2-22
あたしは自分の実家へと飛び、レッドローズの姿で、ロウシールドに隔てられた色の違う世界から、自分が焼かれるまでを見届けた。
葬式が事故から一週間も経って行われたのは、あたしの死体が崖の下まで落ちてしまったからだ。引き上げと警察の検証に時間がかかったらしい。
家族が喪服で並んでいた。うだうだと泣いていた。本気で泣いているのかどうか、よくわからなかった。ただ、彼らがいずれ、あたしがいてもいなくても同じ日常に戻っていくことはわかる。あたしはそうして、明確な死者になるのだ。
一家団欒がなかったワケじゃない。家族の絆がなかったワケじゃない。それを切り離したのは、むしろあたしの方からだ。何がきっかけだったのか覚えていない。反抗期といえばそれまでだ。反抗するのかしないのか、中途半端な感情だけを抱えてあたしは育っていった。何かに反抗するということは、別の何かを受け入れることのはずだけれど、あたしが受け入れようとしたものは何だったのだろう。
彼らはうだうだと泣いていた。あたしを失ったことが、どれくらい影を落とすものなのか、はっきりと理解できなかった。単位づけて測れるものでない重さが、心の中に深くねじり入ってくるのを感じた。嘘泣きのような涙を、どう解釈していいのか、自分でも混乱していた。つまり、つまり、───あたしが死んだことが、どうしてそんなに悲しいんだ? あたしみたいなものが、どうして、悲しみの対象になりうるんだ? それがわからない。あたしが死んで悲しむ人がいるという事実が、あたしには悲しかった。
驚いたのは、あのとき峠であたしに声をかけた男が来ていたことだった。泣いていた。オレが止めておればと、親に土下座していた。縁もゆかりもない人間だというのに。いや、もしかして、これが「縁」というものの原初の形なのだろうか、生と死と、そこに立ち会う、別の生と。
……あのとき、あたしが本当に彼の制止に応じていたなら。
あたしが勝手に死んだんだから、あんたはそんなことしなくていいんだって、言いたかったけれど、あたしは堅く唇を結んでいた。仮にロウシールドがなかったとしても、伝えられなかったろうと思う。
あの男の心に、一生の傷を負わせたのだとしたら、それはあたしが生きていたという証明のひとつなのだろうか。
───あたしはここに来て、さっき自分が思ったことを確かめただけに終わったことに気づいた。
あたしを知る他の誰かは、自身の把握している命の価値や基準に照らして、あたしのことを生きている存在だと定義づけていたかもしれない。でもあたしはその価値も基準もわからない。「生きていた自分」をなにひとつ覚えていない。やっぱり、ずぅっと、あたしは生きてなどいなかったのだ。めぐみは、あの子は、自分が生きていると思っていたろうか。
生きていなかった人間が今日、死んだ。あたしは生ける亡者から死者になった。命やその価値とかいうものからは程遠く、もともとモノだった何かが変質して別のモノになった、あたしにはそうとしか感じられない。あたしの命は、そして「死ぬ」という動詞はそういうものだったとしかいえない。
あたしはその場を去り、昔よく遊んだ近所の河原に向かった。かつて悪臭を放っていた川は、不景気で排水源の工場がつぶれ、今は親水公園と銘打って様変わりしている。水遊びには時期が早く、風も冷たく、吹きっさらしの場所に今は誰もいない。あたしは変身を解いた。サンフラワーの言ったとおり、戦闘でさんざんダメージを受けたあたしは服までぼろぼろで、ほとんど下着だけの姿になってしまっていた。
あたしはそのまま水に入った。身を切るような冷たさが足の先から伝わってきた。痛みをこらえながら、そのままざぶざぶと水を割っていった。冷たかった。刺すように、ちぎれそうなくらいに、水の冷たさだけははっきり伝わってきた。それはあたしの体が熱を持っているということだった。生きている証のひとつのはずだ。
なのに心の中はいつまでも不快に生ぬるかった。「ワカラナイ」という文字で作られたオブラートの中の自分が必死になってワカラナサを保とうとしていて、理解したいことにどうしても手が届かなかった。曖昧な「モノ」という立場に安住しようとしていた。
あたしは泣いた。水の中に涙を溶かした。このもどかしい感情をどうにかして表したいと思った。
死んでいた自分があらためて死んだこと。自分の死を誰かが涙で表現していること。あたしと彼らの間によくわからない溝があること。その溝は、もう二度と埋まらないということ。
昨日から起き続けている、ホントウは怖くてたまらないこと。でも、望むと望まざるとに関わらずそれを受け入れると心に決めたこと。戦う人形として、誰かを傷つけていくこと。
そして、あたしがこの地球上にまだ存在しているということ。
巻き戻せない時間の流れの中で、あたしという現象は、いくつもの事実と、いくつもの決断と、いくつもの過ちによって構成されていく。現在とは常にそれらの集合体であり、こうして泣いているあたしも、刻一刻と変化していく。
どこまで変わっていけば、生ける亡者は生きた人間になれたのだろう。何の変化が、モノと生命の境界線を越えるのだろう。
ロウシールドに隔てられた片一方の空間から別の空間を───死と呼ばれる世界から、生と呼ばれる世界をこうして眺め続ければ、いつかわかることなのだろうか。




