第五章 伝説の魔獣⑥
第五章 伝説の魔獣⑥
次の日の朝、俺たちは第四階層の迷宮の入り口へとやって来る。そこには待ち合わせをしていたレイシアとモリエールの二人がいた。
レイシアとモリエールは自然な顔をしていたし、無理な気負いは感じられなかった。もっとも、それは俺たちも同じだったけど。
とにかく、みんなの目には良い感じの闘志が宿っていた。
「全員、揃うことができたようだな」
俺たちを見ると、モリエールは剣の柄に手を乗せながら言葉を続ける。
「ま、君たちなら恐れを成すようなことはないと思っていたし、今度の戦いでは心置きなく力を合わせることができそうだな」
モリエールも今度の戦いでは俺たちとの連携を心懸けてくれることだろう。モリエールの剣腕は俺も認めているし、戦力としては心強い。
「そうね。今の私たちなら、きっとどんな敵にも打ち勝てるわ。昨日みたいな宴会をまた楽しむためにも、みんな、絶対に死んだら駄目だからね」
レイシアは負けん気の強さを見せながら言った。
「その通りだ。無茶をしないで勝てる相手だとは思えないけど、くれぐれも命を捨てるような真似だけはしないでくれよ」
ハンスは慎重な姿勢を崩さない。
「今度の戦いで求められるのは生き延びること、だからな」
ハンスの言葉は俺の心に重く響いた。
「そうだよ。みんなも勝てないと思ったら、変なプライドなんか持たないで逃げても良いんだからね」
チェルシーも弱気ではなかったが、今度の戦いではみんなの命を第一に考えているようだった。
「うん。アルカンデュラは命を擲ってでも、勝たなきゃならない相手じゃないよ。アルカンデュラに殺された生徒はまだ一人もいないんだし」
アリスの言う通り、俺たちの中から初の犠牲者が出ることがあってはならないと思う。
「ああ。例えアルカンデュラを倒せても、みんなが生きてなきゃ、その喜びも消えてなくなっちまうからな」
カイルは胸に下げている十字架のアクセサリーを触りながら言葉を続ける。
「なら、勝っても負けても、一人も欠けることなくみんなで学院に戻ろうぜ」
カイルは槍をクルッと回転させながら言った。
「そうだな。今度の戦いで重要なのは見極めかもしれない。なら、どんな状況に陥ろうと冷静な判断をしないとな」
俺はみんなに向かって、そう強く言い聞かせた。
それから、俺たちは迷宮の中に足を踏み入れ、アルカンデュラがいる第四階層のゲートへと向かう。
準備は万端だったし、やり残したことも特にない。
レイシアの言じゃないが、今の俺たちなら例え敵がどんな奴だったとしても負ける気はしないな。
だが、俺はそんな心の高ぶりを抑えて、すぐに平静さを保とうとする。
相手はあの【ホワイト・ナイツ】の第一パーティーを二度も返り討ちにしたアルカンデュラなのだ。
楽観をして良い相手ではない。もっとも、必要以上に恐怖心を抱けば、戦いに支障をきたすだけだが。
俺たちは迷宮の中に足を踏み入れると、特に話すことなく緊張感を高めながら通路を歩いていく。
その途中でリザードマンやオーガ、ゴブリンなどと出会したが、そいつらは俺たちと戦うことなく逃走した。
この分なら、無駄な戦闘をすることなく、アルカンデュラのいるところまで辿り着けるな。
そう思ったが、やはり襲いかかってくるモンスターもいたので、俺たちは体力を消費しないようにしながら、そいつらを打ち倒して通路を突き進んだ。
ちなみにゲートまでの最短距離を記した地図はレイシアが持っていたので、道に迷うことは全くなかった。
そして、俺たちは三時間ほど歩いて、七十二階にあるゲートのある部屋にまでやって来る。ゲートの前には体長が八メートルはありそうな巨大な獅子がいた。
その獅子は背中からコウモリのような羽を生やしていて、尻尾は鎌首を擡げる蛇の頭をしていた。
どう見ても自然界の動物ではない。まるで、色んな動物の良いところを組み合わせた実験動物のようだ。
まあ、アルカンデュラは魔王アルハザークが作りだした魔法生物だと言うから、何かの実験の末に生み出されたモンスターだとしても不思議ではないが。
そして、そんな奇怪な獅子、いや、アルカンデュラの背後には、また門と鉄格子の扉があった。
第五階層で見たものと同じものだが、色は違う。
俺は何としてでもあの扉の向こうに行かなければならないと思い、オリハルコンの剣の切っ先をアルカンデュラに向ける。
「やるべき事は全てやった。行くぞ、みんな!」
俺はそう叫ぶと、剣を振り上げて一陣の風となったように駆けだした。
すると、オリハルコンの剣が眩い白光に包まれる。チェルシーが光属性を付与させたのだろう。
「今度の付与魔法はそう簡単には切れないし、効果も前より格段に強まってるから、思い切り剣を振るっちゃって」
チェルシーの言葉を聞き、俺も早く剣に宿った力を試したくなった。
それから、俺はまるで威嚇するように前足を持ち上げているアルカンデュラとの間合いをグングン縮めていく。
まずは、アルカンデュラの動きを止めなければならない。
でなければ、アリスやレイシアが全力を込めた魔法を放っても避けられてしまう可能性があるからな。
しかも、全力を込めた魔法は何度も放てるものではない。
もし、倒しきれずに再生されたら、アルカンデュラの体の強靱さは一気に跳ね上がってしまう。
そうなったら、同じ魔法は効かなくなるし、アルカンデュラを倒すチャンスは限られているのだ。
せめてもの救いは、アルカンデュラがこの部屋から出ないことか。だから、何とか撤退はできる。
俺は時間をかけられる戦いではないことを胸に留めると、アルカンデュラの前足を切断しに行った。
対するアルカンデュラは猛然とした勢いで、ナイフのような爪を俺に振り下ろした。が、俺は舞い踊るようにかわす。
確かに早い一撃だったがガンティアラスほどではない。
俺がそう思った瞬間、アルカンデュラは口を大きく開けるといきなり炎を吐いた。
大量の炎が俺に浴びせられたが、その時はアリスのバリアが俺の体を包み込んでいる。炎の熱が俺の肌に伝わることはなかった。
俺は突き破るようにして炎の中から抜け出すと、力強い太刀筋の斬撃を繰り出した。
アルカンデュラはその斬撃を後ろへと跳躍することで避ける。まるで猫のようなしなやかな動きだ。
俺は怯むことなくアルカンデュラを追い込むように駆けていく。すると、俺の横に白光に包まれた剣を手にするモリエールが並んだ。
「君は思う存分、アルカンデュラに斬撃を浴びせてくれ。アルカンデュラの退路はこの僕が塞いで見せる」
そう言うと、モリエールはアルカンデュラの背後に回り込もうとする。
それを受け、俺はモリエールの言葉を信じ、真っ正面からアルカンデュラを斬り付けようとした。
すると、アルカンデュラは口から輝く息を吐き出した。その息は床を真っ白に凍らせながら俺に迫って来る。
これは冷気だな。もし、まともに食らったら、体がガチガチに凍り付くぞ。
だが、俺はバリアの効果を信じてその冷気に突っ込む。そして、白い霧のような冷気から飛び出すと、アルカンデュラの眼前にまで迫った。
すると、アルカンデュラは先ほどよりも更に勢いを乗せて、前足の爪を振り下ろしてくる。俺はその爪を素早い身のこなしで避けると、剣を振り抜いた。
が、アルカンデュラはその一撃を巧みに避けると、また後ろに跳躍しようとしたが、その背後からモリエールが獅子奮迅の如き勢いで斬りかかっていた。
「この僕に背中を見せてただで済むとは思わないことだ。その命、今度こそ刈り取らせて貰うぞ」
モリエールの言葉には陶酔の響きがあったが、それでも動きは的確だった。
すると、アルカンデュラの蛇の尻尾が急に口を開けて、紫色の息を吐き出した。あれは話に聞いていたあらゆる物を溶かすアシッドブレスだ。
アシッドブレスは床を溶かしながら、モリエールの体を飲み込んだ。
が、モリエールの体は俺と同じように光りの膜に包まれていて、アシッドブレスを寄せ付けなかった。
アルカンデュラが多彩なブレスを繰り出してくるのは、計算済み。当然のことながら、ブレスへの対策もちゃんと取ってある。
だから、この程度のことで慌てはしない。
モリエールはアシッドブレスを振り払うと、口を開けて噛み付こうとしている蛇の頭に斬撃を叩き込んだ。
蛇の頭は一刀両断にされ、アルカンデュラはギャッと悲鳴を上げる。
もちろん、俺の方もただ見ているだけでなく、アルカンデュラの前足に果敢な動きで斬りかかった。
が、アルカンデュラはこちらの予想を上回る瞬発力を見せて、俺の斬撃をかわす。すると、アルカンデュラの切断した尻尾から肉が盛り上がった。
それから、たった数秒で新しい蛇の頭が出現した。想像はしていたが、実際にこの目で見ると、たいした再生力だとしか言いようがない。
これは本当に肉片一つ残すことなく消し飛ばす必要がありそうだな。
「やっぱり、剣の攻撃力じゃ仕留められそうにないな。アリスたちのためにも、何とかしてアルカンデュラの動きを止めないと」
俺は焦りを滲ませながら言った。
ちなみに、切断され床に落ちた尻尾はドロドロに溶けて原形を留めていない。肉がこんなにすぐに溶けるなんて、やはり魔法生物か。
俺が腕の筋肉を撓めて再び斬りかかろうとすると、今まで攻撃に加われなかったカイルが声を上げる。
「お前らばっかりに良い格好をさせられねぇな」
そう言うと、カイルは今度は大きな声で叫ぶ。
「俺は側面から迫るから、ディンは正面から斬りかかってくれ。蛇の頭の相手はモリエール、お前に任せた!」
そう言って、カイルはアルカンデュラの側面に回り込むと、後ろ足に白光に包まれた槍の穂先を突き出そうとする。
俺はカイルの指示した通り、正面からアルカンデュラに斬りかかる。
そして、アルカンデュラの真後ろからは、再びモリエールが迫っていて、剣を大きく一閃させようとしていた。
三方向からの攻撃がアルカンデュラに迫る。
そして、最初に繰り出された俺の斬撃は、見事、アルカンデュラの前足を切断し、カイルの繰り出した槍の穂先はアルカンデュラの後ろ足に深々と突き刺さった。
モリエールの斬撃も蛇の頭を宙に舞わせている。
「僕の矢も忘れてくれるなよ。ボルブさんに新しく作って貰ったこの黒金の矢はドラゴンの鱗すら貫いて見せるぞ」
ハンスがそう檄を飛ばすように言うと、黒金の矢がアルカンデュラの両目に寸分の狂いもなく突き刺さった。
この総攻撃にはアルカンデュラも耐えきれずに体のバランスを崩して膝を突いた。オリハルコンほどではないが、アダマンタイトで作られた矢も強力だ。
「みんな全力で光りの魔法をぶつけるから、離れて!」
アリスの声が部屋の中を駆け巡ったので、俺たちはすぐさま弾かれたようにアルカンデュラから飛び退いた。
すると、大木を三つくらい束にしたような太さを持つ光線が放たれる。
その光線はアルカンデュラの体へと命中して、凄まじいという言葉すら生温いほどの大爆発を引き起こした。
爆風は部屋の中を荒れ狂い、部屋の中は迷宮が壊れるかと思うくらい、大きく揺り動かされる。
俺も床に膝を突きそうになったが、何とか堪えた。
「やったか!」
俺は額の汗を拭いながら、そう叫んだ。
が、爆煙の中から現れたアルカンデュラは頭部が消し飛び、胴体も半分以上がごっそりともぎ取られていたが、それでもまだ生きていた。
普通なら絶命している状態なのに、頭部のない体でバランスを保ちながら立っていたのだ。
そして、アルカンデュラの傷口から白い泡が吹き出したかと思うと、まるで生え代わるようにして大きな肉の塊がドバッと飛び出した。
これには俺もぎょっとしてしまう。
こんな再生の仕方ができる生物がこの世にいるとは思わなかったからだ。
一方、アルカンデュラの体は白濁とした液に濡れたまま、すっかり元の状態に戻ってしまっていた。
アンデットを越える再生力を目の当たりにして、俺も言葉を失う。
しかも、再生したアルカンデュラの体はより屈強になったように見えた。これが伝説の魔獣アルカンデュラかと俺も舌を巻いた。
「私はまた魔力を練り上げるから、ディン君たちは何とかしてアルカンデュラの動きを止めて。言っておくけど、さっきの魔法はあと一回しか放てないよ」
アリスは白光に包まれた掌を翳しながら言った。
それを聞いた俺はアルカンデュラに向かって疾走すると、また斬りかかった。が、アルカンデュラは今度は避けようとはせず棒立ちしていた。
俺の放った渾身の一撃はアルカンデュラの腕にぶつかる。が、さっきみたいにアルカンデュラの腕を切断することはできなかった。
刃が完全に止まってしまっているし、剣を引くと切り傷一つ負わせられていないことが確認できる。
再生したことでアルカンデュラの体の強靱さが一気に増したと言うことか。だとしたら、もう頼れるのはアリスかレイシアの魔法しかない。
「カイル、モリエール、もう俺たちの攻撃じゃダメージを与えられない。だから、アリスが狙われないように注意を引き付けてくれ」
俺は焦ってはいけないと自分に言い聞かせながら、そう指示をした。
それを受け、二人は勇猛さを見せるようにアルカンデュラの体に攻撃を加えたが、やはりダメージは与えられなかった。
光属性が宿ったハンスの矢も飛来し、眼球にぶつかったが弾かれてしまう。
体の強靱さだけなら、今のアルカンデュラはガンティアラスを遙かに上回っているな。
一定の時間が経つと体の強靱さも元に戻ると言うが、それは早くても数時間後だ。とても待ってはいられない。
「みんな、行くよ!」
アリスは叩きつけるように言うと、光線を放とうとする。
俺たちもアリスの魔法に巻き込まれるわけにはいかないので、逃げるようにしてアルカンデュラと距離を取った。
そして、アリスの放った光線はアルカンデュラの体を飲み込んで再び大爆発する。今度の光線は間違いなく、アルカンデュラの体の全てを覆い尽くしていた。
仕留めることはできたはずだ。
だが、爆煙から現れたアルカンデュラは消し飛ばされることなく屹立していた。体のあちこちからプスプスとした煙が立ち上っていたが、傷のようなものはない。
やはり、魔法への耐性も増している。
「私も魔力を温存している場合じゃないわね。今度は私の魔法を食らいなさい、この化け物!」
レイシアはそう言い放つと、アリスと同じ光線の魔法を放った。
それはアルカンデュラにぶつかって激甚とも言える大爆発を引き起こしたが、アルカンデュラは爆煙を切り裂くようにして、前に飛び出して来る。
狙われていたのは、蒼白な顔をして息を荒げているアリスだった。俺も助けに行こうとしたが、間に合わない。
アルカンデュラはアリスの目の前まで来ると腕を一振りする。その一振りでアリスは胸を大きく切り裂かれ、血飛沫を上げながら崩れ落ちた。
「あ、アリス」
俺は目の前が真っ暗になるものを感じた。
それから、プツンと心の中の何かが切れると、俺は雄叫びと共に剣を高々と振り上げてアルカンデュラに斬りかかる。
どんな状況に陥ろうと冷静に、などという言葉はもう俺の頭にはなかった。
対するアルカンデュラは俺の繰り出す無闇矢鱈な斬撃を面白がるような動きで何度も避けて見せる。
それから、背中の翼をはためかせて、大きく跳躍すると部屋の入り口の前へと着地した。
そして、俺たちの方に向き直ると、ニヤリと人間でも分かるような嗜虐的な笑みを浮かべる。その顔には「お前たちはもう逃げられない」と書いてあった。
いつでも撤退できるという安心感は一気に消失する。
でも、冷静さを失っていた俺はアルカンデュラには構わず、アリスの傍にまで駆け寄り、しゃがみ込む。
アリスは胸から大量の血を流しながら、ぐったりとしていた。俺はアリスの頭を抱きかかえたが、ピクリとも反応しない。
「アルカンデュラの奴、入り口を塞ぎやがった。どうやら、俺たちを生きて返すつもりはねぇみてぇだな」
カイルは歯ぎしりしながら言った。
「アルカンデュラには獣並みの知性しかないと決めつけていた僕たちの判断ミスか。さすがにこれはまずいぞ」
モリエールも頬から大粒の汗を滴らせている。
「ハンス、すぐにアリスの傷を治してくれ。思っていた以上に傷が深いし、このままじゃ、アリスは死ぬ」
俺は傷口から胸骨すら覗かせてしまっているアリスを見下ろしながら言った。
「分かった」
ハンスはすぐにアリスの傍まで来ると、柔らかな光を放つ掌をアリスの胸の傷口に当てた。
「アリスは治りそう?」
そう不安げに尋ねたのはチェルシーだった。
「分からないが、とにかく全力で回復魔法をかけ続けるしかない。でも、アルカンデュラがそれを許してくれるかどうか」
アルカンデュラはニヤニヤしていたが、突然、口から津波のようなもの凄い勢いの炎を吐き出してきた。
俺たちを包み込んでいたバリアは、アリスからの魔力供給がなくなったせいで、いつの間にか消えていた。
でも、とてもじゃないが、アリスはバリアを張り直せる状態ではない。
「最初から私が攻撃魔法を放っていれば!」
そう言って、痛恨の表情で立ち尽くしているレイシアもバリアのような魔法は使えないみたいだからな。
レイシアも光属性の魔法では、アリスよりも一歩、劣ると自ら言っていた。だから、アリスに攻撃を任せていたのだ。
それが裏目に出た。
とにかく、こうなると炎を防ぐ手立てがなくなる。
俺が絶体絶命かと心の中で呟いていると、何を思ったのかチェルシーが炎の前に立って両手を翳す。
すると、大きな光りの膜が押し寄せる炎を二つに分け始めた。あのチェルシーが一人で懸命バリアを張っている。
この事実に俺も心が震えた。
「私はアリスみたいに一人一人に器用にバリアを張ることなんでできないから、こうして防ぐしかないよ」
チェルシーは顔だけを俺たちの方に振り向かせると弱々しく笑った。
「でも、はっきり言って長くは持たないからね。例え、焼け死ぬことになっても、私に文句は言わないでよ」
そんなことは言われなくても分かっている。
俺はアリスの方を見たが、意識を取り戻してくれる気配はなかった。チェルシーも炎の勢いに押されて、ジリジリと後ろに下がり始めている。
ハンスも回復魔法でアリスの命を繋ぎ止めるのに精一杯だ。
カイルとモリエールの二人も戦慄の表情を浮かべながら動けずにいるし、レイシアの顔は俺の方からでは見えなかった。
そして、ついに光りの膜の一部が破れて、そこから炎が漏れ出してきた。チェルシーの服もあまりの熱で自然発火する。
このままでは全員、死んでしまうしどうしたら良いんだ。
「ディン、デートの約束は忘れてないわよね」
レイシアは俺の方を振り向くと、微笑みながら言った。
「こんな時に何を言っているんだ?」
俺は困惑する。
あまりの絶望的な状況に気でも触れたのかと思ったのだ。それとも、その悠々とした笑みを見るに何か秘策でもあるのか。
「こんな時だからこそ、言ってるのよ。もし、第三階層に辿り着けたら、私に負けないくらいの可愛い女の子とデートしてよね」
レイシアの掌は空間が撓んで見えるほどの激しい光りを迸らせていた。
「それが私の最後のお願いだから」
そう言うと、レイシアはまるで舞台の上に立つ役者のような足取りでチェルシーの前に進み出る。
「ここまでよ、アルカンデュラ。私の大切な人をあんたみたいな奴に殺させやしない!」
レイシアがそう叫ぶと、その掌から白い光りが膨れ上がる。そのあまりの強烈な閃光に、俺も目を開けていられなかった。
そして、俺は瞼の向こうが真っ白になり、何も見えないまま押し寄せてくる風で吹き飛ばされる。
それから、思いっきり背中から床に叩きつけられた。
そのあまりの衝撃に意識が飛びそうになる。実際、少しの間、意識を失っていたかもしれない。
俺はしたたかに体を打ち付けた痛みに呻きながら、何とか上半身を起こす。それから、顔を持ち上げて目を開けると、押し寄せていた炎はすっかり消え失せていた。
チェルシーも倒れていたし、カイルとモリエールも武器を支えに片膝を付いている。ただ、ハンスはアリスの体に掌を当てたまま、その場に踏み留まっていた。
俺は何が起こったのか分からず、目を瞬かせながら入り口の方に視線を向けた。すると、そこは広範囲に渡って黒焦げになっていた。
その上、床や壁にはベッタリとした液体がこびり付いている。でも、アルカンデュラの姿はどこにもなかった。
しかも、ゲートの近くには眩い光りに包み込まれた鍵が宙に浮いた。あのガンティアラスを倒した時のことを思い起こさせる。
俺はチェルシーより更に前の場所で倒れているレイシアを見る。おそらく、レイシアが何か強力な魔法を使ったのだろう。
それでアルカンデュラは跡形もなく消し飛んでしまった。そう考えれば、この状況も説明が付く。
俺は宙に浮かんでいる鍵を手にすると、それを扉の鍵穴に差し込んで回した。すると、ガラガラという音を立てて扉が自動的に開いていく。
俺は扉の先にある濃い闇を見てゴクリと唾を飲み込む。それから、恐る恐る背後を振り返った。
「ハンス、アリスは大丈夫か?」
俺の問い掛けにハンスは間を置かずに答える。
「問題ないよ。傷の方は完全に塞がったし、ちゃんと呼吸もしている。もう少し時間が経てば意識も取り戻すはずさ」
ハンスはレンズに罅の入った眼鏡で笑った。
「そうか」
俺はほっと胸を撫で下ろす。こんなに気持ちの悪い汗を掻いた時もないな。すると、今度はチェルシーが頭を押さえながら、身を起こした。
「イタタ」
起き上がったチェルシーのツインテールの髪は片方が燃えてなくなっていた。ま、あの炎の前に立って、その程度で済んだのだから運が良かった方だろう。
俺はみんな無事なようだなと思うと、倒れたまま起き上がらないレイシアの方にゆっくりと歩み寄った。
それから、レイシアの顔を覗き込むと、彼女は安らかな顔で目を伏せていた。が、すぐに俺は体が凍り付いてしまう。
レイシアは息をしていなかったのだ。俺はゾクッとして腕の脈を確かめてみたが、止まっていた。
更に胸に手を当てると、心臓の鼓動も止まっていたので、俺は両膝を突いて愕然としてしまった。
そう、レイシアは死んでしまっていたのだ…。
《第五章⑥ 終了 エピローグに続く》




