第202話 ありきたりな悲劇と世界の終わり
銀の悪竜は、完全にメアリーの精神を支配できているわけでは無い。
通常の端末ならば、容易く我が物として扱えるのだが、今回の場合は事情が異なる。
何せ、トーマの影響を強く受けて育った個体なのだ。
本来は超越者にまで到達しない程度の性能だったというのに、銀の悪竜が憑依していたとはいえ、その段階まで辿り着いた個体なのだ。
いかに創造主である銀の悪竜といえども、容易く支配は出来ない。
むしろ、逆に銀の悪竜の精神を蝕んで来ることすらあった。
「あはははははっ! この激情! この苦痛! ああ、やはり私たちはトーマ・アオギリを愛してしまっていた! この私が! 銀の悪竜が! ただの人を愛してしまった! もはや、この感情がメアリーのものなのか、自分自身のものなのかすらわからない!」
故に、トーマを完全の消滅させた後、銀の悪竜は己の感情に焼き尽くされそうになっていた。
それもそのはず。
愛した人間を殺してしまったのだ。
いっそのこと、憑依していることを隠して、ずっと何事も無く平穏に暮らす未来を夢見てしまうほどには情がある相手を殺したのだ。
メアリーと同化してしまっている今の銀の悪竜にとって、それは精神的な致命傷に近い。
「なるほど、理解したわ! 私は私自身の存在に耐えられない! だからこそ! 最後の最後、この絶望のままに、私が壊れるまで暴れ尽くすのも一興でしょう!」
銀の悪竜は赤黒い涙を流しながら、銀の光を周囲に放つ。
銀の光が当たった場所は、それだけで銀色の結晶へと変化し、世界そのものが銀の悪竜が扱うリソースとして変換され始めている。
「あはははっ! あはははははははっ!」
狂ったように哄笑を響かせる銀の悪竜。
その邪悪を止める者は居ない。
『『…………』』
『…………ぬ、う』
メアリーの仲間であるマレとデンスケは、パスによる支配を受けて沈黙。
イグニスは辛うじて意識を保っているものの、その体の大半に銀の結晶がこびりつき、身動きが取れない状態だ。
従って、この場に、メアリーの心身と同化した銀の悪竜を止める術は無い。
世界の命運を賭けて戦った戦場跡は、瞬く間に銀の結晶で埋め尽くされた。
世界が滅ぶ現象の始まりとなったのだ。
『………………』
星の中核に座する竜王は、完全に沈黙していた。
全身を竜銀に浸食され、思考をすることすら敵わない。
それもそのはず、この竜王はずっと前から敗北していたのだから。
銀の悪竜という侵略者に敗北し、敗北した記憶すら奪われ、今まで何も知らないままに生かされてきたのだ。
銀の悪竜がその気になれば、浸食することなど容易である。
そして、魔物の頂点である竜王が浸食されたということは即ち、この星に住まう魔物たちのほとんどが、銀の悪竜からの浸食に耐えきれないということだ。
空を駆る飛竜は落ちて。
草木に潜む妖精は止まって。
海に住む人魚は沈んだ。
テイマーと契約していない魔物たちは、下級から最上位の区別なく、全て竜銀によって浸食されてしまったのである。
「結界の維持を最優先にしろ! 強制転移の発動まで持たせればいい!」
王都の玉座に座らぬ王、アルスは声を張り上げながら家臣たちに指示していた。
「予想の中でも最悪のパターンだ! 『例のアレ』が始まるまで、可能な限りの住民を異世界へと避難させろ!」
指示の内容は二つ。
竜銀の浸食から、王国の居住区を守るための結界の維持。
王国の住民たちを、避難所としている異世界へと強制転移させるための準備。
既に竜銀に浸食された野生の魔物たちとは異なり、王国の住民たちはまだ、竜銀の浸食を受けずに済んでいた。
それは偏に、アルスが予めこのような状況を想定していたおかげであるが、それでもなお、対応は完璧ではない。
「ちぃっ! 結界の基軸となる地面から浸食を始めたか!」
星の管理者たる竜王が支配下に落ちているのだ。
当然、星の環境を操作することなど、今の銀の悪竜にとっては造作もないこと。
従って、地面の下から、竜銀を這わせて結界を浸食することなど、さほど難しいことでもないのだ。
「くそっ、まだか!? まだなのか!? トーマ!!」
アルスは首筋に汗を滲ませながらも、必死に友の名前を呼ぶ。
トーマ・アオギリが完全消滅していることなども知らずに。
ありもしない希望に呼びかけるかのように、叫んでいた。
「あははっ、全部、全部壊して……私は何を……死にたい、死にたい……ごめんなさい、ああ、そうだ、私は――――く、は、は! 随分と壊れて来たわね、私も」
惑星を覆う浸食の中心で、銀の悪竜は情緒不安定のままに喚いていた。
トーマを殺した達成感。
トーマを殺した罪悪感。
愛。
憎悪。
その他、銀の悪竜とメアリーの感情が混ざり合って、精神が崩壊を始めているのだ。
メアリーと同化してしまったが故に、並外れた悪意の持ち主であるはずの銀の悪竜は今、一人の少年の死を受け止めきれていないのだ。
「でも、いいわ。これで終わりでも。終わるに値する宿敵を倒せたのだから」
トーマの死を受け入れずとも、銀の悪竜は己の終わりを受け入れていた。
元々、銀の悪竜は『生きたがり』ではない。
生存を目的として存在しているわけではない。
原初の逆襲体験。
神殺しの快感を忘れられず、数多の世界を蹂躙しているだけの刹那主義者である。
己の欲望のためならば、蓄えた力を手放すことも躊躇わない。
トーマの目を晦ませるためだけに、自分を構成する力の大半を放棄するという暴挙も行える。
だからこそ、銀の悪竜はトーマの目を掻い潜り、メアリーと同化できたのだ。
そして今、トーマに勝利するという目的を果たした以上、銀の悪竜は生存に執着しない。
壊れていく精神を止めようとはせず、銀化していく世界の中で朽ち果てようとしている。
このまま何も起こらなければ、数多の世界を滅ぼした邪悪は一つの世界の犠牲によって終焉を迎えることだろう。
「やぁ、死にかけているね、銀の悪竜」
鈍色の髪を靡かせる、丸眼鏡のサングラスをかけた小柄な少女――アルが、眼前に現れなければ。
「…………あら?」
眼前に現れたアルに対して、銀の悪竜は精神の痛みを忘れるほど、素朴な疑問を浮べた。
「貴方は何故、何事も無くこの場に立っていられるの?」
この場は、世界を蝕む銀化の中心。
たとえ、S級最上位の魔物であったとしても、一瞬の内に竜銀に浸食されてしまうだろう。
ましてや、アルという少女からは何の力も感じられない。
銀化の浸食に抗える理由は皆無。
だというのに、平然とあるはこの場に立っているのだ。
指先一つも銀化せずに。
「やれやれ、そんなことも忘れたの? 君自身の話なのに」
困惑する銀の悪竜に、アルは肩を竦めてため息を吐いた。
まるで、旧知の知り合いの間抜けさに呆れるかのように。
「私が銀化するはずないじゃん――――だって、私は君なんだから」
「…………? なに、を?」
「トーマの目を誤魔化すために、君を構成する要素をばら撒いた件、あれは妙手だったけれども、一つ致命的なことがあったね。まさか、君の根幹たる私も手放しちゃうとは」
アルの口調は責めるものではない。
むしろ、友好的だ。
ボードゲームに敗北した原因を友達に教えるかのように、アルは銀の悪竜に語っている。
「そんなことしたらさ、当然私は、自分の汚点をどうにかするために色々手を尽くすに決まっているよね。まぁ、出がらしの私に出来ることと言えば、少しばかりのアドバイス程度なんだけど」
――――銀の悪竜の『敗因』を。
「…………まさか」
ここに至って、銀の悪竜は眼前の少女の正体に気が付いた。
というよりも、その存在が今まで形を保っていたことに驚愕した。
何故ならば、とっくの昔に――それこそ、最初の神殺しのために、数多の人格と融合した際に、とっくに溶けて消え去ったと思っていたのだ。
「私の根幹! 原型となった人間――――カティ! まさか、貴方が――」
「でも、よかった。こんな私のアドバイスでも、どうやらこの状況を覆すだけのきっかけにはなったみたい」
銀の悪竜は、アルへと手を伸ばす。
だが、届かない。
銀の悪竜の手が届く前に、アルの姿はその場から掻き消えて。
「ほら、ごらん。君を滅ぼす炎だよ」
次の瞬間、曙光の如き黄金の炎が、世界中に降り注いだ。




