勇者、模擬戦を考える。
ビートは、口をあんぐり開けて、呆然とそこに立っていた。視線は、先程まで剣を握っていた、何も握られていない右手を見つめているようだった。声は一つも出さなかった。
ビートも、俺も、アレイも、何も言葉が出なかった。
「あっ、血が......」
スアレの呟きが、一瞬の静寂を破る。その視線の先には、俺が居た。
生暖かい感触が、頬を伝う。
血を流しているのは、俺らしい。
そこに意識を向けると、鋭い痛みが駆け抜けた。傷口は熱くて、痛みも血も止まらない。
我に返ったアレイが、俺の方へと駆け寄る。
「スアレ、セタン様に回復魔法を使って、血を止めることはできますか? 」
アレイの口調は少し慌ただしい。焦っているように聞こえた。
その声に促されるようにスアレも近づいてきて、俺の頬に手をかざす。
スアレの手の周りに、社交会の時にも見た白く透明な球体が現れる。オーラのようにも見えるそれが、俺の傷口を癒した。
頬の熱は次第に引いて、痛みもすっと消え失せた。
付いた血を、アレイがハンカチで拭き取ると、襟に染み込んだ血の跡と、落ちた木刀だけが、今の出来事を現実のものだと決定づける少ない確証となった。
一連の出来事で、ようやく気を取り直したビートが口を開く。
「申し訳ないっす! 怪我をさせるつもりなんてほんとなかったんっす! 」
今にも泣きそうな口ぶりだ。
「大丈夫ですよ。スアレが素早く治してくれたので。今はもう痛みもありません」
そう言うと、ビートは安心したように息をつき、スアレは穏やかに微笑んだ。
「それにしても、今のって......」
ビートが呟くように聞いてきた。
しかし、俺も何が起きたのか分からない。
「僕にも、分かりません。無我夢中で......」
唯一、はっきりと分かるのは、構えを変えてからの動きは自分で制御したものではない、ということ。
「アレイさん。今、二人の間に何が起きたんですか? 」
自分のしたことを聞くというのは変な気分だが、しかし分からないものは仕方がない。
「私も、はっきりと捉えられた訳では無いのですが......。ビートくんが、再びセタン様に斬りかかり、一撃を加えようとしたところ、その剣を弾き返したように見えました。しかしその剣速は、目で追い切れるものではありませんでした」
「確かに、俺はセタン様に斬りかかったっす。初撃をいなされたからムキになっちゃって......でも、気づいた時には手がジンジンしてて、そこにあるはずの剣が、地面に落っこちてたっす」
ビートは話しながら、手を抑えていた。
よく見ると、腫れているようにも見える。
「スアレ。ビートさんの手、怪我してるみたいです。治せますか? 」
「大丈夫です。ビートさん、見せてください」
そう言われたビートは、スアレに手を差し出した。再び回復魔法が使われて、ビートの手からみるみるうちに赤みが引いていく。
ビートの治療が済むと、アレイから質問が飛び出した。
「セタン様。今のは無意識、ということですか? 」
「はい。少なくとも自分で制御して、ビートさんの剣を払った訳ではありません」
「なるほど。どの辺から無意識になりましたか? 」
「一度、ビートさんが間合いを開けて、その時に団長から聞いた構えを思い出したんです。その構えをしてから、そこからは無意識で」
「そうですか」
「俺が手を痛めてて、剣が落ちてたってことは、少なくとも一撃、手首あたりに貰ってるはずっす。でも、確かにカンッって音もしてたんで、短い間に二回、セタンくんが剣を動かした......ってことになるっすよね」
「そうですね......。それにしても、あの一瞬でそんなことが......」
アレイが頭を悩ませる。当然だ。
自分自身や、試合をした相手、立会人すらも目の前で起きたことが、早すぎて捉えきれていないのだから。
「しかし、セタン様が剣の初心者ということを加味すると、経験による反射、という訳では無さそうです。それこそ、勇者による力かと......」
むしろ、それしか考えられないだろう。
剣をまともに扱ったことのない、五歳児の体をした俺が、現役の近衛騎士の精鋭から剣を奪うなんていう芸当は、普通できない。
無意識のうちに、勇者の能力とやらが働いて、ビートから剣を奪った、と考えるのが自然である。そして、その引き金となったのは......
「構え、ですね」
アレイも同じことを考えていた。
「構えっすか? 」
「えぇ。先程セタン様は、『団長から聞いた構えを思い出した』と仰っていました。そして、そこから無意識に体が動いた、とも。つまり、教わった構えをしたことで、勇者の力が呼び起こされた、と考えられます」
「なるほど。そしたら前にセタンくんが、木の的を真っ二つにしたって言うのも頷けるっすね。あの時も、その『構え』をしていたんでしょ? 」
「木の的を真っ二つ!? 」
事情を知らないスアレが、驚きの声を挙げる。
「真っ二つって言っても、その時は鉄剣を使ってたよ? 木の剣で木の的を真っ二つにした訳では......」
「いやいや、鉄剣で木の的を真っ二つっていうのもありえない話っすよ! 」
「スアレ。今ここで見たもの、聞いたことは誰にも言わないように」
「は、はい! 分かりました」
アレイがすかさず釘を刺す。スアレは慌てて頷いた。
「でも、それじゃあセタンくんは、自力で初めの二撃を防いだってことっすか? 」
「どうでしょう。確かに、防ごうとして自分で体を動かしたとは思います。実際二撃目は貰っていますし......」
「マジっすか? 手加減したとはいえ、大抵は一撃目で寸止めまで持って行けるんすけど......」
おいおい。なんて一撃を五歳児相手に食らわせたんだ。どう考えても初めの試合で受ける技じゃないだろ。
「だいたいそれで、油断しちゃダメっすよって伝えてから打ち込んでもらうのが、いつものパターンなんすけどね」
「ビートくんの、過激な指導方針はさておき、そんな一撃を五歳児の体で凌げたというのは少し不思議ですね」
「僕もそう思います。てことは、その時も勇者の力が働いて......? 」
「可能性は高いと思います。これからそれらを検証して、理解を深めていかねば」
「そうっすね! じゃあ早速.......」
「ですが、今日はここらでお開きにしましょう。もうだいぶ日も落ちてきてしまっています。検証は明日からでも遅くないでしょう」
「それもそうっすね! いやーこんなことになるなら来てもらってからすぐに模擬戦始めればよかったっす」
そんなこんなで、初めての模擬戦は幕を下ろした。
俺は帰りの馬車の中で、自分の能力とは別のことを考えていた。
家に着くと、襟についた血に驚かれ、
「スアレに治して貰ったから大丈夫です! 」
と、笑って答えた。
夕食を終えたあとのベッドの中で、馬車での続きを、また飽きもせずに考えていた。




