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緑青は、今日も帰ろうと庭を横切って歩いた。いつもの場所で、いつものようにその女は待っていてくれた。

「待たせたの。今日も、何か変わったことはなかったか?」

相手は柔らかく微笑んだ。

「本日は、お姉様と人の世の本を読んでおりました。大変におもしろいものでありましたのよ。人は、船と申すものに乗りまする。我もお姉様も、それは見たことがなく…一体どんなものかと、思いを馳せませした。」

緑青は頷いた。

「我は見たことがある。海の上を滑るように走る。我らは飛ぶゆえ関係ないが、あのようなものに揺られるのも一興かもの。主に見せてやりたいもの。」

雛は、花のように微笑んだ。

「まあ、緑青様…いつかそんなことがありましたら、よろしいこと。」

緑青は、雛の肩を抱いた。

「我の宮へ参れば、連れて行ってやれるであろうが、しかし、まだ…。」

緑青は顔を曇らせた。雛は首を振った。

「そのようにご無理はなさらないでくださいませ。霧花様の嫁ぎ先のことでお悩みであられるのでしょう。我は、急ぎませぬ。お待ち申しまするゆえ。」

緑青は、雛を見た。

「雛…。」

緑青は、雛に唇を寄せた。雛は少しためらいがちに、その唇を受けた。

緑青は、雛を見染め、こうして会って話しているうちに、その気立ての良さと素直な所に惹かれ、愛してしまっていた。だが、自分には決めていることがある…早く霧花を嫁がせ、雛を妃に迎えたい。その焦りから、毎日蒼の所へ無理を承知で来てしまうのだった。

どうしたら良い…。

緑青は、雛への愛情と、霧花を嫁がせねばという義務の間で、揺れていた。

もう、月が昇って来ていた。


「…そうか。」蒼が、十六夜に言った。「緑青が。」

十六夜は頷いた。

「だからってオレが霧花を嫁に貰うわけには行かねぇし、お前はもっと無理だからな。だれか知り合いの王は居ないのか。」

蒼がため息を付いた。

「あっちに貰ってもらったら、オレがあっちの皇女を妃にしなきゃならなくなるんだよ。だから、オレから他の王に働き掛けなんて出来ないんだ。」

十六夜は考え込んだ。

「泰は?あっちの雛を緑青がもらうんだから、泰に霧花を貰ってもらうとか。」

蒼は眉を寄せた。

「あのなあ慶殿をあんなに想ってる泰殿が、霧花をもらうはずはないだろうが。誰か居ないか?」

十六夜は、急に立ち上がった。

「ああ!」と窓に向かった。「居るじゃねぇか、独身が!隣の輝重だ!あれに貰ってもらおう!」

「ちょっと待て、十六夜!」蒼は叫んだ。「駄目だって、これだけ近くの宮なのに何もなかったってことは、そんな気がないからだろうが。オレが命じたら、十六夜が命じてもだけど、輝重は断れないんだよ。そんなのは駄目だ。」

十六夜はふて腐れて戻って来た。

「じゃあ、どうするんでぇ。このままじゃあいつらは結婚出来ねぇぞ?緑青は頑固だからな…霧花から、何か言ってもらう訳には行かないのか。」

蒼は、思い当たった。そうか、霧花が言えば…。

「…だが、どうだろうな。霧花も今は部屋に篭ってるそうだし。それにしても、緑青ももっと素直になればいいのに…。」

十六夜はお手上げだと言う風に手を上げた。

「自然に任せるか。オレもあっちこっち疲れちまった。」

蒼も同感だったが、何も出来ないのは、本当に歯痒かった。


十六夜は、とりあえずどうにもならないかと思ったが、相談するために龍の宮ほ飛んだ。

維月がいち早く感じ取って、庭へ出て見上げていた。

「十六夜!」

維月はこちらを見上げて手を振っている。十六夜は微笑んだ。

「維月!待っててくれたのか?」

降りて行くと、維月は頷いた。

「近付いて来るのが分かったから。どうしたの?急に。」

十六夜は維月を引き寄せた。

「ちょっと維心に話があってな。居るか?」

「それが…、」

「居る。」維月が答えようとすると、維心の声が聞こえた。「なんだ、急に。」

維月は驚いたように振り返った。

「まあ、今さっき会合だと出て行かれたばかりなのに。」

維心は不機嫌に答えた。

「十六夜の気がしたからの。まさか何も言わずに維月を連れて出ないかと…。」

十六夜は呆れた。

「で、会合放り出して来たのか。心配しなくても終わるまでここで維月と仲良くしてるよ。お前は仕事へ戻れ。」

維心は憮然として維月を引っ張った。

「何を申す。その様なことを許せるはずはなかろうが。話を聞く。中へ入れ。」

十六夜は肩をすくめると、居間へと足を踏み入れた。

維心は維月を抱えるようにして定位置に座り、十六夜を見た。

「で?何の用ぞ。」

十六夜はぐいと維月を引っ張った。

「あのな、オレの嫁でもあると言ってるだろうが。月へ戻しちまうぞ。」

維心は十六夜を睨んだが、渋々維月を離した。

「さっさと用件を言え。」

維心はますます機嫌が悪くなる。十六夜は維月の肩を抱くと、言った。

「緑青の事なんだが…」

十六夜は、かいつまんで自分が月から見たこと、緑青の考えを話した。維心は眉を寄せた。

「…我に娶れと?それとも将維か。」

十六夜は首を振った。

「違う。誰か心当たりないか?」

維心はため息を付いた。

「そうよの、洪辺りならよくその手の事は知っておる。誰が独身で、誰の妃が何人だとかの。緑青の姫ならどこなりあるだろうて。ここに限って言えば、我はあり得ぬ。将維他皇子達、軍神では地位から考えて義心、臣下なら…若い所なら洪の息子が二人居るがの。まだ成人しておらぬ。」

十六夜は感心した。

「なんだ、結構居るじゃねぇか。」

維心はまだ眉を寄せている。

「そう簡単に言うでない。婚姻は本人達の事であろう。我が命じたら嫌でもめとらねばならぬ。なので滅多な事では我は臣下の婚姻に口出しはせぬのだ。」

維月は十六夜を見た。

「そうよ、十六夜。私が昔猫を拾ったような感じには行かないのよ。」

十六夜は眉をひそめた。

「お前、あれは美咲に散々捨てて来いと叱られたじゃねぇか。結局家出して我を通した癖によ。」

維月は赤くなった。

「だから、猫でもそれだけ大変なんだから、結婚はもっと大変なの!」

十六夜は頷いた。

「確かにな。霧花だって、そんなに急いで嫁ぎ先を決められたら気の毒かもしれねぇ。」と、回りを見た。「だがまあ、候補ぐらいは緑青に渡してやりてぇから、洪に会いたいな。その辺に居るか?」

維心が呆れた顔をした。

「あれこそ猫ではないぞ?会合よ。ま、大したことは決めておらぬ。次の宮での催しがどうのと言っておったわ。ここへ呼ぶゆえ、しばし待て。」

維心が傍の侍女に頷き掛けると、侍女はサッと出て行った。洪を呼びに行ったのだ。十六夜は伸びをした。

「しかし神の世ってのは婚姻だとかこんなことばっかりだな。蒼に嫁が三人、通算四人になったのもびっくりだが。」

維月が頷いた。

「私、あの子がいい子だって知ってるから、王だし仕方がないかなって思うんだけど、人の世に居た時なら何考えてるのよって言ってしまっていたと思う。正直、あの中の一人にはなりたくないわ。私には、我慢出来ないから。でも、あの子達みんないい子なの。妃達が仲良く談笑しているのを見た時は、感心したわ…意識の違いでああなるものなのね。表面上だけかと思ったんだけど、涼にコソっと聞いたらそうじゃないみたいで、華鈴なんて一番最初に入ったからと、他の二人の世話までするのよ?驚きでしょう。」

十六夜は苦笑した。

「蒼のお手並みってのもあるぞ?オレは傍で見てるから知ってるが、あいつはきっちり分け隔てなく接するからな。通うのも一日ずつ日を決めてるし。並べるのは縦一列じゃなく横一列だし。場所はランダムだし。序列は付けねぇんだ。」と維心を見た。「誰かさんなら絶対に無理なことだろう。維月ばっかで他はほったらかしになるだろうからな。」

維心はフンと横を向いた。

「ゆえに我は維月のみなのだ。何と言われてもこれは譲らぬ。他に妃など、我らの間に水を差すだけではないか。我はこれで幸せであるのに、壊されたくはないわ。」と、維月に手を差し出した。「もう良いか?こちらへ渡せ。」

十六夜はため息を付いて維月を離した。

「仕方がねぇな。ものの数分も我慢出来ねぇのか。」

維月は立ち上がって、維心の横へ座った。維心は維月を抱え込むように腕に抱いた。

「ほんにもう…十六夜が来たら、我は落ち着かぬわ。」

そこへ、洪が入って来て膝を付いた。

「王。お呼びでしょうか。」

維心は頷いた。

「十六夜が、緑青の所の姫のことで相談に参っておる。主、知っておることを教えよ。」

洪は不思議そうな顔をして十六夜を見た。

「はて十六夜様?なんでございましょうか。」

「霧花の嫁ぎ先の候補を知りたいんだ。」十六夜は手を翳して巻紙を出した。「これに記して行ってもらえないか。蒼から緑青に渡すから。」

洪はその巻紙を手に取って開くと、手を翳した。

「さようでございますね、鶴の宮なら格は上から三つ目。こちらの妃でもまだ良いかという格であるので、いくらでもございましょう。」

十六夜は眉を寄せて考えるような顔をした。

「あー確か、霧花は明人みたいなのが好みだ。あいつは強いが人の世で育ったから女にも無意識に優しいんだよ。」

洪は途端にはたと手を止めた。

「…難しゅうございまするな。神は皆神の世で育っておるゆえ、そんな神を探しておるなら月の宮ぐらいしかおりませぬ。」

十六夜は顔をしかめた。

「神は優しくないヤツばっかだっていうのか?」

維月が袖で口を押えた。それを見た維心が、横から言った。

「そんなことはないぞ。きちんと妻や妃のことを考える神もおるわ。」

十六夜はちらと維心を見た。

「お前が言うな。お前が優しいのは維月にだけじゃねぇか。後は斬り殺しても平気な癖に。」

維心は唸った。

「それの何が悪い。変に誤解もなく良いであろうが。」

洪は慌てて割って入った。

「ああ、気立てのよい穏やかな神と申すなら、輝重様などはそうでありまする。植物を司っておられる。あの宮は嗣重様の代でも穏やかでお優しい神であられました。」

十六夜は頷いた。

「他には?」

洪は眉根を寄せた。

「えー、東の(しゅう)様は、優しい気質でいらして、妃は未だ一人も。」

十六夜は、お、と言う顔をした。

「いいんじゃねぇか?」

洪は首を傾げて、困ったように言った。

「はい。その気質であられるので、臣下が女を連れて参ってもなかなかに表に出て来てお話なさる勇気がおありにならず、それゆえ婚姻が成立しないのだとお聞きしております。」

十六夜は落胆した顔をした。

「なんだ、優しいんじゃなくて、気が弱いのかよ。それじゃダメじゃねぇか。」

維月が口をはさんだ。

「別に優しいっていうのは後付でもいいんじゃない?軍神が好きなら、強いかたがいいんでしょう。思うけど、きっと好きになったらどんなに冷たそうな気質のかたでも、その相手には優しくなると思うわよ?好きでないなら冷たいかもだけど。」

十六夜は維月を見た。

「ああ、お前だってそうだったもんな。相手が惚れてるのをいいことに、興味もない男は皆利用するだけ利用して使い捨てだったも…うぐ。」

維月は十六夜の口を塞いだ。

「もう、私のことはいいの!昔のことよ、昔!」

維心がじっと維月を見た。

「…維月、」

維月は首を振った。

「維心様は違いますわ!絶対にそんなことありませんわ!お子をあんなに生みましたし!」

洪が慌てて言った。

「はい、王妃様はほんに良くお勤めくださっておりまして!」と話題を変えようと次の神の名前を出した。「久島(くしま)様は、王でありながら、類稀な軍神であられまするな。」

十六夜は維月の手を避けた。

「久島?初めて聞くな。」

洪は頷いた。

「あまり表には出て来られませぬ。宮の格はしかし、上から二つ目、かなり高いのでありまする。あの宮は大変に軍が強く、少数ながら統率されており、ここにも立ち合いに来ることがありましたが洗練された動きで、皆勉強になると言っておりました。それも全て、久島様の指導で成っておること。妃はまだお一人も居られませぬ。未だ老いは来られておりませぬが、もう700歳にはなろうかと。」

十六夜は考え込んだ。

「…で、姿は?女ってのは、姿形にもこだわるんだろう。」

洪は頷いた。

「それが黒髪に、珍しい紫の瞳で、大変にお美しいお顔立ちでありまして。我が王と並ぶのではないかというほど、凛々しいお姿でありまする。ですが、本当に滅多に出て来られぬので、お出ましの時は女達が大変なのだと聞き及んでおりまする。」

「まあ…。」

維月が口元を押さえた。維心とタメを張るほど美しいなんて。でも、維心様以上なんて有りえないし。

維月はそう思っていたのだが、そんなことは知らない維心は落ち着かなかった。維月が人の世で言う面食いとかいうもので、見た目が美しい男を好むのを知っていたからだ。興味を持ったのかと思って、維心は維月をグッと引き寄せた。

「久島に打診してはどうか?」

十六夜は頷いた。

「オレもそう思ってたところだ。だけどな、その外見で女にもてるのに、700歳で軍一筋で宮から出て来ないってのが気になるんだよな…しかも独身だろ?誰かにそっくりじゃねぇか。」

洪は頷きながら、ちらりと維心を見た。

「はい…お察しの通り、浮いた噂の一つも聞きませぬ。あちらの臣下とは臣下の連合会議で会うのですが、王が全く妃を娶ってくださらぬと嘆いており申した。なので、我からあちらに霧花様のことを打診することは可能ではありまするが、肝心の王が見向きもされぬ可能性のほうが高いかと…。」

維心が横を向いた。おそらく、維心が前までこんな感じだったのだ。洪はその臣下と共にぼやいていたのだろう。

「とにかく、一度久島に言ってみよ。」維心は言った。「否でも良い。それから修もの。おとなしい男がいいという女も居るであろうて。」

洪は頭を下げた。

「は…。」

そして、十六夜を見る。十六夜は頷いた。

洪は、巻紙に推薦状を書いて、十六夜に渡した。十六夜はそれを持って、月の宮へと戻って行った。

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