第五章 伝説の魔獣①
第五章 伝説の魔獣①
俺は自分がこの学院に飛ばされてから、もう一ヶ月以上も過ぎたのかと思いながら朝食を食べていた。
そんな俺の胸には様々な感情が去来しているし、母親の顔や故郷の村の風景なども脳裏に浮かんでは消える。
特に母親の顔を思い出すと、現在、口を付けているコーヒーもより苦味が増したように感じられる。
もちろん、アリスの入れてくれたコーヒーの味に文句はないが、ふとした時に母親の入れるコーヒーが無性に飲みたくなるのだ。
そんな俺だが、学院に飛ばされたばかりの頃は、確かに迷宮から出られないという事実に絶望感を覚えていた。
悪い夢でも見ているような気分に浸っていたからな。
でも、それ以上にワクワクするものを感じたし、迷宮での戦いでは恐れよりも興奮の方が遙かに勝っていた。
こんな冒険に身を投じることができた自分は、むしろ運が良かったのではとさえ思える。
普通に地上の王都にいたら、何も成し遂げることができずに、ただ若い時間だけが奪われることになっていたかもしれないから。
正直、爺さんを越える勇者になりたいという目標は、心の底では達成できないだろうなと思っていた気さえする。
でも、今は違うと言い切れる。
爺さんを越えるような勇者にならなくては、間違いなく迷宮の中で死ぬのだ。
別の道もあるかもしれないなどという生き方は、おそらく、この迷宮は許してはくれないだろう。
もちろん、このままの状況を維持することに専念するという生き方もできなくはない。だが、人間は確実に歳を取り、そして、老いる。
老いた人間がのうのうと暮らしていけるほど迷宮の中は甘くない。また、それほどの歳月が経てば様々な問題が噴出してくるだろう。
そうなった時には何もかもが手遅れと言うことは十分あり得るのだ。だからこそ、息をするのと同じような感覚で迷宮には挑み続けなければならない。
それに、今の俺にはこれまでの人生では決して手に入れることができなかった仲間たちとの絆がある。
その絆は何ものにも代えがたいものだし、決して失うわけにはいかない。
仲間たちと共に生きて地上に戻る。
それが今の俺の明確な生きる目標でもあり、俺を迷宮の制覇へと駆り立てる原動力でもあった。
「なあ、みんな。そろそろアルカンデュラを倒しに行かないか。もう十分、力は付けられたはずだろう」
俺は目が冴えるようなブラックのコーヒーを飲み干すとそう言った。
第四階層にリッチやゴーレム以上の中ボスはいないから、その二匹を倒せた俺たちならアルカンデュラとも渡り合えるはずなのだ。
なら、勇気を出すしかない。
「この迷宮の中で十分な力、などというものはないよ、ディン君。倒さなければならないのは神や悪魔たちなんだから」
新聞を読んでいるハンスはそう諭す。その言葉はもっともなのだが、活力のような物を持て余していた俺は退かなかった。
「でも、今度の敵は神でも悪魔でもないただの魔獣だ。今の俺たちの力なら、確実に通用すると思うんだけどな」
リッチやゴーレムを倒せたことは大きな自信に繋がっている。
だからこそ、撤退することを視野に入れつつも、アルカンデュラとは一度、戦って見る必要があると思ったのだ。
そうすれば例え負けても良い経験は積める。
「その通りだぜ。慎重になりすぎるって言うのも考えもんだ。もし適わないようなら、逃げりゃ良いだけだし、戦って見たらどうだ」
カイルが俺を援護するように言った。
「そうだな。アルカンデュラの力はガンティアラスほどではないと言うし、今の僕たちなら勝機はある」
ハンスは楽観を滲ませつつも、言葉を続ける。
「ただし、アルカンデュラの再生力をどう攻略するかは、戦う前にしっかりと考えておかないと」
確かに無策で戦えば確実に返り討ちにあるだろう。ガンティアラスの時のようにただ自分の全力をぶつければ良い相手ではないのだ。
「そうだよ。そこが一番、肝心なところなんだから」
アリスもハンスと同じように慎重派だ。
「ま、要するに肉片一つ残さず消し飛ばしちまえば良いんだろ。アリスの魔法ならそれもできるんじゃねぇのか」
カイルは少し前までは、そのまま齧り付いていたベーコンをナイフで切り分けながら口に運ぶ。
肉の切り分けを覚えたせいか、カイルも食事の仕方が変わってきた。もっとも、まだまだ上品とは言えない食べ方だが。
「私の魔法を信頼してくれるのは嬉しいけど、万が一、ゴーレムの時みたいに私の魔法が全く効かなかったらどうするの?」
アリスはパンケーキに大量のシロップを垂らす。
「アルカンデュラにはどの魔法が効き易くて、どの魔法が効き難いのかなんて分からないんだよ」
そう自信なげに言って、アリスはパンケーキにフォークを突き刺した。その際、熱で溶けたバターが流れ落ちる。
「そう言われると困っちまうな」
カイルは視線を揺らす。
アリスの言葉に否定できないものを感じたのだろう。でも、アリスの言ったことを確かめるためにも、やはり戦って見る必要はあるのだ。
「まあ、強いモンスターは大抵、魔法に対する耐性を持ってるからな。それを無視して破壊力がある魔法だけを使うのは危険だよ」
ハンスの意見には誰も反論ができない。
「アリスの自慢の魔法が効かかったゴーレムみたいな奴もいるから」
力押しは通用しないと言うことだろう。でも、俺だってそんな単純なことが分からないまま、戦おうとしているわけではないのだ。
「だよな」
俺は笑顔で同意した。
「でも、アリスの魔法なら、たぶん大丈夫なんじゃないかな」
チェルシーはアリスと同じパンケーキを咀嚼しながら口を開く。
「アタシがアムネイアスから聞き出した情報じゃ、アルカンデュラは光りの魔法に弱いって言うし」
チェルシーはナイフを立てながら言葉を続ける。
「それなら、アリスがゴーレムに使った魔法でも普通に大ダメージを与えられるよ」
チェルシーは口の端に付いたシロップを舌で舐めながら言った。
「問題なのは、失った頭部すら再生できるって言う、アルカンデュラを完全に殺しきれるかどうかだな」
俺は顎に指を這わせた。
どこまで体を消し飛ばせばアルカンデュラが絶命してくれるのか、それが分からないのはやっぱり不安だ。
「ああ。もし、殺しきれずに再生されたら、アルカンデュラはより強くなってしまう。そうなったら、打つ手もなくなるからな」
ハンスも深慮するように言った。
「となると、再生する度に強くなるアルカンデュラに対しては、短期決戦を挑むしかないってことか」
どこまで慌てずに戦えるかが課題になる。
「そうだな。もちろん、それは口で言うほど容易いことじゃないだろう。とにかく、アルカンデュラと戦うにはしっかりとした対策が必要だ」
ハンスは強い口調でそう言い切った。
すると、何の前触れもなく部室の扉が開く。現れたのはブルネットの髪をウェーブさせた女子生徒だった。
その切れ長の目は、理知的に光っている。
「失礼します」
女子生徒、オリヴィエは事務的な声で言うと、部室の中に足を踏み入れる。意外な登場人物に俺たちは唖然とした。
「どうして君がここに?」
ハンスが目を点にしながら問い掛けた。
「今日、私たち【ホワイト・ナイツ】の第一パーティーはアルカンデュラに二度目の戦いを挑みます」
オリヴィエはまるで報告するように言った。
「そうか。でも、どうして僕たちにそれを?」
ハンスも意図が分からないと言った顔をしている。俺たちにわざわざそのことを伝える必要性はどこにもないし。
「もし、私たちが勝てなかった場合は、あなたたちにアルカンデュラの討伐を任せたいからです」
オリヴィエの言葉にチェルシーが噛み付いた。
「何で、アタシたちがあんたたちパーティーの尻拭いをしなきゃならないのよ。そんな義務はないはずでしょ」
生徒会の権限で命令するつもりか。
「その通りです。ですから、私も強制は致しません」
オリヴィエはあっさりと言葉を引いた。これにはチェルシーも毒気が抜かれたような顔をしてしまう。
「が、もしあなたたちがアルカンデュラと戦おうとしているなら、レイシアとモリエールの二人は同行させてあげてください」
オリヴィエはサラサラとした口調で言葉を続ける。
「あの二人はアルカンデュラと一度、戦っていますし、必ずやその経験を生かして、大きな戦力になってくれることでしょう」
確かにあの二人の実力なら問題はない。
ないのだが、そんなことをして【ホワイト・ナイツ】が特をすることは何もないように思える。
「そして、今度の戦いでは私たちもあの二人を連れて行きません」
オリヴィエの言葉を聞き、釣られるように口を開いたのは俺だ。
「どうしてなんだ。アルカンデュラと戦ったことがあるメンバーをなら尚更、今度の戦いでも投入しないと」
戦力を出し惜しみしては勝てる戦いも勝てなくなるぞ。
「私たちはアルカンデュラと戦うために、必要なことは全てしました。ですが、勝てるという保証はありません」
オリヴィエの声はどこまでも淡々としている。
「私としては、あの二人のような才気、溢れる人材を勝てるかどうか分からない戦いには投入したくないのです」
そんなことを言われると、俺の方も怖くなる。
「では、僕たちならアルカンデュラに勝てると言うのかい?」
ハンスは解せない顔で尋ねた。
「これは私の勘なのですが、私たち【ホワイト・ナイツ】のメンバーでは、この学院を救うことはできない気がするのです」
オリヴィエの発した言葉に、俺たちの表情が固まった。
「そして、もし、学院を救えるとしたら、それは【ラグドール】のメンバーに他ならないと、私の勘が訴えかけています」
俺たちも高く買われたものだ。
もちろん、悪い気はしないが、迷宮の最前線で戦わなければならないオリヴィエにそんなことを言われると、こっちも悪い予感しかしなくなる。
「もちろん、そんな不確かな意見を【ホワイト・ナイツ】の副団長である私が口にすることなど本来ならあってはならないことですが」
そりゃそうだろう。そんな言葉を口にすればパーティーの士気に関わるからな。
「だからこそ、私の言葉を信じるかどうかはあなたたちの裁量に任せます。では、急ぐ身ですので私これで」
そう言うと、オリヴィエはブルネットの髪をフワッと舞わせて身を翻すと、足早に部室から去って行った。
それを受け、俺たちは互いに顔を見合わせる。
「何だか、一方的に言われて、帰られちまったな。ま、オリヴィエが俺たちに大きな期待をしているのは確かみたいだが」
俺もオリヴィエの真意が少しだけ見えた気がした。
「そうだな。ただ、オリヴィエは自分なりの合理さで動いているだけだと思う。本当に合理的な人間は自分の持つ勘を馬鹿にしたりはしないし」
ハンスの言葉はいつにも増して説得力があった。
「ま、女の勘は馬鹿にできないって言うからね。アタシもちょっとオリヴィエのことを誤解していたかもしれない」
チェルシーは二枚目のパンケーキに取りかかっていた。
「うん。オリヴィエに悪意はないよ。ただ、ハンスが言うような合理的な人間は、得てして嫌われ易いっていうだけで」
そういうアリスは基本的には誰からも好かれてるんじゃないのか。
「もう少し、自分の感情を見せてくれた方が、人間としては好かれ易いのかもしれねぇな。まあ、俺は人間の性格について、とやかく言いたくはねぇけど」
カイルは天井を見上げてぼやいた。
確かに、誤解されるほど自分の内面を押し隠すのはどうかと俺も思う。
ひょっとしたら、オリヴィエも他者と接することには不器用なのかもしれない。けど、それを聡明な頭脳が補っている。
「でも、自分の感情に正直すぎる人間もまた嫌われてしまうのが現実なんだけどね。何事もバランスだよ」
ハンスはその手の感覚には優れているだろうな。
「そうそう」
チェルシーも感情を見せ過ぎるところはあるけど、それで嫌われることは特にないように見える。
まあ、ここは学校なだけあって、本当に色んな人間がいるものだ。
「私も同感だね。もっとも、どんなに万人、受けするような性格を取り繕っても、誰からも好かれるなんて実際には無理な話だよ」
アリスが言うと、やけに重みを感じるな。
「まあ、正論だな」
俺は長息を吐いた。
「とにかく、レイシアとモリエールは快く同行させてやろうぜ。じゃないと、オリヴィエが心を砕いてここに来くれた意味もなくなるからな」
モリエールを嫌っていると思われるカイルがそう言うなら、その方針に反対する者はいないな。
「ああ。オリヴィエも戦力が欠けることを覚悟で、俺たちに期待を託したんだ。その期待は絶対に裏切れない」
そう決然というと、俺はアリスにコーヒーのお代わりを要求した。
《第五章① 終了》




