第21話 マーガレット。
5月の末。
一人の白髪の老人が荷物を背負って宿からの坂道を登ってきた。
咲き始めたマーガレットに見入ったり、手すりにもたれて海を眺めたり…随分とのんびり風景を満喫しているように見えた。
畑に出ていたアリシアは、鍬を置いて勝手口から入り、お湯を沸かし始めた。
トレーにお茶の入ったカップを乗せて、客間を開けたがそこには誰もいなかった。
先生と客人はデッキに座って話を始めたようだ。先生の部屋を通り抜けて、デッキまでお茶を運ぶ。先生は先日ゴードンさんが買ってきた、春用の少し光沢のある淡いグレーのワンピースを着ている。髪の色とお揃いのようで…妖精のように美しい。
今日はワンピースに合わせて、先生の髪は結わずに緩くカールをつけてある。天使?
そう思ったのは私だけではなかったようだ。
「美しい!実に美しい!いいですねえ、貴女をモデルにして一枚絵を描きたい!」
「……」
先生は微妙な顔をしている。
ふっ、と声を出して笑ってしまった。どうも、老人が背負ってきた荷物は画材だったらしい。話しながらもごそごそとリュックを広げて、スケッチブックにデッサンを始めていた。
お茶を載せたトレーをデッキに下ろして、去り際に老人のスケッチブックを覗いてみた。
驚く位の速さで、先生を描いている。
面白いお客さんが来たわね…。そう思いながら、台所に戻る。
これは長丁場になりそうだ。
アリシアはこの変わったお客様のために、サンドウィッチを作り始めた。
昼食のお誘いをすると、老人も先生も客間に入ってきた。テーブルにはもう二人分のサンドウィッチを並べて置いた。そこに紅茶をそっと置く。
老人は客間からの景色にも感嘆を漏らす。
「窓枠まで芸術ですな!!」
抱えたスケッチブックのページをめくって、窓枠と、そこから見える岬と海を描きだした。専門家(?)にこんなことを言っていいかどうかわからないが…上手だ。
ソファーの背もたれ越しに、見慣れた景色が描きこまれていくのをしばらく眺めた。
夕方近くまで、先生は客間で本を読んでいた。その先生をひたすらスケッチする老人。陽が沈む前に、見晴らし台まで二人でぶらぶら歩いて行った。
アリシアは茶器を片づけながら、あそこの景色を見たら、あの老人はまたきっと明日も来るだろうと思った。明日の昼ご飯は何を出そうか、とアリシアは考えていた。
案の定、次の日も、そのまた次の日も…老人は1週間通い詰めた。
先生を描いたり、マーガレットの花畑を描いたり、アリシアの読み通り見晴らし台からの景色を描いたり…。先生は面白がっているようで、ぶらぶらと老人に付き合っていた。老人が絵を描いている間は本を読みながら。
滞在の最後の日に、昼食のお礼にとマーガレットの花を描いた小さな絵を頂いた。
達筆なサインが入っていたが、達筆過ぎて読めなかった。
その絵は水彩で…白地に一本のマーガレットが描かれていた。冬の厳しさを乗り越えて春を楽しんでいる、そんな絵。
「お嬢さん、マーガレットの花言葉を知っていますか?心に秘めた愛、真実の愛ともいわれていますよ」
茶目っ気たっぷりにウィンクしながら老人が教えてくれた。
「でも、花自体は毒を持っていて口にはできないんです。あんなに美しいのにね」
…そうなんだ。そう言われてみれば、ハーブティーでもマーガレットのお茶は聞いたことがないな。
玄関先で老人の荷物を背負って待っている先生を見る。
なるほど風に吹かれるマーガレットのようだ。
凛として美しくて……誰の話にも耳を傾けてくれるが、誰も寄せ付けようとしない。




