別荘で亡くなった男と妻のこと
数日後、丈一郎はその日も亡くなった男はその後どうなったか気になっていた。身元不明の場合は「行旅死亡人」として取り扱われるらしい。遺体は速やかに火葬され、自治体が遺骨を保管して、国が発行する官報に公告するが、遺骨についても誰も引き取り手がない場合は、無縁塚に埋葬されるようだが、その後一週間ほどして死んだ男の親族と連絡がついたことを牧野刑事から連絡を受けた。丈一郎は、
「そうですか、それは良かったね、これで一安心できるのかな?」
「そうならいいんですが・・」と牧野刑事は少し言い淀んだが一呼吸の後、
「これは警察の管轄外ですが、管理人の話では別荘の所有権は放棄するので、今後は何も連絡してくれるなと言ってきたそうです。管理人としては、敷地内に自家用車が放置されているし、何が保管されているか分からないコンテナが二つもあるし、別荘の敷地内にもゴミが大量に放置されているので、別荘の後始末をして欲しいと話したそうです。でも、親族らしい相手は、東北地方に住んでいてそちらには行けないので、勝手に処分して欲しいと一方的に言って電話を切られたそうです」
「ええっ、相手は彼の子供なの?随分冷たい対応だね」と丈一郎は尋ねると、
「はっきりとは聞けなかったのですが、家族ではないらしく遠い親戚の類らしいですね」
「そうなんだ、そうなると困りますね」
「でも、事件ではないので我々には何とも出来ないですね」
「そうだよね、分かりました。わざわざ連絡をくれてありがとう、では」と丈一郎は通話を終えたが、こんな時はどうするのが良いのかなと思うと同時に、自分が別荘暮らしを終了する時にどうすれば良いのかを少し考えないといけないなとも思ってしまった。 その時、丈一郎は右手を顎の下に添え、あの有名なロダンの「考える人」のようなポーズを取っていた。熟考するときの彼の癖である。この時に、例の『未来予測』の能力が発揮されることが多いのだが、今回は誰か”見知らぬ男”と話をしている姿だった。それ以上は良くわからなかった。
その日の午後に管理事務所に管理人を尋ねると、珍しく長電話をしており、
「そんなこと俺に言われても困るよ。そちらでちゃんと説明してくれないと。そちらから相手に連絡するように言われたからあっちに連絡したけど、相手は一方的に別荘なんて知らないし、権利は放棄するので、連絡は迷惑だとの一点張りなんだから」
電話の相手は高崎にある別荘全体の管理会社の高齢の社長らしく、管理人の話を受けて相手が何かを話をしていたようで間が開くが、
「そんなことは俺には分からないよ。苗字が同じだから親類なんじゃないの?とにかく、これ以上は俺には無理なので、そちらで対応して下さいよ!」と、怒ったように電話を切った。ふうと息をついた管理人は、やっと振り返り丈一郎がいる事に気がついた。この管理人は五十代半ばで除雪車も運転するし、チェーンソーで樹木も切るし、丸太小屋に登山家のようにロープを張ってよじ登ったりもする活動派の管理人だった。性格的にも明るい男で、丈一郎は何かというと管理事務所に立ち寄って情報を入手しつつ世間話をしている関係だった。
「もう、面倒は勘弁して欲しいよ!」と半ば冗談口調で話し出した。
「管理会社に頼まれて、今、亡くなったあの人の親類らしい人に電話をした結果を管理会社に報告したら、相手はあの人の子供なのかとか、どう言う関係なのかとか、不動産は勝手に放棄できない事を相手は知っているのか?とか、逆に矢継ぎ早に聞くからそんな事を知ってるわけがないだろうと言ったら、何年も住んでいた人の事なのに何故知らないんだとか、勝手な事を言うからブチ切れていたところさ」と、管理人は憤まんやり方無い様子で早口で喋ったので、丈一郎もいきなり結構大きな声で言われて多少面食らったがすぐに冷静に、
「大変ですね!管理人さんも。契約締結したのは管理会社側だし、不動産の関係だって調べるのは現場じゃ無いよね」と慰めた。丈一郎は、やはり揉めていたのかとため息をつきたい心境だった。彼にとっても、お隣さんの意味不明のコンテナや、放置されて朽ちつつある自家用車や、別荘内外の放置ゴミは見たくなくても目に入るし、そのままにされたら不都合だったが、これでは当分あのまま放置だなと半ば諦めるしかなさそうだった。でも、丈一郎のイメージにあった”見知らぬ男”とは関係なさそうだった。
「じゃあ、大変だけど・・特に話があったわけじゃ無いので」 と言って丈一郎が管理事務所を退出しようとした時に、珍しく住民以外で管理事務所を訪ねる人がいた。メガネをかけ、髪は綺麗にカットして額の真ん中で分けてあり、服装はカジュアルなジャケットを着て、折り目のついたスラックスをはき、背丈は標準的で痩せて見えた。最近この別荘地では見かけない身なりの人だ。丈一郎は不動産会社の営業かなと一瞬思ったが、例の”見知らぬ男”のイメージだと気がついた。
その人は、事務所にいた管理人と丈一郎の顔を見ながら、
「すみません。私はこういうものですが、先日この別荘地で亡くなった池谷さんの知り合いです。お尋ねしたいことがあって来ました」と名刺を二人に渡しながら訪問理由を話した。二人は驚いたが、管理人は名刺を見て、ちゃんとした会社の管理職であるようなのを確認し、ホッとした面持ちで、
「はい、私がこの別荘地の管理人です。えーと、高田さんですね。お聞きになりたい事とは何でしょうか?」といつものフランクな物言いと違って丁寧に尋ねると、彼は頭を下げて挨拶して、
「知り合いと言っても、正確に言うと私は池谷さんの亡くなった奥さんの弟でして、池谷さんは義兄に当たります」管理人と丈一郎の二人は急に救世主が現れた心境となり、この男に席を勧め話を聞いた。彼の言いたいことは、
「故郷のお墓に姉の骨と義兄の骨を埋葬したい」とのことだった。管理人はそれはとても助かる話だと思い、丈一郎と二人でこの訪問客とそれから二時間あまり、お互いが知っている全てのことを話し、聞き、相談することとなった。結果として、家財一切の処分は高田が責任を持って実施することと、家と土地の所有は放棄するとのこととなった。それに加えて彼からは亡くなった夫婦のことに関する話が聞けた。死んだ池谷の義理の弟高田は、非常に能弁で丁寧に語る人で、まるで一つの物語のように聞かせてくれた。その話を要約すると以下のような内容だった。後半は一部管理人が亡くなった池谷さんから生前直接聞いた内容も含まれている。
高田の死んだ義兄である池谷と彼の実の姉である池谷の妻は長野県の同じ職場で知り合い、数年間の交際の後に結婚した。姉は笑顔が似合う人でいつも愛想が良かったので、職場でも人気があったそうだ。確かにこの高田という男も丸顔で愛嬌のある顔をしている。職場は中古自動車の仕入れ・販売をする会社で、池谷は整備を担当し、高田の姉は受付と事務を担当していた。会社の規模はその地域では大きい方で、従業員数は百人を越える規模で、事業も順調だった。高田の会社も近隣に本社があり、社用車での取引もあったので姉と義兄が務める会社を訪れる事もあったそうだ。姉と義兄の収入も平均的な生活を十分に出来るレベルで共稼ぎだったので生活は安定していたが、ともに三十歳半ばを越えての結婚で、子供を作る予定は無かったそうだ。
姉には長年悩まされていた持病があった。偏頭痛だった。それは結婚前からの持病で弟である彼も知っていた。結婚後の話は義兄に聞いた話だそうだ。時折頭痛を訴えるので義兄は心配し、嫌がる姉を連れて病院に行った。問診と血液採取の後、医者は念のために次回はMR検査を勧めた。数週間後義兄は姉を連れて血液検査の結果の確認とMR検査を受けに行った。姉は結構大変な検査だと噂に聞いておりMR検査を嫌がったが、義兄に強く言われ、渋々検査を受けた。MR検査の結果では隠れ脳梗塞の疑いがあった。また、血液検査の結果は芳しくなくLDLコレステロールの値や血中脂肪の値が高く、血圧も高いので定期的な検査を進められ、薬を数種処方された。
姉は少し小太りで甘い物には目が無く、良く食事の後にも食していた。大らかな性格なのか処方された薬を時々飲み忘れ、定期的な検査も時々怠ることもあったが、概ね良好な夫婦生活を送っていた。しかし、ある冬の寒い日の風呂上がりに、姉は脱衣所で着替えている最中に倒れたそうだ。台所兼居間でテレビを見ていた義兄は、大きな音に驚き脱衣所のドアを開け、寝巻き姿の姉が倒れているのを発見した。姉の意識は既にもうろうとしており、義兄は慌てて救急車を呼ぶべく一一九番をダイヤルした。救急受付の指示に従い、義兄は姉に毛布を掛けて動かさないようにして救急隊員の到着を待った。二十分ほどの時間が地獄のように長かった。救急隊員が到着し、救急車に一緒に乗って病院に向かった。すぐに姉は集中治療室に運ばれたが、『血管内治療』と言う、詰まった血栓をカテーテルで取り除く手術が必要だと言われた。義兄はすぐに合意し、手術が終了するのを待った。無事を祈る時間の長さと孤独に彼は苛まれた。治療室の赤ランプが消え、医者が説明に来てくれた。義兄は医者の表情から姉の無事を読み取ろうとした。医者はやや明るい表情で
「命の心配は無い」と言ったが、すぐに曇った顔つきで、
「重度の脳梗塞だったので後遺症が残る可能性が高い」と告げた。
池谷は救急車で運ばれ病院に着いた時点で、ある程度予測はしていたが、曇天に囲まれたような気持ちになった。そして、妻が運び込まれた病室に付き添った。眠っている妻の横顔を見つめ、命が助かって良かったと思ったが、その日から彼の看病生活が始まった。池谷はそれから約二週間の間、仕事が終わった後と土日に病院を訪れ、妻の看病とリハビリに努めた。妻は食事も取り、順調に体力は回復し意識もしっかりしているが、性格が変わってしまったようだった。もともと大雑把なところはあったが、明るい性格で人の気持ちを大切にし、気配りの人だったのに、無遠慮な事を口走るようになっていた。池谷に対して、
「あんたみたいに意地悪な人は知らない」と突然言ったり、看護師に対して、
「どうして私に指図をするの。私にはかまわないで!」とか、憎まれ口を平気で言うようになっていた。このような少し変な挙動をすることはあったが、身体的にはかなり回復した。ただ精神的には常に不機嫌な様子で、あまりの豹変振りに池谷も心配し、医者に相談をしたが、
「だんだん元に戻っていくはずです」と楽観的な見解だった。この頃高田も姉の病院を一度見舞いに訪れたそうだが、病気の影響か暗い表情で愛想のない姉の変化に驚いたそうだ。そして、病院内のリハビリ施設で三ヶ月過ごし、池谷の妻は退院した。お世話になった医者や看護師への挨拶もろくにせず、無愛想な表情のまま病院を後にした。池谷はお世話になった医師や看護師に恐縮しながらお礼を言って回ったそうだ。
退院後の夫婦の生活は以前とは一変した。明るく穏やかだった妻はとても不機嫌な人に変わり、何とか家事は行えたが仕事への復帰は難しそうだった。夫はそのうち昔の妻に戻ると信じ、リハビリ支援を献身的に行った。その甲斐もあって、妻は時々笑顔を見せることも出てきた。夫はある夏の暑い日に妻を気晴らしにドライブに連れ出した。長野から群馬県に跨がる山間の道を走り、ある高原牧場に着いた。そこは夏とは思えないほどに涼しく、牧場には牛が放牧されており、のんびり草を食べている様子を間近で見た妻は昔のような笑顔で、
「みんな幸せそうね。私もこんなのんびりした所で暮らしたい」と、はっきり言ったのだ。池谷はそれを聞き大喜びした。
「じゃあ、この近くで暮らそうか」と嬉しそうに言うと、妻は
「ええ、そうしたい」と夫の目をまっすぐに見て笑顔で言ったのだ。久しぶりに妻の優しい笑顔にふれた池谷はこの変化にかけようと思った。
その後、池谷はその牧場の近くの家と仕事を探し回った。そして、中古の別荘を見つけ、なけなしの貯金で購入した。仕事も程なく見つかり、彼は妻とその中古の別荘に引っ越しをした。そこは、後に丈一郎が移り住むことになる別荘のすぐ隣の別荘だった。そこでの二年間で妻は本来の明るさを取り戻しつつあった。ただ、処方された薬は相変わらず飲み忘れることもままあった。池谷は自動車の整備士の資格を活かし新たに仕事に就いた遊園地で、子供が遊ぶ遊具と観覧車やコースター等のメンテナンスの仕事に一生懸命取り組んだ。妻は別荘地内や近所の人たちとも良好な関係を築いて行ったが、時折、やはり偏頭痛に悩んでいた。池谷が必ず薬を飲むことを妻に再々指摘したので、妻もなるべく飲むようにしていたが、つい忘れがちだった。元来運動は苦手で、小太りの体型に変化はなかった。弟の高田はこの頃電話で姉から新たな生活が始まった事を聞き、その明るさの戻った声にとても安心し、一度姉の別荘を訪れたのだ。その時に義兄と姉が以前の仲の良い夫婦に戻っているのを見てとても喜んだそうだ。管理人もこの頃に夫婦が揃って散歩したり、出かける様子を見かけており、たまに出会うと立ち話程度はできたようだ。
しかし、二年後の晩秋の日にその事は起こった。その日は朝から冬のように冷え込み、妻は家の外で庭の落ち葉の片付けをしていたが、酷い頭痛がしてきたので途中で止めて家で家事を始めた。その間も頭痛はしていたが、夫の帰宅に合わせて食事を用意していた。池谷が帰宅したが、頭痛が酷いことは伏せて、食事が終わった後に先にお風呂に入った。湯船を出た後に、急激に猛烈に頭が痛み、意識が飛びその場で倒れた。池谷がそれに気づき救急車を呼んだが、病院に着いたときには呼吸が止まり、残念ながら妻は帰らぬ人となった。病気が進んでいたようだった。
池谷は愛する妻の死を目の当たりにして、妻を救えなかった事を痛切に後悔した。親戚や知人にも余り知られたくない心境で、妻の葬式はできうる限り簡単に済ませたいと思った。彼は妻の死を普段から連絡を取っていた義理の弟以外の親戚にも知らせずに、火葬場で燃やし、そして、骨を自宅である別荘に持ち帰った。特に親戚を呼んで葬儀をするつもりは無く、誰かに連絡するでも無く、彼はしばらくは骨壷と簡易の位牌を机の上に出していたが、やがて妻の骨を押し入れに入れた。高田は姉に電話をした際に、池谷より姉の死を伝えられて、驚いて何度か姉を弔いたいと申し入れたが都度断られていた。あの時、無理にでも訪れていれば良かったと未だに後悔していた。
池谷は妻の死後、無念な気持ちと無情な人生に心は塞ぎ込んだ。それと同時に彼も偏頭痛に悩まされるようになった。バランスの悪い食生活を続け、不眠症にもなっていた。仕事への集中力にも支障を来すようになり、担当する遊具や観覧車での整備不良が発覚し、上司からの叱責も受けた。生活するために何とか仕事を続けようとしたが、何度も点検項目の見落しが続き、これでは施設の安全な運用に支障をきたすとして、数ヶ月後会社から職務怠慢を理由に解雇された。彼はその後労働意欲が減退し家に籠りがちになったが、甘いものを欲しがり、元々肥満気味だったがでっぷりと太り、いつしか体の不調を自覚出来るようになった。彼は流石に病院で診察を受けたが、診察結果は糖尿病との診断だった。仕事をする気力を失い、病気を理由に生活保護を役場に申請した。役場は年齢的に生活保護より仕事への復帰を期待したが、なかなか仕事は見つからなかった。たまに日雇いの仕事をしながら生きていたが、ついに生活保護の申請が受理された。彼は世間との交流を断ち、毎日テレビを見ながら暮らすようになっていた。
ここからは管理人の話が中心になるが、この頃には管理費も滞納するようになっており、管理人は再々催促したが、今はお金がないのでそのうち払うと誤魔化されたようだ。そして、ゴミもウッドデッキや玄関脇に積み上げるようになっていた。週に一、二度近くのコンビニに自家用車で出かけ、少なくなった貯金からお金をおろし、お弁当や冷凍食品やお菓子を購入し、家で一人でテレビを見ながら食べるという毎日だった。最近も同じような事を繰り返しており、丈一郎がすぐ近くに引っ越してきた時も、コンビニで見かけたことがあったが、精気のない表情をしていたため実年齢よりも上に見えたようだ。
そして、つい先日、夕方コンビニで弁当を購入し家に帰った時に、車から降り外の冷たい外気に当たり、彼も脳卒中の発作を発症した。酷い頭痛がしたはずだが、何とか玄関でドアを開け家に入ろうとしたが、その場で昏倒してしまった。声を出そうとしたが、声が出ず、少しずつ意識が遠のきそのまま昏睡し、次の日に彼は死体となって発見されたのだ。同じ別荘地だが少し離れたところに住む落合さんに発見されたのだが、既に心臓が止まっていた。
この話を聞いて管理人と丈一郎は途中で少し涙さえ浮かべ、この池谷夫婦の人生に思いを馳せた。「良い人達だったんだ!もう少し何とかならなかったのかな」と二人とも声には出さなかったが同じ思いをしたようだった。そしてわざわざ尋ねてきたこの弟を姉と義兄が暮らした家に、管理人が案内した。ゴミの散らかった家に入り、二人のお骨の入った骨壺を前に彼は泣き出し、
「ごめんね、姉さん! すみません、お兄さん! もっと、早く来れば良かった」と、しばらく泣き暮れていた様子だが、その日は近くの旅館を予約しているとのことなので、今後の具体的な話は翌日に管理人とすることとして、彼は車で別荘地を去った。旅館は北浅間村旅館だった。
この辺りの別荘地はバブル期に開発が進み、その後三十年の月日がながれ、当時三十代や壮年だったオーナーたちも年をとり当人達が別荘を訪れる回数が減り、家族や親類への引き継ぎが進まないケースも多く、ここでも過疎化が進んでいるのだった。また、中古の別荘を安く買取り自宅として定住している人もいる。生活が安定している場合は全く問題がないが、亡くなった人たちのように生活保護を受けるような状態となると、近隣との接触が少ない分、今回のようなことは起こりうるのだ。そして、近い将来別荘地の過疎化と限界集落化も大きな地域の重荷となることが予想される。




