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烏(からす)

緑青にその巻物を手渡すと、緑青は手離しに喜んだ。何しろ、龍の宮からの推薦状なのだ。こんなものは、滅多に手に入れられるものではない。嬉々としてその巻物を手にして臣下達を呼び集め、急ぎ久島と修の宮へと打診した。

久島の宮では、臣下達が色めき立った。

「おお、これはきっと洪殿が我らを気遣って…」

そこの重臣の一人、三笠が言った。

「さもあろう。緑青様は鶴。こちらは(からす)。決して遠い縁ではありませぬし、いくら王でも、龍の宮からの推薦をもらって、すげなくお断りになれるはずはありませぬ。助かり申した。これで一人でも妃が出来たなら、お子もきっと…。」

皆は喜んだが、それを聞いた久島はぐっと眉根を寄せた。

「…妃など要らぬと申しておるに。」久島は美しい顔をしかめて言った。「女が常回りをうろうろするなど鬱陶しい限りぞ。」

三笠は言った。

「しかし王、これは龍の宮からの推薦であるのです。簡単にお断り出来るものではありませぬ。まずはお会いになって、お決め頂かなくては…。」

久島は立ち上がって、踵を返した。

「なぜに我のことに口出しされねばならぬ!」と、叫んだ。「頼光(らいこう)は居るか!」

軍神が飛んで来て、膝を付いた。

「御前に、王。」

「龍の宮へ参る。供をせよ。」

臣下達は仰天した。

「王!そのような、突然に行って、お会い出来る王ではありませぬ!」

久島は早足に歩き抜けた。

「勝手に他人の婚姻の推薦などしおって、会えぬとは言わさぬわ!」

「王!」

久島は、臣下が止めるのも聞かず、筆頭軍神の頼光ただ一人を連れて、宮を飛び立って行った。


「ふー…。」

維月は、息を付いた。

この間十六夜が来てあれこれ話してから、維心様がお傍を離してくださらない。始終べったりと傍に居て、しかもどこかしら掴まれているような状態で、維月は落ち着かなかった。十六夜は、昔々のことまで良く知ってるから…。維月は、今更ながらにまっとうに生きて来ていなかった自分に後悔した。もっと、人に優しく、恥ずかしくない生き方をしていれば良かった…。

しかし、今更に後悔しても先の無いことであった。

やっと維心が謁見に出て行って、ホッと一息ついた維月は、庭の花畑をぼーっと歩いていた。この花々は、義心達軍神が、出掛けて行った折々で見つけた野の花を、維月の為にと持ち帰ってくれたもので、気取りのない安らぐ感じの花畑は、とても好きで良く足を運んでいた。

維月はやっとホッとして、じっとそこに佇んでいた。


「烏の宮の王、久島様のお越しでございまする。」

臣下の声に、他の臣下達はざわめき立った。滅多に宮を出ない王。それは、今までの維心と同じだった。それが、先触れもなくいきなり謁見の時間に乗り込んで来た。維心は、眉を寄せた。久島…さては文句を言いにきおったの。

維心は維月が嫌がったので謁見に連れて来なかったのだが、それにホッとした。久島を見せて、維月が興味を持ったら困る。

入って来た久島は、確かに黒髪に紫の瞳の、背の高いしっかりとした体つきの王だった。会合もたまにしか来ないほどの王なのに、婚姻の事となると腹を立てたのだな。維心はあまりに自分に似ているので、苦笑した。久島は、維心を見上げた。

「久島。久しいの。」

維心が言うと、久島は軽く頭を下げた。

「維心殿。我は苦情を言いに参ったのだ。」

横で洪が目を丸くする。維心は頷いた。

「さもあろうの。主の気質は知っておる。どうあっても否か?会いもせず?」

久島は頷いた。

「主にそれを言われるとは思わなんだ。我はそういったことは、己で決める。良いと思う女が居れば、略奪してでも娶るゆえの。口出ししないでいただきたい。」

維心はしばらくじっと久島を見ていたが、フッと微かに笑って言った。

「そうか。ならば我からそのように緑青には申そうぞ。月の宮へも、主が己で断りを入れるが良い。」

久島は眉を寄せた。

「…我が?」

勝手に推薦しておいて、と言いたいのだろう。だが、維心は頷いた。

「蒼も緑青の娘を何とかしてやりたいと考えておるのだろうからの。我は求めに応じただけのこと。主が参れ。月の宮には、近々主が参ると言うておく。」

久島は黙った。こんな面倒に巻き込んで置いて、我に行けと。

すると、横から頼光が小さな声で言った。

「…王、月の宮には、月がおりまする。何でも、龍王でなければ相手にならぬほどの軍神でもあるとか。月の宮へはつてが無かったゆえ参れませんでしたが、これで参れるのでは。」

久島は、俄かに明るい気持ちになった。そうだ、月。あれと手合わせしたいと、ずっと思っておった。だが、月の宮へは滅多に入ることが出来ない。この口実があれば、入れるではないか。

「維心殿。」久島は、維心に向き直った。「では、蒼殿によろしく申して置いて欲しい。」

維心は頷いた。

「伝えて置く。」

久島はくるりと踵を返すと、そこを出て行った。維心はその背に思った。確かに軍のことしか考えておらぬな。どこかの誰かのようだとは、良く言ったもの。

維心は自嘲気味に笑うと、洪に頷き掛けた。

「では、次の者を案内せよ!」


久島は、思いも掛けず月と立ち合えるかもしれないと、嬉々として渡り廊下を歩いていた。そうとなったら、早い方がいい。いつにするか…明日でも良いの。

頼光が、そんな王の気持ちを気取って言った。

「楽しみでありまするね。龍王と渡り合う月とは。その月と渡り合うのは、龍王ともう一人の月だけだということです。」

久島は、渡り廊下の途中で立ち止まった。

「もう一人の月と?」

頼光は頷いた。

「はい。月には陰と陽がございます。陽が一般に知られておる月で、陰は女で龍王妃でありまする。」と、辺りの気を探って言った。「…多分奥宮に気配ぐらいは気取れるのでは…。」

久島は、同じように気配を探った。そして、二人共に驚いたように顔を上げた。

「…王妃と言ったのではないのか。」

頼光は頷いた。

「はい、そのはずでありまするが…違ったのでしょうか。」

久島は庭の向こうを伺った。

「だろうの。王妃があのように一人、奥宮から出て庭に居ることはないであろう。この月の気配は、あちらの方角ぞ。」

久島は足を踏み出した。頼光が慌てて言った。

「しかし王!月に何の前触れもなく会うなど…」

久島はふんと鼻を鳴らした。

「陰の月とは、同じように軍神なのであろう。だったら、構いはせぬ。」

久島はズンズン歩いて行く。頼光は仕方なく、渡り廊下から外れて庭の奥へと向かった。


一方、維月はまだぼうっとしていた。夜もゆっくり眠れないので、つい穏やかな陽気にうつらうつらしてしまう。木の影で花畑を眺めて座っていたら、涼しげな風が吹いて来て、維月の眠気を誘った。

維月は、もたれた木に言った。

「…ちょっとだけもたれさせて。日が暮れそうになったら、起こしてね…。」

木がさわさわと揺れた。わかったと言っている。維月はそのまま、その木にもたれて眠り込んでいた。

そこへ、久島がきょろきょろとそれらしき人型を探して踏み込んで来た。

見渡す限りの花畑…こんなものが、龍の宮にあったとは。

久島が怪訝に思いながら、気配を探って行くと、傍の木の影に、女が一人、すやすやと眠っていた。いくら龍王の結界の中とは言っても、こんなに無防備に眠っていて良いものなのか。

他人事であるのに、久島は焦って回りを見た。

誰も居ないのを見て、久島はその女が月なのだと知って、驚いた。もっと屈強な、軍神の人型を想像していた。なのに、この女は美しい上に、驚くほどに珍しい気を放っている。思わず傍まで寄って膝を付くと、その寝顔をじっと見つめた。全く起きる様子もなく、女はただぐっすりと眠っていた。

久島は、恐る恐るその手を取ってみた。途端に、その気が自分を包み込むように手から流れ込んで、軽く眩暈を起こした。なんと珍しい女…。

「…起きよ。」久島は、小さく呼びかけた。話してみたい。「主、月か?」

「ん…なに…?誰か来たの?」

維月は、木がやたらと騒ぐので目を開けた。

そして目の前に、驚くほど美しい顔立ちの、紫の瞳の神が居るのを見て、息を飲んだ。何て凛々しいかた…紫の瞳…この外見…まさか、久島様?!

維月は慌てて起き上がった。

「あ、あの…宮は、あちらですが…」

維月は、こんな所で醜態を晒していたのを見られて、恥ずかしくて死にそうだった。口を開けて寝てたんじゃないかしら。ここのところ、維心様がなかなか寝かせてくれないんだもの…。

久島は首を振った。

「そうではない。主は、月か?名は何と申す。」

維月はおずおずと答えた。

「はい。私は陰の月の維月と申します。」

久島はまじまじと維月を見た。

「維月…」

維月は居た堪れなかった。月がこんな所で口を開けて寝ていたなんて、呆れていらっしゃるのだろうな。よりにもよって、維心様レベルの男前に見られるなんて、私ショック…。

「あの、私…」

「面白い。」久島はそれを遮って言った。「我は烏の宮の王、久島。主、我と共に来い。」

維月は仰天した。

「ええ?!」

久島は維月をスッと抱き上げると、唇を寄せた。突然のことだったので、維月は成す術もなく茫然としている。頼光がそれを見て、同じように仰天して王を見上げた。

「王、しかしそれは月で…」

「良いではないか。気に入ったわ。」

久島がふわりと浮き上がったので、維月がハッと我に返って慌てて暴れた。

「私は龍王妃なのですわ!ここから出る訳には行かぬのです!」

それには久島も頼光も驚いた。

「なんと、やはり龍王妃であったのか。」

頼光は呆然としている。久島も言った。

「ではなぜにこのような所で寝ておった。そんな王妃は聞いたこともない。」

「そやつが聞かぬからぞ。」と、別の声が飛んだ。「我が妃に触れるな!」

維心だった。維心の気が久島をかすめ、維月がその隙にその腕を抜け出して維心の腕に飛び込んだ。維心はそれを受け止めて、しっかりと腕に抱くと、久島を睨み付けた。

「知らぬとは申せ、我が妃を抱き上げるとは何としたことぞ!まあ、これがこんな所で寝ておったのも悪いゆえ、今回は不問に付す。疾く去ぬるが良い。」

維心は呆然としている久島を背に、維月を抱いて奥へと向かった。

「…維月。わかっておるな。」

維月は小さくなって、維心の首に捕まっていた。

「はい。申し訳ございませぬ…。」

維月は、次の日の昼過ぎまで、奥の間から出してもらえなかった。

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