第十二話 打倒
「おかしい」
ルミアはそう思った。最初の方から少し異変は感じていた。あれセンの上達早くない?と心の中で思っていた。だけど最初のうちだけだろう。そうたかを括っていた。どうせすぐに壁にぶち当たる。私もそうだった。ルミアはそう考えていた。
だがセンはそのルミアの考えを嘲笑うかのようにメキメキ上達していった。ルミアは焦った。このままでは抜かれてしまう。そう思った。だから一緒に素振りをし始めた。同じ量練習すれば抜かれることはないだろうと思った。
ルミアは天才だった。幼い頃からなんでもできた。神童と噂され、師匠にその才能を買われ、弟子にしてもらった。ルミアは自分よりできるやつの存在を知らなかった。師匠は自分より強いが、年が違いすぎる。そう言い訳していた。同年代、もしくは少し年上に自分に叶う奴などいないと思っていた。だから少しおごっていたのだ。最近は鍛錬を真面目にやっていなかった。そんな自分を少し反省した。だから一緒にやろうと思った。
だがルミアはついていけなかった。なんで?そんな思いが胸中を占領する。簡単な話だった。練習量が違いすぎる。センはもう起きている時間はほとんど刀を握っていた。そして真面目に自分のダメなところを改善し、真剣に素振りをした。
ルミアは自分を恥じた。自分がいかに真剣にやっていなかったかを理解した。理解したのだがルミアはまだ幼かった。自分が負けることが認められなかった。だから一緒にやることを放棄した。ルミアの心の中に初めての感情が芽生えた。
悔しさ。
通常誰もがどこかの段階で得るものだが、ルミアはその経験をポッカリと落としてしまっていた。ルミアは初めてその感情を経験し、そしてその苦さに歯を食いしばった。家に戻れたら、師匠に教えを乞おう。そうルミアは決心した。
久しぶりに寝た。十二回は太陽が上がるのを見ただろうか。あんまり数えていないから正確な数はわからない。不思議と体は疲れていない。なんだか人間を辞めているような気がする。だけどそれくらいじゃないとこの世界は生き残れない。なんせ魔族がうじゃうじゃいるのだから。
ルミアはずっと俺の素振りに付き合ってくれていたがある時からつきあってくれなくなった。どうして付き合ってくれないのと聞くと、馬鹿らしいと言われた。その言葉の真意はあまりわからない。ルミアは模擬戦もしてくれなくなった。最初の頃はしてくれた。もちろん俺がボコボコにされて終わりだったけど。でもやっぱりある時からしてくれなくなった。
体感ではまだルミアより鋭くなっていない。ルミアのあの鋭さにはまだ勝てていない。と思う。自分の素振りに没頭しすぎて、彼女の鋭さを思い出せない。
「じゃあ…いくよ」
「いくってどこへ」
仮小屋の中からルミアが出てくる。この小屋は彼女のために作られたものだ。俺には作ってもらえなかった。
「あなたは…そとでいい」そんな風に言われた。
その嗜虐的な笑みにゾクリとした感覚を今でも覚えている。一も二もなく返事した。別に不満はない。何せほとんど寝ていない。寝床なんか必要なかったし、多分あっても邪魔なだけだったろう。
「熊…倒しにいく」
「え…あれはルミアが倒したんじゃ」
「私は…峰打ちしかしてない」
確かに彼女はあの時峰打ちをしたと言っていた。つまりあの熊はまだ存命ということか。
「今のセンなら勝てる」
「随分と評価してくれてるな」
「別に…手心なんて…加えてない…正当な評価…調子のるなバカ」
そっぽ向きながら俺を軽く叩く。そんなことができるほどには仲良くなった。やはり共同生活をするといやが上にも仲良くなる。
ふとあの熊魔物に殺されかけた時の恐怖が蘇る。ルミアが助けてくれなかったら死んでいたあの瞬間だ。心臓がきゅうと縮み上がる。呼吸が苦しい。
ルミアが心配そうにこちらを覗き込む。
「大丈夫?…具合悪い?…ほとんど寝てないから」
いや大丈夫だ。俺は無理やり呼吸を整えた。大丈夫俺は強い。半ば強制的に意識を別の方向に向けた。
「じゃあ行こう」
そこまでの道のりは探す必要も思い出す必要もなかった。『周辺探査』で強大な反応は相変わらず一つだけだった。この修行期間中に合わないように散々避けていた。ずっと逃げてきた。今はまだかなわないからと、避けていた。そのうちにその恐怖は次第に大きくなっているのを感じていた。膨らみすぎて風船のように爆発寸前だ。その膨張は俺の他の器官を圧迫し息がしづらいし、圧迫感が凄まじい。汗がたらりと垂れる。あれここってそんな酸素薄かったっけ。呼吸が浅くなる。もう見える範囲にあの茶色の悪魔がいるのがわかった。
そいつは待ってましたとばかりに屹立している。そして一つ咆哮をかます。俺は完璧にその咆哮に飲まれた。恐怖が爆発し、パニックになる。
「やばい…やばいやばい」
どうしたらいいかわかんなくなって、なにをしたらいいかわからない。ぐるぐるとかんがえようとするがすべてがまっしろだ。なにもかんがえられにあどうしようもうだめかもしれにあけっきょくむだだたんだl
不意の衝撃が俺を我に返した。何をされたかわからなかった。恐る恐る背中に浴びた衝撃の理由を確認するために振り返る。ルミアが背中をたたいたのだと分かった。
「大丈夫!」
初めて聞く彼女の大きな声。彼女が大きな声を出すのが苦手なのはこの共同生活を通して知っていた。そんな彼女が俺のために無理をしてまで声を張ってくれた。彼女はちょっと涙目だった。彼女にとって声を張るというのは重いのだろう。それを無駄にするような男に俺はなりたくはなかった。
正直まだ怖い。それは事実だ。逃げ出したい。それは事実だ。
だけど信じてくれるルミアが後ろにいるのに俺が逃げるわけにはいかないと思った。
深呼吸をひとつする。刀をいつもよりゆっくり抜く。大丈夫いつもやってきたじゃないか。死ぬほどやってきたじゃないか。なんの問題もない。だんだん思考がクリアになってきたのを感じた。気分が落ち着くのを感じた。冷静になるのを感じた。思考がクリアになると熊魔物が怯えているだけなのがはっきりと分かった。なんだ俺が何も見えてなかっただけじゃないか。見渡せばほら大したことはない。
俺は一歩ずつゆっくり熊魔物に近づいていった。熊魔物はゆっくりと後ずさる。怯えているのだ。一ヶ月も経たないうちにいつの間にか逆転しているこの状況が面白くて俺はふんと笑った。あの時熊にやられたように心底熊をバカにして笑ってやった。お前が強さにあぐらを描いている間に俺は強くなったぞ。もう恐怖は消えていった。さっきまでの自分がバカみたいだった。やっぱり俺は未熟だなと思った。
「がうっ」
精一杯の雄叫びをあげて熊魔物は俺に飛びついてくる。それだけで決着はついた。熊魔物の動きは止まっているように見えた。ひどく遅く感じた。だから俺はそれに合わせていつも通りの素振りをするだけでよかった。できるだけ鋭く、鋭く、いつも考えてきた動きと寸分違わない動きで。
俺は刀を振り抜いた。
重さを感じなかった。
だけど明確に命を奪った感覚が手に残った。
俺は生きていることを理解した。
どさりと熊魔物は大きな音を立てて、倒れた。俺は勝ったのだ。心の底から名前のつけられない不思議な感情が溢れ出した。
最高評価をいただいてしまいました。ちょっとさっきまで小躍りしてました。家族に見られて恥ずかしかったです。




