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勇者だから、魔王を倒す。  作者: つぶあん


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勇者、塞ぐ。

 ベッドに体を預けて、程よい重たさの掛け布団を、両肩が隠れるくらいに深く、体へ乗せる。

 いつものように、メイドが日干しをしてくれていたのだろう。掛け布団が、初めから持っていた少しの温もりと、それから自然の香りが体を包む。

 仰向けになった俺の視界に映り込むのは、少しの風に揺れるカーテンと、月明かりで伸びた花瓶の影だ。


 この、抗いようのない恐怖を誤魔化すためには、感覚を、五感を、できるだけ鋭くして、他のことに気を散らすしか、方法を見つけられずにいた。


 バトル漫画を思い出す。前世の思い出だ。

 あるいは世界を救うため、あるいは身近な人を守るため、あるいは自身の強さを証明するため。戦いと修行の日々を送る彼らに、胸踊らせていた。

 強大な敵に立ち向かい、自分はボロボロになりながら、時には敵味方に犠牲を出しながら、それでもハツラツと戦う彼らに、憧れの目を向けていた。


 妄想を思い出す。学生の頃の思い出だ。

 もし、この教室にテロリストが侵入してきたら。もし、好きな子が道でナンパされていたら。もし、自分がこの世界の主人公であったら。

 当時の俺は、何もなし得ていないのに、いや何もなし得ていなかったからこそ、何にでもなれる気がしていた。そして、何者にはなるのだろうという確信を持っていた。

 それは幻想だと気づいたのは、社会に出てからだった。


 前の世界も、今の世界も、何者でもないその他大勢の人間がごまんといる。そして前の世界では、間違いなく、俺はその一人だった。

 何者にもなれなかった俺は、意外にその俺を気に入っていたように思う。


 学生の頃、俺は飲食店でアルバイトをしていた。その日は確か、それなりに忙しかったような覚えがある。キッチンで業務をしていた俺は、注文に急かされて、いつもよりも早く、そして雑に調理をしていた。

 俺はその日、包丁で指を切った。少しの出血で、大事には至らなかった。「やっちゃったよー」なんて言いながら、バックヤードへと入り、指に絆創膏を巻き付ける。調理を代わってもらって、洗い物をしていると、洗剤が傷口に染みて痛かった。

 その日のバイト終わりは、ふやけた絆創膏を張り替えて、まだ痛む指を気にしながら自転車を漕いだ。空が綺麗な夜だった。家に帰って、夕飯を食べていると、母に「その手、どうしたの? 」と聞かれた。「バイトで怪我したんだよ。包丁で切っちゃって......」と答えると、「気をつけなさいよ」と心配そうに言われた。その日の夕飯は、いつもより美味しく感じた。


 今日の夕飯は、あまり美味しく感じなかった。フェルダやヒティネが、食卓でどんな話をしていたのか、あまり覚えていない。帰り道の、馬車から見える景色も思い出せない。


 ビートの剣先が掠って、血が出たはずの頬はもう痛くない。スアレが治してくれたから、もう痛くない。

 ズキズキと痛むのは、恐怖に駆られた胸だけだ。


 俺はこの世界で、主人公になってしまったらしい。


 何者でもない覚悟を決めて、何者でもない気楽さの蜜を味わった俺は、世界を変えて勇者になった。

 世界を救う勇者、主人公だ。


 俺の知っている主人公は、強大な敵に立ち向かうものだ。自分がボロボロになりながらも、世界を救うため、身近な人を守るため、戦い続け、鍛え続けるものだ。

 もし、魔族がやってきたら。もし、仲間が魔物に襲われていたら。それを助けるのは俺の役目だ。俺は勇者なのだから。


 俺が前世で見ていた主人公は、少しの傷に慄いただろうか。いや、違う。多少の傷を負っても、動きを止めず、痛がらず、ただ敵だけを見据えていた。

 そしてその後、全力を賭して戦って、かっこよく勝利する。仲間たちから尊敬され、またやってくる戦いへ向けて気持ちを切り替えたり、美酒に酔いしれたりする。

 今の俺のように、少しの怪我を怖がって、ベッドの中でクヨクヨするなんてことはない。


 俺は主人公の器ではない。


 何者でもなかった俺が、主人公に祭り上げられてしまった。

 妄想の中でしか主人公を気取れなくて、その妄想を振り払って何者かになることを諦めた俺が、神という世界の仕組みによって、主人公たらしめられたのだ。


 いつか見た、傷だらけの主人公。

 それを意に介さず、戦うことに興奮し、強い敵を求め、自分の成長と正義のためなら命すらも擲つ精神力。

 そんな気概が、ただの一般人にあろうはずもなかった。


 そうして俺は今、ベッドで塞ぎ込んでいるのだ。

 勇者の力や、自分の可能性には目もくれず、ただただ自分が可愛くて、傷付くことを怖がって、考えることすら避けている。

 しかもほんの少し、頬を怪我しただけだと言うのに。


 今日知ったのは、勇者の力は絶対ではないということ。しくじればちゃんと怪我をするし、弱ければ死んでしまう。

 その事を知って、俺の足はすくんでしまった。

 魔王を倒す、つまり殺すということは、俺が死ぬかもしれないということ。




 ぐるぐると考え続けた俺は、翌朝、久しぶりに熱を出して、王宮には行かなかった。

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