第27話 犬の話。
アリシアは夕方になると、いつものように大きなランプを家の玄関先に吊るす。
ほんのちょっと踵をあげて、下から続いている道を見る。
そろそろ1週間になる。外出が嫌いな先生のことだから、王都で用事を済ましたらさっさと帰って来るだろうと思っていたアリシアは、誰も坂道を上ってきていないのを確認して一つため息をついて玄関のドアを閉めた。
それを…たまたま部屋から出て、ダイニングに向かっていたばあ様に目撃されてしまった。にやりっと笑われた。素知らぬ顔で、アリシアは今日の晩御飯の話を始めた。
「いや、ほら、2人分の用意しかしていないのに、人数が増えたらどうしようかなあ、って思ったんです」
「へえ」
「本当、ですよ?」
「うんうん。帰って来て、おかえり、って言ってくれる人がいるのは嬉しいもんさ」
「……」
「ただいま、って当たり前に言えるのだって…奇跡みたいなもんだからね」
「……」
ほんのちょっと自分の顔が赤くなったことが恥ずかしくて、アリシアはばあ様の顔を見ないで言った。
「今日はフィッシュ・パイですよ」
「また魚かい?肉がいいなあ」
オーブンに仕込んでおいた魚のクリーム煮にマッシュポテトをぎゅうぎゅうに重ねたパイが焼きあがったので、大皿で出した。
「おやおや。あと二人ぐらいは食べれそうだね」
「明日の朝もこれです」
そう言いながらばあ様と自分のお皿に取り分けた。実は先生の好きなメニューだということは黙っておいた。
「これさ、先生が好きな奴だよね?」
「……」
そうか。ばあ様の方が先生と長く暮らしているんだもの、好みぐらい知っているか。そう思って、見透かされた気がして耳まで赤くなる。黙々と食べた。
「ただいま、って言えばさあ」
フィッシュ・パイをフォークでつついていたばあ様が言った。
「あたしがこの山小屋に住むようになって、初めてのお客さんはさ、まだ若い青年だった。失恋でもしたのかな、と思ったよ。見晴らし台のベンチに座って泣いていたから、お茶に誘ったのさ」
ばあ様がぽつぽつと話し始めた。
「その子はね、旅に出ていたんだって。すぐに帰るつもりで…でも出かけた先が楽しかったから働きながら結局3年も実家を留守にしたらしい。元気に、ただいま、って家に帰ってきたら、ずっと一緒に育った彼の愛犬が迎えに出なかった。きっと尾っぽをちぎれんばかりに振りながら、突撃してくるだろうと思っていた彼は…知らなかったんだね。もう1年も前にその犬は老衰で死んでしまっていた」
「……」
「泣いてもどうしようもなかった。間に合わないことってあるからね。寿命も違うんだろう?僕はもう、犬は飼わないんだ。そんな資格もない。そう言って、彼は泣いていた」
「……」
「それから、4年ぐらいたってからかなあ…大きな犬を連れた男の人がわざわざ家を訪ねてきたんだよ。最初は誰だかわからなかったんだけどね。その子が言ったんだよ。もう一度愛してみようと思います、ってね。ああ、あの時泣いていた子か、ってようやく思い出した。とても…いい顔をしていた」
「……」
「あの子には、そのくらいの時間が必要だったんだろうねぇ」




