イデア 決着
「何故ロイス殿下に『黒魔術』をかけなかったのかと、アレクシス様が聞かれておりますわよ?」
わたくしは、自分の足元で跪いたフライア様を見下ろした。
トニーノから、わたくしにかけてもらった『黒魔術』。それを『闇魔法』でフライア様と『入れ替え』た。だから、今、フライア様は、黒魔術によって、心臓を握り潰されるような苦しみを味わっている。
さっきまで、わたくしも同じ苦しみを感じていたからわかる。
死と隣り合わせの、どうしようもないほどの苦しい痛み。怪我の傷とは違う。内臓のーーー特に心臓の痛みには格別な恐怖がある。
わたくしは、確信を持って、フライア様を眺めた。
この痛みを無視することはできない。
フライア様は、その華奢な身体を震わせ、くすんだ桃色のウェーブのかかった髪が数本、顔にかかったままわたくしを睨み付けた。
「ーーーあの娘に、早く解かせなさい。これを」
わたくしはクスクスと笑った。
「あら、『何を解く』というのでしょう。トニーノ様に『黒魔術』をかけてもらったのは、わたくし自身。『黒魔術』は他人に移りませんわ。それにわたくし、様々な知識はあるつもりですが、『黒魔術』に関しては全くございませんのよ?誰かとは違って。だから、フライア様に『黒魔術』を使うこともできません。フライア様は『黒魔術』を使われた気になっているだけで、本当はただのご病気なのでは?」
「っ、、、」
わたくしが言うと、フライア様は歯を食い縛る。
「ーーーでも、ステラに『聖魔法』を使わせるかどうかは考えなくもないですわね。ーーー使うかどうかはフライア様次第ですが。まぁ、ここには映像を残す機械も御座いませんし?アレクシス様の質問に答えるくらいなら、良いのではないですか?」
フライア様は、ぎゅっと目を閉じた。
痛みに我慢ができなかったのだろう。その口を、ゆるりと開いた。
「ーーー効かなかったのよ。ロイスには」
「言う相手が違いましてよ」
わたくしは低く、声を落とした。
わたくしは視線で、フライア様の目の向きをアレクシス様の方に誘導する。
「わたくしに言うのではなく、アレクシス様におっしゃって。貴女に尋ねたのはアレクシス様ですわ」
わたくしが言うと、フライア様は憎々しげにアレクシス様を向いて、声を上げた。
「ーーーロイスには何故か、全く効果がなかったの。だから、代わりにジュリアンに『黒魔術』を。それがいつかーーーそれがロイスの足を引っ張ってくれることを期待して」
ギュウ、と心臓が絞められて、フライア様は悶絶するように顔を歪めた。
「ーーー何だそれーーー」
ジュリアン王子が、静かに怒りを顕にする。
「俺が、この身体でどれだけ苦労したかーーー」
ジュリアン王子の唇が震え、その唇を強く噛み締めた。
しかし、苦しむフライア様にはジュリアン王子の声は届いていない。ーーーいや、届いていても気にしていないようだ。
そもそも、このくらいで心が動かされるくらいなら、10年以上も黒魔術などかけていられないだろう。
フライア様は、わたくしをギロリと睨み付けた。
「ーーさぁ、話したわ。早くこれを解いて」
きょとん、とわたくしは不思議そうな顔をしてみせる。
「あら。わたくしは考えなくもない、と言っただけで、誰も『解く』とは断言しておりませんわ」
フライア様の顔は、般若のような顔に変わる。
「イデアっ!貴女ーーーっ!!!」
甲高い声で、フライア様は悲鳴のようにわたくしの名を呼んだ。
ふぅ、とわたくしは肩を落として、ため息をついた。
「ーーー『黒魔術』、『黒魔術』、『黒魔術』。最近、この話ばかり聞いて、耳にタコができてしまいそう。わたくし、一度聞いたら覚えてしまうタチなので、何度も同じ言葉を聞くのに慣れておりませんの。正直、もう飽きてしまいましたわ」
あぁ、とわたくしは小さく口を開ける。
「ーーーもし、フライア様が、わたくしから『黒魔術』を移されたとお思いならば、安心して良いですわ。わたくし、トニーノ様にお願いしましたの。『苦しくとも死なない程度に』と。だから、フライア様は死ぬことは御座いません。良かったですわね」
にこ、とわたくしはフライア様に微笑み、もう一度、丁寧にカテーシーをした。
「ーーーここでは何の成果も得られませんでしたので、わたくし達はこれでお暇いたしますわ。屋敷に帰ってから、ゆっくり今後の事を考えさせていただきます。フライア様もご健勝のほど、ご自愛下さいませ。では、失礼致しますわね」
カテーシーを解いて、わたくしは踵を返し、フライア様に背を向ける。
「ーーーちょ、ちょっとーーー」
フライア様の険しい顔が、一気に不安そうに変化する。動揺しながら小声で呟くが、わたくしの耳には僅かにしか届かない。
わたくしはその声を無視して、フライア様並みに狼狽えているステラに視線を送った。
「さ、行きますわよ。アレクシス様、ステラ。仕方ないから、ジュリアン殿下も乗せてあげますわ。チャロが大きく成長して良かったですわね。少し前でしたら、定員オーバーで乗れませんでしたわよ。チャロに感謝なさってね」
「え、で、でもーーー」
ステラはフライア様を気にして、チラチラとフライア様に目を向けた。
「ステラ。そんなに気になるなら、ここに置いていっても宜しくてよ?」
「い、いえ。ーーー私も一緒に」
ステラは首を振るので、わたくしはそのステラに微笑んだ。
「そう。わかったわ」
ステラなりに考えてくれたようだ。
ここに残って、得することは何もないと。
「順番は、前からジュリアン殿下、ステラ、わたくし、アレクシス様、の順ですわよ。これだけは譲れませんわ」
ジュリアン王子とは肌を触れ合いたくもないし、妹とはいえ、アレクシス様に他の女性を触らせたくもない。この順番がベストアンサー。
わたくしがヒョイとチャロに乗ると、それにアレクシス様が続く。ジュリアン王子がステラをチャロに乗せて、自分もチャロの背に乗った。
「ーーーフライア様。そしてトニーノ様も。御機嫌よう」
わたくしが晴れやかに挨拶すると、チャロが茶緑色の大きな翼を広げて、その足を宙に浮かせた。
バサバサと翼の音が鳴り、入ってきた穴から出ていこうとした時に、ようやくフライア様の大きな声がはっきりとわたくしの耳に聞こえた。
「待って!!ちゃんと自首するから、このままにしないで!!」
フライア様の悲痛な叫びに、チャロはその空気を読んで、その場で留まる。
わたくしは目を細めた。
「ーーー嫌、ですわ」
え、と、ジュリアン王子とステラがわたくしを振り返る。
どうやら2人は、わたくしが、フライア様自ら自首するように仕組んでいると思っていたらしい。
ーーーもう、彼女を助けるその時期は、とっくに過ぎ去ったというのに。
「何故、死にもしない貴女を助ける必要が?」
わたくしは、床に両手をついて懇願するような姿勢のフライア様を、チャロの上から見下ろした。
「わたくしも馬鹿ではありませんわ、フライア様。これで自首したら、貴女は王族の殺害未遂で打ち首になる。そして名誉も失うでしょう。犯罪者の息子が王に立つこともない。死なない苦痛か、様々なものを背負って死ぬ苦痛か。ーーーどう考えても後者の方が貴女には辛い」
フライア様は、その目を大きく見開いた。
「身体を治したらすぐに、またわたくし達に『黒魔術』をかける依頼をしにいくでしょう?それこそ『即死級』のものを。でも、その苦痛を抱えていては、黒魔術を使うアジトまで足を運べるかしらーーー無理ですわね。動くこともままならない。でもその怪しい方達をこの王宮に連れてくるわけにもいきませんしね。それこそ証拠を残すことになりますもの」
そう言ったわたくしの前から、ステラの「なるほど」と暢気に呟いた声が聞こえた。
「しかし、わたくし達には、今、貴女を訴える証拠はなくてもこれからの時間があります。動ける身体も。ちゃんと調べたら、自首させなくてもきっと見つかりますわ。いえ、見つけますわよ、このメンツが揃っていて、見つけられないはずがない」
フライア様は、わたくし達を眺める。
茶緑色の竜の上。
そこに乗るは、この国の王妃の血を引く王子であるジュリアン。
そして高位貴族の中でも公爵に次ぐ侯爵と等しい位の辺境伯、アレクシス様。
公爵の娘であるわたくし。
そしてーーー辺境伯令嬢であり、この世で唯一『聖魔法』が使えるステラ。
ステラが『聖魔法』を使えると知れば、『教会』はこちらに協力するのは間違いない。
あのアスモ様がいる『魔塔』でさえ、こちら側についてくれるかもしれない。
国中枢を担う『王宮』『教会』『魔塔』。
その3つの要人が、わたくし達の手の中にある。
ーーーたかが『側妃』に負ける要因は、ないに等しいのだから。
わたくしは、堂々とフライア様に言葉を吐いた。
「ーーージ・エンド、ですわね。フライア様」
わたくしがそう言った途端、広々とした部屋の中に、眩しい閃光が走った。
その眩しさに、わたくしは目を細める。
太陽光をしばらく見つめた時のように、数秒間、目の前が見えなくなった。
ようやく見えたと思ったら、その部屋の中に、溢れんばかりの兵士がそこにひしめき合っていた。
流石にわたくしは、驚いて目を瞬かせる。
何が起こったのか、全く理解できなかった。
そもそもこの空間には、わたくしが『結界』を張って、誰も入れないようにしたはずなのに。
その兵士達が、わたくし達とフライア様、両方にその剣を向けて威嚇していた。
これはーーーーどっちの。
その時。
「そこまで!!」
と、張りのある声が、部屋中に響いた。
ーーー聞き覚えのある声。
これはーーー。
わたくしは、パッとその声の方を振り返った。
そこにいたのは、厳つい顔をした中年の男。
鼻の下に立派な鼻髭を生やして、威厳ある態度で堂々と立つ人は、王族の次の地位にあり、巨万の富を持つ、誰からも揺るがされることのない力を有する男。
ーーーノイグラー公爵。
わたくしは、満面の笑みに変わった。
「ーーーお父様っ!!!」
わたくしは、あまりにも懐かしいその姿に、一瞬にして泣きそうになりながらチャロから飛び降りて、お父様に駆け寄り、抱き付いた。
お父様は、嬉しそうに目を細めてわたくしの頭を撫でた。
「はっはっは。ーーーイデアちゃん。今日もプリティでビューティフルだね。世界で一番輝いているその姿が見れて嬉しいよ。どうやら元に戻ったようだね」
わたくしは、お父様の顔を見上げる。
相変わらずお髭が逞しいそのお姿。わたくしを見つけてくれないから、ステラとわたくしが入れ替わっていることに気付いていないと思っていたのに。
「き、気付いてらしたの?ーーーそれなら何故、今までーーー」
信じられない、という、ショックそうなわたくしの表情に、お父様は少し慌てて言い訳をした。
「いや、勿論、気付いていたよ。すぐに、そう、すぐに気付いたんだ。だけどーーー万が一、イデアちゃんが本当は性格を入れ替えただけだったらと思うと、イデアちゃんを傷つけるわけにもいかないから、世間に公表して堂々とは探せないだろう?こそっと、情報だけを流して、国中を探していたんだよ」
「ーーー言い訳を重ねると、一気に胡散臭くなりますわよね」
わたくしがチラリとお父様に視線を送ると、お父様の額から汗が流れて見えた。
「いや、本当に。本当なんだ。誓っていい」
「ふぅん?」
わざと冷たい視線を送ってみせる。必死になってくれるお父様の姿が、とても嬉しくて。
この姿に戻ってから、公爵邸に帰っても、お父様は仕事で不在なのですもの。ずっと会えなかったから、淋しかった。このくらいの意地悪、許してもらえますわよね。
「そんな時に、オムラントで商行人を助けただろう?あんな非常識ーーー素晴らしい魔法が使えるのは、イデアちゃんくらいだから、君がオムラントにいることはわかったんだ。それからは、オムラントを中心に探したんだよ。ようやく君を見つけて、迎えにいく予定だったんだ。本当に」
「うぅん、、、」
わたくしは眉を寄せる。
ーーーーその話は怪しいですわね。
オムラントでそんな大掛かりな捜索をしていたら、流石にわかりますわ。
でも、わたくしが知っているのは『トラブルばかり起こす人物を探している』という人達のことだけ。
まぁ、お父様のことだから、その人達に紛れて、極秘裏に探していたのでしょうけれど。
でもとりあえずーーー。
わたくしは、お父様をもう一度、ギュウと抱き締めた。
抱き締めると、お父様の葉巻の匂いが懐かしい。
「ーーーとても会いたかったですわ。お父様」
わたくしがそう言うと、お父様も、いつものわたくしに優しい顔に戻って、わたくしを強く抱き締めてくれた。
「父さんもだよ。イデア」
優しくわたくしの頭を撫でる大きな手。
わたくしにときめきをくれるアレクシス様とは違うーーとても、安心させてくれる手。
しばらく抱擁を堪能していると、ようやくお父様がわたくしから離れた。
周りの生暖かい視線がわたくし達に集まっているのを、お父様は厳しい顔で一喝する。
「ーーー何を見ている。おまえ達が見るのは、主犯の女であろう!」
怒鳴られて、ビクッと兵士達は姿勢を整えた。
兵士達はフライア様に剣を向けたまま、更に近づいて、ギリギリまで追い詰める。
フライア様は、真っ青な顔をしていた。
「な、なんですか。ノイグラー公爵。わ、私は」
「フライア様。実は少し前から聞いておりましたよ。なので、もう逃げも隠れもできませんぞ」
やんわりと、お父様はフライア様に微笑んだ。
流石、この国を背負う男。
優しく微笑もうとも、その瞳の威圧感は半端ない。
「い、いえ、私はーーーでも」
フライア様は、胸の苦しみに耐えながら、何か言い訳を考えている様子を見せる。
それに、お父様が口の端を持ち上げると、口の上の豊かな髭が、くっと上に持ち上がった。
「ーーー『不敬罪』ですか?」
「そ、そうです。位の高い私を訴えることなどーーー」
言って、フライア様は、言葉を止めて、目を見開く。
じわりとその口を閉じた。
お父様の後ろから現れた1人の男を、信じられないという顔で凝視する。
「ーーー陛下ーーーー」
そこにいたのは、金の髪に金の瞳をした男だった。
この国の、最高の位を持つマクギナス王国国王、その人。
マクギナス王は、少し残念そうな顔で、フライア様に声をかけた。
「ーーフライアーーー」
フライア様は、自分の心臓の痛さも忘れたかのように動転して、言い訳をしようとした。
「王様。ーーーわ、私はーーー」
マクギナス王は悲しそうに首を振る。
「ーーーもう『不敬罪』は通用しない。この俺が、お前の口から白状するのを聞いていたからな」
愕然としたフライア様。
もう証拠の品などいらないだろう。
国の頂点の人が、その事実を知ってしまったから。
フライア様は胸元の服をギュッと握り締めーーーそして、心も打ち砕かれた。
床に膝をつき、その身体を脱力させる。
兵士達に連れていかれるまで、フライア様は泣いて助けを求めたけれど、彼女を庇う人は誰もいない。
ある意味、誰よりも可哀想な人だったのかもしれない、と思った。
「ーーーお気の毒でしたわね」
そう言ったわたくしの声は、誰にも届かなかった。




