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アルティエル戦記  作者: 秋月キアラ
第5部 帰還者戦争と魔大陸の傷
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第8話_一音欠けた名

 黒い星の反響路は、道というより傷だった。イーサーの星図板に残った細い弦の光は、地上の街道をなぞってはいない。黒星片から黒星片へ、霊脈の裂け目から名の空白へ、星の船の拍動が大陸へ差し込む隙間を縫うように伸びていた。そこを追うには、足で歩くだけでは足りなかった。エノクは王家の鍵を胸に当て、背の聖剣アーク・リヴァイヴを抜かずに、その柄へ手を添えていた。剣は静かに応え、道のない場所へ薄い白銀の足場を作る。イーサーが星図を読み、ハルナが黒星核の反響を遅らせる小さな遮断具を組み、イリスが名の侵食を防ぐ祈りを唱え、アリアが境界の歪みを見つけるたび双剣の鞘へ指を置き、テイルが大地側へ引き戻されそうになる流れを竜気で押さえ、アリスが魂と器が混ざる気配を察して震えるたび、エノクがその名を呼んだ。アリス、と。すると彼女は小さく頷き、胸元の名の核を両手で包み直した。


 追跡路に入ってから、周囲の景色は何度も変わった。焼けた村のはずが、次の瞬間には黒い星図の海となり、足元にあった石畳が星の船の冷たい金属板へ変わり、遠くで誰かの歌が聞こえると、それはすぐに赤黒い警告音へ変わった。弦の光は一定ではない。伸び、縮み、時に途切れ、また少し先で結ばれる。まるで、逃げる者が本当に追われたいのか、追われたくないのかを最後まで決めかねているようだった。


「性格が音に出てる」


 ハルナが遮断具を片手にぼやいた。


「逃げ道を残してるくせに、追跡しにくくしてる。しかも完全には消してない。こういう配線、工房でやられたら工具投げるよ」


「投げるのは工具ではなく言葉にしてください」


 イリスが言うと、ハルナは鼻を鳴らした。


「工具の方が早い時もある」


「アイオンさんには投げないでくださいね」


「捕まえた時の態度次第」


 テイルが横から言った。


「俺は肩を掴むだけにする」


「握力を落としてからお願いします」


「竜族に難しい注文をするな」


 そんな掛け合いでさえ、弦のない旅路では少し寂しかった。いつもなら、アイオンがそこで軽口を挟んだだろう。自分の逃亡についてさえ、「いやあ、人気者はつらいですね」などと言ったかもしれない。だが、その声はない。代わりに、反響路の奥から、時折かすかな真言の断片が流れてくるだけだった。


 アリ、オン。


 アイ、オン。


 ア、リ、オ、ン。


 一音、欠ける。


 エノクはそのたび、胸が締めつけられるのを感じた。アリオン。アイオン。名は似ている。だが、ただ似ているだけではない。意図して削られている。真名から一音を抜き、しかし完全には離れない名。なぜそんな名を選んだのか。その答えが、反響路の先にあるのだろう。


 やがて弦の光は、崩れた礼拝堂のような場所へ一行を導いた。そこは現実の建物ではない。名層の中に浮かぶ記憶の殻だった。床は白い石、天井はなく、空には黒い星ではなく千年前の青い空が広がっている。中央には古い譜面台があり、その上に竪琴が置かれていた。金の竪琴ではない。木目の見える簡素な竪琴。使い込まれ、何度も修理され、弦だけが不自然に新しい。譜面台の周囲には、若い男の影がいくつも立っていた。ひとつは少年。ひとつは旅の吟遊詩人。ひとつは聖戦の衣をまとった英雄。ひとつは帽子のつばを下げたアイオン。そして、どれにもなれず、どれからも逃げている半透明の影。


 アリスが小さく言った。


「外殻が、いっぱい」


 アリアは双剣の柄へ手を触れた。


「どれが本物?」


 イーサーが星図板をかざす。額の銀環が淡く光り、譜面台の上にある竪琴から、細い真言の文字が浮かび上がった。


「すべて、彼自身の記憶です。真名に結びついた残響。強く触れれば、こちらも巻き込まれる可能性があります」


「もう充分巻き込まれてるわ」


 アリアはそう言いながらも、踏み込みはしなかった。彼女は剣になるなという言葉を知っている。ここで怒り任せに記憶を斬れば、アイオンが何を恐れて逃げているのかも斬ってしまう。


 譜面台の前にいた少年の影が、竪琴へ手を伸ばした。まだ幼い。髪は今のアイオンより短く、目には軽さよりも好奇心がある。彼は誰かに向かって名乗った。


「アリオン。歌を覚える者です」


 その声が響くと、周囲の空気が震えた。名に力があった。真名が、世界のライラへ正しく乗る。風が彼の声を運び、鳥が鳴き、石が小さく応え、離れた場所の鐘がわずかに揺れる。真言使い。彼の名は、歌の飾りではなく、魔導の起点だった。


 ハルナが息を呑む。


「名前そのものが、起動鍵なんだ」


 イーサーが頷いた。


「真言使いの中でも、極めて古い型です。自らの真名を世界のライラへ接続し、その響きに言葉を乗せる。名と音がずれれば、魔導効率は落ちる。真名から離れすぎれば、術が発動しない」


「じゃあ、偽名を使いすぎると」


「真言は鈍ります。完全な別名なら、彼の力はほとんど使えないでしょう」


 テイルが眉をひそめる。


「じゃあ、なんでアイオンなんだ」


 答えるように、次の影が動いた。旅の吟遊詩人の姿をした若いアリオンが、酒場の片隅で笑っている。彼は客に名を問われ、少しだけ考えてから言った。


「アイオン、とでも呼んでください」


 その瞬間、竪琴の弦が一本だけ濁った。だが、完全には切れない。アイオン。アリオンから一音欠けた名。真名から離れすぎず、しかし真名そのものではない名。魔導を完全には失わない。だが、アリオンとして呼ばれる罪からは少しだけ遠ざかれる。そういう、ひどく都合のいい、ひどく苦しい名前。


 イリスが記録帳を開いた。


「アイオン。真名アリオンより一音を欠いた偽名。真言魔導を完全に失わないため、真名から離れすぎない名として選んだ可能性」


 彼女はそこで筆を止め、表情を曇らせた。


「でも、それだけではないのですね」


 アリスが頷いた。


「逃げるための名前。でも、完全に逃げないための名前」


 譜面台の周囲の景色が変わった。青い空が暗くなり、星の船の影が大地へ落ちる。若いアリオンは七英雄の中にいた。アベルが血を流し、ザッハの竜影が大地を押さえ、阿修羅が刃を構え、シモンが器を展開し、ダイダロスの星導機巧が唸り、ヨシュアの静寂が黒い叫びを鎮めている。アルティエルの光が、全ての名を束ねようとしていた。その中で、アリオンは竪琴を抱え、名封じ真言を唱えようとしている。彼の唇が動く。音が世界へ乗る。だが、黒星核の反響がそこへ食い込んだ。


 真言が歪む。


 カオスの名は、名ではなかった。地上の言葉で呼べるものではない。音にしようとすれば音が裂け、文字にしようとすれば文字が腐る。アリオンの真言は、その異質な名を世界の外のものとして閉じるための唯一の糸だった。だが、糸は細かった。細すぎた。彼は恐怖した。自分の声が、カオスの名を呼び込むのではないか。自分の真言が、封じるどころか、黒星核へ道を開くのではないか。一瞬の迷い。ほんの一拍の遅れ。いや、遅れたのか、震えたのか、息を呑んだのか。それだけで、名層の起動は崩れた。


 ダイダロスの声が記憶の中で叫ぶ。


『アリオン、応答せよ!』


 アリオンは応えようとした。だが、喉が固まっていた。そこへカオスの影が触れる。黒い王の声が、言葉にならないまま彼の内側へ流れ込む。


 お前が呼べば、我は名を得る。


 お前が黙れば、我は逃れる。


 どちらでも、欠けるのはお前だ。


 エノクの背筋が凍った。アリオンの恐怖が、自分の喉に流れ込む。声を出せば世界が壊れるかもしれない。声を出さなければ封印が失敗する。どちらにも責任がある。どちらにも逃げ場がない。その狭間で、一音が欠けた。


 パンドラボックスが閉じる。肉体だけが落ちる。魂魄が逃げる。名が閉じられない。


 記憶の中のアリオンは、その場に膝をついた。誰かが叫んでいる。アベルが倒れる。アルティエルの光が遠ざかる。ダイダロスの機械が悲鳴を上げ、ヨシュアが沈黙し、阿修羅が刃を下ろし、ザッハの竜影が空を見上げる。アリオンは竪琴を抱えたまま、何も言えなかった。


 アリアが低く言った。


「それで、逃げたのね」


 言葉は厳しかったが、そこに単純な非難だけはなかった。彼女もまた、逃げた者だった。ヴェルナから生き延びた者だった。逃げたからこそ、今ここにいる。それでも、逃げたことが傷にならないわけではない。


 次の景色は、戦後だった。荒れた野、燃え残った陣、壊れた星導機巧、血の匂い。アリオンはひとり、戦場の端を歩いている。竪琴の弦は一本切れていた。彼の背後で、誰かが名を呼んだ。


「アリオン」


 彼は振り返らなかった。


 もう一度。


「アリオン」


 彼は耳を塞ぐように竪琴を抱えた。名前が刃のように刺さっている。英雄の名ではない。失敗の名。名封じを欠いた者の名。アベルを死なせ、アルティエルを消し、世界を不完全な封印へ置き去りにした一音。その名で呼ばれるたび、彼は封印失敗の瞬間へ引き戻された。


 そこで、彼は初めて呟いた。


「アイオン」


 自分の名から一音を抜いた。


 アリオンではない。けれど、完全な別人でもない。真言を失いきらず、罪から逃げきらず、責任を受け取りきらず、その中間に立つための名。彼はその名で歩き出した。


 千年の景色が流れた。王国が興り、滅び、歌が変わり、七英雄の伝承からアリオンの名が消え、代わりにアルティエルの名が美しく置かれた。アイオンは酒場で歌い、道端で嘘をつき、戦場の跡を避け、古い仲間の名を聞くと笑ってごまかした。時には誰かを救った。時には逃げた。時には封印地へ近づき、真言を唱えようとして声を失った。彼は老いなかった。あるいは、老いることを歌でごまかした。千年、彼は真名から一音欠けた場所で生き続けた。


 ハルナが小さく言った。


「中間って、長くいる場所じゃないよ」


 イリスが答える。


「でも、そこから出られなかったのですね」


 アリスは譜面台の竪琴を見つめていた。


「外殻じゃないけど、外殻みたい。アイオンって名前を着てた」


「アリオンという名で生きるには痛すぎて」


 イーサーが静かに言った。


「完全な別名では力を失う。だから、彼は一音だけ欠けた名を選んだ。真言使いとしての機能を残し、七英雄としての責務からは距離を置くために」


 テイルが拳を握った。


「器用に逃げやがって」


 だが、声には怒りだけでなく、戸惑いもあった。器用な逃げ方だ。だが、その逃げ方を千年続けることが、どれほど不器用で苦しいかも、見てしまったからだ。


 エノクは譜面台へ近づいた。そこに置かれた竪琴は、触れれば崩れそうなほど古い。だが、一本だけ張られた弦がまだ震えている。エノクが聖剣を近づけると、竪琴の上に一つの文字が浮かんだ。


 リ。


 欠けた一音。


 アリオンからアイオンへ落とされた音。


 エノクは息を呑んだ。名の真ん中にあった音。真名を真名たらしめる小さな響き。たった一音。だが、その一音があるかないかで、彼は七英雄となり、罪人となり、真言使いとなり、封印失敗の当事者となる。欠けた一音は、彼にとって逃げ道であり、傷口であり、命綱だった。


「リ」


 イリスがその音を小さく呼んだ瞬間、反響路が揺れた。


 イーサーが鋭く言う。


「注意を。真名に近づきすぎています」


 黒い星の拍動が強くなった。竪琴の弦が震え、礼拝堂の周囲に黒い影が滲み出す。帰還者ではない。カオスの名層から伸びる影。欠けた音に反応している。アリオンの真言が戻れば、カオスの名封じにも近づく。だが同時に、カオスの名もまた、その音を欲しがっている。


 影が囁いた。


 呼べ。


 真名を呼べ。


 アリオンを戻せ。


 名が戻れば、罪も戻る。罪が戻れば、我も道を得る。


 エノクは聖剣を構えた。ティンカーベルも腰で鳴る。二本の剣の響きが重なる。聖剣の白銀は名を守る光を放ち、ティンカーベルは生きた剣としてエノクの意志を叱るように震えた。


「焦るな」


 ティンカーベルが言った。


「真名を無理に呼べば、あいつは折れる。折れた名は、敵にも使われる」


「でも、戻すには」


「戻すのと、引きずり戻すのは違う」


 アリアが双剣を抜いた。


「境界を斬る。真名と黒い影の間だけ」


「できるのですか」


 イリスが問う。


「やるわ。剣になるなって言った人たちに、少しは役に立ってもらう」


 アリアの足が祭礼の型を踏む。白い線が床を走り、欠けた一音へ絡もうとする黒い影を切り離す。テイルが地面へ竜気を流し、礼拝堂の足場を支える。ハルナが遮断具を投げ、黒星核の拍動を一拍だけ遅らせる。イーサーが星図に空白を作り、真名を無理に埋めずに保持する。イリスが帳面を開き、書いた。


 アリオン。真名。現在、本人未受領。


 アイオン。偽名。真名から一音を欠く名。千年間、彼が生きた名。


 アリスが竪琴へそっと手を伸ばした。触れず、ただ近くで囁く。


「どっちも、あなたが着てた名前。どっちかを消したら、また空っぽになる」


 竪琴の弦が、小さく鳴った。


 その音の中で、アイオンの姿が現れた。実体ではない。追跡路に残った記憶が、今の彼の形を借りたものだ。帽子のつばを下げ、疲れた顔で、けれどいつものように少し笑おうとしている。


『見られましたか』


 彼は言った。


『嫌なものを見せましたね』


「嫌だったわよ」


 アリアが即答した。


『そうでしょうね』


「でも、見てよかった」


 その言葉に、記憶のアイオンは少しだけ目を見開いた。


 エノクは一歩前へ出た。


「あなたは、アリオンなんですね」


『はい』


 今度は、否定もはぐらかしもなかった。


『そして、私はアイオンでもありました。アリオンに戻る勇気もなく、完全に捨てる覚悟もなく、一音欠けた名で千年を歩いた。みっともない話です』


「みっともないです」


 エノクは言った。


 アイオンの記憶が、少しだけ苦笑した。


『容赦がなくなりましたね』


「仲間が逃げたので」


『耳が痛い』


「でも」


 エノクは聖剣を下ろした。


「その名前で、あなたは僕たちと旅をしました。嘘つきで、隠し事ばかりで、肝心なところで逃げる人でした。でも、アイオンとして僕たちを助けてくれたことも、嘘にはしません」


 イリスが頷いた。


「記録しています」


 アリスも言った。


「アイオンって呼んだら、振り返った」


 テイルが腕を組む。


「アリオンだろうがアイオンだろうが、逃げたことは説教だ」


 ハルナが続ける。


「追跡料も請求」


 イーサーは静かに言った。


「星図には、両方の名を空白ではなく経路として残します。真名と偽名、その間に千年分の歩みがある」


 アイオンの記憶は、しばらく黙っていた。笑みが消え、ただ苦しそうに目を伏せる。


『それは、少し優しすぎます』


「優しいだけじゃないわよ」


 アリアは双剣を鞘へ戻した。


「戻ってきたら、ちゃんと怒る。逃げたことも、黙っていたことも、私たちに選ばせなかったことも。だから、怒られる場所へ戻ってきなさい」


 記憶のアイオンは、顔を上げた。


『怒られる場所、ですか』


「許される場所じゃない。怒られる場所」


 アリアの声は真っ直ぐだった。


「それくらいなら、戻りやすいでしょ」


 アイオンは一瞬、本当に笑ったように見えた。軽口の笑いではない。泣きそうな笑いだった。


『困りましたね。本当に、あなた方は』


 礼拝堂の空が崩れ始めた。記憶の殻が役目を終えようとしている。竪琴の弦に浮かんでいた「リ」の音が、完全には戻らないまま、白い光の粒となってエノクの聖剣とイリスの帳面、イーサーの星図に分かれて宿った。真名を勝手に奪わないために。だが、欠けた音を忘れないために。


 アイオンの記憶は最後に言った。


『私は、まだ本流の奥にいます。名層へ近づくほど、アリオンであることから逃げられなくなる。もし私が自分の名を失いかけたら』


「呼びます」


 エノクは言った。


「アイオンでも、アリオンでも。あなたが振り返れる名で」


 記憶は静かに頷き、消えた。


 礼拝堂がほどけ、反響路の風が戻る。黒い星の拍動はまだ遠く響いていたが、先ほどより少しだけ輪郭が見えるようになっていた。アリオンの過去は、全てが明かされたわけではない。封印の瞬間に彼が何を選び、何を選べなかったのか、その核心にはまだ触れきれていない。だが、一音欠けた名の意味は分かった。彼は千年間、真名から離れすぎず、真名に戻りきれない場所で生きてきたのだ。


 イリスは帳面に書いた。


 アリオン。真言使い。真名を起点に魔導を発動する者。真名から離れすぎると魔導は鈍る。アイオンは、アリオンから一音を欠いた名。力を失いきらず、罪から逃げるための中間の名。千年間、その名で生きた。


 そして、少し迷ってから、もう一行加えた。


 どちらの名も、彼が生きた証。


 テイルがそれを覗き込み、鼻を鳴らした。


「甘いな」


「甘いだけではありません」


 イリスは帳面を閉じた。


「戻ってきたら、本人に読ませます」


「それはきついな」


 ハルナが笑った。


「記録で殴る神官」


「殴りません」


「心に来るやつ」


 アリスが小さく頷いた。


「それがいい」


 エノクは弦の光が続く先を見た。反響路はまだ奥へ伸びている。アイオンは、アリオンは、その先にいる。自分の名から逃げながら、同時に追えるだけの音を残している。彼が完全に消える前に、追いつかなければならない。


 聖剣アーク・リヴァイヴが背で静かに鳴った。ティンカーベルが腰で応える。二つの剣の響きに、欠けた弦の微かな余韻が重なった。


「行きましょう」


 エノクは言った。


「一音欠けたまま、千年歩いた人を迎えに」


 アリアが頷く。


「迎えに行って、怒る」


 テイルが言う。


「説教もする」


 ハルナが指を立てる。


「請求もする」


 イリスが静かに微笑む。


「名前を呼びます」


 アリスが小さく続ける。


「帰る場所を消さない」


 イーサーが星図を開く。


「追跡路、継続。真名の音、保持。黒星核反響、増大。急ぎましょう」


 一行は再び歩き出した。黒い星の下、星外の災厄へ向かう道。その奥で、アリオンという真名と、アイオンという偽名が、まだ互いを拒み、互いに離れきれず、細い弦のように震えていた。

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