設定駄目出し⑨:継子苛め
貴族の愛人についての校閲を終えたころには、ゲオルグの手元に積まれた原稿の余白は殆ど文字で埋め尽くされていた。仕事部屋の一角にはアレクシアの助言を纏めたノートやゲオルグが追加で調べた文献が山と積まれている。
最初は『少し現実味を足す程度』のつもりで始めた貴族校閲だった。だが、蓋を開けて見れば自分たち平民が夢見ていた貴族像は、現実とは余りにもかけ離れていた。しかし、不思議と落胆はなかった。
寧ろ──
(だから貴族向けの物語は定着しなかったのか)
貴族を主人公にしながら、実際の貴族を知らぬ者が描いた夢想の物語。それらは貴族が読めば違和感しか残らず、貴族向け恋愛小説は古典ばかりになった。アレクシアは物語を否定しているわけではない。『夢は夢でよい。けれど、そこに違和感を抱かせては受け入れられなくなる』ということを実例を以て教えてくれているだけだ。
だから、ゲオルグも遠慮なく次の企画書を差し出した。
「こちらは最近人気のジャンルです」
アレクシアが紙束を受け取る。
「今回は……『継母に虐げられる令嬢』なのね」
「はい。最近はこの手の話がよく売れてます」
アレクシアは興味深そうにページを捲り始めた。暫く読み進めると、ふっと眉を寄せる。
「……成程」
その一言だけで、ゲオルグは嫌な予感しかしなかった。アレクシアは原稿を閉じる。
「まず、内容に触れる前に、貴族の再婚についてお話しするわ」
アレクシアが原稿を膝に置き、ゲオルグを見つめる。これは根本から間違っていた可能性が高いと、これまでの経験からゲオルグは悟る。
「貴族が再婚する場合、その理由は夫人に家政を任せるためなの。だから、10歳以上の令嬢がいれば夫人代行も出来るようになるから再婚はしないわね。それに我が国は女性にも爵位継承権があるから、後嗣を得るためという理由にはならないし、寧ろ後妻には子を求めないわ。子がいれば後妻は我が子を後嗣にしたいと願うでしょうから、そうなればお家騒動の元だもの。それに幼い子に母親が必要という理由もない。子の教育は乳母や教育係がするし、継母と継子が円満な関係になるとは限らないもの」
ゲオルグはペンを走らせる。
「後妻になる女性は、子を産めない女性か、寡婦となった女性。夫有責の離縁もあるわね。基本的には前妻と近い爵位の貴族女性ね」
設定が一つ潰れた。後妻は元愛人で美貌ゆえに見初められた平民女性としていたのだ。開始3ページで破綻である。
「後妻に子がいた場合、連れ子はないわ。後妻の子は前夫の家の子だから。言葉は悪いけれど、子供は生家の資産なの。だから、例えば父親の兄弟が家を継いだとしても、その養女となって前夫の家に残されるわ。母親が連れて行く場合は、前夫の子ではないということになるのよ。その場合は実家に残すわね。再婚先に連れてくることはないわ」
子供は家の資産。これまでにもその内容は言われていたが、はっきりと言葉にされたのはこれが初めてかもしれない。貴族社会は本当に厳しいとゲオルグは内心で溜息をついた。
「……前夫の家にも実家にも残せなかった場合は?」
「基本的に再婚話はお流れね。別の家の血を持つ子を入れても問題の種になるだけよ。仮に受け入れたとしても、再婚した家の姓は名乗らせないわ。前夫もしくは実家の姓を名乗らせる。飽くまでも後妻についてきた居候。家族ではないの。だから、後妻の夫を『父』とは呼ばせないし、前妻の子を『兄』や『姉』とは呼ばせない。屋敷も本館ではなく敷地内の離れなどの別館に住まわせることになる」
平民向け継子苛めの物語の殆どがこの時点で破綻する。ゲオルグは冷や汗をかく。そこまで徹底するのかと。だが、これまで学んだ王侯貴族の血統主義を思えば当然のことでもあった。
「それから……継子苛めする理由って何かしら?」
「えっと……この作品では前妻への嫉妬から、前妻に似た娘への嫌がらせですね」
このプロットではそうなっているが、やはりこれは貴族社会では有り得ないのだろうと思いつつ、ゲオルグは答えた。
「この物語の設定としては自然ね」
「ただ、現実としては有り得ない、ですよね」
アレクシアの言葉を先取りしたようなゲオルグの発言に、アレクシアは少し目を見開き、くすりと笑った。
「有り得なくはないわ。例えば前妻と後妻が親戚だったり、学院時代の同級生だったり。そして、後妻が若いころ夫に恋していれば」
ゲオルグはペンを走らせる。貴族同士、爵位が近い、親戚ならこの設定も可能と。
「そういう背景がない場合、後妻が継子を虐げる理由として一番有り得るのは自分が産んだ子を後継者にするためね。まぁ、そういうことを防ぐために後妻には子を産ませない家が殆どなのだけど。それに後妻のほうが前妻よりも実家の爵位が上ということもないわね。そこは前妻の実家へ配慮するの。万が一前妻の子と後妻の子が後継者の地位を争う場合、前妻の子の後見である実家が有利になるようにね」
確かに継子と実子なら実子に家を継がせたいと思うだろう。そういう意味でも連れ子を容認しないのかと納得する。更に万一に備えて妻の実家の爵位を安全装置にするのだ。貴族は先を読み手を打っておくのかとゲオルグはメモを取る。
「後妻を娶る理由の一番は家政を任せるため。だから、当然、近い規模近い爵位の家を切り盛りした経験のある女性を求めるわ。再婚って、初婚よりも条件が色々あるのよ。前妻の家との関係を悪くするわけにも行かないでしょう? 跡継ぎは前妻の子なのだし」
となれば、当然後妻もまた政略結婚として相手を探すのだろう。恋愛感情による再婚というのは有り得ないのか。
「恋愛結婚は、再婚でも有り得ない?」
「そうねぇ……」
アレクシアは人差し指を頬にあて首を傾げて思案する。
「初婚よりは認められるかしら。ただ、その場合も前提条件は同じなの。前妻の家と競合しないこと、家政を切り盛りできること、実子を望まないこと。それを受け入れたうえでなら、恋愛関係からの再婚も許されるわ」
恋愛感情を伴うからこそ、厳格に条件を定めて婚姻の際に契約書にするという。確かに単なる政略結婚の妻が産んだ子と愛する女性との間に生まれた子なら、後者に後を継がせたいと思うかもしれない。そうなれば家が乱れる元だ。
「さて、そういった前提を元に、改めてこの物語を見てみましょうか。まず、この舞台となる家は侯爵家ね」
「はい」
「実母が亡くなり、父が再婚。連れ子は令嬢が一人」
「はい。一応義妹となります。設定上は」
既に駄目出しされている内容だ。
「後妻が主人公を憎み、使用人も全員後妻の味方」
「はい」
「食事を与えられず、使用人の仕事をさせられ、教育も受けられず」
「……はい」
「ドレスはボロボロ、宝石も持たず」
「……ハイ」
「最後には王子に見初められて幸せになり、後妻と義妹は処罰される、と」
「その通りです」
ゲオルグは話を聞く前なら胸を張っていただろう。近頃最も売れている筋立てだ。読者の涙を誘い、最後には痛快な逆転劇が待っている。出版社としても鉄板と言っていい。だが、今は既に後妻の出自と義妹の存在で破綻している。
「その表情からして、判っているようだけど、侯爵家としては絶対に有り得ないわね」
アレクシアはニッコリと笑う。ゲオルグの表情から彼が既に理解していることも知ったうえで。
「後妻の出自と義妹がいることは、先ほど言ったとおりね。だから、それ以外のことに触れましょう。ああ、後妻の出自にはもう少し説明したほうがいいわね」
アレクシアは人物設定のページを見ながら言う。
「後妻も貴族、しかもほぼ同格と言ったでしょう? 政治的な意味合いでそうなると。だから、平民や下位貴族では侯爵夫人は務まらない。侯爵夫人は侯爵家の顔よ。夜会を開き社交する。高位貴族夫人は王妃や王太子妃の話し相手もするから当然王宮へも出入りする。貴族社会の調整もする。そんな役目を教育も受けていない平民女性には任せられない。だから、愛人なら理解できる。正妻には出来ない」
ゲオルグは大きく頷きながら書き留める。前回も聞いたことだ。だが、今回は更に先がある。
「愛人を後妻にする、という点だけ変えないとしたら、どういう設定になるでしょう」
「そうね……確か、幼馴染の下位貴族令嬢というのも人気があるのでしょう? だったら、幼馴染の子爵令嬢で伯爵家に嫁いだけれど夫と離縁、実は義妹は異母妹……というところかしら。バレれば醜聞だけれど」
アレクシアの設定をメモする。不義の子であれば前夫の元には残せないから、義妹として連れてくることも可能となる。
「それで後妻になったとして」
「はい」
「前妻の娘を虐待する理由は?」
ゲオルグは目を瞬かせた。
「憎いからでは?」
後妻はずっと侯爵の愛人であり、前妻を憎んでいた。だから、その娘も憎い。そうではないのか?
「それは夫婦の問題であり、前妻と後妻の問題でしょう。娘は何も悪くはないわ」
「……確かに。でも、継子ですし、自分の娘との違いもあって、疎むのでは」
「個人的感情ね」
きっぱりと告げたアレクシアの言葉にゲオルグは何も返せない。
「先ほども言ったけれど、貴族にとって子供は家の資産よ。後継者であったり、補佐官であったり、婚姻で他家と繋がりを持ったり。男であれ女であれ、どちらも家の未来を左右する。つまり、教育しないなんて損失でしかない」
ゲオルグはハッとする。確かにその通りだった。高位貴族ほど子供一人を育てる費用は莫大だ。語学、歴史、礼法、音楽、舞踊、政治、宗教、兵学、剣術、魔法。それらを幼少期から10年以上学ばせる。そこまで投資した人材を私情で潰す。そんな夫人を許す当主がいるだろうか。
「仮に後妻がそんな愚かなことを始めたら」
「はい」
「周囲が止めるわ」
「周囲?」
「祖父母、父親の兄弟姉妹、分家、寄子、執事、メイド長、侍女長、侍女、家庭教師、乳母。誰か一人くらい王家や母方親族へ連絡するでしょうね」
侯爵家ほどの大貴族になれば、一人の夫人だけで家を好き勝手には出来ない。家には100人近くの使用人がいる。そして上級使用人の多くは何代も侯爵家に仕えてきた者たちだ。彼らにとって夫人は飽くまでも他所から来た当主の妻でしかない。彼らの忠誠心はまず家に向けられ、次いで当主、そして当主の直系の子となる。
「つまり、後妻一人では家は動かせない」
「ええ」
アレクシアは静かに頷いた。
「高位貴族の『家』は組織なの。一人の感情で動くほど小さくないわ」
ゲオルグは改めて実感する。平民にとって『家』と『家族』は同義で少人数。しかし、貴族にとって『家』が一つの組織であり社会なのだ。そこでは当主夫人ですら好き勝手には振舞えないのである。
アレクシアは原稿を軽く叩いた。
「だから、この作品は侯爵家では成立しない。もし描くなら──」
そこで一度言葉を区切り、ゲオルグの目を真っ直ぐ見た。
「もっと現実的な形に変えたほうが、貴族の読者も納得できるわ」
ゲオルグは新しいページを捲り、改めて万年筆を構えた。アレクシアの『ではどうすれば成立するのか』という説明は、これからが本番だった。
ゲオルグが新たなページを開いたのを見ると、アレクシアは少し考えるようにティーカップを置いた。
「では、逆に考えてみましょう」
「逆、ですか」
彼女は柔らかく微笑む。
「どうすれば『継子が冷遇される』という状況を、貴族社会でも違和感なく成立させられるか」
ゲオルグは思わず身を乗り出した。此処が知りたかったのだ。駄目だと言われるだけでは物語は作れない。しかし、代案まで示してもらえるならば話は別である。
「まず前提として高位貴族では無理」
「はい」
「公爵家も侯爵家も無理」
「伯爵家も?」
「力ある伯爵家なら無理ね」
きっぱりと言い切る。
「では……子爵家なら?」
「可能性はあるわ」
その答えをゲオルグは書き留める。
「子爵家や男爵家、とりわけ地方で殆ど社交を行わない家なら、当主夫妻の影響力は高位貴族よりずっと強いもの。使用人の数も少ない。親族との交流も少ない。寄子もない。寄り親だって余り気に掛けてはいない。だから、家庭内だけで物事が完結しやすい。つまり外へ洩れなければ虐待も起こり得る」
ゲオルグは何度も頷く。規模が違う。侯爵家では100人近い使用人の目がある。しかし、地方の子爵家や男爵家なら、使用人は10数人程度だ。隠そうと思えば隠せるし、全員を後妻の息のかかったものに挿げ替えるのも不可能ではない。
「尤も」
アレクシアは少し笑った。
「それでも限度はあるけれど」
「限度?」
「ええ。例えば充分な食事を与えなければ痩せ細って骨と皮だけになる。そんな状態では社交に出せないでしょう? 社交に全く出なければそれだけで不審がられるし」
「あ……」
言われてみれば当然だった。
「もし婚約者がいたら?」
「令嬢側有責で破談になりますね」
「そう」
「有責側となれば家の信用も落ちる。だから、最低限の体裁は整えるわ。貴族令嬢としての最低限の体裁を整えられるだけの食事と衣服、教育。その程度は与えられるでしょう」
完全に何も与えないわけではない。与えないことで家が損をするからだ。
アレクシアは続ける。
「貴族にとって教育は財産よ。令嬢であれば、作法、家政は最低限身に付けていなくては駄目ね」
「教育が財産?」
「ええ。令嬢ならば嫁ぐことが多いでしょう。継子を疎んじる継母ならば継子は家から出すために嫁がせる。でも、基礎的な令嬢の教育が為されていなかったら、その家の評判が落ちるわ」
「確かに」
「だから、嫌っていても教育だけはする。使える駒に育てるために。親はより高く子を売りつけようとするものよ」
ゲオルグは複雑な気持ちになった。愛情ではない。損得勘定。しかし、それでも教育は受けられる。結果として子供は守られる。それが貴族社会なのだ。
アレクシアは原稿の一節を指さした。
「この作品では主人公が使用人として働かされているわね」
「はい」
「朝から晩まで掃除、洗濯、炊事……。でも、それも無理よ」
「え?」
「この主人公は侯爵令嬢なのよ。侯爵令嬢ならば、嫁ぎ先は伯爵位以上になるのが一般的。だとすれば、掃除や洗濯や炊事が出来ても、何の意味もない」
「そうか……」
「当主夫人になる令嬢に求められる能力と使用人の能力は別物よ。掃除が上手でも夜会は開けない。野菜の皮むきが出来ても社交は出来ない。だから、高位貴族令嬢に使用人教育を施す意味がないの」
ゲオルグは意識せず笑ってしまった。今迄人気作として読んできた作品が、次々と現実性を失っていく。
「では、屋敷の離れで生活させるのは?」
「それくらいなら有り得るわ」
「え?」
「但し、理由は必要」
アレクシアは指を折る。
「病弱ゆえの療養、不祥事を起こしての謹慎、無難なのは継母との確執により別居。そういった事情で家族と疎遠を演出することは出来るわ」
「成程」
「理由も継母による強要、父による隔離、使用人たちによる避難が主なところかしら。でも、使用人部屋や屋根裏部屋に隔離はないわ」
「ないんですか」
「ずっと言っているでしょう? 貴族令嬢としての格は保つのよ。商品価値を落とさないために」
商品価値。その言葉に何とも言い難い苦みを感じる。目の前の令嬢は恐らく『最高の商品価値を持つ令嬢』なのだろうと考えると、貴族社会の冷酷さに身震いしてしまう。
「それから」
アレクシアは表情を厳しくする。
「一番違和感があるのは、使用人全員が継母の味方になること」
「駄目ですか?」
「駄目というより、無理よ」
即答だった。
「先ほど子爵家なら可能といったのは、使用人数が多くても20人いるかどうかだからよ。侯爵家なら、最低でも50人はいるでしょう。我が家だって100人近くの使用人がいるもの」
家令や執事、家政婦長にメイド頭に侍女長、侍従と侍女、乳母といった上級使用人、フットマンやメイドといった下級使用人、料理人、御者・庭師・厩番、家庭教師といった専門職。大雑把に分けてもこれだけの職があり、実際には更に細かく分かれる。高位貴族であればあるほど使用人の数も種類も増え、上級使用人ほど長く仕えている。特に家令や執事は代々同じ家系が務めていることも多い。
「因みに此処にいるスザナは侍女で上級使用人、護衛騎士は専門職ね。騎士は分家の出身で代々騎士として仕えてくれているわ」
何度も顔を合わせたスザナと護衛騎士を示してアレクシアは説明する。
「これだけの使用人がいれば、当然ながら使用人にも派閥があるの」
「派閥……」
「前夫人に仕えていた侍女。先代当主時代からいる執事。乳母、家庭教師。それぞれ忠誠を誓う個人が違う。侯爵家に仕え侯爵家当主に仕えているとはいえ、心の中では当主や前当主、前夫人や前妻、令嬢、誰を我が君と定めているか判らないわ。それに、忠誠などなく単に安定した雇用や金払いの良さだけを求める者もいる。つまり、全員が一枚岩になって後妻に従うなんてことは有り得ない」
ゲオルグは納得する。確かにそうだ。使用人も人間だ。主人が変わったからといって全員一斉に心まで変わるわけではない。仕事として指示に従いはしても、心まで従っているとは限らない。
「だから、主人公に一人くらいは味方がいるほうが自然ね。祖父のころから仕えている老執事、乳母、母に仕えていた侍女。そういう人物ね」
そのほうが物語としても温かみがある。ゲオルグは夢中で書き続けた。
「継子苛めやドアマットといわれるジャンルが人気なのは理解しているわ」
「はい」
「理不尽に耐え続けた主人公が幸せになる。その構図は読者に愛されるでしょう」
「ええ」
「でも、高位貴族を舞台にするなら、理不尽の形を変えるべきね」
彼女は穏やかに微笑んだ。
「形を?」
「ええ。露骨な虐待ではなく、期待されない、政治の道具としてしか見られない、兄弟姉妹と比べられる或いは待遇に差がある、婚約のためだけに育てられる、失敗は許されない。そういった息苦しさのほうが、寧ろ高位貴族らしい苦しみだと思うわ」
その言葉にゲオルグの筆が止まった。成程と心から思う。平民の苦しみは生きるための苦しみで肉体的なものが多い。貴族の苦しみは役割を果たすための苦しみで、精神的なもの。どちらも苦しい。しかし、その形はまるで違う。
「特に、読者が好むのは姉妹間格差ではなくて?」
「そうですね、所謂『姉の物を欲しがる妹』は結構需要があります」
転生に気付いたアレクシアが妹に対して一瞬だけ警戒したパターンである。
「まぁ、欲しがりな妹や弟というのも被害者よね。欲しがられる兄や姉は当然被害者だけど。優遇されるほうも冷遇されるほうも、どちらも精神的に虐待されているわ」
「優遇される側も、ですか?」
「ええ。冷遇される側は判りやすいわよね。何をやっても褒められない、無視される、奪われるとか。でも優遇される側も『何をやっても叱ってもらえない、肯定されて甘やかされる』とか『可愛がられはするけれど、なんでも与えられて意見を聞いてもらえない』とか『可愛い◎◎を見ているだけでわたくしそのものは見ていない』とか。何より『欲しがりな妹』では妹は欲望を全肯定されて、我慢を知らない、我欲を抑えられない野獣のようなものでしょう?」
成程とゲオルグはペンを動かす。
「あ……もしかして、欲しがりな妹も貴族じゃ有り得ない?」
「よく判ったわね。お姉様のアレが欲しいと駄々をこねて泣けるのは淑女教育が始まる3歳までね」
今日の議題には入っていないのに、ゲオルグはそこに気付いた。貴族校閲を重ねることで貴族の価値観や考え方を理解してきたということだろう。それにアレクシアは嬉しそうに笑った。
「実はこの優遇と冷遇の問題、貴族家では割とあることなのよ。同父母の姉妹間でね。しかも、冷遇の理由がほぼ代理戦争みたいなものなの」
「あるんですか、って、代理戦争?」
「冷遇されている令嬢ってね、父方の祖母似なのよね。つまり、母親からすれば姑にそっくり」
「……嫁姑戦争って、貴族でもあるんですか」
そんなもの平民の間だけかと思っていた。結婚している友人の中にはそれで苦労している者も少なくない。我関せずを貫いていた元友人は妻が我慢の限界にきて離婚騒動にまで発展していた。
「あるみたいよ。我が家は先王の王妹の祖母が勝気な女帝タイプで、侯爵家出身の母がおっとり系だったせいか相性が良かったみたいで平和なのだけど。大変なところも多いみたい。爵位、いいえ、家格が絡むから面倒なの。下の家格だと馬鹿にするし、上の家格だと見下されると思い込んだりね。学院の友人たちが『おばあさまが領地から来るから、お母様のご機嫌が悪くなるわ』なんて戦々恐々としていたりするもの。平民でもあるのでしょう、嫁姑の問題。これは共感されるのではなくて?」
クスクスとアレクシアは笑う。もしかしてアレクシア様も既に王妃殿下と嫁姑問題が起きていたりするのだろうかと好奇心が沸いた。尤も好奇心は猫をも殺すともいうから、ここは沈黙を貫くことにした。
「貴族と平民が全く交わらないわけではないわ。でも貴族を書くなら」
アレクシアは最後にこう締め括った。
「平民の不幸を貴族へ置き換えるのではなく、貴族だからこその苦悩を描くこと。それが、貴族向け恋愛小説になる第一歩だと思うわ」
ゲオルグは深く頭を下げた。
また一つ、人気作の定番設定が崩れ去った。けれど、その瓦礫の下から現れたのは、これまで誰も描いてこなかった新しい物語の種だった。それを育てられるかどうかは、自分たち出版社と作家の腕にかかっている。
そう強く感じながら、ゲオルグはびっしりと書き込まれた手元の原稿を、大切に抱え直した。




