穏やかな日常
紗に明人の第一子が出来たのは、悠に蒼の子が出来たのと同じ頃のことだった。
知った時には紗のほうはもう4か月、蒼のほうは出来たばかりといったところだった。知らせは槇の宮へも飛び、槇からも祝辞が届いた。しかし、槇のほうでも藍に子が宿ったとの知らせで、蒼はこちらからも祝辞を述べることになった。あちらもこちらもおめでた続きだった。
慎吾が大笑いした。
「見よ、簡単に子をなしおってからに。結朋に子が出来た時には、早いと散々からかいよったであろう。主のほうが早いわ。もう四か月であろうが。」
明人は少し赤くなって横を向いた。
「いいじゃねぇか、悪いことじゃねぇしよ。」
嘉韻は居心地悪げに座りなおした。慎吾が嘉韻を見た。
「あとは主だけよ、嘉韻。だが、主に婚姻を勧めると拗ねるゆえ、もう何も言わぬが。」
嘉韻はフンと鼻を鳴らした。
「分かっておるではないか。そうよ、我には我の考えがある。主らはそれを押し付けるなということぞ。」
明人は頷いた。
「別にオレは、嘉韻がどうしようといい。オレのことも理解してくれて、今度のことでは世話になったしな。オレが紗を迎えられたのも、嘉韻が動いてくれたからだと思ってるよ。」
慎吾が明人を見た。
「確かに、この男は、己のことでなければ理解があるよの。不思議なことぞ。」
そこに、紗が侍女に茶を持たせて入って来て頭を下げた。
「慎吾様、嘉韻様。ようこそお越し頂きました。どうぞ、お寛ぎくださいませ。」
侍女達がスッと歩み出て茶を給仕して行く。少し緊張した面持ちでそれを眺めていると、侍女達は給仕を終えて頭を下げた。紗はまた、丁寧に頭を下げた。
「それでは、失礼致しました。」
慎吾と嘉韻はつられて頭を下げる。紗が出て行ったのを見てから、慎吾は息を付いた。
「…相変わらず、見目麗しいうえに気品の高いかたであるな、紗殿は。思わず緊張してしまうわ。」
明人は苦笑した。
「そんな気を使うほどじゃねぇよ。オレも最初は話し方に気を使って、神のように神のようにと思っていたが、紗は別に気にしないみたいでな。こんな話し方でも退くこともなく、傍に居てくれるんだ。だから、父王の傍とかなら話し方に気を付けなきゃならねぇが、ここではこのままさ。気楽なってホッとしてる。」
慎吾は目を丸くした。
「あの紗殿に、その話し方か。主、少し遠慮せよ。いくら妻だとは言っても、愛情を失っては元も子もないぞ。」
明人は呆れたように慎吾を見た。
「別にきちんと話してるさ。ちょっと気を使う程度はしてるよ。皇女なんだし。」
嘉韻は頷いて明人を見た。
「まあ当人同士が良いと申すなら、それでよい。主も落ち着いたようで、我もホッとしたわ。」と、茶に口を付けた。「我はこのまま独りが良いわ。気楽であるし、明人のような心持になったこともないのでな。そうなったら、考える。」
「またこの男は…」
慎吾が言い掛けたが、明人が割って入った。
「いいじゃねぇか。オレは嘉韻がどれだけうんざりしてるか聞いて知ってるし、気長に見てるつもりだ。まだまだ、何百年あるんだしな。」
慎吾は黙った。嘉韻はうっすらと微笑んで、頷いて窓の外を見た。そう、自分もそんな日が来るならいいかなと、最近は思い始めているのだ。後は運命を待つのみだ。
そんな三人の所へ、部下の軍神がやって来て膝を付いた。非番の所へ来るからには、何かあったに違いない。明人は、言った。
「何事か。」
相手は言った。
「は、王より、急ぎ宮へとお三方に伝えるようにとのこと。」
三人は顔を見合わせた。
「何かあったのか?」
その軍神は首を振った。
「緑青様の宮からの書状を読まれてすぐにそのようにおっしゃられたのでありまするが、我も詳しいことまでは。」
緑青…紅雪と、霧花の父。一体何を言ってきたのか。
三人は立ち上がった。
「すぐに参ると伝えよ。」
嘉韻と慎吾も着替える為に各々の屋敷へ戻って行った。明人は紗に着替えを手伝われながら、呟いた。
「緑青殿が、一体我らに何の用ぞ…」
紗は、ハッとしたように手を止めた。
「緑青様…もしかして、霧花の父上?」
明人は紗を見た。
「何か心当たりがあるか?」
紗はためらっていたが、頷いた。
「はい…霧花は、明人様をお慕いしていたと申しておりました。明人様が我が父の宮に来られたあの日、実は霧花も来ておりましたのですわ。ですが、我が部屋に戻った時には、もうおりませなんだ。それから、何度文を出そうと返事が来る事はなく…我も心配申して…。」
明人は眉をひそめた。霧花がオレを?…それは、初めて聞く…。
「我が王は、その様なことを無理強いするかたではないゆえ。主は案じずともよい。」と、頬に触れた。「安心しな、紗。」
紗は微笑んだ。
「はい…。」
明人は紗に口付けた。そうは言ったものの、心配だった。オレは結婚したばかり、だが、慎吾と、未婚の嘉韻はどうか。もしも婚姻関係なら、あの二人には断る理由が見付からない…。
明人は甲冑に身を包み、二人と共に王宮へ飛んだ。
「王、お呼びでしょうか。」
三人が蒼の前に膝を付くと、蒼は頷いた。
「休みのところ、すまぬな。」と、書状を見せた。「緑青殿からこのような書状をもらっての。明人が霧花の目の前で紗をめとったのにショックを受けて、あれから部屋に篭りきりなのだそうだ。オレに責任を取れと言うて来た。」
明人はやはり、と思ったが、なぜに王が責任を取らねばならぬ。
「…あの折、あの宮に霧花が居たのは、オレもつい先程紗から聞き知りました。しかし、それでショックを受けたと言われても…。」
蒼は頷いた。
「そうよの。勝手なことよ。あちらも鬼ではないゆえ、妻をめとったばかりの明人にとは言わぬ、慎吾か嘉韻にと申しておるわ。」慎吾と、嘉韻が顔色を無くした。「だが、こんな調子でめとられて、大切にされると思うておるのか。我にでも無理よ。なので主らにめとれとは言わぬ。」
慎吾と嘉韻がホッとしたような顔をした。蒼は続けた。
「それにしても困ったものよ。これ以上面倒は抱え込みたくない。一度ガツンと言ってやらねばならぬか…。」
蒼は額に手を付いた。確かにこれ以上、宮に妃騒動も、妻騒動も起こって欲しくない…。
「ま、主らはこんな話が来ていた事だけ知っておれば良い。後はオレが何とかする。」と、踵を返した。「下がって良い。」
三人は頭を下げてそこを後にしたが、気が気でなかった。やっと落ち着いたと思ったのに。本当にもう、やめて欲しい…。
そこに、深々と頭を下げる女を感じ、明人はそちらを見た。
「お久しゅうございまする、明人様。いつぞやは大変にお世話になり申しました。」
顔を上げたその女を見て、明人は仰天した。
「ひ、雛殿?」
雛は美しく微笑んだ。
そこに、あのおどおどした雰囲気はなかった。




