イデア 絶望しても諦めたくないのです
『アレクシス様には心に決めた方がいる』
それを聞いた瞬間、わたくしは、この人生に生まれてから一番のショックを受けたのだと思う。
幼い頃に誘拐された時より。
初めて、暗殺者の命をこの手で絶った時より。
自分ではなく、他の人の身体に移ってしまった時よりもずっと。
ーーーショックだった。
そしてわたくしは、自分の目からポトポトと温かい水がこぼれ落ちて初めて、自分が『傷ついている』ということを知った。
わたくしが、まさか涙を流すなんて。
淑女として、公爵令嬢として。
偽りの涙は見せても、本物の涙は流してはいけない。そう思っていた。
それは弱みをみせることに繋がるから。
強くなければならない。
決して、折れることは許されない。
それなのにーーー涙がどうしても止まらない。
わたくしはこんなにもアレクシス様に本気で恋してしまっていたのね。
わたくしにそのことを伝えたアイザックでさえ、まさかわたくしが泣くとは思わなかったようで、わたくしに動揺した姿を見せた。
「な、なぜ泣く。貴女はまだアレクシス様とは殆ど無関係、、、」
「うるさいですわ。誰が泣いてなど。ーーーこれは、風で飛んで来た埃が、目に入っただけですのよ」
わたくしがアイザックを睨み付けると、アイザックは戸惑いながらも、わたくしに伸ばそうしたように見える手で、ポリポリと頬を掻いた。
「、、、、、」
「、、、、、」
気まずい沈黙が続く。
アイザックの頭の中で、何か思うことがあったのだろう。わたくしに眉を寄せながらも、わたくしに声をかけてくる。
「ーーーアレクシス様は無理としても、貴女も性格はともかく、見た目は悪くないのだから、誰か良い人がいれば仲介できなくもないが、、、」
わたくしはむっとする。
「ちょっと。馬鹿にしないで下さる?そんな言い方をしたら、まるでわたくしが良い男を見たらホイホイ好きになるように聞こえるではありませんか」
一気に言いきって、大きくわたくしは息を吸う。そして吐き出すように、また大声でアイザックに怒鳴った。
「そもそも何ですの。性格はともかくって、貴方、わたくしの何をご存知ですの?失礼にも程があるのでは?」
「、、、、、」
そこで沈黙されると、本当にわたくしが性格悪いみたいではないの。やめてちょうだい。
わたくしはアイザックの整った横顔を見ながら、決意を込めて、声に出す。
「ーーーわたくし、何と言われようと諦めませんわよ。アレクシス様のこと、本気ですの。結婚されているわけではないのだから、可能性はゼロではないはず。完全に、わたくしがもうダメだと諦める時まで、わたくしは諦めないことにしました」
それは自分自身への言葉でもある。
心に決めた人がいる?そんなの、いくらでも心変わりすることだってある。
わたくしは心変わりはいたしませんけどね!と矛盾しながらも、祈るようにそう願うしかない。
「諦めないと言われても」
と言いながら、アイザックは、少しだけ表情を緩ませる。
「ーーー困った方ですね」
アイザックは呟くと、わたくしに、ふわりと微笑んでみせた。
「、、、こんなこと、言いたくはありませんが、実は、私はほんの少しーーー本当に少しですが、貴女に嫉妬したんですよ。何の訓練もしていないはずの貴女が、あの時、誰も傷つけられなかったA級の魔物を魔法を剣のようにして斬りつけ、しかも門から飛び下りてトドメまで差したことに」
わたくしは一瞬わからず、あぁ、と思い至る。わたくしがアレクシス様に出会ったあの日のことね。
「鳥形の魔物ではなかったはずなんです。でも突然飛び立った。新種なのでしょうが、あの時、貴女がいなければ、あの魔物は門を飛び越え、領地に入って猛威を振るっていたはずです。私達は貴女に救われたと同時に、とても情けなくて。ーーー魔物を倒すのは貴女ではなく、我々であるべきだった」
アイザックはわずかに俯く。
なるほど。アイザックがわたくしをやけに敵視する理由は、そういうことだったのね。
懺悔をするように、アイザックは話を続ける。
「そのうえ、『付与』する才能があるなんて。何故、私達ではなく貴女がーーー」
「アイザック様」
わたくしは、そっとアイザックの背に手を触れた。
彼はわたくしを慰めるつもりだったのだろうけれど、言葉にしたら感情が昂ってしまったようだった。辛そうにしているアイザックに、わたくしら声をかけずにいられなかった。
「ーーーステラ様」
背を触れられて顔をあげたアイザックは、勝ち誇った顔のわたくしを見て大きく目を見開いた。
わたくしは満面の笑みを浮かべて、大きく頷いてみせる。
「確かにそれは嫉妬ですわね」
アイザックの背を、慰めるつもりで叩く。
わたくしは心から、アイザックを同情した。
「才能あるわたくしに嫉妬してしまうのは、仕方がないことですわ。でも凡人は凡人なりに、嫉妬することで上を目指す気力が湧くというものでしょう?」
上を目指したところで才能がなければ意味はありませんけどね、とわたくしは付け加える。
「目指すものがあるということは良いことですわ。アイザック様がわたくしのようになりたいというのであれば、これからもわたくしが常に貴方の目標でいてさしあげますわよ」
こんなことを言ってあげる優しいわたくしに感謝するといいですわ。
そんな気持ちでいると、アイザックがまた元のような冷たい視線に戻っていた。
「、、、別に、私の目標は貴女ではないので結構。それに確か、あの時、貴女はフィンレー司祭に身体能力向上の魔法をかけてもらっていましたよね?そんな方が、何故そうも偉そうにできるのか、私は不思議で仕方ないのですが」
「なっ」
せっかくわたくしが良いことを言ってあげたのに。
「なんてことを。アイザック様は、身体能力云々ではなく、わたくしの魔法技術と付与能力に嫉妬しておられるのでしょう?それならやはり、次なる目標をわたくしに設定してしかるべきなのでは」
「本当に、何故、神は我々ではなくこのような人に才能をお与えになるのか、腹立たしいことこの上ないですね」
ぎゃあぎゃあと、アイザックと言い合いをしていると、遠くから目映い人物が戻ってきた。じゃりじゃりと土を食む音を聞く。その音に少し不穏な感情が滲んでいる気がした。
アレクシス様の表情は変わりなく、とても分かりにくいけれど、少なくとも穏やかではなさそうな。
「アイザック」
太めの眉の下。アレクシス様のアーモンド型の綺麗な瞳が、アイザックに突き刺さる。
「は、はいっ!」
ビシッとアイザックは姿勢を整えて敬礼をする。
「俺は、ステラ嬢を休憩させるように言ったはずだが」
「も、申し訳ありません」
アレクシス様は怒鳴っているわけでもないのに、静かな口調に重みを感じる。
アレクシス様はとても真面目なお方のようだ。
アレクシス様のそんなところもとても素敵だけど、正直、わたくしも少しだけ恐ろしく、笑顔のまま頬をひきつらせた。
「アレクシス様。わ、わたくしからも謝罪いたしますわ。アイザック様と、この前魔物を倒した時の、その魔法技術と剣術のことを振り返っていたら、ついこの場で討論になってしまいまして。わたくし、魔法技術のことになると熱くなってしまって。いけませんわね」
ふふふ、とわたくしは乾いた笑いを漏らす。
嘘は言っていない。
真面目な方には、真面目な話に持っていく方が良いような気がしただけでーーー。
そして。
アレクシス様の表情が元に戻った。
「ーーーそうか。向上心が高いことは良いことだ。だがステラ嬢も、まずは自分の身体をご自愛されることを優先するように」
ーーー良かったぁーーー。
わたくしはアイザックと共に、一気に胸を撫で下ろす。
「わかりました、心掛けますわ」
わたくしは頷いて、アイザックに案内をしてもらう形で休憩所のテントの方に歩き始めた。
「あぁ、ステラ嬢」
アレクシス様に呼び止められて、わたくしは振り返る。まだ少し怒るアレクシス様の様子に心臓がドキドキしていたので、ビクリとしてしまった。
「は、はい?なんでしょう?」
そのわたくしの動きが可笑しかったのか、ふ、とアレクシス様は小さく笑う。
「そんなに畏まらなくてもいい。怒っているわけではないのだから」
「い、いえ、そんな、、、」
アレクシス様の笑顔の爆発力が凄くて、わたくしは真っ赤な顔をして、どもってしまう。
「少し聞きたいだけなのだが、貴女は付与ができるのだろう?」
「ーーーええ。多少は。わたくしが使える魔法に限りますが」
わたくしが答えると、アレクシス様は自分の顎を指で撫で付ける。
「回復薬は作れないのだろうか?」
尋ねられて、そうですね、とわたくしは眉を下げる。
「わたくしは白魔法は使えませんので、不可能かと」
「試したことはあるか?」
「え?ーーーいえ、試すまでは、、、」
元々のわたくしの身体では白魔法は使えない。だから、この身体になっても、白魔法は使ったことがなかった。
「風魔法と水魔法が使えるのだろう?」
「ええ」
「雷や火に比べると、風や水は白属性に近い。この前の戦いで、貴女が受けたフィンレー司祭の白魔法に対する反応が、通常よりも高いように感じたからなんだがーーー貴女はもしかしたら、白魔法が使えるのではないか?」
ええ?白魔法?
一度もそんなこと、思ったことさえないのですけれど。
「ど、どうでしょうか。使ったことがないもので、今ここではなんとも、、、、」
動揺してわたくしはつい、言葉を濁してしまう。
「あぁそうだ」
アレクシス様は、思い付いたとばかりに破顔させた。
「『女神の間』で魔力測定をしてはどうだろうか?俺から言い出したのだから、費用はこちらで支払おう。どうだろうか?」
「、、、魔力測定、、、」
わたくしは呟く。
そういえばアレクシス様はオムラント辺境伯であり、オムラント地方の領主だった。
『女神の間』に入るための紹介状は、アレクシス様が書くのだということに今、気付いた。
しかも金貨数枚という金額まで支払ってくれるなんて、そんな願ってもないことを。
わたくしは、はにかんで、是、と素直に了解したのだった。




