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 前方の不浄霊達がいっせいに色とりどりの飴玉へ変わり、機関銃の掃射のように千佳へと撃ち出される。だが氷菓の妨害も間に合わない。千佳が走り抜けた後に千佳の残像に飴玉がたどり着き、複数の飴玉同士が一気にぶつかって粉々になる。

 千佳の後方からも飴玉がたくさん飛んでくるが、そのほとんどは千佳の走った軌道を素通りするだけ。そして残りも、千佳は氷菓だけを見つめたまま身をひねって危なげなく回避する。

 極度に集中力が高まっていたせいで、自身の周囲十数メートル内にすき間なく神経を張り巡らせたような新たな空間認識を千佳は得ていた。背後から迫る飴玉の動きの流れが目を向けなくとも理解できる。千佳と瑠璃と氷菓と、飴玉のそれぞれの位置と状態が上空から俯瞰しているかのように思い描くことができた。ぐったりと顔をうつむけていた瑠璃が千佳の疾走に気づき、頭を上げることさえも伝わってくる。

 すべての不浄霊を飴玉に変えてもなお千佳をとらえられない氷菓ははっきりと恐怖の表情を浮かべ、クマァの口を向けようと腕をひねる。

 それと同時に瑠璃が生み出した剣でクマァの黒い手の片方を斬り裂き、拘束から脱出。残った片腕を両手でつかんで引っぱり、腕とつながったクマァ本体を氷菓の胸の中から奪い取った。瑠璃は雪の中に落ちるとともにクマァを路面に叩きつけ、腹を剣で貫き身動きを封じる。

 命綱のクマァを失い、空になった腕をぽかんと見下ろす氷菓の顔が千佳にはよく見えた。千佳と瑠璃はこの一瞬のためにずっと耐え続けてきた。クマァが太い腕を具現化させた時こそ氷菓の手元からクマァを釣り上げる唯一の機会なのだ。大量の不浄霊をストックし遠距離攻撃の起点となるクマァは氷菓に近づく敵を闇の手で排除する防衛機能も担っている。氷菓を倒すためにはまず攻防の要であるクマァを封じなければならない。そのためにはダメージ覚悟で氷菓に接近し、氷菓がクマァに頼って黒い手を出すまでひたすら食らいつく。それが忍の立てた作戦だった。

 千佳は勢いを緩めずにそのまま氷菓にぶつかり、組み合ったままごろごろと路上を転がる。あおむけに倒れた氷菓の腹の上に馬乗りになり、その細い肩を両手で押さえつけた。

 氷菓は剣をお菓子に変えて破壊する。だから武器の類は一切使えない。千佳は氷菓の首に手をかけ、そのまま力任せに締め上げようとして……そこで氷菓と目が合った。

 大の字に倒れた氷菓の黒髪が雪の上に美しく広がり、彼女の首も手足もあまりにか細い。もう氷菓は何もできない。頼みの綱のクマァも攻撃のための不浄霊もすべて失い、千佳に命を握られるだけの子どもだった。あれほど恐ろしく、悪魔のようにさえ見えた氷菓が今ではとてももろく、儚くさえ千佳には見えた。


「どうしたの? 早くやりなよ」


 至って平静な氷菓の声で千佳は我に返る。


「これは決闘でしょ。敗者は死ぬのが当然。敗けるのはくやしいし、あなたは瑠璃じゃなくて千佳だけど、瑠璃の顔をしてるからまあいいや」


 冷たく笑う氷菓に千佳の心は揺れた。そのせいでこれまで続いていた集中が途切れ、瑠璃化が解除されて元の千佳に戻ってしまう。そんな千佳の顔を氷菓はじいっと見つめ、「ああっ」と小さな驚き声を上げる。


「やっと思いだした。街で聞き込みをしてた時、氷菓にお菓子を買ってくれたお姉ちゃん」


 これから死のうという時に当人の氷菓は千佳の方があきれるほどにのんきな様子だった。傷つくことは嫌でも死の恐怖とは無縁の性格なのかもしれない。


「あれは美味しかったなあ。こんなことならもっとたくさん食べておけばよかったよ。氷菓、お金なんて持ってないけどさ」


 それだけ言って、氷菓はいさぎよく目を閉じる。いつでも好きなときに殺せという無言のメッセージだった。もはや勝負に敗けた氷菓に未練はないらしく、死の覚悟は済んでいるようだった。

 幽姫としての氷菓の能力は強力でも彼女の身体能力は非常に低い。わざわざ瑠璃に変身しなくても千佳の手で氷菓を絞め殺すことは簡単だった。生殺与奪の権利を手にした上で、千佳は手ではなく口の方を動かしたくなる。


「力なら瑠璃よりも氷菓の方が勝っている。呪いが完全に消えた瑠璃と私の二人がかりでも氷菓にここまで追いつめられたんだから。それでも結果的に氷菓は私達に敗けた。それは私と瑠璃が力を合わせて戦ったから。一人でできないことでも二人ならできる」


 二人から離れた場所に立つ瑠璃は虫ピンで捕らえた昆虫を貫いて固定するように剣でクマァを抑えつけている。痛みで片目を閉じ、肩で息をしながらも千佳の話に耳をかたむけていた。

 氷菓は眉をひそめ、千佳の言うことがいまいち理解できないらしい。千佳はもう氷菓を倒すべき敵だとは思えずに、哀れみを抱きつつあった。


「氷菓にとってはどちらが強いかが一番大事なのかもしれない。それが戦ってばっかりの幽姫の普通の生き方なのかもしれない。でもさ、どちらが強いかを気にして相手を見つけて殺し続けていっても、最後に氷菓の周りに残るのは氷菓独りでしょう? 瑠璃が私の友達になることを選んだみたいに、幽姫には戦い以外の生き方だってあるんだよ」


「……よく分からない」


「安心して。氷菓は傷つけない。殺さない。勝負はついたんだから、私達の戦いはこれでお終い。でも、命を助ける代わりにやってほしいことが一つあるの」


 千佳の身体に戻ると戦いで負った傷まで元通りになってしまう。千佳は苦痛に息を切らしながらどうにか氷菓の上からどき、真っ暗な空を見上げた。


「四季さん、見ていますか!? 四季さんの出番です!」


 その直後、派手な花吹雪に包まれて四季が雪の上に現れた。荷物を運んで飛ぶ四体のしもべを引き連れて千佳へゆったりと歩みよる。


「がんばりましたね、千佳。勇ましかったですわ」


 地面にへたりこんでいた千佳は四季に制服のえり首をつかまれ、子猫のように持ち上げられて強引に立たされた。四季に褒められて千佳はかすかな苦笑いを浮かべる。素直に喜べるほど余裕のある体調ではなかったからだ。


「トラを連れてきてくれてありがとうございます。四季さんがいなかったら大変なことになっていました」


「千佳が勝って見せたご褒美ですわ。特別ですわよ」


 もしも千佳達が氷菓に勝ったら戦いの場にトラを移動させてほしいこと。それを四季に願っておいたのだ。さりげなく四季を立てる千佳に四季の方もまんざらではない様子だった。

 四季のわきにしもべ達が置いたトラ入りの飴。それを千佳は指差し、厳しい顔で氷菓を見つめる。


「トラを助けてあげて。トラは巻きこまれただけで罪は何もないわ」


 氷菓は上半身だけを起こし、ふてくされたような顔のままトラをにらむ。すると飴の部分が砕け、中からトラが転がりだした。

 トラは四つんばいになってせき込み、口と喉につまった飴の塊を苦しげに吐き出すと、目の前でしょんぼりしている氷菓を見つけて飛びかかった。


「氷菓! てめぇ、よくもこのあたしに!」


 激怒のあまりに殺気立ち、氷菓の胸ぐらをつかみ上げて宙吊りにするトラ。頭の猫耳もしっぽも逆立てる彼女の腕を千佳が止めた。

 言葉で訴えずに目で語りかける千佳と今の状況に、トラも終戦の気配を読み取ったらしい。いまいましげに舌打ちし、吊り上げた氷菓を放り捨てる。

 氷菓は雪の中にしりもちを突き、華やかな洋服を泥にまみれさせながら千佳とトラを見上げる。クマァを瑠璃に封じられ、せっかく周囲に解き放った不浄霊もすべて飴玉に変えてしまった氷菓には攻撃手段がない。今の氷菓はあまりにも無力であり、みじめささえ漂わせている。


「ここまでのようですわね。また面白いものを期待していますわよ、千佳」


 四季は最後に千佳へ笑いかけ、元来た道をしもべ達とともに戻っていき、花吹雪に身を包んでどこかへと消えた。残されたものは一面に散らばった桃色の花びらと香しい花の匂い。


「今のも千佳の仲間の幽姫? 強そうだけど……どうにもいけ好かない奴だな」


 トラはぼりぼりと頭をかき、小さなため息をつく。


「固められてたせいでよく覚えてないけど、とにかく全部片付いたんだよな? ならあたしも消えることにする。あんまり役に立てなくてごめんよ」


 残念だと言わんばかりの苦笑を浮かべると、トラは地面を蹴ってビルの壁面へと跳び、そこから次のビルへと跳んであっという間に千佳達の前から去って行ってしまった。

 瑠璃が左足を引きずりながら千佳へと近寄ってきた。いくら回復を妨げる呪いが皆無の状態でも負った傷が重すぎる。ぶらぶらと揺れる左腕を右手で押さえ、一歩踏み出すごとに苦痛で顔を歪ませていた。


「……千佳。この子を許すのね? 後にまた災いをもたらすかもしれないけれど、それでもいいの?」


「許すよ。命は取らない。もう勝負はついたんだから」


「千佳が許すなら私もそれで構わないわ」


 クマァは腹を剣でくし刺しにされて路面に縫い止められた上で何本もの剣の檻に囲まれている。クマァなしでは氷菓はまともに戦えない。氷菓はうつむき、やがてしゃくりを上げて泣き始めた。外見相応の小さな子どもが泣いている光景そのものだった。

 氷菓の正体は人ならざる幽姫でも見た目は幼い女の子だ。そんな姿をした氷菓が大泣きしているのを見るのは千佳にとって決して心地良いものではない。

 氷菓の肩に手を伸ばしかけて、その途中で千佳は手を引っこめた。真剣勝負では敗者は何かを失うのが当たり前。その原則を壊すことは真剣勝負という前提さえも壊してしまう。氷菓は命ではなく、誇りや強さへの自信を失ったからこうして泣いているのだ。下手な慰めは氷菓の勝負への思いを歪める愚行となる。

 千佳は重傷の瑠璃に無言で肩を貸し、泣き続ける氷菓に背を向けて幽世の街を歩いていった。



 氷菓との命を賭けた決闘から一週間近くが経った。今日は大晦日であり、すでに年が終わるまで六時間を切っている。テレビ番組の内容も、外の道を行き交う人達の雰囲気も浮ついていて、年越しに向けてだんだんと国全体の高揚感が増していくような不思議な夜だ。千佳は部屋の中のベッドに座り、自身のももの上に立つ忍に顔を向けていた。

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