政略結婚をした父と母の話
※別話の政略結婚とつながりはありません。
貴族社会で政略結婚は珍しくない。
個人の気持ちよりも、血筋や家同士の結びつきが優先される。
現に、ウィロウビー侯爵家現当主である父と母も政略結婚だった。
婚姻を結んだときはまだ爵位を継いでいなかった父だったが、ウィロウビー侯爵家の長子として生まれたときより後継として育てられてきたので、その妻になる相手も当然のように侯爵夫人としての資格の有無が優先事項だった。
同格の家柄、夫より目立とうとしない控えめな性格、それでいて将来の侯爵夫人として恥ずかしくない社交性、そして何よりも後継を産めるよう健康であること。
そんなウィロウビー侯爵家の求める項目に、母は合格できたといえる。
個人の幸福よりも、血筋や家同士の結びつきばかりを優先させた、見事な政略結婚だ。
母が十七歳のときのことらしい。
そして夫となる相手、つまり父は誰から見ても立派な侯爵家の後継だったという。
学生生活を優秀な成績で修め、城の文官として働き、将来の宰相候補として期待されていた。
二十五歳で母と結婚したらしく、政略結婚としてよくある年齢差だ。
そんな父は、子から見ても何を考えているか分からない人物だった。
結婚した翌年に爵位を継ぎ、真面目な性格で無駄を嫌い、必要なこと以外は話そうとせず、身分に相応しい貫禄を常に崩さない。
笑っているところなど見たことがなく、無駄なことを決して発さない口は固く引き結ばれているのが基本だった。
つまり子から見ても父は父というよりも、ウィロウビー侯爵そのものだった。
そんな父だから、人々は父と母を政略結婚そのものだと噂していた、が――。
「――何をしている?」
わずかに扉の開いた隙間から聞こえてきた声は、抑揚のない低い父の声音。
父は表情はもちろんのこと、声も無に等しいくらい変化が少ない。
幼い頃は父の感情が分からず、低い声で尋ねられるたびに怒らせてしまったのだろうかと深読みして怖がっていた。
しかし、そんな深読みとは無縁で、言葉を言葉のとおり受け取る人物がただ一人いる。
「眉間に皺を作ってうたた寝をしていたから、伸ばしてあげていましたの」
父の抑揚のない声音とは対照的に、どこか楽しそうな明るい母の声も聞こえてくる。
対照的なのは声音だけではなく、母はいつも表情豊かで楽しそうに笑っている。
「まあ、なんて頑固な皺かしら。くっきりと刻まれて全然伸びないわ」
「……なら諦めてくれ」
聞こえてくる父の声音は変わらない。
全く笑っていない声だ。
きっと母は父の眉間に刻まれたあの深海のように深い皺を、容赦なく指で伸ばそうとしているのだろう。
しかし母は父が笑っていなくても気になどしない。
「……眉間の皺をなくすんなら、膝を貸してくれ」
「ふふふ、どうぞ」
母が楽しそうに笑う声が、わずかに開いた扉の隙間から聞こえてきた。
……非常に入りづらい。
父に用事があって執務室まで来たのに、まさか母も一緒にいたとは。
いや、一緒にいたというよりは、母があとから入ってきたら、長椅子辺りで眠っている父を見つけたのだろう。
自分の間の悪さを呪いたくなる。
そんなことを思っていると、隣から伸びてきた手に袖を引っ張られた。
「お兄様、中に入らないの?」
「ないの?」
側から妹が首を傾げながら尋ねてくる。
袖を引っ張る手とは反対の手には、手作りのクッキーがある。
美味しくできたから父に差し入れしたいと言われて、こうして一緒に執務室までやってきたところだ。
妹の後ろには、さらに下の妹がにこにことしながら姉を真似て、こてんと首を傾けている。
妹たちは母に似て表情豊かで愛らしい。
きっと今この執務室の中に入っても「お父様とお母様は仲良しね」と言うだけだろう。
しかし、顔も性格もまあまあ父に似ているぼくは、母と仲良しな父に対してどういう表情を向ければ良いか分からない。
あと、ちょっと思春期な年頃なので、両親の仲が良いのはとても良いことだと分かってはいるけれど、膝枕をされて眠っている父はあまり見たくない。
なので、この中に入る勇気は当然ない。
母が閉め忘れただろうわずかな扉の隙間を、音を立てないよう静かに閉めた。
「あー……うん、少し庭で遊んでからにしようか?」
「ええ、お兄様」
「わーい」
妹たちが素直で良かった。
父の仮眠が終わった頃に戻ろうと考えながら、妹たちを連れて庭へと向かった。
父と母は政略結婚だ。
母は目立つことを好まず控えめな性格ではあるものの、物怖じしない明るい性格で、常に楽しそうに笑っている。
あの父を相手に笑顔で延々と話しかけることのできる母はすごいと思う。
父は聞いているのか聞いていないのか分からないくらい表情は変わらないが、わりとお喋りな母の話を遮ることなく最後まで聞いている。
父の笑顔というものを見たことはないが、機嫌が良いということは何となく分かる。
機微な違いだが、常に引き結ばれている口の端がほんのわずかだけ緩い。
それを笑顔と呼べるかは疑問であるものの、母といるときの父はたいてい機嫌が良いのは事実だ。
反対に機嫌が悪いときの父も分かりづらいものだが、母は父の様子にすぐ気がつき、そういうときは静かに側に寄り添っている。
忙しい身である父が家にいることは少ないが、その少ない時間の中でも妻と、そして子どもたちと過ごすことを心掛けていた。
父はウィロウビー侯爵であり、そして母の伴侶であり、子にとって尊敬できる父である。
そんなウィロウビー侯爵家の長子として生まれたぼく自身にも、家同士が決めた婚約者がいる。
婚約したばかりなので相手のことはまだよく知らない。
初めて会ったときは少し緊張している様子が伝わってきたが、こちらの問いかけに懸命に答えようとし、丁寧な人柄であることが感じ取れた。
結婚するのは数年先なので、少しずつでも良いので相手のことを知り、お互いを尊重し合える関係になれるよう努めたい。
好きな相手でも、知らない相手でも、初めから相手のことを分かっているわけではないと、そう言ったのは母だった。
父と母もそうだったのだろう。
いまの両親の姿は、互いに歩み寄り積み重ねてきた信頼の結果だ。
それを忘れないようにしたい。
政略結婚をした、父と母の話である。
無口無表情な男性と明るい女性という対照的な夫婦だけど、実はすごくラブラブというのが大好きです。
読んで頂きありがとうございました!




