その7
どんな経験をしたところで、僕はまともな人間にはなれなかった。
一日学校に通って、翌日からまた不登校に戻った。卯月の言う通り、クラスメイトには歓迎された。久しぶり、元気にしてた? ずっと心配してたんだよ。その言葉が僕にとっては気持ち悪かった。彼らに嘘をつかせてしまっている自分が情けなくて、なんだか責められているような気分になった。
生きると決めてしまった以上、将来のため勉強をしなくてはならない。それは死のうとすることよりも苦しいことであった。勉強には全く力が入らず、なし崩し的に迎えたセンター試験の出来はあまりに醜いものであった。大学からは何度も落選通知が届いた。そうしてすっかり心が折れ、専門学校に転がり込んだ。
奨学金を借りて、実家を出た。社会勉強のために始めたアルバイトは、一週間で辞めた。
「まあ、よかったじゃん。結果としては前に進んでるわけだし…… ね?」
助手席に座った卯月が言った。
「励まされると余計情けなくなるからやめてほしい」
「……うん、ご、ごめんね?」
車内が静かになった。
「そ、そういえば、凄くいい車だね」
「……親に買ってもらった」
できる限りの自立は目指した。家賃、学費、生活費、奨学金を用いて親に迷惑をかけぬよう、と。ただその自立心は親からの車購入の提案を断れるほどの胆力を持たなかった。
「大学は楽しい?」僕は言った。
「結構楽しんでるよ、高校とは全然違うんだね」
「友達は出来た?」
「……同じサークルの子たちと上手くやってるかな」
「勉強はついていけてる?」
「うん、うん、いや、ついていけてるんだけどさ……」
「悪い男に騙されてない」
「な、何? お父さんになっちゃったの? いや心配してくれる分にはうれしいんだけどさ」
「なんか心配なんだよ、桃は。どっかで思いっきりすっ転びそうで」
「……君がそれを言うんだ」
稲葉探偵事務所に到着した。
事務所は簡素な作りだった。ローテーブルをソファーが囲み、壁に本棚があった。窓からの日差しがプレジデントデスクを照らしていた。
「久しぶりぶりやねお二人さん。大学は楽しんどるか?」稲荷は言った。
「だから専門学校だって言ってるだろうが」
「なんやえらい不機嫌やなぁ。男の癇癪は需要あらへんよ?」
「女の癇癪にも需要はねえよ」ソファーでくつろいでいた葉月が言った。
葉月は稲葉探偵事務所の職員として稲荷についていくことにしたらしい。きっと彼女なりの思いがあったのだろうが、そんなものは僕の知ったことではない。
「で、要件は何でしょうか」と僕は訊ねた。
「君たち現代っ子に手伝ってほしいことがあるねん。おじさんSNSとかようわからんくて」
「そこに現代っ子がいるのでは?」僕は葉月を指さした。
「あんなもんまともな人間がやるもんじゃないだろ。現実で上手くいってないカスが分不相応に承認欲求満たすためのもんだ」
「な? 葉月ちゃんもこんな感じやねん」
「SNSで広報作業ってことですか?」と卯月が訊ねた。
「ちゃうちゃう。別にそんなめんどくさいことせんよ。早い話がな? 出たんよ、口裂け女が」
「SNSに?」
「そうそう。『私、綺麗?』ゆうて」稲荷はスマホの画面を見せてきた。マスクを付けた顔写真が投稿されていた。
「……これが口裂け女、なんですか? よくある投稿にしか見えませんが」
「そう、ありがちな投稿なんやろ? やから困ってんねん」稲荷は返信欄を見せてきた。ぶっさ、痛々しくて見てられない、乳見せて、黒歴史確定。
「ほいでこの返信した人が刺されたんやって。ほら、口裂け女に『綺麗じゃない』っていうと刺されるやん?」
怪異にも現代化の波が来ているらしい。




