別荘での出来事とある刑事との出会い
四月下旬の北浅間村は、まだ朝と夜は寒さが残るが昼は暖かい日が続くようになり、雪も溶けたはずの近隣の山歩きも始めた。
車で三十分から一時間ほどで行ける『湯ノ丸高原』や『野反湖』や長野県側の『志賀高原』などが山歩きのお気に入りエリアだった。
そして、一般的には待ちに待った五月のゴールデンウイークが始まった。
丈一郎の別荘地の草花が一斉に芽吹き、山桜の淡い桃色の花が咲き始め、木蓮やコブシの白い花が咲き乱れ、黄色いレンギョウの花がアクセントになり、石楠花のピンクの花も咲き出し、そこかしこで良い匂いがするとても良い季節だった。
しかし、そんな春を迎えた別荘地の中で、しかも彼の別荘から三十メートルほどの距離しかない“お隣”といえる別荘で大変な事が起きるのだ。
そこには男性が一人で住んでおり、丈一郎も一、二度挨拶はしたことがあるが、六十代から七十代の精気のない感じの太った男で、近くのコンビニで見かけた時も声をかけそびれた程に近寄りがたい暗さを持った男だった。
ある気持ちの良い朝、同じ別荘地内の住民である落合さんは朝八時ごろには朝食を終え、いつものようにスタスタと、七十歳を越えた女性としては非常に若々しいスピードで散歩をしていた。
そして散歩コースである男の別荘の前で、彼女は少し疲れを感じ立ち止まり、何気なくその別荘を眺めるように見た際に、その別荘の扉が開いていることに気がついた。
少し気になって玄関に目を向けると不審な光景が目に入ったのだった。まるで人が倒れているように見えた。
驚いて玄関のすぐ近くまで近づいた時に、明らかにそこに人がうつ伏せに倒れていることに気がついた。
思わず「うわあ」と叫び文字通り腰を抜かしてしゃがみ込んでしまった。
なんとか深呼吸をして少し落ち着きを取り戻し、慌てて別荘の管理人の携帯電話に連絡した。
彼女が警察ではなく管理人に電話をした理由は、それが死体だとは思わなかったからだそうだ。
管理人に現場に来てもらい、救急車を呼んでもらおうとしたためだった。管理人は携帯電話にすぐに応答し、
「どうしましたか?落合さん」と落ち着いた口調で答えた。
落合さんの方は動揺していて
「今散歩をしていて、池谷さんの家の前にいるんだけど、玄関に倒れているのよ!」と、切迫した口調に管理人も異変を察知し少し上擦った声で
「えっ、何が?何がですか?」と質問口調になった。
「人よ人!とにかく早く来てよ!」と女性は少し苛立った声を出した。
「えっ、わ、わかりました。すぐに行きます」管理人は慌てて携帯の通話を切り、かなり動揺しながらも、いつものように軽トラックのエンジンを慌ててかけて現場に向かった。
管理人は現場に二分ほどでついたが、その運転の間に
「死んでいなければすぐに救急車を呼ばないと! もし死んでいた場合は警察に連絡しないといけない」と、できる限りの考えを巡らした。
そして、現場に着くと別荘の玄関前に座り込んでいる落合さんを見つけた。すぐに車を降り、落合さんの近くに歩み寄ってまだ上擦った調子で声をかけた。
「落合さん、人が倒れているのはどこですか?」管理人は自分の質問に落合さんが答えないうちに、玄関に倒れている人に気がついた。
彼も思わず腰を抜かしかけたが、女性がこちらを向き玄関を指さしたので気丈に玄関まで歩み寄った。
シワだらけのベージュ色のスラックスを履き、グレーのセーターを着た人が俯せに倒れていた。
管理人は勇気を振り絞って、その人に近づき背中を摩り、
「どうしましたか?大丈夫ですか?」と自分でも間抜けな感じのする問いかけをした。
そして、異様な匂いに気がついた。
いわゆる死臭だった。彼は彼の父の孤独死にも遭遇し、その匂いを嫌でも覚えていた。
吐き気を催したが、なんとかこらえ、後ろで怯えている落合さんに
「とりあえず救急車を呼ぼう」と言って、119番をダイヤルして救急車の要請をした。
「事故ですか?火事ですか?」のお決まりの質問にはとりあえず、「事故です」と答え、人が倒れているので救急車に来て欲しいと要請した。
そして、自分の素性と場所の説明と倒れている人の状態を伝えると、エマージェンシーコール(救急指令)の担当者から
「まだ呼吸や脈があるかを確かめて欲しいのですが?出来ますか?」言われ、
「はい、やってみます」と管理人としての責任感から答え、勇気を振り絞り倒れている人の鼻先に手を入れて確認したが、息はしていなかった。首筋に触り脈を見ようとしたが、ひんやりとした感触で既に死後相当の時間が経っているように感じ、
「息もしていないし、脈もないようで、冷たくなっています」と、担当者に伝えた。
そして、倒れている人から数メートル離れた場所で救急車の到着を待った。
その時には彼も少し平静さを取り戻し、連絡をくれた落合さんを労る気持ちになっていた。
「落合さん、こんなことになろうとはね?驚いたでしょう」
「驚いてまだ腰が抜けてるわよ。死んでいるんでしょう?」と女性は答えたが、管理人は
「多分・・」としか言えなかった。
この高原の五月の夜は零度近くになるので、外にいれば凍える寒さだった。
そして、二人にとって長い長い十五分が経過し救急車が現場についた。
管理人は別荘の玄関まで救急隊員を案内し、近くで様子を見守った。
救急隊員は慣れた感じで倒れた人の体を触り、本部に連絡していた。
その後心臓マッサージをする様子も無く、二十分ほどして警察のパトカーがサイレンを鳴らして到着した。
丈一郎も普段は同じような時間に散歩に出かけるので、落合さんとは良く顔を合わせるのだが、その日丈一郎は少し朝寝坊をしていた。
八時ごろに目を覚まして、スマホアプリで『JーWAVE』を聞きながらまだばんやりしていた。
いつものように中年のかなり有名な某タレントが、自らも楽しむようなナビゲートをしている。
外気温は十度をやっと越えたぐらいで、セーターを着ないと寒い季節だったので、ゆっくり着替えをしていると、救急車とそれに続くパトカーのサイレンの物々しい雰囲気で驚いてはっきりと目を覚ました。
いつもは静かな別荘地にはパトカーや救急車両が急遽訪れ、騒然となっていた。
彼は慌ててウインドブレーカーを着て玄関から音のする方へ向かったが、歩き始めて一分もかからずに現場の別荘に着いた。
管理人と第一発見者の落合さんは別々のパトカーの中で事情聴取のような事を受けていた。
丈一郎は既に集まっている数人の別荘住民の中で、良く挨拶をし合う人を見つけ
「何かあったんですか?」と尋ねるとその人は
「今さっき管理人から聞いたんだけど、その家の人が玄関で倒れているのが見つかったらしい」と答えてくれて、
「えっ、本当ですか?」と丈一郎は絶句した。
実際にはこの時点では死亡が確認されていたわけではないが、驚いて顔を見合わせていると、同じ別荘地の顔見知りとなった早田が急いで駆けつけた様子なので、丈一郎は状況を話した。
ザワザワする気持ちでしばらく遠巻きに現場をみていると、担架に乗せられたその隣人が救急車に運び込まれた。
チラリと顔が見えたが、青ざめたと言うより灰色の明らかに死人の顔だった。
数分後には救急車はサイレンを鳴らし、その場から離れて行った。
そして、さらに数分後、彼らの輪に管理人と第一発見者の落合さんが、警察からの聞き取りを終えたらしく加わった。
既に十人ほどに増えた別荘住人から管理人は矢継ぎ早に質問がされた。
管理人がそれに答え始めた時には、若い制服警官と私服のいかにも刑事っぽい感じのスーツ姿の強面の男が割り込んで、皆を観察するような視線で見渡して
「皆さんはご近所の方ですね?」 と割と冷静で優しい感じの声で尋ねるので、皆が口々に「はい」とか「そうです」と答えるのをみて、その刑事らしい強面の男が
「少しお話を聞かせていただいてよろしいですか?」と話し、若い警官に全員のお名前を聞いてくれるかと指示を出していた。
「これは事件ではないと思いますので、ほんの参考といいますか、あくまでも何かご存じのことがあればと言う程度で結構です」と、やはり丁寧な言い方をした。さらに
「もしご都合が悪いようでしたら、今は結構ですのでお名前だけ教えて下さい」とあくまでも任意だと言うことを言いたいようだ。
見かけよりは礼儀を知っている刑事のようだ。
ただそうは言っても聴取はしたいのだろう。
「一番近くにお住まいの方はどなたですか?」と尋ねてきた。
丈一郎は正直にすぐに「多分、私です」と手を挙げて答えた。
「これは参考聴取のようなもので、少しお話し聞かせていただくだけで結構です」と言われ、 パトカーの後部座席に乗るように丁寧に案内されたのだが、丈一郎は内心ドキドキしていた。
外は寒いのでそうしているのだと思うが、パトカーに乗せられての事情聴取のような雰囲気に少し面食らった。
そして、後部座席の丈一郎の横に強面の刑事が席に座ると、すぐに助手席に座った警官に何か合図したように見えた。
丈一郎はひょっとして録音か記録か分らなかったが、何かの指示をしたように、ふと思った。
しかし、後部座席の刑事は意外に優しい口調で丈一郎に
「お名前を教えて下さい?」と聞くので、丈一郎はまず自分から名乗るべきだろうと思ったが、なるべく冷静に
「肥後丈一郎です」と答える。
すると強面の刑事は突然、驚いたように
「ええっ、あなたが肥後さんですか? 失礼しました。私、牧野と言います。私の兄は牧野巌です」
「兄がこの別荘地に親友が引っ越してきたと言ってました。肥後さんのお名前ももちろん聞いてます」とまるで違う表情を見せて、首を嬉しそうに頷くように振って会釈をしてきた。
運転席に座った別の警官も何故か驚いた様子だった。
きっと、彼はいつもはもっと怖いか、冷たい感じの男なのだろうかと思いながら、丈一郎も友人の牧野の弟が刑事をしていることをもちろん知っていて、一瞬で緊張が解けた。
「ああ、そうですか!あなたが牧野の弟さんですか、初めまして肥後です」と挨拶し、その刑事の顔を見ながら
「そう言えば、よく似ていますね」と丈一郎は話した。
「ええ、顔だけは良く似ていると言われます。中身は全く似てなくて、私は兄貴のように秀才ではないので」と照れくさそうにしていたので、丈一郎は益々リラックスした。
丈一郎はそうはいっても彼は刑事であり、事件性の判断をする必要があるのではと思い、
「それで、どんな事を話せば良いのかな?」と彼の方から切り出した。
「はい、それでは少しばかりお聞きします。事件の事情聴取では無いので、あまり遠慮なされずにお答えください。肥後さんはあの倒れていた方と面識はありますか?」
「ええ、一、二回挨拶はした事がある程度ですが、顔は知っていました」
「そうですか、別荘の場合はお近くでもあまりお付き合いはないようですからねえ」と丈一郎に相づちを打つようにその刑事は話し、丈一郎も率直に
「ええ、そうなんです。あの人は特に外出をしない感じの人でしたね」
「分かりました。次にお伺いしたいのは、昨晩何かいつもと違う物音とか、人の声はしませんでしたか?」と事件性の有無につながるような、さりげなく事実の確認をしてきた。
「いいや、特に気づきませんでした。夜九時過ぎにはテレビも消して寝てしまったんですが、トイレで十二時過ぎに起きた時もいつものように静かな夜でした」
「そうですか。この辺の別荘地では夜はほとんど真っ暗なんですよね?」
「そうなんです。夜は『獣』の時間帯ですから、出歩くことはほぼありません」
「分りました。これで結構です。ご協力ありがとうございました。兄には肥後さんにお会いしたことを伝えておきます」とにっこり笑って、後部座席のドアを開けてくれた。
丈一郎の面談はそれで終了し、次に顔見知りの別荘住人の早田がいかにも刑事っぽい若い男に別のパトカーに呼ばれた。
丈一郎は早田の番が終わるのを待ったが、丈一郎よりも少し長い感じで、十分ほどだったような気がした。
早田の番が終わり、丈一郎はすぐに彼のそばによって、
「お疲れ様です。大変な事になりましたね」と話しかけたが、早田の表情は今一つ冴えなかった。
「人ごとではないですよね。私もいつかこうなるのでしょうね」とぼそりと心配事を吐露するので、丈一郎も
「そうですね」と同じようにぽつりと言って、二人とも暫く無言となった。
まだ、住民からのヒアリングは続いているようなので、早田も丈一郎も自分の別荘に、ぽつりぽつりとゆっくり歩きながら戻っていった。
その日の晩に、牧野巌から電話があった。
「弟から聞いたよ。色々びっくりしただろう、すぐ隣のような家らしいな。良ければ明日の夕方にでもそちらに行きたいが、大丈夫か?」と聞かれ
「もちろん、大丈夫だけど、良いつまみが何もなくて歓待できないから、自分で好きな物は持ってきてくれるか」
「オーケー、何か上手そうなつまみと酒を持っていくよ。それから都合がつけば弟も一緒に行くけど良いか?」
「もちろん、歓迎するよ」と、牧野兄弟の訪問が決まった。
実は昨年にも牧野は何度か丈一郎の別荘を訪れていたが、刑事の弟が来るのは初めてだった。
次の日の夜、牧野厳とその弟の牧野剛の訪問を受け、先日のお隣さんの件もあり、三人でちょっと不謹慎な気はしたが、飲みながら少しその亡くなった男の話となった。
牧野の弟の牧野刑事は
「ご近所の方の話では、彼は以前は奥さんと暮らしていたようで、数年前にその奥さんが亡くなりその後は一人暮らしをしていたそうです」
丈一郎は「そうなんだ。年齢はお幾つなのですかね?」
「五十三歳だそうです」
「ええっ、そんなに若いんですか?仕事に行ってる様子もなかったので、年金生活ではなくもしかして生活保護だったのかもしれないですね。てっきり私より年上かと思っていましたよ」
「まだ、調査中なので、これ以上は言えませんが、家族もいないようなので、結構これから後が大変かもしれませんね」と牧野刑事が答えるので、丈一郎は
「そうですね、警察というより、行政の出番かもしれませんね。いずれにしても、何かあったらよろしくお願いします」と、まだ遠慮気味に話すと
「ところで肥後さん、私に敬語を使うのは止めて下さい!兄貴の親友に敬語を使われても恐縮なので・・」と遠慮気味の発言に、早速牧野は
「そうだよ、こいつは俺には頭が上がらないのさ、色々と親や俺には面倒かけたワルだったんだから」と言うと、剛はすかさず
「兄貴さあ、一応、今はこれでも刑事なんだからね。変な話はしないでよ」と刑事らしからぬお茶目な口調で言うので、三人で大笑いをした。
少し雑談をしながら、酒が進んできた頃に
「でも、相変わらず丈さんには、何故かとトラブルが付き纏うよね。学生時代からそうだったな」と牧野がつい口にしてしまう。
「ええ、そうなのですか?どんなことがあったんですか?」と剛が聞くので、牧野が丈一郎の代わりに答えた。
少し脚色を混ぜながら牧野が丈一郎が巻き込まれたトラブルの話をすると、牧野刑事もだんだん「普通ではないな」と思うようになっていた。
そして、一番驚いた事件の話になった。
「極め付けは、北東北の観光船の座礁事故があった時に、予約していたその船を当日キャンセルしたそうだよな」と牧野が言うと、この件は丈一郎も少し話をしたかったので、
「そうそう、あの時は司法試験を目指していた牧野以外のメンバーで、夏休みに就職内定祝いで北海道・東北旅行をしていた時だよ」さらに丈一郎自身が話を続けた。
「俺たちは北東北の世界遺産の自然公園を歩いていて、怪我をして倒れていたエゾシカを助けて、保護団体に来てもらった時だな。翌日も心配で『鹿の様子を見に行く』と俺が我が儘を言って、船の予約をキャンセルしたんだ。そしたら、乗船していたはずの船が座礁したんだ」これには牧野刑事も驚きの声をあげた。
「ええっ、あの時の?!」
「うん、でもあれは命を助けたエゾシカの恩返しだった気がするよ」と話すと、牧野の弟は
「それは、偶然にしては凄すぎる強運なんじゃないですか!」と感心したようだ。
「強運なら事件に遭遇しないので、幸運とか不運とかだけではない気がするな」と中途半端なまとめ方をしたが、丈一郎は誰にも言っていない隠し事があった。
この観光船の時もそうだったが、その後の事を『未来予知』とまではいかないが、なんとなく想像出来ることがあるのだ。
鹿の様子を見に行く自分たちは想像出来たが、観光船に乗る自分たちは全く見えないのだ。
むしろ、それを想像しようとすると頭が痛くなったのだ。
それで、一緒に行ったメンバーに我が儘を言ってキャンセルしたのだった。
未来予知能力に関しては幾つもの科学的な研究がなされているが、予知能力がある人の特徴としては、強い共感力や鋭い直感力そして繊細な感受性が挙げられるようだ。
丈一郎の場合も他人の感情や場の雰囲気を敏感に察知する能力が高いようで、それにプラスして過去の経験や知識に基づく推論を超えて未来の出来事を「なんとなく」感じ取る能力があるようだ。
しかし、他人から見ると、「丈さんにはトラブルを惹きつける引力があるよな。でもそのトラブルはなぜか丈さんの周辺では良い結末を迎える」となるわけだ。
剛は、「その強運を少し分けてください。この運のない刑事に!丈さん」とお茶目な言い方をするので、三人で笑い転げた。
でも、この強運のような未来予測がこの優秀な刑事に乗り移るような出来事が数ヶ月後に起こるのだった。
まだ、少し先の話だが。




