新しい朝
誰かの声が聞こえて俺は目覚めた。
辺りを見回すと周囲にいたのは髪がぼさぼさの男だらけ。それを見てここが林間学校で来ている施設だとぼんやりと思い出す。そんな朝だった。
目を完全に覚ますため、俺は洗面所に行き水道水で顔をバシャバシャと洗った。
また髪も同様に水道水を使って手ぐしで整えた。
今日は施設内の食堂で朝ごはんを食べたあとは施設の清掃をして、あとはバスに乗って学校へ帰るだけの予定だ。
俺はジャージに着替えて食堂へと向かった。
食堂では班ごとに集まって朝ごはんを食べるようになっていた。そのため俺は食堂前でまだ来ていない班の女子たちを待っていた。
数分後、女子たちが食堂前にやってきた。
そして真っ先に俺の前にやってきたのは、彼女になった彩香だった。
「おはよう」
「おはよっ、マー……坂本くん」
彩香と何気ない朝の挨拶を交わした。
本当は挨拶だけじゃなく色々と話したかったが、今は他の班の人たちも近くにいたのと、昨日の裁判中に突如として犯罪者予備軍になってしまった富田が、どこかでこっそりと聞き耳を立てているかもしれないという恐怖もあったため断念した。
しかし、まさか俺に彩香という可愛い彼女ができるなんて夢にも思わなかった。
俺は希望に満ち溢れた気持ちになった。これまでの朝とは違う、新しい朝が始まったように感じた。
ところで、俺の目がおかしくなければの話だが、班員に一人違う女子が混ざっている気がするのは気のせいだろうか。
昨日とは明らかに違う別人の子がいる。
誰だ?
俺は恐る恐る声をかけるてみることにした。
「ええと、君は誰?」
「し、渋田です……」
「し、渋田さん!?」
驚いた。まさか渋田さんだったなんて。
渋田さんは目の位置まで垂らしていた前髪を完全に上げて、おでこを見せるように可愛いヘアピンで留めていた。
また、顔もナチュラルメイクをして明るいように見えた。
「どう?これがしぶたんの本気だよ?」
なぜか彩香が自慢げに話してきた。
「あの……私も頑張ってアピりたいって班のみなさんに相談したら、私のことを可愛くしてあげるって言われて、あれよあれよという間にこんな風になっちゃって……ううっ、でもやっぱり恥ずかしいよ……」
渋田さんは話している途中で顔が真っ赤になってしまった。
「ウチらが渋田さんを変えたげたんだよ〜」
金山さんがピースしながら俺に言ってきた。
いやしかし、なんだ。人ってこうも変わるものなんだな。
たった半日ほどの間で渋田さんがおしとやかな清楚系キュートメガネ女子になってしまった。
「え?あれ渋田さん?」
「おい、渋田さんが魔改造されてるぞ」
「渋田さん可愛くないか?」
「俺、西澤さんのような派手な人もいいけど清楚な渋田さんの方が好みかも」
「お前はすぐコロコロと好みが変わるなあ」
通りすがりの男子たちの声がちらほら聞こえる。
俺は男子たちから良い印象を受けていることを渋田さんに伝えることにした。
「渋田さん、アピった効果ありまくりみたいだぞ。男子たちからは軒並み高評価だ」
「ほ、本当ですか……」
「本当だ。よかったな」
「じ、実は西澤さんも高校デビューしてからあんなに可愛くなったって聞いたから、私も恥ずかしかったですけど頑張って今日からデビューしてみたつもりなんです……。あの、今の私は……どうですか?」
「うん、髪も上げてたほうが似合ってると思うし、表情も明るくなって可愛くなったと思う」
「あ、ありがとうございます……嬉しい……」
渋田さんはやわらかく微笑んで明らかに嬉しそうだった。
「ちょっと坂本くん、こっちきて」
すると急に彩香がツンとした声とともに俺の腕を掴んで、周りには誰もいない遠く離れた場所へと引っ張っていった。
「な、なんだよ突然……」
「確かに渋田さんはあたしたちが綺麗に可愛くしてあげたんだけどさ、その、サラッと他の女の子に可愛いだなんて……言わないでよね……」
「は?もしかして今ので嫉妬したのか?」
「う、うっさい!」
「ふごっ!」
朝から一発脇腹を強めに小突かれた。そういやなんか久々に小突かれた気がするな。懐かしい感覚だ。
「俺の中で一番可愛いと思っているのは彩香だけだぞ?」
「う……急にそんなこと言うなあ!」
「ふがっ!」
続けて二発目。
なんだよ、照れ隠しかよ。ツンデレかよ。
「わかったわかった。他の女の子にはさっきのような気軽に可愛いだなんて言葉はもう使わない」
「ほんとに?」
「ああ」
「約束だよ?」
「わかった」
「なら許す」
彩香はまだ拗ね顔で口を尖らせてはいるが、とりあえずは許してくれたらしい。
まあ今のは俺も気をつけるべきだったな。近くにいた彩香の気持ちをもっと考えて発言するべきだった。反省だ。
あ、ていうか、俺たちの関係って結局どの範囲まで広まってるんだ?
男子にはもちろん広まってないけど、班のみんなには広まってるのか?
「なあ、俺たちが付き合うようになったって、班のみんなには言ったのか?」
「うん、だって言わざるを得ない感じだったもん。その、昨日寝る前にたっくさんマーくんとのコトを聞かれたから。だから班のみんなにだけは伝えたよ。マーくんは?」
「もちろん俺は誰にも伝えてないさ。ただ俺も裁判形式で俺たちの関係を深く聞かれそうにはなった」
「裁判形式?なにそれ?」
「むさくるしい男だらけの裁判さ。詳しくは聞かないでくれ」
「う、うん。わかった。聞かない」
「じゃあ、みんな待たせてるし朝ごはん食べに行くぞ」
そして俺は彩香の手を掴んで班のみんなのところへ戻っていった。
◆
朝ごはんを食べ終えたあと、最後に施設内外を清掃して、俺たちの林間学校イベントは終わった。
帰りでは俺たちの班はバスの比較的後方に座ることになった。そして帰りももちろん俺は彩香と隣同士で座った。
でも、なんというか変な気持ちだ。行きと帰りで俺たちの関係が変わってしまった。友達から恋人に。
「ねえ、手、繋ぎたい」
彩香はこそこそと甘い声で耳打ちしてくる。
なので俺も耳打ちで返事をする。
「誰かにバレたらどうすんだ」
「大丈夫、バスの後ろの方だし、この角度だったらバレないよ〜」
「ったく、しょうがないな」
俺は念のためにバス内を見回してみた。
もう学校に帰るだけなので静かにすやすやと寝ている生徒が多かった。都合よく通路を挟んだ横や後ろの座席の生徒も寝ている。
その状況を確認し、俺は彩香と手を繋いだ。
昨日何度も繋いだのに、相変わらずやわらかくて小さな手だなと思った。
「クラスのみんなにバレないようにイチャイチャするのって……イケないことしてるみたいでなんだかドキドキするね」
「ああ、俺だってドキドキしっぱなしだ」
心臓がドクドクと速いペースで鼓動を打っている。
緊張のしすぎで胸が爆発してどうにかなってしまいそうだ、とか思っていたその時、彩香は突然俺の胸に耳を当ててきた。
「ほんとだ。ドキドキしてる」
「おい、これ以上そんなことされたらマジで緊張して死にそうだからやめてくれないか」
「えー、でもマーくんがドキドキしてるとこ、あたしずっとこうやって感じてたいよ……」
彩香はここぞとばかりに上目遣いをしてきた。
果たして、好きな女の子からこんな上目遣いで甘えられて断れる男子がいるのだろうか。
……いや、いるわけがない。絶対にみんな折れる。心を持ってかれる。
さすが至高のビッチの名に恥じないテクニックといったところか。完敗だ。
「……ったく、今日だけだぞ」
「やった!マーくんの胸枕だ!あ〜落ち着く……幸せ……」
そして遠慮なく彩香は俺の胸に耳を当て、そのあとはゆっくりと頭をもたれてきた。
そうして数十分が経ったころだろうか、彩香も疲れたのかそれとも本当に落ち着いてしまったのか、俺の胸に頭をもたれたまま、すやすやと寝てしまった。
ということで今、彩香は俺の胸で幸せそうに寝息を立てている。
寝顔の彩香は無防備で子どもみたいだと思った。純粋に可愛い。俺はそんな彩香の頭をそっと撫でた。
その後も俺はしばらく寝顔を眺めたあと、座席の下に置いていたリュックから理科の参考書を取り出し、彩香の寝顔越しに勉強を始めた。
俺は彩香も好きだが、勉強も変わらず好きだからな。俺は彩香も勉強も、どっちも好きでいたいんだ。
こうして二つの好きなものを胸の近くに並べ、その二つをちらちらと目で確認しながら、俺の時間は過ぎていった。
そんな俺らを乗せたバスは揺りかごのように揺れながら、学校のある日常の世界へと帰って行っていた。




