない。
取り返しのつかない大罪への、恍惚とした痺れだ。
ローズが私にくれたもの。
林檎のように真っ赤な贈り物。
私の為に、つくってくれた光景。
それだけで、胸の奥が激しく震えた。
城が燃えるたびに、悲鳴が風に乗って届く。
それを聞いていると、自分の魂が真っ黒に塗りつぶされていくのがわかる。
でも、この魂の穢れが何よりも美しい。
ローズとのお揃い。
私は、この罪をローズを一緒に所持することができた。
最高の共犯者なのだ。
エミリーの手は、ローズの腰を強く抱きしめていた。
彼女を離せば、自分はそのまま奈落へ落ちていくだろう。
だが、こうして密着していればいい。
落ちる先もまたローズと一緒だ。
どこまでも一緒に、堕ちていきたい。
きっとその先が地獄であっても。
ローズと一緒なら楽園だから。
「そうよ、エミリー。私たちの傑作よ。最高傑作」
ローズが振り向く。
その瞳には、燃え盛る城の紅蓮が映り込む。
私は、ローズの頬を優しく撫でる。
その指先には、今もまだ首を強く愛した感覚がのこっていた。
あの夜に私がローズにつけた「鎖」が残っているように。
形は違っても、愛おしげな熱が両者に宿っていた。
「貴方が私を壊してくれたから、私は世界を壊せた」
扇情的な目で、ローズはエミリーを見つめる。
「貴方の涙の数だけ、私はこの国に火を放った」
くるくると二人は回る。
まるで舞台を踊る恋人のように。
二人は愛し合っていた。
国を滅ぼすという最高の脚本に歓喜していた。
「……嬉しい? エミリー。貴方を追い詰めたすべてが、あの中で灰になっているわ」
狂っている。
でもその狂いを幸福だと思えた。
他人の不幸?
知ったことか。
私は、目の前のこの人が幸せであればそれでいい。
眼下では、数万の民が逃げ惑う。
略奪が横行した。
暴力が、殺害が、凌辱が、まかり通っている。
「あはははははっ」
秩序という名の概念が煙となって消えた。
国が、正しさが、正義が、道徳が、定義が、滑稽が。
全て消えていく。
私の一人の幸せのために。
全ての人の幸福が消えていく。
ローズは、私ひとりのために。
自らの魂の肯定の為に、国という生贄を捧げたのだ。
その事実が、何よりも幸せだった。
「……ええ、嬉しいわ。ローズ。最高の気分。私今なら死んでもいいわ」
「あはっ」
エミリーは、ローズの肩に頭を預け、目を細めた。
熱風が二人の髪を乱し、火の粉が雪のように舞い落ちる。
かつてローズを「理知的な薔薇」だと称賛した人々は死んだ。
エミリーを「ただの付き添い」だと侮蔑した人々も死んだ。
残ったのは、燃える城を背景にして。
互いの体温だけを真実とする二人の怪物だけだ。
「エドワード様は……あの王子様は、最後になんて言ったのかしら」
「さぁ……?きっと、脚本にはない結末だと喚いていたでしょうね」
興味なさげに、彼女はつぶやく。
「あんな空っぽな器には、火がよく通るはずだわ」
「理想まみれの聖女様も、よく燃える?」
「きっとそうねっ、火を通してもその贅肉は落ちないでしょうけど」
ローズは愉快そうに笑った。
その笑い声は、崩落する城の轟音にかき消されていく。
やがて、王城のすべてが崩れ、火柱が夜空を焦がした。
この国はもう終わる。
明日には別の旗が掲げられることだろう。
そして歴史からクローネンベルグの名も、エミリーの名も消されるだろう。
だが、それでいい。
私たちの物語はこれでいい。
「私をみて」
私はローズの手を取った。
その手の甲に深く誓いの接吻を落とした。
ローズの喉元には、まだ「愛の痕」が残っている。
それは炎に照らされて、今も生々しく浮かびあがる。
「あっっ……」
私はそこにかじりついた。
愛が消えないように。
強く強く捕食した。
「地獄の果てまで、連れていって。私のローズ」
神からの言葉に、ローズは恍惚とした表情を浮かべた。
「ええ、喜んで。私のエミリー。私、貴方のことをずっと離さないから」
どこまでも一緒。
私たちの魂は、深く渦巻くように混ざり合っていた。
たとえそれが、犠牲という血塗られた色だとしても。
「それじゃぁ……手を繋ごう」
「……うんっ」
二人は、燃え落ちる王国を背に、ゆっくりと歩き出した。
向かう先は、夜よりも暗かった。
けれども炎よりも熱い。
それは、二人だけの永遠。
地獄の底まで、わたしたちは歩いていく。
背後で、城が最後の一際大きな音を立てて崩落した。
その光景は、二人にとって。
どんな宝石よりも、どんな祝福の言葉よりも。
酷く残酷で、美しかった。
そして二人を賞賛する喝采の拍手でもあった。
二人の消息を知るものは、誰もいない。
ご愛読ありがとうございました。
これで、ローズとエミリーの物語は終着です。
彼女たちの幸福を願ってください。




