↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嫌いなままで  作者: 志に異議アリ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/5

第3話 死んでほしい


救急車のサイレンが、朝の住宅街を切り裂いていた。


高橋佳代は、田村家の玄関先で立ち尽くしていた。


救急隊員が何人も家の中へ入っていく。


「発見したときの状態を教えてください」


「いつも通り、朝九時半に伺いました。インターホンを押しても返事がなくて……」


「玄関は?」


「鍵はかかっていました。でも、合鍵を持っていたので」


「そのとき、お母さまは?」


「寝室に……」

 佳代はそこで言葉を止めた。


何度説明しても、あの光景だけが頭から離れない。


床に落ちたコップ。

散らばった薬。

ベッド脇に倒れていた千代。


そして、何度呼んでも返事をしなかったこと。


「娘さんは?」


「昨日の夜は帰ってきていません」


「連絡は?」


「昨夜、私から電話しました」


「何時ごろですか?」


「十一時前です」


「娘さんと話した?」


「はい」


 佳代は少し迷ってから答えた。

「……帰りたくない、と言っていました」

救急隊員が顔を見合わせた。


佳代は、その視線を見てしまった。


胸の奥がざわついた。

 

里奈は、警察署の小さな部屋に座っていた。


昨日泊まったホテルから、ほとんど眠らないまま連れてこられた。


「お母さまと最後に会ったのは?」


「昨日の朝です」


「その日の夜は?」


「会ってません」


「電話は?」


「……母から何度か」


「出なかった?」


「はい」


「なぜですか?」

 里奈は俯いた。


「……出たら、また喧嘩になると思ったから」


「昨日、実際に喧嘩をされていますね」


「はい」


「何と言い合ったんですか?」

里奈は唇を噛んだ。


「覚えてません」


「覚えていない?」


「……もう知らん、って言いました」


「お母さまからは?」


「いつものことです」


「具体的に」

 里奈は目を伏せた。


「私が役立たずとか」


「他には?」


「何をやらせても駄目とか」


「他には?」


「私がいないほうが楽だって」


「それに対して、あなたは?」

 里奈は答えなかった。


 刑事が静かに待つ。

「……死ねばいいって」


自分で言って、自分の胸が痛くなった。


「お母さまに、そう言ったんですね?」


「……はい」


「その後、家を出た?」


「はい」


「お母さまを一人にして?」


「……はい」

沈黙が落ちた。


「介護に疲れていた?」


「……疲れてました」


「お母さまに死んでほしいと思ったことは?」



里奈は長い間、答えなかった。


「……あります」


「何度も?」


「……はい」

刑事は何も言わなかった。


その沈黙が、里奈には何より苦しかった。


「もう一つ確認したいことがあります」


刑事が写真を机の上に置いた。

母の寝室だった。

床に落ちたコップ。

そのそばに薬が散らばっている。


「お母さまは、毎日薬を飲んでいましたね?」


「はい」


「昨日の朝は?」


「……飲むように言いました」


「実際に飲んだところは見ていない?」


「はい」


「最近、飲み忘れることは?」


「ありました」


「娘さんが管理していた?」


「一日分ずつ分けてました」

刑事は写真を指した。


「この薬も、昨日の分です」

里奈の喉が鳴った。


「……飲んでなかったんですか?」


「その可能性があります」


「でも……私、ちゃんと飲んでって言いました」


「それはわかっています」


「母が飲まなかっただけです」


「はい」

その返事が、妙に冷たく聞こえた。

 

──────

午後、里奈は母の家へ戻った。


玄関を開ける。


「……ただいま」

言ってから、すぐに気づく。

もう返事はない。

いつもなら、


「遅い!」

「どこ行っとったと!」

「靴くらい揃えんね!」

何かしら飛んでくる。


静かな家だった。

静かすぎた。

リビングへ入る。

 

テーブルの上に、プリンがあった。

昨日、自分が置いたもの。

蓋は開いていない。


「……食べなかったんだ」

里奈は呟いた。


その言葉が、自分でも驚くほど寂しく聞こえた。

 

警察から聞いた話では、千代は昨夜、寝室からトイレへ向かおうとしたらしい。


正確にはわからない。

ただ、ベッド脇の床に倒れていた。


その際、頭を強く打った。

もともと持病があり、薬を飲まない時間が続いたことで体調が悪化していた可能性もある。

転倒をきっかけに、急激に状態が悪くなった。


そういう見立てだった。


「……じゃあ、事故なんですか?」

里奈が尋ねると、

「現時点では、その可能性が高いです」

と答えられた。


里奈は目を閉じた。

胸の奥から、何かが抜けていく。

 

安心。

 

そう思った。

自分が疑われずに済む。


そう思った瞬間――

 

吐き気がした。


「私……」

誰もいない部屋で呟く。


「母が死んで、安心したの?」

答える人はいなかった。


──────

その日の夕方、高橋佳代が訪ねてきた。


「里奈さん……」


「高橋さん」

佳代は玄関先で立ち止まった。


「すみません」


「何がですか?」


「昨日、私がもっと早く帰ってきてって言っていたら……」


「佳代さんのせいじゃないです」


「でも」


「違います」


里奈は首を振った。


「私が帰らなかったんです」


佳代は何も言えなかった。


「母から電話があったのに、出ませんでした」


「……」


「最後に話したのは、昨日の朝です」

里奈の目に涙が溜まる。


「死ねって言いました」

佳代は黙っていた。


「本当に死んじゃった」


「里奈さん……」


「私が言ったからかな」


「違います」


「でも、私が出ていかなかったら」


「事故です」


「私が家にいたら」


「……」


佳代は答えられなかった。

いたら助かったのかもしれない。

助からなかったのかもしれない。

 

誰にもわからない。

 

数日後。

警察から連絡があった。


「お母さまの死因について、ほぼ事故と見ていいと思います」

里奈は電話口で息を吐いた。


「そうですか……」


「ただ、少し気になることがあります」

胸がざわついた。


「何ですか?」


「お母さまは亡くなる前、薬を飲んでいませんでした」


「……はい」


「それ自体は珍しいことではありません」


「はい」


「ただ、お母さまの持病を考えると、薬を飲んでいなかったことが体調悪化につながった可能性があります」


「……」


「お母さまは、以前から『薬なんか飲みたくない』とおっしゃることがありましたか?」


「ありました」


「娘さんに飲ませてもらっていた?」


「はい」


「それでは、最後に一つ」

刑事の声が少し低くなった。


「お母さまが亡くなる前、あなたと口論しています」


「……はい」


「あなたは『死ねばいい』と言った」


「はい」


「そして、お母さまは薬を飲まず、一人になった」

里奈は黙った。


「事故である可能性は高いです」

その言葉のあとに、

「ただ……偶然が重なりすぎているようにも見えます」

と続いた。


電話が切れた。

里奈はしばらく動けなかった。


そして、初めて思った。

もしかすると。


母は、本当は自分に殺されたと思っているのではないか。

自分が直接手を下したわけではない。


けれど――


最後に母を一人にしたのは、自分だった。


薬を飲むように言った。


でも、飲んだかどうかは確認しなかった。

 

電話にも出なかった。

そして、最後に言った。


――死ねばいい。


里奈は両手で顔を覆った。


「……お母さん」

返事はない。


いつもなら、そこから嫌な言葉が返ってくる。

「泣けば許されると思っとると?」


「そんな顔するくらいなら、最初から優しくせんでよか」


「ほんっと、あんたは何をやっても駄目ね」

そんな声が聞こえてくる気がした。


里奈は泣きながら笑った。

「……最後まで、嫌な人」


その言葉を口にしたとき。

なぜか胸が、ひどく痛んだ。


母の死は事故だった。

誰も殺していない。


それなのに、里奈にはどうしても…




自分が母を死なせたような気がしてならなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。