ロベリア
エリカはマルベリーの傷を見た瞬間、どうにも言えない苛立ちが沸き起こった。
自分ではない誰かが彼につけた傷など見るに堪えなかった。
許せなかった。
この男を傷つけていいのは、その資格があるのは自分だけだ。
そう言いたくなった。
そんな資格などエリカにはない、と、自分で仕向けたことだとわかっていたのに怒りが収まりそうにない。
窓の外を見ると、マルベリーがみえた。
彼がこれからどういう選択をするのかエリカにはわからなかった。
傷を治さなければ、一生傍にいなくて済む。自由になれる。
ロベリアの元に行けることができるのだ。
エリカはその未来を想像するだけで吐き気がした。
あの女が幸せそうな顔で、勝ち誇った顔を自分に向けるのが許せなかった。
無意識に強く握りしめていた拳からヌルッとした感触がして、血が出ていることに気づいた。
一瞬、マルベリーから視線を外したせいで、彼が自分を見ていたことに気づかなかった。
視線をもとに戻した時には、マルベリーの隣には既にロベリアがいた。
「ハッ」
エリカは汚らわしい本性を隠し、か弱くて守ってあげたくなる女を演じる異母姉の心配そうな顔をしてマルベリーに触る姿を目撃するなり、鼻で笑ってしまう。
エリカは二人の元に行こうと窓の外を離れるが、すぐに我に返り足を止めた。
自分には関係ないことだと言い聞かせ、侍女を呼び出し、手のひらの傷を手当させた。
その間も、意識は外に向いていた。
マルベリーとロベリアはどうなったのか。
皇宮にいたら噂話はよく聞くが、二人がいたことを新しくきた侍女たちは自分の耳にでも入れた瞬間、殺されるとでも思っているのか誰も何も言わない。
手当てが終わると、全員部屋から追い出し、窓の近くへ立った。
下を見ると、既に二人の姿はそこにはなかった。
当然だ。
そう思うのに、エリカは自分の知らないところで何かが起きている気がして苛立ちを押さえることができなかった。
※※※
「マルベリー」
治療をするために医者の元に向かっていたマルベリーは突然、後ろから名前を呼ばれて振り返った。
少し離れたところに、青いドレスを身に纏った婚約者が見えた。
彼女がこちらに向かって走ってくる。
マルベリーは慌ててロベリアの元へと駆け寄った。
例え婚約者でも身分は彼女の方が上だ。
そんな人を自分のために走らせるなど言語道断。
マルベリーが駆け寄るとロベリアは嬉しそうにほほ笑んだ。
傍でロベリアが急に走ったことに慌てていた侍女たちも、安堵したようにため息を吐いた。
「何か御用ですか」
ロベリアはマルベリーに声をかけられた瞬間、戦慄を覚えた。
マルベリーの瞳は自分の会いたくて走ってきてくれたのか、と喜んでいた自分を嘲笑うかのように冷たかった。
自分に会うことなどどうでもいいように思っているような顔がロベリアは自分だけがこの男を愛しているのだと突きつけられ恥ずかしくなった。
そんな心情を知られまいと、ロベリアは気丈に振る舞った。
「心配で様子を見に参りました」
見た限り、マルベリーの様子はいつもと変わらない。
首から上はどこにも傷はない。
だが、服の下はわからない。
拷問は間違いなく行われたと騎士から報告を受けた。
それなのに、いつもと変わらない姿を見せるマルベリーに困惑をしながらも、医師に治療をさせなければと、今からエリカのところへ向かうところだった。
そんなときにマルベリーに会えたのは不幸中の幸いだった。
エリカがいたら、勝手なことをするなと駄々をこねていたかもしれない。
そう思うだけで、頭が痛くなるし、エリカに対しての殺意も湧き上がってくる。
そもそも、マルベリーが拷問を受ける羽目になったのはもとを辿ればエリカのせいだ。
エリカがマルベリーを専属騎士になどしなければこんなことは起きなかった。
ロベリアがエリカに対しての怒りがふつふつと沸き上がっていると、上から冷たい声が降り注いできた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。たいした怪我ではありませんので、これ以上は心配なさる必要はありません」
マルベリーの言葉はロベリアを気遣っているようで突き放していた。
そのことにロベリアも気づいた。
お前の弟のせいだ、と自分にも怒っているのかとロベリアは思った。
今回の事件の被害者たちは全員が冤罪だ、と、皇宮に仕える者たちなら誰でも知っていた。
皇太子と第二皇女の不祥事を隠すために侍女と使用人を殺したと全員がわかりきっていた。
ロベリアもそのことをわかっていた。
シレネが余計なことをしなければ、大量の血が流れることなどなかった。
何も悪くない自分がこんな目にあったのはお前たちのせいだ、と思われていそうで怖くなった。
ロベリアは心の中ではマルベリーならきっとわかってくれていると期待していたのかもしれない。
自分たちの結婚は昔から進めてきたものだ。
だから、マルベリーの隣に立つ女性は自分しかいないと信じていた。
いや、その事実は変わらないだろう。
ただ、それは昔から思い描いていたものではなく、ただ隣に立つだけの関係。




