少し不穏な感じ
『南岸低気圧』は本州の南岸を通過する低気圧で、西日本と東日本の太平洋側にも雪をもたらす雪雲の多くは、この低気圧によって発生する。
概ね一月から四月にかけてよく発生する。
西高東低の冬型の気圧配置が緩んだ時に通過しやすく、現在の気象予報技術でも正確な予想が難しい気象現象と言われている。
丈一郎は三月に定期訪問で別荘の様子を見に行った。
東北道から圏央道、関越道そして国道を経由して、最寄りの大笹の交差点からも日常の生活道路を通って来たので、別荘地までは除雪がされておりすんなりと到着した。
しかし、自分の別荘の敷地内はすっかり雪に覆われており、ビルトインのガレージに車を駐車するためには五十センチ近い積雪を掻き出す必要があった。
前週からの南岸低気圧の影響で例年以上の雪が降り積もったようだ。
ニュースで雪国に住む老人たちが大変な思いでせっせと雪かきをするシーンはよく見ていたが、自分でやるとなると大変だ。
丈一郎は作業始めるとすぐに汗をかき、ふうふうと息も上がってきたので、着込んでいたダウンジャケットを脱ぎ、水分補給をしながらの作業となった。
小一時間、せっせと雪を掻出し、崩れてこないように雪掻きシャベルで固めながらの作業の結果、何とか車を出し入れ出来るようにはなった。
それが終わると、いつもの通り水抜き状態からの復旧と給湯器の再開に取りかかった。
手順は分っているはずなのだが、時々間違えるのは年のせいだろうか?と考えながら作業を続けた。
あと十歳や十五歳も年をとるとこんなことも出来なくなるのかなと考えると、面倒な作業も何故か愛おしいような気になる。
とりあえずライフラインを確保し、丈一郎はほっとして別荘地の中をのんびり散歩に出かけた。
雪の別荘地は静かで、ところどころ定住している家もあるが、そのほとんどが雪を被りひっそりと静まりかえっていた。
「今年の冬景色はこれが最後かもしれないなあと思いつつ、いよいよ春に向けた準備だな」と、相変わらず雪の中に獣の足跡を確認しながらも、彼はもうすぐ訪れる春の別荘地を楽しみにしていた。
次の日の朝方に丈一郎は変な夢を見た。
< 丈一郎の夢 >
別荘地の中の道は除雪が行き届いており、丈一郎は道から見える雪に埋もれた別荘地の鹿やウサギなどの足跡を追いかけながら小一時間ほど歩くと、ある家の庭先の雪の中に白くて動く生き物がいる事に気がついた。
わずか数メートル先に猫ぐらいの大きさの丸々とした白いウサギが前足を前後にして後ろ足を揃え行儀良く座っていた。
彼は嬉しくて少しドキドキしながら、脅かさないように立ち止まり、そっとカメラを取り出した。
カメラを構える前にウサギを見ると、耳と耳との間の頭のてっぺん部分に何かがくっついているように見えたので、カメラのズームで確認すると何もなく、再度、肉眼でみるとそのてっぺんには大きな茶色いカブトムシのようなものが乗っていた。
いきなりウサギが喋った。彼は思わず驚いて息を飲んだがこう言っているように聞こえた。
「あんた、『わし』のことが見えるようやね」
彼はドキドキしながら、
「ああ、見えるよ。ウサギさん」と言いたかったが、まさかと思い黙っていた。
するとさらに、
「そうじゃなくて、ウサギの頭に乗っている『わし』の方じゃ」
「ええっ、まさかカブトムシがしゃべっているはずはない、よ、な」と声に出さずに頭の中で考えただけなのに。
「カブトムシというのはわしみたいな外観なんや」と、直接彼の頭の中に答えを返してきた。
「ああ、もう!俺は何を想像しているのだ。そんなことがあるはずないだろう」と思わず視線を近くの高い木の枝に向けて、唇を一文字に閉めて頭の中で考えた。
すると、さらに
「あんた、もっと良く見なはれ。あんたには見えるはずや。わしに気が付いたんやから」 と中年の関西弁のおじさんのような声がはっきりと聞こえた。
丈一郎は息を大きく吸ってから兎の頭の上に乗ったカブトムシのような変な物をじっと見つめた。
その生き物の胴体部分には後ろ足が何本か生えていて、そこから先の胸部分は軽く反ったような姿勢になっており、そこから前足というか腕のようなものが左右に生えていて、その上に頭がありてっぺんからユラユラ揺れる触覚のようなものが伸びていた。
そして、その変な生き物の頭の部分の両側にある目が丈一郎を見て微笑んだ気がした。丈一郎は
「まさか!君がしゃべっているのか?」思わず声に出してしまった。するとその変な生き物は首を縦に振るではないか!この瞬間から彼は全ての考えと動きを止めてしまうように固まってしまった。
「こいつは喋るというより、テレパシーで人と会話をする昆虫なのだ。
しかも自分のことを『わし』と言う変な関西弁のおっさんみたいな喋り方をするとは、いや、今俺が考えていることをこの変な生き物は全て理解しているのだ」と頭の中で考えると、
「やっとわかってくれたんやな。よかったで。最初に日本語を覚えたのが、関西の繁華街だったんで、こんな話し方になったんや」とその変な生き物は返事を返してきた。
「やっぱり、そうなんだ。でも、どうしてウサギの頭の上に乗っているんだ?もしかするとウサギをコントロールしているのか?」と丈一郎は声に出して尋ねた
「それは少し違うな。コントロールではなく、仲良くなったんで、わしの思うように動いてくれるんよ」
「それに、少し寒いとこうして毛の中に隠れると暖かいんやで」と、そいつはウサギの毛の中に隠れ、頭と触覚だけを出して笑ったように見えた。
「ウサギとも話ができると言うのか」と、丈一郎は不思議に思い心の中で聞くと、
「ああ、あんたと同じようにな。言葉は全くちゃうけど、大体同じように話せるで」彼は、驚き続けるのが無駄に思えて開き直ったように尋ねた。
「君はずっと地球にいるのかい?それとも、どこか違うところから来たのかい?」と、城一郎は今度は声に出して尋ねた。
「良いところに気がつきはったね。そう、わしはこの星にずっと住んでいるわけやあらへん。君ら人間の言葉で言うところの宇宙人や」
「何をしに地球に来たんだ?」
「それは言えへんな。きっと、驚いて絶望するやろうから」
「つまり、人間にとって良いことではないということか?」
「そうでもないで。この星を健全な状態に戻すためやから。ただ、君ら人間はこの星の生物の頂点にはおれなくなるけどな。でも、これまで通りに生きていければ問題ないやろう」
「つまり、人間に変わって地球を支配すると言うことか?」
「それはちゃう。『地球の支配者は地球そのもの』で、人間でもわしらでもあらへん。わしらは人間の愚かな行為を君らが言うところのコントロールするだけや、地球とこのウサギと同じような全ての生き物のためにな」
「それは、そのウサギと同じように人間の頭の上に乗ってコントロールするのか?」
「いいや、頭に乗らんでも良えんよ。ある程度近くにおれば、同じことができまっせ」
「君らは一体どれだけの数で地球に来てるの?」
「ははは、それを聞いてどないするんや? 教えてあげるけど、現代の人間の使う単位で五千億やね
「ええっ、人間より遥かに多いじゃないか?」
「ああ、そうや。わしらは人間だけではなく、地球上のあらゆる生き物と会話ができるし、わしらが思うようにコントロールできるんや。あ、コントロールやのうて、相手が動いてくれるんや。地上ではゾウだったり、ライオンだったり、海の中では鯨だったり、シャチだったりと既に仲良くなっておるよ」
「皆、支配的な生き物ばかりだね」
「まあ、そうだね。弱い生き物だと他の生き物に食べられてしまうからね」
「なるほど。ところで、君らは何を食べて生きているの?」
「主に生き物の糞や、もっと上品に言うと排泄物」
「ええっ、なぜそんなものを食べるんだ?」
「地球上の生の植物や生の生き物はわしらにとっては毒なんや。地球上の動物が食べて消化したものが一番体には良いんや。だから、動物が生きている環境があればわしらも生きてけると言うわけや」
「ところで、君らの居た星はどうなったの?」
「良い質問だね。わしらと動物の数が増えすぎたんで、こうして他の星への移住を始めたわけさ」彼はおどけたように標準語で話した。
「わしからも聞きたいことがあるんやけど、聞いて良えか?」
「ああ、どうぞ」
「この別荘にも、あんたらが知らない事がぎょうさんあるけど、どんな事かわかるか?」
「いや、何のことだい?」
「例えば、誰も住んでいない別荘にどんな生き物が住んでいるかとか、森と人間界の出入り口がどこかとか、あんた知ってるか?」
「いや、全然わからないよ」
「そうだろう、人間は色んなことを知らないくせに、何かが起こると『こんな事が起こるなんて信じられない』と言っていつも驚いているんだよ」さらに続けて、
「人間は地球上の多くのことをコントロールすることが可能だと思っているようだけど、動物や生き物と話もできずに、気持ちもわからないのに何を分かったつもりでいるんだろうね」とカブトムシのような生き物は彼に哲学めいたことを語りかけてきた。
丈一郎も大きく頷かざるを得なかった。
そのカブトムシのような生き物には未来が見えているのか
「近いうちに地球の怒りに触れるかもな・・すると人間はやはり予想できない“天変地異”とかなんとか言うのだろう」と呟いた。
そして、丈一郎はカブトムシのような生き物に最後に
「あんたもまあ、“精一杯”生きなはれ!」と励まされた。
少し嬉しかった。
丈一郎は、人間の頭の上にこのカブトムシのような生き物が乗っかって、人間をコントロールする姿を思い浮かべた。
頭にカブトムシのような生き物を乗せて、人間達は皆陶然として楽しそうに生きている姿だった。
愚かであっても他の動物の支配を受けない誇りを持った人間が、地球外の生命体に乗っ取られていて、そのことに気づかない生き物となっているのだ。
「ああ、人間の繁栄など地球にとって必要な事ではなく、むしろ他の多くの生き物の繁栄こそが重要なんだ!」と誰かの叫ぶ声が聞こえて、丈一郎も同様に絶望し、ハッと目を覚ました。
< 夢の終わり >
丈一郎は目を覚ましても暫くの間まだ夢の中にいる感覚がして、微かに呼吸をしている自分に気がついた。
自分の頭を触って、まだ、カブトムシの支配下にはないのを知って、少しホッとした。
そして、随分リアルな雰囲気の夢に驚き
「地球の支配者は地球そのもの」
「人間は色んなことを知らないくせに、何かが起こると『こんな事が起こるなんて信じられない』と言っていつも驚いているんだよ」
と言うカブトムシのような形の変な生き物の格言のような言葉が耳に残った。
「本当にそうだな」と自分の夢に感心するのだった。
人の少ない雪に覆われた別荘地で一人でいると、人よりも自然界の生き物との交流を望むようになるのだろうか。
時々、突然何か得体の知れない物が目の前に現れてもおかしくない気がしている。
丈一郎の住む別荘地は国有林と隣接しており、そこは深い森と野生動物の住処で、隣に彼らは住まわせて貰っているのだ。
そして四月になり、丈一郎は北浅間村での本格的な別荘暮らしを再開した。
基本的には自宅に帰るのは月に一、二度で、それ以外は北浅間村に住む予定だった。
この季節は日が沈んだ後の夕方から夜は相当冷え込むが、日中は雪も所々残る程度で、別荘地の静まりかえった趣にゆったりとした安らぎを満喫できた。
晴れた日には雪に輝く浅間山を望めて、四阿山や表万座、草津白根山にも雪がまだしっかりと残っていた。
この山々の壮大な眺めを深呼吸をするように無心で眺めるのが丈一郎の楽しみの一つだった。
また、まだ葉を茂らせていない木々の枝には、野鳥が待ちきれないように遊びに来ていた。
この野鳥を観察するのも趣味の一つで、散歩の際にはキャノンの望遠機能の優れたデジカメを肩から下げて出かけた。
どこでもたくましく生きるヒヨドリが元気に囀り、平野では余り見ないジョウビタキやヒガラの仲間と共にウグイスの声も混じるようになっていた。
昨年は五月にはカッコウが訪れ、一日中高い木の上でその分かりやすい鳴き声を響かせていたが、四月上旬にはまだ訪れていない。
それと彼にとっては新たな変化の一つで、貸別荘の清掃・管理のアルバイトを始めた。
初日は、オーナーの手ほどきを受けながらの作業となった。
大雑把に言うと室内・外の清掃と備品の管理だが、一つ一つの作業に手順があり、利用者であるお客様目線での仕上がりが要求されるので、旅館での清掃作業と同様の質が要求される。
野外設備の清掃点検を含めると旅館の清掃よりも対象範囲は広いかもしれない。
ただ、部屋数が二、三部屋と少ないだけだ。
施設により仕様は異なるようだが作業は大体同じだった。
作業の最後は全ての作業のチェックを実施することで終了だ。
このチェックが品質維持にとって重要で、いい加減に実施するとお客様のクレームともなるので、時間を掛けて実施する必要がある。
最初は以上の作業で三時間程度を要した。
慣れてくると一時間半から二時間程度で終わるとオーナーは言うが、丈一郎にとっては
「当分はこの三時間を二時間半にする位が妥当かな」と思っていた。
とにかく初日を終えほっとして、昼食を車で十分ほどの、いつも空いている食堂で頂くことにした。




