終わらない習い事
さて、習い事の話に戻ろう。
エレクトーンのレッスンを、自分の意思とは無関係に増やされた私は、ある日、とうとう限界を迎えてしまった。
もう、耐えられなかった。
私はエレクトーンを投げ出した。
それに対して、母は私を非難した。
しかし、私にはもう、続けるだけの気力が残っていなかった。
もともと、自分から習いたいと言い出したわけではない。それなのに、いつの間にかレッスンは増え、結果を求められるようになっていた。
私が何を望み、どれほど疲れ、何に苦しんでいるのか。
そうしたことを考慮してもらえているとは、到底思えなかった。
ただし、エレクトーンが何も残さなかったわけではない。
置き土産に、絶対音感が残った。
あれほど嫌だった習い事も、私の中に確かなものを残していたのである。
もっとも、エレクトーンをやめたからといって、習い事そのものから解放されたわけではなかった。
今度は、英語教室である。
私は週に一度、わざわざ他府県まで通うことになった。
先生は外国人だった。
公平に振り返れば、この英語教室が、私に英語への興味を芽生えさせ、ひいては語学そのものに関心を持つきっかけになったのだと思う。
その意味では、決して無駄な経験ではなかった。
むしろ、後年の私にとって、価値のある経験だったと言えるだろう。
しかし、問題はやはり、母との関係にあった。
課題ができていなければ、とにかくネチネチと言われた。
なぜできていないのか。
どうしてきちんとやらないのか。
母の言葉は、私にとって重荷でしかなかった。
習い事を通して何かを学ぶ喜びよりも、課題ができていなかったときに何を言われるかという恐怖の方が、ずっと大きかった。
私は、母の存在そのものが嫌になっていった。
しかし、逃げようがなかった。
なぜ、いつも私の意思は無視されるのだろう。
なぜ、私の体力や精神力を考えてもらえないのだろう。
自分の意思とは無関係に習い事を決められ、そこへ押し込まれる。
そして、期待されたようにできなければ非難される。
選ぶ機会は与えられないのに、結果に対する責任だけは求められる。
私には、そう感じられた。
そもそも、私が何をしたいのか、何をしたくないのか。
それを声に出す機会さえ、最初から与えられていなかった。
不思議でならなかった。
大の大人が、なぜ子供の体力や精神力、そして向き不向きを考えないのだろう。
子供にも限界がある。
疲れることもあれば、嫌になることもある。
まして、私は学校での人間関係にさえ、毎日のように苦しんでいたのである。
学校に通うだけでも、私にとっては大変なことだった。
それなのに、学校が終われば習い事。
課題ができていなければ、母からの叱責。
そして、日曜日には、こともあろうにボーイスカウトである。
人間関係や協調性が大の苦手だった私が、またしても集団の中に放り込まれることになった。
ほかの子供たちにとっては、仲間との交流や野外活動を楽しめる場所だったのかもしれない。
しかし、私にとっては違った。
学校で散々苦労している集団生活を、休日にまで繰り返すのである。
これでは、心が休まるはずもなかった。
そして日曜日が終われば、翌日は月曜日。
また学校が始まる。
勉強があり、人間関係があり、私にはどう振る舞えばよいのかわからない毎日が待っている。
学校でも気が休まらない。
習い事でも気が休まらない。
休日にも、集団生活から逃れることができない。
一体、いつ休めばよかったのだろう。
私は、ただ静かに過ごしたかった。
誰にも何も求められず、失敗を恐れることもなく、安心して過ごせる時間が欲しかった。
けれど、当時の私には、それすら難しいことだった。
今にして思えば、習い事を通して得られたものは確かにあった。
絶対音感も、語学への興味も、その一つである。
しかし、得られたものがあったからといって、そこに至るまでの苦痛が消えてなくなるわけではない。
何かを身につけられたことと、その過程で幸せだったかどうかは、まったく別の話なのだ。
私の小学生時代は、そんな毎日の繰り返しだった。
振り返れば、ただただ憂鬱になる思い出である。




