真夏の夜のデート
午後8時15分。
春葉原駅西口のコインロッカー前で突っ立って社会の参考書を眺めていたところ、アヤにゃん……ではもうないな、水色のワンピース姿の彩香が小走りで俺のところへやってきた。
「遅くなってごめ〜ん、お店のちょっとした片付けとか明日の準備とかしてたら遅くなっちゃって〜」
「む、そうか。遅くまで大変だったな。今日もお疲れ様」
「ありがと、マーくん。今日は来てくれてほんとーに嬉しかったよっ」
彩香はニコッと笑うと俺の腕に抱きついてきた。甘くふんわりとした香りとやわらかい感触が俺に飛び込んでくる。
この久しぶりの彩香の感覚に懐かしさを感じつつ、「今日の服はこの前みたいなカジュアルじゃなくて清楚なタイプなんだな」と、疑問に思ったことを尋ねてみた。
「出待ちのお客さんがいるときもあるからね〜。店ではメイドさんなのに店から出て帰るときにそのイメージと違ってたら悪いなあって思って。だからー、学校がない日のバイトはこういった清楚系なの。ちなみに学校があるときは制服ね」
「なるほどねえ。確かにああいう仕事にはイメージは大事だもんな」
「そーゆーこと。じゃ、あたしお腹ぺっこぺこだからどっか食べに行こっか」
「この辺のレストランにでも行くか?」
「あー、でも、この辺はお客さんがいる可能性もあるからやめとこ」
「じゃあどうする?」
「ちょっと離れるけどー、西日古里駅まで行かない?」
「西日古里?」
「あたしの家、西日古里駅の近くなの」
「お、そうだったんだな。わかった。ちなみに夜ごはんまでもう少し時間空くけどお腹は大丈夫か?」
「うん、ガマンするから大丈夫」
彩香はグッとお腹に気合いを入れる素振りを俺に見せてきてアピール……いや、アピってきた。いちいちやることが愛くるしい。やさしくハグしたくなる可愛さだ。
それから俺たちは春葉原駅の改札を通り川手線の電車に乗って西日古里駅へ移動した。
西日古里駅はこれまで通り過ぎるだけだったので今回初めて降り立ったが、昔ながらの商店街やお寺などが多くあり、なかなか良い雰囲気の街だなと思った。
そして俺たちは駅近くにあった彩香お気に入りの『イタリアン・ワカゲ〜ノ』という、イタリアンをメインとしたレストランに入った。
店に入った瞬間、店員さんから「いらっしゃいませ!」と爽やかな挨拶をされた。
もちろんここは普通のレストランなので「ご主人様」は語尾に付いていない。
それにしても『イタリアン・ワカゲ〜ノ』……若気の至りということだろうか?
ネーミングセンスが謎だ。
「なんか接客業をやってると、つい他のお店の接客対応とか見ちゃうよね。まあでもあたしはメイド喫茶だから、あんまり参考にはならないんだけどね」
ぽつりと彩香が呟いた。
彩香はバイトをやっているからか、すっかりと仕事人としての目線になっていた。職業病とでもいうのだろうか。俺にはまだわからない感覚だ。
そしてなんというか、その感覚が羨ましい。俺の人生の一歩先を歩んでいる気がする。
俺もバイトをやって社会経験するべきだろうか。人生の勉強のために。
そんなことを考えているうちに俺たちは個室の二人用のテーブルに通された。対面で椅子に座る。俺は店員さんからいただいた水をごくりとひと口飲んだ。
「あ〜やっと落ち着ける〜。疲れた〜」
緊張の糸が切れたのか、彩香はぐでーっと手を伸ばしてリラックスモードになった。
「本当にお疲れ様。毎日こんな感じなんだろ?大変だよな」
「そーそー、思った以上に疲れるんだよこれが。あー足腰と肩が〜」
「辛そうだな」
「うん、カラダがもうバッキバキ。だからさ……揉んで?」
「も、揉む?」
「そう、あたしのカラダを……揉んで欲しいの……。まあどの部分を揉むかについては〜、マーくんにおまかせするからさ〜。にひひっ」
思いっきりニヤニヤしながら彩香が言ってきた。至高のビッチはやはり今日も健在のようだ。
「言っとくが俺はもう彩香の彼氏だ。つまり今の発言をしたということは、俺は遠慮も容赦なく揉むぞ。周りの迷惑になるような声を出しても知らんからな」
「えっ、どこをどんだけ揉むの……?」
ニヤニヤ顔から一転、彩香は不安げな顔で俺を見てきた。
その顔を確認しながら俺は、「さあ?どこをどんだけ揉むでしょうかねえ?」と言いつつ席を立ち、彩香の背後へと回った。
そして俺は遠慮も容赦なく揉んだ。
「んんっ……って、ただの肩揉みじゃ〜ん!」
「ああ、ただの肩揉みだ。それが何か?」
「もう〜!チョー気持ちイイし、マジ許す!」
「そりゃどうも」
そうして注文した和風パスタが運ばれてくるまでの間、俺は彩香の肩を揉み続けた。
肩は思っていたよりも凝っていたが、俺の肩揉みによりだいぶほぐれて楽になったと彩香が言っていた。
パスタが来てからは、それぞれフォークを使ってくるくる巻いて食べながら、彩香のバイト先での面白いお客さんの話とか、今日の俺にしたご奉仕がどうだったかとか、学校の友達との関係とかを俺が相槌を打ちながらひたすら聞いた。
俺からは勉強の話しか特にすることもなかったため、夏休みの宿題の進捗状況やら今やっている中世ローマの勉強の話をした。
そうしている内に時刻はあっという間に午後11時を回っていた。
彩香は俺と話して気分がスッキリとした表情になっていた。ストレスやらなんやら溜まっていたのがなくなったのだろう。
「もう11時か、そろそろ帰らないと終電になってしまうな」
「あっ、ごめんね。遅くまで付き合わせちゃって」
「いやいや、俺が彩香に会いたかったから気にすることないよ」
「ありがとっ。マーくんってやっぱりやさしいね。あたし嬉しいなあ」
「今日の俺が彩香のために役立つことができたのなら俺も嬉しいよ。ってことで会計してくるから」
そして会計をすみやかに済ませ、俺たちは店を出ていった。
「奢ってもらっちゃってごめん。あたしバイトしてるっていうのに……」
「今日は俺が会いたくて無理に会ってもらったんだから気にすることないって。それにそのバイト代は家のために使わないといけないだろ?あと俺、無駄に金が余ってるから。こういう時に金を使わないとって思って」
これは嘘なんかではなく、前に母さんからもらった3万のほとんどが財布に残っているままだった。前回の買い物という名のデートでも結局あんまり金は使わなかったからな。
「そうなんだ……。ありがと。でも次はあたしがお金出すよ」
「いや、出してもらうのは悪いから……。次は割り勘にしようぜ。なんたって俺たち付き合ってるんだしな」
「へへっ、そうだねっ。じゃあ次はそうしよっか」
次のお金の出し方も決めたところで、俺たちは暗い夜道を手を繋いで歩き出した。
道には歩いている人も全然いない。
街はもう眠りについてしまっているのか、ほとんどの家から明かりは消えていた。
街灯といえば電柱に付いている小さなライトがぽつりぽつりとあるくらいだ。
そしてそのライトに虫がぶつかっていき、パチパチと音が鳴っている。これが飛んで火に入る夏の虫とやらか。虫たちよ、南無。
「ねえ、そういえばさ。あたしたち付き合ってるけど誕生日って知らないよね」
「そういえば確かに知らないな」
「ってことで、誕生日教えて?ちなみにあたしは11月29日。良い肉の日って覚えてね」
「覚えやすいな。俺は2月4日だ」
「2月4日……。西澤の西だね。にししっ」
「おお、言われたら確かに」
「これから誕生日のときはお互いお祝いしよーね」
「ああ、お祝いしような」
俺たちは少しずつ少しずつお互いを理解していっている気がする。この少しずつが俺にとっては嬉しい。
中には一気にカップルとしてやれる全てのことをやってしまうカップルもいるだろうが、俺たちにはこのくらいのゆっくりさがちょうど良い気がした。
なんてことを考えていたところ、急に彩香が立ち止まって、「あ、じゃあここまでで大丈夫だよ」と言ってきた。
「ん?こんな道の真ん中でいいのか?」
「うん、だってあれがあたしの家だもん」
彩香が指差すところには一軒のコーポがあった。前に彩香は家がボロっちいからとか言っていたが、決してボロっちいとは思わない、でも言ってしまえば普通のコーポだなと思った。
「あのコーポが家か」
「そう、あの2階だよ」
「じゃあここでお別れだな」
「うん……」
彩香は切なそうな顔をしたあと俯いた。俺と同じく別れが惜しいのだろう。
「今日は会えて嬉しかった。まあ毎日ってわけにはいかないけど、定期的にバイト先に行こうかとは思ってる」
「えーシフト入ってるときは毎日来てよー。毎日会いたいよ……」
「さすがに毎日行ったら金がすぐになくなるから、ちょっと厳しいかな。でも毎日会えない分、会えるときにはいっぱい楽しもうな」
「うー、わかった。そうする」
「それじゃ、次はバイトがオフの日に会おうか」
「うん、そうだね。……あ、ねえ、最後にいい?」
「ん?」
「ハグしよ?今日の分のハグ。あたし、マーくんと会えるときは毎回ハグしたいの。だから今日の分のハグ。ね?お願い」
最後に甘えた声で両手を広げてきた。
俺には断る理由なんか何もない。
そして俺はぎゅっと彩香を抱きしめた。
彩香は相変わらず華奢で腰周りは細くて、そしてやわらかくて甘い良い香りがした。
「嬉しい……幸せ……。マーくん、ハグしてくれてありがとね。それじゃおやすみっ」
しばらくハグをしたあと、彩香は俺に手を振り、そしてコーポの中へと消えていった。
◆
「マサくんおかえり。今日は終電だったのね」
家に帰ってリビングに入ったところ、母さんがまだ起きていた。ソファにゆったりと座りながら深夜のバラエティ番組を見ていた。
「ごめん母さん、つい遅くなってしまった」
「デートだもの、帰りが遅くなるのもしょうがないわよ。ねえ、それよりも楽しかった?いえ、お楽しみだった?」
「ああ、楽しかったけど」
「初体験、どうだった?」
「初体験?」
「もう、彩香ちゃんとにゃんにゃんしてきたんでしょ?」
にゃんにゃん……ああ、メイド喫茶のことか。
でもなんで母さんがあの店のことを知ってんだ?
「最高だったよ。何度でも行きたいと思ったくらいだ」
「あら、それは彩香ちゃんが上手にご奉仕してくれたんでしょうねえ。ちなみにちゃんとツけてヤったのよね?」
付けてやった?
あのドリンクに魔法を付けるサービスのことか?
「もちろんさ、彩香が付けてって目で訴えてきてたからな」
「そこらへんのコトはちゃんとしてるのね、母さん安心したわ」
は?
母さんは何の心配をしていたんだ?
なんか色々と詳しく聞きたい気もしてきたが、俺も夕方から外に出て終電で帰ってきたため、ぶっちゃけ眠たい。
母さんが言っている意味を知るよりも眠気の方が勝ってしまっている。
それにどうせ母さんのことだ。くだらないことに決まってる。
「それじゃあ俺、風呂入って歯磨いてすぐ寝るから。母さんおやすみ」
「おやすみなさい。大人になっちゃったマサくん」
大人になっちゃったマサくん?
全体的に母さんとの話がズレていたような気もするが、もう眠たいので気にせず俺は風呂へと向かった。




