カルミア
「あら、何のことかしら?」
カルミアは一瞬目を見開くも、すぐに妖艶にほほ笑んだ。
エリカはその反応で「やっぱりね」と確信した。
カルミアは自分の不貞を徹底的に隠していた。
バレたところで皇帝は彼女を皇后の座から降ろすことはしないだろうが、シレネ派の貴族はこのことを深く追求してくるだろう。
自分の息子を次期皇帝にするという計画はカルミアの不貞がバレたら大いに狂うことになる。
ほんの少しの嫌がらせのつもりでやっただけだが、どうやら地雷を踏んでしまったようだった。
カルミアは微笑んでいるが、その目には憎悪が宿っていた。
それが実の娘に向ける目かしら、と、エリカは内心呆れながら沈黙を貫いた。
「このままマルベリーを手放すつもり?」
カルミアは掴んでいた髪の毛を離した。
「さぁ?どうでしょうか?」
エリカは乱れた髪を整えながら曖昧にほほ笑む。
カルミアがなんて答えて欲しいのかわかっていたが、あえて曖昧に答えた。
マルベリーを自分のところに縛り付けておくことで、カルミアが喜ぶと思うとすぐに手放したかったが、それだと今度はロベリアが喜ぶので手放せなかった。
今までは母親より異母姉の方が憎かったため、マルベリーを縛り付けていた。
これからは異母姉より母親の方を苦しめるのもいいかもしれないと、エリカは密かに思った。
「あんないい男を手放して後悔しないの?」
エリカは一瞬で自分の体から熱が引いていくのを感じた。
(実の母親が言う言葉かしら)
異母姉の婚約者を七年もの間縛り付けていたエリカがそう思う資格がないことは十分にわかっていたが、それでも愛人でもいいからマルベリーを繋ぎとめておけと遠回しに言う女に怒りを通り越して呆れてしまう。
「そう言われたら少し悩みますね」
エリカがそう言うとカルミアはほんの少しだけ口角をあげて喜んだ。
だが、エリカはそれをあざ笑うかのように笑顔でこう続けた。
「彼を気に入られたのならお譲りしましょうか。わざわざ何年もの間会いに来なかった娘に会いに来るほどですから、よっぽどでしょう。陛下には私の方から伝えておきましょうか?」
全皇后の娘の婚約者を実の娘の専属騎士として縛り付けただけでなく、今度は自身の専属騎士になどすれば、すぐにあらぬ醜聞が国中に広まることになる。
そんな未来がおとずれることは絶対にないとわかっているが、髪を掴まれた腹いせに嫌がらせをしても罰は当たらないだろう。
「結構よ。子供に興味はないの」
エリカはすぐに嘘だと見抜いたが、追及することはなかった。
「そうですか。それは残念ですね」
エリカは皮肉のつもりで言ったが、カルミアは気にするそぶりは見せずに紅茶を一口飲んだ。
「用がマルベリーのことだけでしたら、どうぞお帰りください。娘が襲われても見舞いにも来ないくらい忙しいのですから」
これが弟だったら間違いなく、付きっ切りで看病しただろう。
見舞いに来られたら来られたで困るのだが、前世の記憶があるせいか関心を持たれないことに慣れたせいか、逆に持たれると鬱陶しく感じてしまうようになった。
「そうね。そうさせてもらうわ」
カルミアはそう言うと優雅に立ち上がった。
一つ一つの所作が美しい。
さすが、皇帝の心を奪っただけのことはあるとエリカは呑気に感心した。
エリカは扉に向かう母親を見送るために立ち上がることなどせず、座ったままでいた。
カルミアもそれに対して何も言わず、さっさと部屋からでていった。
よく他人から家族の話を聞くが、エリカにはそれがどういうものなのか理解できなかった。
いや、家族という単語がどういう意味かは理解できているが、無償の愛や優しさとか、家族の在り方について耳にするたび何を言っているのかと本気でわからなかった。
前世からずっとそうだった。
家族とは?愛とは?
何一つわからない。
エリカは前世から誰にも愛されたことがなかった。
人の温もりというものも知らない。
知る必要もないと思っている。
だが、それを知らないから自分はあの日、マルベリーに哀れな目で見られたのかと思ってしまう。
愛が人を変える。
それはわかる。エリカも人を好きになったことがあった。
エリカとして生まれ変わる前のアネモネだったころに。
だが、そのせいで惨めな思いをするとわかっていたら、絶対にあの日あの場所には行かなかった。
時を戻すことができるのならエリカは間違いなく、少年に恋した日を選ぶ。




