それぞれの夜
明人は、今度こそ紗を大切にするのだと心に決めていた。屋敷につれて帰って来た紗は、それは嬉しそうに明人を見た。明人は召使いや侍女達に紗を紹介し、屋敷の中を案内してから、緊張気味に自分の部屋へと紗を連れて入った。
紗の侍女達は、もう割り当てられた部屋へ入っている。明人は、紗の手を取った。
「紗、我は一度、王の命で妻を迎えた。しかし、離縁してしまった…愛することが出来なかったからだ。」
紗は頷いた。
「はい、知っておりまする。霧花から聞きましたので…。」
明人は驚いた。霧花…紅雪の妹。では、紅雪の事も?
「姉上が、明人様を愛していらしたとお聞きしました。ですが、明人様は紅雪殿を迎えることがなかったのでありまするね。」
明人は頷いた。
「我はなかなかに女を愛せない生まれであるらしい。だが…主のことは一目で愛してしもうた。ここへ戻って来ても、毎日任務もままならぬほど、主のことばかり考えて…。回りを心配させたものよ。」
紗は頬を染めた。
「まあ…明人様…。」
明人は微笑んで、紗の頬に触れた。
「婚姻というものが、これほどに待ち遠しくて、嬉しいものだとは。我は初めて知った。」
紗はますます赤くなって、下を向いた。
「明人様…我も、この日を待ち遠しく思うておりました…。」
恥ずかしげに小さな声で言う紗を抱き上げて寝台へ降ろしながら、明人は言った。
「もう生涯離さぬぞ。」と、紗に唇を寄せた。「この日を待ちかねた…」
その夜、初めて明人は、これが女を愛するということなのだと、その身に思い知った。
そして朝まで、紗を離すことが出来なかった。
一方蒼も、宴が終わったあと悠を連れて部屋へと戻っていた。
悠は、あの折目にした通り、本当に美しい皇女だった。母の藍にも良く似ていて、紗が金髪に近いが少し茶色みがかった髪なのに比べ、こちらは完全に金髪だった。そして、青く澄んだ目で、じっと蒼を見上げていた。具合の悪そうな様子は全く見られなかった。
「主、ここへ来て、具合はどうか?」
蒼は悠に聞いた。悠は答えた。
「はい。あれほどしつこく付きまとっておった眩暈も無く、己でも驚いておりまする。」
蒼はホッとしたような顔をした。
「そうか。それは良かった…それを案じておったのでな。」
悠は驚いて蒼を見た。そんなことを、王が案じてくださっておるなんて…父は、そんなことにまで気の回るかたではなかった。いつも、侍女達が我のことを案じて…。でも、王であられるのだから、我や妃のことまでお気は回らないものだと思っていたのに。このかたは、これほど大きな宮の王なのに、妃になったばかりの我を案じてくださるのか。
悠が戸惑っていると、蒼は悠の手を取って言った。
「悠、我にはあと二人の妃が居る…一人は、鳥の宮の皇女だった者。あのままでは命を落とすというので、妃に迎えた。一人は、泰殿の宮の桂。訳あって家を出て放浪しておった所を見つけて、心配で世話をしておる内に愛して、妃に迎えた。最初の正妃だった瑤姫ですら、兄弟姉妹のためにと考えて受けた婚姻。つまりは、そういった理由もなく妃に迎えるのは、主が初めてだ。まあ主とて、ここであれば普通に健康に生活できると考えて受けたと言えばそうであるが、槇殿の結界があれば、主が命を落とすことはなかったゆえの。断ろうと思えば断れたと思う。」
悠は頷いた。確かにそうだろう。このかたは、皆を助けることばかり考えていらっしゃるような気がする…。
蒼は続けた。
「我は己の身分がどうのと考えたことはなかった。しかし、此度のことでそれを実感した。悠、ここは月の宮。人の世と、神の世を繋ぐためにある宮だ。我は未だ人が抜け切れておらぬのよ。それでも、主は我と共に居てくれるか?否と申すなら、我は無理に主をここへ呼んだりはせぬ。その場合でも、我の妃として、ここでこのまま過ごしておったらいい。我は、主の気持ちを無視して無理に妃としようとは思うておらぬゆえ。」
悠は驚いて袖で口を押えた。我の気持ち…我の気持ちをと言ってくださっているの?王とは、有無を言わさず己のものになさろうとされるのではないの…。
悠は、生まれて初めてどうしたいのかと聞かれた。全ては侍女達が決めて、着物ですらそうだった。良いと思うものがあっても、品が良いものをと、侍女達が勝手に決めてしまった。父もそうだった。父の妃など、無理に妃にされて連れて来られ、そのまま放って置かれておる者までいる。ついには、我になんの相談もなく、突然に嫁ぎ先も決められた。王とは、そんなものではなかったのか。なのに…蒼様は我が嫌なら良いと、それでも面倒は見てくださるとおっしゃっているのだわ…。
悠は涙を浮かべた。そんな自由が我にもあるとおっしゃるのだ。
蒼は、悠を見て慌てて言った。
「悠?どうしたのだ。何も我は主を迎えるのが嫌だと言っておるのではないぞ。ただ、主はどうなのかと…。」
「蒼様」悠は涙声で言った。「我は、蒼様の妃になりとうございます。どうか、終生お傍に置いてくださりませ。」
蒼は驚いた顔をしたが、頷いた。
「主がそう申すのなら、我が妃に、悠。」蒼は手を差し出した。悠はその手を取った。「我と共に居ようぞ。何も心配することはない。我が主を守るゆえ。」
悠は頷いた。蒼は悠を抱き締めて、傍の寝台へと倒れ込んだ。
十六夜と維月の部屋に、維心が来ていた。十六夜はそっくり返って椅子に座っていたが、大きな欠伸をした。
「あのなあ、今夜はもう諦めろよ。維月はまだ怒ってるんだからよ。お前だって悪いんだぞ?あんな女に手の早い男の居る所で、維月ほったらかしで遊びほうけて。そりゃ怒るわな。」
維心は首を振った。
「違う、遊び呆けておったのではない。ただ、話に夢中になっておっただけぞ。ほんの一瞬のことであったのに…」
十六夜はため息を付いた。
「その一瞬で子供が怪我をすることだってあるって知ってたか?人の世で子育てしてる維月と、オレはそれを肝に銘じてたんだぞ。お前は乳母に任せきりで子育てだってしたことないからなー。とにかく明日にしろ。オレももう眠いんだよ。維月はもう寝てるんじゃねぇか?」
「まだ起きておる。」維心は即、言った。「この気は、まだ起きておる時の気。頼むから維月をここへ呼んでくれ。」
呆れたように十六夜は維心を見た。
「ほんとにストーカーだな。わかったよ、呼んではやるが、追い返されても知らねぇぞ?オレは先に寝る。」
十六夜は立ち上がって隣の部屋へ入って行った。維心は深くため息を付いて、維月を待って月を見上げた。いつも絶対に見ているのに、どうしてあの瞬間だけ目を離したのか。
維心は後悔してもし切れない気持ちでいた。
槇は、部屋へ帰っても維月の事を考えていた。あの、感じたことのない気…。手を取ると、その手から伝わる気で、我を忘れそうになった。いつまでもあの気に酔っていたいような気になる…。槇は、どうあっても、あの龍王妃を、一度でもものにしてみたかった。
しかも、思いも掛けず、芯が強くはっきりとものを言う所も気に入っていた。今まで、神の女があれほどに手酷く我を跳ね付けた事はなかった。
思いも掛けず良い女を見つけたと、槇が嬉々として藍の部屋へと足を踏み入れると、藍は、休む様子もなく、じっと傍の椅子に腰かけていた。
槇は驚いて、藍に言った。
「…藍?どうしたのだ。なぜに休む準備をしておらぬ?そろそろ寝台へ入ろうぞ。我は明日は早起きしようと思うておる。」
藍はその様子が、新しい女を見つけた時の槇の様子だと知っていた。
「…今宵は、我は考えたいことがありまする。槇様、どうぞあちらでお休みになってくださいませ。」
槇は、驚いたような顔をしたが、困ったように微笑むと言った。
「何を申す、藍…何を機嫌を悪くしておるのだ。さ、休もうぞ。」
槇が唇を寄せて来たのを見て、藍は顔を背けて立ち上がった。
「我など、槇様には取るに足らぬ女でありましょうから!」
藍は、さっさと歩いて、庭へと出る戸に手を掛けた。槇は突然の事に何が起こったのか分からず、呆然とした。
「…藍?何を怒っておる。」
藍は、キッと槇を見た。
「あのような場で、龍王妃様にあのようなお振舞を!我の目の前であるにも関わらず…維月様は大変に迷惑しておられ、我も恥ずかしゅうございました!それでなくとも、宮には20を超える妃が居るというのに。そのようなかたに、我はもう付いて参れませぬ!」
槇は、藍のただ事でない様子に、慌てた。
「藍?!何を言うのだ、今更に我の元を去ることなど…」
藍は叫んだ。
「悠が居りまする!我はここで、悠と紗と共に暮らして参ります!」
藍は庭へと走り出した。
「藍!!」
槇は叫んで飛び出した。しかし、藍の姿は、掻き消すようにその場から消えた。
そこには、青白い光が微かに残っていた。




