第二章 学院を取り巻く事情①
第二章 学院を取り巻く事情①
俺はまるで覚醒するようにハッと目を覚ます。
それから、上半身を起こすと、自分は何でこんなところで寝ているんだろうと不思議に思ってしまった。
が、すぐに自分は迷宮の最下層にあるサンクフォード学院で生活していくことになったことを思い出した。
やはり昨日のことは悪い夢などではなかったか。
俺は寝袋から這い出すと、大きく伸びをする。ベッドを見ると、みんなまだ寝ていた。
スースーと小さな寝息も聞こえてくるし。
俺はどうしようかと思ったが、とりあえず散歩をすることにした。学院の中で見ておきたい場所はまだいっぱいあったからな。
俺はみんなを起こさないように部室を出ようとする。
すると、俺の肩にフワリとフィズが乗った。
フィズもみんなを起こさないようにしようとする配慮はあるのか、頷くだけで声は出さなかった。
俺はフィズと共に部室を出ると、シーンとしている部室棟の廊下を歩く。さっき見た水時計は六時を指し示していたから、まだ早朝だ。
なので、寝ている生徒も多いだろう。
でも、朝日がないというのは何とも寂しいな。太陽の光を浴びないと病気になるというのは本当だろうか。
「学院の校舎には教室がたくさんあるはずだよな。その教室はどういう使われ方をしているんだ?」
俺は教室があるなら、狭い部室の中で寝る必要もなくなるのにと思った。もっとも、狭い部室も嫌いじゃないけど。
「教室は主に各ギルドの本部になってる。さすがに授業はもう行われていないからな。それを利用しない手はない」
授業がないとなると先生たちは何をしているんだろう。
「そっか。授業が行われない教室って言うのも、何か寂しいものがあるよな。勉強嫌いの学生たちにとっては喜ばしいことなのかもしれないが」
俺も勉強は好きじゃなかったけど。
でも、頭を使うのが苦手なわけではない。爺さんも俺には持って生まれた機転の良さがあると言っていたからな。
「おいらは学生じゃないから、その辺の感覚は分からない」
フィズは首を振った。
「ただ、みんなにとっては退屈でうんざりさせられるような授業も、今なら懐かしくてかけがえのないものに思えるんじゃないのか」
失って初めてありがたみが分かると言うことか。
俺も学校に通うのは退屈で嫌だった。でも、学校を卒業してからはポッカリと胸に穴が空いたような気分になった。
それからは、無性に学校に行きたくなり、母さんにしっかりと勉強するから大きな町の学校に通わせてくれと頼んだりもした。
もっとも、母さんはそんなお金はないと、俺の頼みを突っぱねたけど。
まあ、それだけ学校という場所は、俺の心に大きな影響を与えていたのだ。学校というものが持つありがたさは計り知れない。
「かもな。俺は小学校までしか通えなかったから、俺くらいの年齢でも学生でいられるのはちょっと羨ましいよ」
俺の家は父親の放蕩のせいで生活も苦しかった。だから、最低限の教育しか受けられなかったのだ。
でも、爺さんの残してくれたたくさんの本のおかげで、学生に負けないくらいの知識を身に付けることができた。
学校で勉強ができない分、剣術の稽古にも熱心に励んだからな。だからこそ、モンスターとも渡り合えるのだ。
「そう思える心は大切にしろよ。きっと、その心が苦しい思いをしている学院のみんなを助けたいという気持ちに繋がると思うから」
学院の生徒たちの苦しみを人事とは割り切りたくない。
俺がこの学院にお世話になっているのは紛れもない事実なんだから。その恩は返さなければならないだろう。
それだけにラムセスのことが恨めしく思える。
「臭いことを言うじゃないか。人間の言葉より、気が利いてるよ」
俺はニヤッと笑った。
「真面目な話をしているんだし、茶化すなよ。とにかく、学院には渡り廊下で結ばれた西館と東館があるんだが、最近はこの区切りが妙な意味合いを持つようになってきたんだ」
フィズは含みを持たせるように言った。
「妙って」
俺は怪訝そうな顔をした。
「西館を縄張りとしている善神サンクナートと東館を縄張りにしている悪神ゼラムナートが徐々にその影響力を行使し始めたんだよ」
フィズは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「どういう意味なんだ?新参者にも分かるように説明してくれよ」
俺は困惑気味の顔をする。
「お前だって冒険者の端くれなら、善神サンクナートが何よりも秩序を重んじている神だってことは知っているだろう?」
フィズはそう問い掛ける。
「ああ」
俺が頷くとフィズは淡々と語り始める。
「だから、サンクナートは学院の秩序を守る【ホワイト・ナイツ】には協力しているし、裏では【ホワイト・ナイツ】の行動に自らの意思を繁栄させようともしている」
【ホワイト・ナイツ】はサンクナートを後ろ盾としていると言うことか。なら、下手にたてついたりすると、たたじゃ済まないかもしれないな。
「結果、学院の生徒に規律を徹底して守らせるような圧力が生じているんだ」
それは嫌だな。
規律は必要だけど、ある程度の自由がなければ息が詰まってしまう。それは閉塞感を生み、生徒たちの精神を病ませることにもなりかねない。
規律は生徒たちのためにあるわけで、規律のために生徒たちがいるわけではないのだ。
「対する悪神ゼラムナートは自由を重んじている」
自由なんて良い言葉に聞こえるけど、きっと棘があるんだろうな。
「だから、自分を頼る生徒には飲酒や賭博、異性との交遊を許し、迷宮から来た異種族もパーティーに加えても良いと説いている」
それはさすがにまずいよな。
子供が酒を飲むなんてどうかと思うし、ましてや、賭博なんてもっての外だ。異性との交遊は止められるものでもないかもしれないが。
「当然、この二人の神の影響を強く受けている生徒が顔を突き合わせれば、喧嘩にもなるだろうな」
「なるほどね。信じる神の違いによる対立は理屈じゃないからな。この手の対立というか、争いは解決した例しがない」
俺も遅まきながら話が見えてきた。
「ああ。でも、サンクナートもゼラムナートもずるいんだよ。自分たちはあくまで矢面に立たずに、それとなく生徒たちの心に自分の思想を植え付けているんだからさ」
フィズは歯噛みした。
「確かにずるいな。もっとも、得てして神や悪魔は表舞台に立とうとすることを避けようとするからな。姿を現すだけ、その二人の神はマシじゃないのか」
俺もずるいという言葉には同感だ。
「そういう考え方もあるか。いずれにせよ、神や宗教は人の心を容易に惑わすからな。このままだと生徒たちがそれぞれの陣営に分かれて、激しく対立するようなことにもなりかねない」
そうなったら迷宮の攻略どころじゃなくなるんじゃないのか。生徒同士で殺し合うことにならなきゃ良いけど。
「それを止めることはできないのか?」
俺は弱々しい声で尋ねた。
「無理だな。こんな状況に放り込まれれば誰だって神に縋り付きたくなる。それはお前だって同じことだろう」
フィズは顎をしゃくった。
「そうだな」
否定はできない。
「なら、神の言いなりになる奴だって出て来るだろうよ。そして、残念ながら今の学院にはそれを戒めることができる奴がいないんだ」
「そうか」
俺だって、神に頼んで事が解決するなら、変な意固地さは捨てて何だってするつもりだ。
でも、神に頼んで助けて貰えた試しはない。
爺さんも神という存在には酷く冷たい見方をしていたし。
「ラムセスがサンクナートやゼラムナートが学院にいるのを許しているのも、それが学院のみんなを更に苦しめることになると知悉しているからだろう」
そこまで人間の心理を計算できるものなのか。
「ひょっとしたら、人心を掌握することに長けていると言われている邪神ヘルガウストの入れ知恵かもしれないな」
ヘルガウストは人の心の闇に溶け込むのが上手いと聞いてるし。
「こんな時だからこそ、みんなで力を合わせて一致団結しなきゃならないのに、何をやってるんだか」
俺は歯痒そうに言った。
「こんな時でも団結できないのが人間って生き物なんだよ。だからって、団結した人間が必ずしも物事を良い方向に動かせるとは限らないけどな」
フィズは皮肉たっぷりに言うと更に言葉を続ける。
「とにかく、生徒たちも最初の頃は数に物を言わせて、迷宮を突き進んだこともあったが、それが逆に多くのモンスターを呼び寄せる結果になって痛い目を見たし」
「数で押し切るのは無理だって言うことか」
数にものを言わせて迷宮を突き進めば何と中なると思った俺は短絡的だろうか。
「ああ。現に、その気になれば魔界の王であるアルハザークは簡単に学院にいる人間たちを皆殺しにできるはずなんだよ」
フィズは思索するように言葉を続ける。
「なのに、それをしようとしない。上手くモンスターの数をコントロールして、学院の人間たちを生かさず殺さずの状況に浸からせている」
モンスターが学院のある最下層に入ってこないことが、そもそもおかしいことだからな。結界のようなものが張られているとは俺も聞いてないし。
「やっぱり、神や悪魔たちにとって、この状況はゲームか。ゲームなんて、ボードの上だけにして貰いたいもんだよ」
神や悪魔が何を考えているのかは全く分からない。
「その通りだな。ま、今のところは迷宮を制覇し、ラムセスを倒すしか手がない。もっとも、その道のりは果てしなく険しいだろうけどな」
やっぱり、それしかないか。
「そっか。何にせよ、このままの状況が続くのは良くないな。誰かが突破口を作らないと、みんなが迷宮を攻略することを諦めてしまう」
俺は焦りを感じさせるように言った。
「そうなったら、ダラダラとこの迷宮の中で延命し続けるだけだ」
それも生き方の一つではあるが。
「ああ。だから、おいらも学院の生徒じゃない本物の冒険者のお前には期待している。おいらも人を見る目はあるつもりだからな」
フィズの目に光りが走った。
「俺は駆け出しの冒険者だぞ。できることなんてたかがしれてるよ」
俺に爺さんほどの器があれば、みんなを良い感じに束ねることもできたんだろうけど、残念ながらそこまでのリーダーシップはない。
「なら、当分はこの学院の状況も好転しないと言うことさ。ま、本当に迷宮を制覇したいなら、他人を宛てにしていたら駄目だ」
痛いところを突くな。
「自分の進むべき道は、自分の力で切り開かなければならない。冒険者とは元来、そういう職業のはずだろう」
フィズは首を竦めると「おいらは朝飯を食べに食堂に行く」と言って、俺の肩から飛び立ってしまった。
その後ろ姿を見ながら、俺は学院の中でただ生活するのも、一筋縄には行きそうにないなと思った。
《第二章① 終了》