母と父
控えめなノック音の後、少し間を置いて「入りなさい」と声が返ってきた。
後ろに控えていた侍女をその場で待機させサリアナは扉のノブに手を添えた。
見慣れた扉なのに此処に至るまで酷く緊張する。
何度も通い扉を開き訪れたと言うのに、今では扉を開く行為も気軽には出来ない。
サリアナは深呼吸を一度だけして中へと足を踏み入れた。
刺繍をしていたらしく、窓際で針を手に座っている母が顔を上げた。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、お見合いはどうだったの?」
幾分か表情が柔らかい母はサリアナを側にある椅子に座らせ訪ねてくる。
その質問にはやはり、レイルの時と同じような反応を見せた。
「サリアナ?」
サリアナの様子に母、サーシャは窺うように名を呼んだ。
ありのまま話すのも憚れサリアナは掻い摘んで母にお見合いの様子を話した。
最初は好印象だったことを告げた時はサーシャの表情が明るくなったが次いでの沈黙三十分で苦笑して聞いている。サリアナは最後の部分をどう伝えるかで悩んだ末、告げないことにした。
これ以上サーシャにマリアの印象を悪くしたくなかったのだ。
「悪い方ではないと思うのだけど、ロリ、ソルドバーレイ様とはご縁がなかったみたい」
「あら、そうだったの……」
「お母様?」
残念そうに肩を落とすサーシャは頬に手を当てふぅっと息を吐いた。
憂いをみせるサーシャの様子を無視できずサリアナはどうしたのか尋ねた。
「ソルドバーレイ侯爵家の亡き夫人は私のお友達だったのよ」
「まぁ、そうだったのですか?」
初めて聞く事実に驚いているとサーシャはサリアナの方を向き懐かしそうに昔の話を語り出す。
「彼女とは領地が隣り合っていて良く都合をつけて互いの家に遊びにいっていたのよ、引っ込み思案な私とは違って彼女は何事にも積極的で物怖じしないまるで騎士様のような人だったの。でも、興味のないことはからっきしダメでどうしても必要な時は勢いで乗り越えていたわね」
「勢い、ですか?」
「そうよ。でも苦手な分野はとことんダメだったからいつも迷走していたわ」
クスクスと昔を思い出し楽しそうに笑うサーシャの表情はとても優しく、最近では見れていなかった温かな雰囲気まで醸し出していた。
「貴方がまだ赤ん坊だった頃に、状況が許されるなら子どもたちを結婚させましょうなんて話し合ったこともあるの」
「それじゃ……」
「ええ。たぶん、侯爵様がその話を覚えていらしたのでしょうね。彼女が亡くなってしまった日にその話も消えてしまったと思っていたものだから、嬉しくて……けれどご縁がなかったのなら、少し残念だけれどしょうがないわ」
「……え、ええ」
本当に心から残念そうにする母を前に相手が異母妹を狙ってるみたいだから二度と会わないと宣言をしたとはどう考えても言える状況ではなくなってしまった。
もしこの件が母の耳に入れば母の大切な思い出を、想いを傷つけてしまう。
そして母の友人との約束を聞いてしまってはどうにか叶えてあげたいとさせ思ってしまった。
お見合いに行く前に母に会うべきだった。
サリアナはずっしりと心に重石を乗せられたみたいになる。後悔の気持ちも少しだけ生まれてしまった。
何とか気まずい想いを胸にしまいサリアナは母に申し訳なさそうに笑った、
「彼女の息子ですもの、きっとあなたを幸せにしてくれると思ったのだけど……」
残念だわっと何度も呟くサーシャは心なしか沈んでいるようにも見える。
異母妹であるマリアも大切だが母のことだってサリアナにとって大切な家族だ。
考えるより前に、咄嗟に母の手に自分の手を添えサリアナは笑ってこう言った。
「大丈夫よお母様、私、頑張ってみるわ」
「サリアナ、でもご縁がなかったと……」
「まだ一度会っただけだもの、今度会えばまた違うかもしれないでしょう」
「……そう、ね。諦めてはダメよサリアナ。貴女ならきっと大丈夫よ」
応援してくれる母の言葉にサリアナはさっきとは違う後悔の感情が襲ってきたが表情には決して出さず。
サーシャを安心させる為ににっこりと微笑んで大きく頷いた。
部屋を退出し、廊下で待っていた侍女と顔を合わせた瞬間サリアナの後悔は大波になって襲ってきた。
残った理性を総動員して頭を抱えて蹲るようなことはしなかったが許される状況なら蹲って頭を抱えたい。
顔色を悪くさせたサリアナの様子に侍女は何かあったのかと心配そうに窺っている。
何てことだろう、二度と会わないとこの口で伝えたのに、舌の根も乾かぬうちにもう一度会いたいと書いた手紙を送らねばならないなんて。
二分程扉の前で立ち尽くすとサリアナは急いで父のいる書斎へと足を向けた。
兎にも角にも手紙は送らねばならない。
(まさかの伏兵だったわ)
母の友人がソルドバーレイ侯爵夫人だったなんて、予想だにしない展開だ。
己の情報収集不足に行儀は悪いが舌打ちをしたくなる程の落ち度だった。
レイルたちにはどう話そう、グルグル回る思考のなかサリアナは父の書斎の前で足を止めた。
扉をノックする前にサリアナは簡単に考えを纏めていく。
(ソルドバーレイ侯爵夫人は母の友人で二人は互いの子ども同士の結婚を約束していた。私が今日あの方とお見合いしたのもその為、母はこのお見合いが上手くいくことを望んでる。でも相手は異母妹を狙うロリコン。しかも二度と会わないと言ってしまった。……私の矜持などはこの際良いわ。叶える優先順位は母の願いと異母妹の安全)
決意を新たにサリアナは書斎の扉を軽くノックした。
中から低い声が短く「入れ」と聞こえ、母の時とは違い緊張することなくその扉を開いた。
黒の革張りの椅子に座った父が書類を机に置き、執事のエイブラムに何か指示を出している所だった。
部屋の中にサリアナが入って来ると同時にエイブラムが軽く頭を下げ部屋を退出して行った。
先程と同じように侍女を廊下に待たせ、父の前まで歩く。
「やぁ、サリアナ。今日のお見合いはどうだった」
「……あまり良いとは言えませんでしたわ。でも、もう一度お会いしたい旨をあちらに伝えて下さると嬉しいのですけど」
ちょっと他人行儀に聞こえるかもしれないがサリアナはあの日から父に対する怒りはこの態度で伝えることにした。
泣いて当り散らすよりこちらの方が父のダメージが大きいと気づいたことが決め手の一つだ。
少し眉を下げて寂しそうにする父を気遣う気はない。
これは正当な父への抗議で当然の酬いだ。ふんっとそっぽ向きたいのも我慢していると父の瞳が少しだけ和らいだ気がした。
「サリアナがそう言うなら手配しよう。彼は、君の目に適った相手なのかな」
「そう言うわけでは、いえ、そうですわ。あの方を気に入りましたの」
「ああ。ならサーシャが喜ぶね」
「……そうですわね」
嬉しそうに笑った父に反し苦いものを噛み砕いたような味が広がり顔を顰めそうになる。
知ってたなら先に教えておけと心の中で毒づいた。
伝えたいことは終わった。サリアナは出て行こうと身を翻しかけて父に呼び止められる。
この流れも何度目だろう、態勢を元に戻し父を見やれば、三十代後半の男がソワソワとした様子で聞いてきた。
「サーシャは、どうしていた?」
「今日は比較的穏やかな様子でしたわ。窓際で刺繍をしていたみたいです」
「そ、そう!機嫌が良かったんだね?ああ、でも窓際でだなんて体を冷やしてしまうじゃないかっ。直ぐに温かなストールをいや、ひざ掛けを手配しようか。それともガウンが良いかな?刺繍をしているならもっとたくさんの糸を取り寄せようか?サリアナ、どう思う?」
表情をパァっと輝かせ頬を上気させて喋り出す父、レンドールは公爵家当主の顔を引っぺがし百面相を始め母、サーシャの事をああでもないこうでもないと騒ぎ出す。
最後にはかならずサリアナの意見を聞いては来るが結局は上げたこと全部がレンドールの選択だと知っている。何故こうなったのか、サリアナは今度はにが甘いへんな気持ちになった。
あの日、父はサリアナに言われるがまま母に会いに行き話を始める間もなくサリアナの大声が開け放たれた窓から聞こえてきて話すことも出来ず中断されたらしい。
だが、三人の子どもたちのやり取りを見て、自分も負けてはいられないとサーシャに話しかけたのだが仲直りまではいかなかった。
ただ、部屋には入れてもらえるようにはなったらしく。会話も十分程度ならしてくれるとかで最初は喜んでいた。今は時間を分けて三十分が二回、合計一時間の会話を喜んでいる。
流石に不憫に感じたが、本人が気にしてないからこの件には極力関わらないと決めた。
「そうですわね。今度のお茶会にはマリアと一緒に行きたいのですけど許して下さるなら、私はストールとそれに合わせたひざ掛けと暖かみのある色の糸が欲しいですわね」
「もちろん構わないよ行っておいで。エイブラムにさっそく手配させないとっ」
既にサリアナから意識が遠のき出す父の態度に気を悪くすることなく、淑女の礼をして今度は反対に、エイブラムが中へと入りサリアナが外に出た。
エイブラムの淡々とした返事と父のちょっと興奮したような声を背に扉を閉める。
「さっさと仲直りしてくれると良いのだけど」
「お嬢様、それは……」
「わかってるわ。そんな簡単な話しじゃないってことは、そして、私の方も簡単ではないことも」
「……?」
サリアナの言葉の意味を理解できず不思議そうにする侍女に小さく笑いかけ、出そうになるため息を呑み込んだ。
これからが勝負よサリアナ。
(どうにかしてあの方を私の意のまま動くように骨抜きにしなくてはっ!)
それが母の願いと異母妹の安全を守る唯一の道だと強く誓い。
ソルドバーレイ侯爵家からの手紙を手ぐすね引いて待つことになった。




